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2008年5月 5日 (月)

『哲学ファンタジー』レイモンド・スマリヤン

 特にこれと言った理由はないのだが、レイモンド・スマリヤンの『哲学ファンタジー』から、抜粋してみる。
  茂木健一郎について書くという、不毛な作業の間の気分転換にはいいだろう。
  大好きな本なのだが、この本については、あまり見たり聞いたりしたことがない。私のようなねじれた論理が好きな人間にとっては、たまらなく面白い本なのだが。
  脳の活性化だの、ナントカ勉強法だのといった本のかわりに、こういう本が売れてくれたらうれしいのだが、まあ、無理な相談だろう。

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 意味論の問題。哲学者のアラン・ロス・アンダーソンが、あるセミナーで、次のようなおもしろい出来事を話したことがある。アンダーソンは、第二次世界大戦中に合衆国海軍に所属し、日本車の暗号を解く部門に勤務していた。暗号文書に何度も出てくる一語(数字で表されている)があったが、その意味を解読するのに全員が必死になっていた。苦労の末、その単語は、国や国民を形容する単語(「この国は~である」・「あの国は~でない」)であることが判明し、その後、多量のデータを収集した結果、それは親日派と解読されるに至った。終戦になって、極秘暗号衣が押収された。その言葉の本当の意味は、誠実であった。

      13      
 最近、星占いを信じているかどうかを、私に尋ねた人がいる。私が、「自分は双子座の人間だからそんなものは信じない」と言ったところ、その人はかなり困惑したようだ。

      14
 私は長年手品を演じてきたので、女性を半分に切ったことがあるかと、しばしば尋ねられることがある。私は、次のように答えることにしている。「ああ。もちろんですよ。今までに、七十人以上の女性を半分に切ってきました。切った後のトリックをどうすればいいのかを、今、練習しているところなんです。」

      18
 神の存在の証明について、お話ししよう。私が今までに聞いた中で、最もおもしろかった証明は、ある大学一年生のレポートである。彼女は、次のように書いていた。「神は、存在しなければなりません。なぜなら、もし神が存在しないとすれば、私にその存在を信じさせるほど、神が意地悪であるはずがないからです!」この論法は、アンセルムスやデカルトの提唱した神の存在の本体論的証明に比べて、実際にそれほど劣るものだろうか?

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 私が常々不思議に思うのは、非常に多くの敬虔な信仰者が、神は、神を信じる人々に恩恵を施すであろうと、当然のように信じている点である。実は神は科学的で、証拠ではなく信仰に基づく信念に対して、我慢ならないお方であるという可能性はないのだろうか?

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 神の本質に関するこのような考え方は、パスカルの賭けによって生じた問題と無関係ではないかもしれない。パスカルは、神を信じないより信じる方が得だと言う。なぜなら、もし神が存在しないにもかかわらず神を信じる場合の損失は、神が存在するにもかかわらず神を信じない場合の計り知れない損失に比べて、微々たるものだからというわけである。(もし神が本当に存在し、その神を信じなければ、天罰は永遠に下されるだろうから、損失は無限大である!)それゆえに(パスカルによれば)、純粋な確率理論から客観的に考察した上から、神を信じることは合理的なのである。
 さて、もし神を信じることが少しでも救済の確率を増加させるのであれば、私も神を信じる方が得であることに同意しよう。しかし、なぜこの仮定が真だと言えるのだろうか? 一人の魂に天罰を永遠に下すほど非道な神に対しては、どんな議論においても信用できないように思えるのだが!

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 19で述べた考え方に対する気の利いた反例がある。以前、あるプロテスタントの牧師が、次のように言った。「私の知る限り、神の恩恵を受けた優れた人々は、みんな無神論者なのです。なぜでしょう?」
 「そのような人々を、どのようにして信者にするおつもりですか?」と、私は遂に尋ねた。「信者ですって?」と答えて、彼は言った。「誰が信者にしたいなどと恩うものですか。」

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 かなり若いころ、私は興味深い会話の交わされた場面にいた。一人が、「僕は神が存在することを知っている!」と言った。
 すると、別の一人が「そうかい。僕は神が存在しないことを知っている。」と言った。
 二つの相反する命題が両方とも知られているとは、驚くべきことである。実際、これらの命題は、どちらにしても、いかにして知ることができるのだろうか? もし本当に神が存在するとして、その事実は、ただ信じられるばかりでなく、知られうるものだろうか? おそらく、何か神秘的な洞察によって知ることができるのかもしれない。一方、もし神が存在しないとして、その事実は知られうるものだろうか? もちろん、どんな科学的な方法によっても、それは不可能である! すると、やはり何か神秘的な洞察によって知ることができるのだろうか? こちらは、何者かの存在ではなく、何者かの非存在を洞察するという、興味深いタイプの神秘主義だと考えられるだろう!

