3.「動的平衡」という言葉について
ここで「動的平衡」という言葉について、もう少し調べてみよう。
福岡の言う「動的平衡」とは、生命の特質を実現する生命固有のメカニズムであり、シェーンハイマーの発見した生体の構成成分の絶えざる入れ替わり(シェーンハイマー自身の言葉では「身体構成成分の動的な状態」)である。
このような概念を最初に提唱したのは誰だろうか。私は、一つの候補としてルートヴィッヒ・フォン・ベルタランフィ(1901-1972)の名を挙げたいと思う。
ベルタランフィは、漁獲予想のための「ベルタランフィ成長方程式」、癌早期発見のための「ベルタランフィ・メソッド」などで知られる生物学者であるが、生物学の分野を越えた活躍をした人物であり、「一般システム理論」の創始者でもある。「一般システム理論」とは、システム一般に共通した法則を探し出し、科学統合を図ろうとする分野である。
M・デーヴィッドソンによる評伝「越境する巨人 ベルタランフィ」(原著1983)には、以下のような記述がある。
【引用】
ベルタランフィは、生命の謎に取り組むなかで生物を開放システムと規定した。彼はそのような結論に達した科学者の一人である。開放システムとは、従来の物理的、化学的限界をはみ出して機能するシステムである。彼は、この言葉を一九三二年に出版された「理論生物学」第一巻で初めて使い、自己を取り巻く環境との間で物質とエネルギーを継続的に交換することで、動的状態を維持するシステムと定義した。 (略)
「越境する巨人ベルタランフィ」M・デーヴィッドソン p98
【引用おわり】
ここで書かれている「開放システム」が、福岡の言う「動的平衡」と同様なものであることは明らかだろう。年代の記述に注目してもらいたい。ベルタランフィが「開放システム」という言葉を使ったのは1932年、シェーンハイマーの発見は1935年である。ベルタランフィの方がシェーンハイマーの発見に先行しているのである。
さらに、同書の記述を見てみよう。
【引用】
生物学の分野では、ベルタランフィは開放システムの先駆者でありつづけた。細胞から生物圏に至る生物のあらゆるレベルで、彼は開放システムが「絶え間ない物質の流れ」によって維持されているのを見てきた。この点では、ギリシャの哲学者エペソス王家の出のヘラクレイトス(紀元前およそ540-480)を頻繁に引用して、「あらゆるものは流れの中にある.......。同じ川に二度足を踏み入れることはできない。新たな水が絶えず自分に向かって流れているからだ」と言っている。さらに彼は、生命は単に流れのなかにあるというヘラクレイトス的イメージを、生命は流れそのものであると主張することによって、人間認識の範囲まで広げようとした。「生命の形態は単に存在しているのではなく、成るのだ。生物とは、生物を構成し同時に生物を通過している物質とエネルギーの無限の流れの表現である」と書いている。
「越境する巨人ベルタランフィ」M・デーヴィッドソン p100
【引用おわり】
【引用】
余談だが、母国語のドイツ語で論文を書きながら、この生物の定常状態という概念を提唱したとき、彼は長たらしいフリースグライヒゲヴィヒト(Fliessgleichgewicht 流動平衡)という言葉を作りださねばならなかった。彼は、従来の物理的化学的平衡状態の受動的性格とは異なる、定常状態の能動的な正性格を明らかにするためにこの新しい言葉が必要だと考えた。
「越境する巨人ベルタランフィ」M・デーヴィッドソン p101
【引用おわり】
ベルタランフィ自身の著作からも引用しよう。
【引用】
(略)それゆえ、たえず連続的に仕事ができる能力は、できるだけすみやかに平衡に達してしまおうとする傾向のある閉鎖システムにおいてはありえず、開放システムにおいてだけありうる。生物体に見いだされるみかけ上の「平衡」は仕事のできない真の平衡ではない。それは真の平衡から一定の距離をつねに保っている動的平衡である。それゆえ仕事をすることはできるが、他方、真の平衡から距離を保つためにエネルギーの流入をたえず必要とする。
「一般システム理論」フォン・ベルタランフィ p123
【引用おわり】
【引用】
生きている細胞と生物体は、多少とも永続的な「構築材料物質」からなっていて、その中で「エネルギー産生物質」がこわされて生命過程のエネルギー要求を満たしているというふうな、静的なパターンないし機械類似の構造ではない。それはいわゆる構築素材物質もエネルギー産生物質も(古典生理学でいう建築物質と駆動物質bau-and Betriebsstoffe)ともにこわれてはまた作られるような連続過程である。しかしこの連続的なたえまない崩壊と合成はよく調整されていて、細胞と生物体はいわゆる定常状態(流動平衡Fliessgleichgewicht, von Bertalanffy)の中でほぼ一定に保たれる。これが生物システムの一つの根本的神秘である。代謝、成長、発生、自己調節、増殖、刺激-反応、自律的な活動などのような他の全ての特徴は結局のところこの基本的な事実からの結果である。
「一般システム理論」フォン・ベルタランフィ p151
【引用おわり】
上の文章で書かれているのが、福岡が繰り返し強調する「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」という認識と同じものだということは、容易に見て取れるだろう。
