« 身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない | トップページ | 人は見た目が9割 »

2008年5月 8日 (木)

「フィーリング・トーン」

テレビで茂木健一郎がしゃべっているのを見ながら(聴きながら)思い出したこと。

オリバーサックスの『妻を帽子とまちがえた男』より「大統領の演説」。

 いったい何がおこっていたのだろう? 失語症病棟からどっと笑い声がした。ちょうど、患者たち示とても聞きたがっていた大統領の演説がおこなわれているところだった。
 テレビでは、例の魅力的な元俳優の大統領が、たくみな言いまわしと芝居がかった調子で、思い入れたっぷりに演説していた。そして患者たちはといえば、みな大笑いしていた。もっとも、全員というわけではなかった。当惑の表情をうかべている者もいたし、むっとしている者もいた。
けげんそうな顔をしている者も一人二人いたが、ほとんどの患者は面白がっているようだった。
大統領はいつものように感動的に話していた。そう、患者たちにとってはふきだすほど感動的だったのだ。彼らはいったい何を考えていたのだろう。大統領の言うことがわからなかったのだろうか。それともよくわかっていたのだろうか。
(略)
ヘンリー・ヘッドはもっと鋭い感覚をもっていた。彼は失語症について一九二六年に書いた論文のなかで、「情感的調子」について述べている。失語症患者は「フィーリング・トーン」を感じとる力を失っておらず、ときにはより敏感になっていることさえあるというのだ。
  だから私をふくめ失語症患者に接している者がしばしば感じることは、彼らには嘘をついても見やぶられてしまうということだ。失語症患者は言葉を理解できないから、言葉によって欺かれることもない。しかし理解できることは確実に把握する。彼らは言葉のもつ表情をつかむのである。総合的な表情、言葉におのずからそなわる表情を感じとるのだ。言葉だけならば見せかけやごまかしがきくが、表情となると簡単にそうはいかない。その表情を彼らは感じとるのである。
(略)
「口では嘘がつけても表情には真実があらわれる」とニーチェは書いているが、表情、しぐさ、態変にあらわれる嘘や不自然さにたいして、失語症患者はとても敏感である。たとえ相手が見えなくても--盲目の失語症患者の揚合まぎれもない事実なのだが--彼らは、人間の声のあらゆる表情すなわち調子、リズム、拍子、音楽性、微妙な抑揚、音調の変化、イントネーションなどを聞きわけることができる。本当らしく聞こえるか否かを左右するのが声の表情なのである。
 失語症の患者はそれを聞きわける。言葉がわからなくても本物か否かを理解する力をもっている。言葉を失ってはいるか感受性がきわめてすぐれた患者には、しかめ面、芝居がかった仕草、オーバーなジェスチャー、とりわけ、調子や拍子の不自然さから、その話が偽りであることがわかる。だから私の患者たちは、言葉に欺かれることなく、けばけばしくグロテスクな--と彼らには映った--饒舌やいかさまや不誠実にちゃんと反応していたのだ。
 だから大統領の演説を笑っていたのである。
(略) 
失語症病棟にいる音感失認症患者たちも大統領の演説を聞いていた。そのなかに右側頭葉に神経膠腫のあるエミリー・Dがいた。以前英語教師をしていた彼女は、すこしは名の知れた詩人でもあった。言葉にたいする感覚はなみはずれていて、すぐれた分析力、表現力をもっていた。失語症の患者とは反対の状態にある音感失認症患者にとって大統領の演説はどう映ったのか、彼女はそれを表現することができる立場にあった。エミリーは、もはや声の喜怒哀楽を判別できなくなっていた。声の表情が読みとれないので、話を聞くときには、話し手の顔や態度や動きを見なければならなかった。それで、以前にもまして熱心に注意深くそうしていたのだが、これにも限界がきた。悪性の緑内障で急速に視力が落ちてきたのである。
(略)
エミリー・Dもまた、石のように固い表情で大統領の演説を聞いていた。よくわかっているようでもあり、わからないようでもあった。だが厳密にいえば、それは失語症患者の困惑したようすとは反対の状態だったのである。彼女は演説に感動していなかった。どんな演説にも心が動かされることはない。感情に訴えることをねらったものは、それが真正のものであろうと偽りのものであろうと、彼女にはまったく無縁だった。感情的な反応を見せることはできないけれど、彼女もわれわれとおなじく、内心では聞きほれ、それに魅せられていたということはなかったのだろうか? なかった。彼女はこう言った。「説得力がないわね。文章がだめだわ。言葉づかいも不適当だし、頭がおかしくなったか、なにか隠しごとがあるんだわ」と。こうして大統領の演説は、失語症患者ばかりでなく、音感失認症の彼女も感動させることができなかったのだ。彼女の場合は、正式な文章や語法の妥当性についてすぐれた感覚をもっていたせいであり、失語症患者のほうは、語の調子は聞きわけられても単語が理解できなかったせいである。
 これこそ大統領演説のパラドックスであった。われわれ健康な者は、心のなかのどこかにだまされたい気持があるために、みごとにだまされてしまったのである(「人間は、だまそうと欲するがゆえにだまされる」)。巧妙な言葉づかいにも調子にもだまされなかったのは、脳に障害をもった人たちだけだったのである。

(追記 2008.5.10)
似たようなことを感じた方がいらっしゃるようで。

http://abdubs.blog.so-net.ne.jp/2008-05-10

妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション) Book 妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)

著者:オリバー サックス
販売元:晶文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 
 

|

科学」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/505105/20845214

この記事へのトラックバック一覧です: 「フィーリング・トーン」:

コメント

週刊文春に阿川佐和子氏と福岡伸一氏の対談があるようですが。

ガン細胞はKY
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/files/tachiyomi20080508.mp3

何か納得いかない説明なんですけど、どうなんでしょうか?

投稿 | 2008年5月10日 (土) 04時15分

その記事、読みました。
どうなんでしょうね。たとえとしては「ぎりぎりセーフ」っていう感じじゃないかと思いますけど。
私も生物学の専門家じゃないんで、よく分かりません。

気になったのは、福岡先生の言葉のセンスですね。
ガン細胞をたとえる言葉なら、もっと他に適切なものがありそうなのに、「KY」なんてていう流行語をわざわざ使ってしまうっていうのは、かなりセンスが悪いと思います。
福岡伸一という人は、『生物と無生物のあいだ』を気取った文体で書いたお陰で、文学的で格調高い文章を書く人だと思われてるみたいですけど、勘違いだと思いますね。
私は、この人書くの文章は通俗的で品のないものだと思います。

投稿 a-gemini | 2008年5月10日 (土) 14時07分

コメントを書く