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 フロイトは、彼の著書において、文明が宗教の幻想を見破り、拒絶するようになることの必要性を、全精力を傾けて論じている。彼は、そのような幻想が文明に浸透した際に、どのような心理学的な帰結が生じるかを解明しようとして、しかもこれを有意義な研究だと考えて、宗教側からの反論を一掃しようと多大な時間を費やしたのである。
 私のような現実主義者にとっては、宗教が文明に有害か有益かというよりは、むしろそれが真実かどうかが問題だと思われる。しかし、フロイトは、この問題をほとんど考慮していない。彼は、宗教が偽であることを当然の事実だと考えており、なぜ人が神を信じるのかについて、純粋に心理学的に説明を行っている。さて、私もフロイトとほとんど同じ理由によって、もし神が存在しないとしても、人は神を信じ続けるに違いないと思っている。しかし、このような予測は、有神論の真偽に関する根本的な問題については、何の解決にも光明を投げかけない。すでに多くの学者が明らかにしてきたように、信念の起源についての純粋に心理学的な説明は、信念そのものの真実性を肯定あるいは否定するための理性的な根拠にはならない。(もっと多くのマルクス主義者に、このことを実感してほしいものだ!)
 多くの親は、子供に宗数的な教育を与えることについて、それが子供のためになるからだと正当化している。しかし、私は、実際には親自身が宗教を信じるかどうかが、教育に大きな影響を及ぼしていると思う。ただし、常にそうだというわけでもない。
「私自身は神を信じないんだが、それでも私は、すべての子供が宗教教育を受けるべきだと思う」と言う父親がいた。なぜ彼がこのように言ったのか、私は不思議に思っている。彼は、子供に嘘をつくことがよいことだと信じていたのだろうか? それとも、彼の深層心理では神を信じていることを、彼自身では気付いていなかったのだろう
か?
 一方、これとは逆に、神を信じるにもかかわらず、宗教教育が子供のためによくないと思う人の話は、これまでに聞いたことがない。つまり、有神論と無神論の問には、興味深い非対称性があるようだ。多くの無神論者は、神を信じることを悪いことだと思っている。しかし、この悪いことだという感覚は、無神論から導き出された帰結ではない。一方、すべてではないだろうが、多くの現存する宗教においては、神を信じないことの悪は(信じることの善と同じように)宗教自体によって導かれている。事実、多くの宗教は、教義の一部に明確にその善悪を提示している。
 フロイトは、彼の反宗数的な思想が与える一般的な影響を、非常に気にしていたようだ。彼の著作自体はおもしろいが、結果的に、宗教の幻想を一掃することができたかといえば、もちろんどれはどの影響力があったかは疑問である。宗教は、私たちには理解不能な独特な法則に従って、流行したり衰退したりしているようだ。そして、私たちの宗教問題についての選択は、おそらく私たちが思っているよりもずっと意昧のないことであろう。

       25
 唯我論者とは、「私しか存在しない」と主張する人のことである。(私は、実際に唯我論者がそんなことを言う必要があるのかと思う。そう信じているだけで十分なはずだが!)アラン・ロス・アンダーソンのある講演で、唯我論について二時間ほど討論したことがあった。論争も終わりに近づいたころ、私は立ち上がって言った。「この時点で、私は逆唯我論者になってしまったようだ。私は、私を除いた全員が存在するのではないかと思う!」
 
       26
 論理学者のメルヴィン・フィッティングは、彼独特のユーモアで、私に言ったことがある。「もちろん私は、唯我論が正しい哲学だと信じているよ。ただし、これは私一人の意見にすぎないがね。」

       27
 このコメントは、バートランド・ラッセルに宛てて手紙を書いた女性の有名な話を思い起こさせる。「なぜあなたは私が唯我論者と聞いて驚くのでしょう。誰もがそうなのではありませんこと?」

       28
 私は、実際に多くの唯我論者に会ったことがある。その中の一人が、私に言った。
「スマリヤン、君は存在しないんだ!」
「君が存在しないと言っているのは、いったいどこののことだい?」と、私は答えた。
 
       29
 別の唯我論者が言った。「私しか存在しない。」
 「そうだ」と私は答えた。「私しか存在しない。」
 「違う、違う!」と彼は言った。「私は、私しか存在しない、と言っているんだ。」
 「それは私が言っていることだよ。私しか存在しない。」
 「違う、違う、違う!」と彼は興奮して叫んだ。「存在してるのは、君じゃなくて私だ!」
 「そのとおり。」私は繰り返した。「存在しているのは、君じゃなくて私だ。完全に意見が合いますね!」
 この時点で、彼は完全に混乱したようだ。
 