ベルタランフィの「一般システム理論」の邦訳書の中では、「流動平衡」と「動的平衡」という二つの単語を見つけることができる。「動的平衡」に対応するドイツ語が分からないので、二つが同じ言葉であるのか確認できなかったのだが、どちらにせよ、この二つが同じ意味合いで使われていることは明らかである。前節で引用した文章の中では、福岡は、シェーンハイマーの「生命の動的な状態」という概念を「拡張」して、福岡自身が「動的平衡」という新たに作り出したかのように書いているが、すでにベルタランフィがこの言葉を使っていたのである。もちろん、上に引用した文章からも分かる通り、ベルタランフィは自身の唱える「動的平衡」が「真の平衡ではない」ということを知っているのである。
「生物と無生物のあいだ」と他の著作との比較をもう一つ。
【引用】
よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。かつてあなたの一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。
(p162)
【引用おわり】
「生物と無生物のあいだ」では、上の部分が読者に受けたようだが、同じようなことは、前に挙げたベルタランフィの評伝書の中でも書かれていてる。
【引用】
さらに「定常状態」は、開放システムが単に流動状態にあるのではなく、流動そのものであることを意味する。その結果、一般意味論学派が使う便利な記述法を借りれば、フランス人Aはフランス人Bではないばかりか、昨日のフランス人Aは今日のフランス人Aであるとは限らない、と言うことになる。
「越境する巨人 ベルタランフィ」M・デーヴィッドソン P154
【引用おわり】
全く別な本からも似たような記述を見つけ出すことができる。脳の情報処理の研究者D.M・マッケイの著作から見てみよう。
【引用】
低いレベルでは、私たちの細胞や他の脳構造を作る分子は、私たちのアイデンティティに影響なく生涯のうちには何度も入れ替わるわけですから、この種の独立性は一層明白です。このレベルで変化する具体にかかわらず連続性が保たれるというのは、川に似ています。ギリシヤ人が言ったように、内容はつねに変わりながら川はいつも同じ川です。
おかしなことと言って
これほどおかしなことはない
何を食べても
T嬢はT嬢になる
(註・Walter de la Mare の "Miss T"より)
「ビハインド・アイ」D.M.マッケイ p349
【引用おわり】
ベルタランフィ以外で、「動的平衡」と同様な概念を提唱した人物として、アメリカの生理学者W・B・キャノン(1871-1945)が挙げられる。キャノンの「からだの知恵」(1932)から引用してみよう。
【引用】
われわれのからだの構造がきわめて不安定であること、きわめてわずかな外力の変化にも反応すること、そして、好適な環境条件が失われたときに、その分解がすみやかに始まることを考えると、それが何十年にもわたって存在し続けることは、ほとんど奇跡的なことであるように思われる。
この驚きは、からだが外界と自由な交換をしている開放的な系であり、構造そのものは永久的なものでなく、つねに消耗され破壊され、修復の過程によって絶えず築き直されているのだということを知ったとき、さらに強いものとなる。
「からだの知恵」W・B・キャノン p22
【引用おわり】
【引用】
さらに、1900年フランスの生理学者、シャルル・リシェは、この驚くべき現象を強調してつぎのように述べた。
「生物は、安定なものである。それを取り囲んでいる巨大な、そしてしばしば生物にとっては不利な力によって破壊され、分解され、あるいは崩壊してしまわないよう、生物は整然と秩序だてられていなければならない。一見矛盾するようだが、生物は刺激に反応しやすく、外部からの刺激に応じて自身の体を変化させ、その反応を与えられた刺激に適応させる能力を持つことによって、はじめてその安定性を保っている。ある意味では、生物は、変化しうるがゆえに安定なのである-なにほどかの不安定性は、個体の真の不安定性は、個体の真の安定性のための必要条件である。
「からだの知恵」W・B・キャノン p24
【引用おわり】
【引用】
からだのなかに保たれている恒常的な状態は、平衡状態と呼んでよいかもしれない。しかしこの用語は、既知の力が平衡を保っている比較的簡単な、物理化学的な状態、すなわち、閉鎖系に用いられて、かなり正確な意味を持つようになっている。
生体のなかで、安定した状態の主要な部分を保つ働きをしている、相互に関連した生理学的な作用は、ひじょうに複雑であり、また独特なもので(略)私はこのような状態に対して恒常状態(ホメオステーシス homeostasis)という特別の用語を用いることを提案してきた。
この用語は、固定し動かないもの、停滞した状態を意味するものではない。それは、ある状態-変化はするが相対的に定常的な状態-を意味するものである。
「からだの知恵」W・B・キャノン p28
【引用おわり】
要するに、福岡の書いているようなことは、生物学の知識の乏しい文系の読者には新鮮なものに感じられただろうが、理系の読者にとっては全く目新しいものではなかったのである。「生物と無生物のあいだ」が理系の読者からは厳しい評価を受けている理由がこれで分かるだろう。
「動的平衡」について書いたのがベルタランフィが最初かどうかは分からない。ベルタランフィ以前にも同じようなことを書いているものがあるかも知れないが、それについてはここではこれ以上議論しない。私は、ベルタランフィの再評価などを意図しているわけではない。単に私の知識の範囲内にたまたまベルタランフィの名前があったというだけのことだ。ここでのポイントは、シェーンハイマー以前に、「動的平衡」に類する概念を提出した人間が存在したということなのである。