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2008年5月 8日 (木)

身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない

これは、なかなか面白い。

Dr赤ひげ.COM   身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない

 生徒が数学を学ぶときに、「現実世界」の具体的な例を用いることは有用でないことが米オハイオ州立大学の研究によって示され、米科学誌「Science」4月25日号で報告された。具体例を用いて数学的概念を学んだ大学生は新しい状況にその知識を応用することができなかったのに対し、抽象的な例で同じ概念を学んだ学生は、異なる状況に応用できることが多いことがわかったという。

 この論文の著者の一人、同大学認知科学センター教授のVladimir Sloutsky氏は「この知見は、教育界で長い間信じられてきたことに疑問を投げかけるもの。具体例の利用が有効であるとの信念は深く浸透しており、これまで疑問視されることも、検証されることもなかった」と述べている。

 よく出題される文章題としては、2つの列車が別の町を互いに向かい合って出発し、異なる速度で走るといったものがあるが、筆頭著者のJennifer Kaminski氏によると、このような例を用いて問題の解き方を学ぶと、後に同じ概念を用いる問題、例えば列車ではなく水位の上昇に関する問題を出題したときに、学生は学んだ知識を応用することができないという。Sloutsky氏は、文章題から数学的概念を抽出することは極めて難しく、学んだことを試すテストには文章題が優れた手段となるが、教えるための手段としては有用とはいえないと付け加えている。

 文章題やおはじき、液体容器などの視覚的教具の利用は、数学的概念を素早く学習するのに役立ちそうに思われるが、余分な情報によって数学そのものから注意がそらされてしまう可能性があるという。変数や数字のような記号を用いて学習することが必要で、そうするほうが学生は状況の変化に応じて学んだ概念を応用できるとKaminski氏は述べている。

(HealthDay News 4月24日)

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http://www.healthday.com/Article.asp?AID=614815

カッシーラーを思い出した。

理論は、直観の枠を突きぬけることによってはじめて、純粋な理論として完成される。純粋な思考が直観という母胎から解き放たれることがなければ、つまり純粋な思考が原理的に非直観的な本性をもつ形象へまで発展してゆかなければ、いかなる理論も、殊に自然的出来事についての精密な理論、数学的理論は生まれえない。そして、いまや最後の決定的な歩みが踏み出される、--つまり、いまやこれらの形象が《客観》の存在の真の担い手になるのである。こうした形象によってのみ存在の法則性が言い表わされうるのであるから、いまやこれらの形象は、第一段階の客観に対してより高次の客観と呼ばれるべき新たな種類の客観を構成することになる。科学は、おのれ自身の手法に批判的洞察をくわえうるところまでくると、つまり科学がその手法を行使するだけではなく、それを概念的に把握しようとすると、科学の対象と<直接的>知覚ないし直感の対象との等しさや類似性を回復しようとするような試みはいっさいはねつけるにちがいない。科学は、科学の対象がなるほど直観の対象に一貫して関わっていることは認めるが、しかし前者がけっして後者に還元されえないことをも認める。というのも、そのような還元はすべて、まさしく科学的思考の特殊な作業をあともどりさせることになるであろうから、すなわち世界や世界連関の概念的把握を、所与の単なる二重化に転じてしまうことになるであろうからである。

『シンボル形式の哲学[四〕』

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