        31
 私は、ときどき不思議に思うことがあった。攻撃的な唯我論者は、もし周囲の人が彼に反論せず、ただ賛成ばかりしていたら、どのように反応するのだろうか! そこで、ある日このことを精神分析医に尋ねてみた。披は答えた。「その唯我論者は、ぞっとするだろうと思うよ!」

       34
 精神分析医から哲学者の話に戻ろう。ある哲学者が、次のような夢を見た。最初にアリストテレスが現れたので、その哲学者は言った。「あなたのすべての哲学について、十五分ほどで概要を教えてくださいませんか?」その哲学者の驚いたことに、アリストテレスはわずか十五分の間に、莫大な量の事柄を凝縮した見事な解説をしてくれた。しかし、あることを哲学者が反論すると、アリストテレスは答えられなかった。論駁されたアリストテレスは、消えてしまった。次に、プラトンが現れた。だが、このときも同じことが起こった。プラトンに対する哲学者の反論は、アリストテレスに対するものとまったく同じだった。プラトンもこれには答えられず、結局消えてしまった。続いて、歴史上の著名な哲学者が次々と現れた。しかし、この哲学者は同じ反論を唱えて、全員を論駁することができた。最後の哲学者が消えた後に、この哲学者は独り言を言った。「私は今眠っている。これが全部夢であることも知っている。それでも、私は、すべての哲学に対する普遍的な反論を発見したのだ! 明日目を覚ましたら、この反論を忘れてしまっているかもしれない。それでは、人類にとって大損失になる!」彼は、不屈の精神で自分の目を覚まさせ、机に駆けつけると、その普遍的な反論を書き付けた。そしてベッドに飛び込み、ほっとして眠った。翌朝目を覚ますと、彼は机に駆け寄って、自分が何と書いていたかを確認した。そこには、次のように書いてあった。「それは、あなたが勝手に言っているだけでしょう!」

       35
 「人生とは何か?」この問題に集中するため、十年間押し入れにこもっていた哲学者の話がある。彼が押し入れから出て街へ行くと、者の同僚と出会った。彼は、この長い回、いったいどこにいたのかと聞かれた。
 「押し入れの中にいた」と彼は答えた。「人生とは何かを知りたかったんだ。」 「それで、答は見つかったのかね?」
 「見つけた」と核は答えた。「人生は橋のようなものだというのが、最も核心に近いと思う。」
 「それは実に興味深い」と同僚は答えた。「しかし、もう少し明確に説明してくれないか。人生は、どのように橋に似ているのかね?」
 「うーん」と考え込んで、哲学者は言った。「君はなかなか鋭いな。もしかすると、人生は橋には似ていないかもしれない。」
       
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 論理実証主義の基本原理の一つに、どんな文も、それが真か偽かを検証する方法がない限り、意味があるとはみなされないというものがある。この意味では、論理実証主義という言葉など聞いたことがなくとも、多くの人が論理実証主義者であろう。
 ピアニストのアルトゥール・シュナーベルは、おそらくこの意味では、論理実証主義者に違いなかった。私は、シカゴ大学で、シュナーベルのすばらしい集中講義に参加したことがあった。質疑応答のとき、誰かが彼に、最近の批評記事についてどう思うかと尋ねた。
 「私は、自分に対する批評は読まない」とシュナーベルは答えた。「少なくとも、アメリカでは読まないね。アメリカの批評で困るのは、私がどうすればいいのか、よくわからないことだ。ヨーロッパでは事情が違う。たとえば、いつかベルリンでコンサートをしたときだが、批評家はこのように書いた。『シュナーベルは、ブラームスのソナタの第一楽章を遠く弾きすぎた』とね。思い返してみると、たしかにこの男の批評は正しかった。こういう批評ならば、どう対処すればよいのか、すぐにわかる。つまり、その第一楽章を少しゆっくりと弾けばいいんだ。ところが、アメリカの批評家ときたら、『シュナーベルの問題は、彼のピアノに遊びがなさすぎることだ』なんて書いているんだ。こんなこと言われたって、どうしたらいいかわかりやしないよ!」
 
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 別の講義で、シュナーベルは言った。「信じられないかもしれないが、イーゴリ・ストラヴィンスキーは、論文に次のように書いている。『偉大な音楽は、完全に冷徹かつ無感情でなければならない』それで、先週の日曜日のことだが、アーノルド・シェーンベルクと朝食をとったとき、彼に言ったんだよ。『ストラヴィンスキーが、偉大な音楽は、完全に冷徹かつ無感情でなければならないと書いたなんて、信じられるかね?』シェーンベルクは、これを聞いてかんかんに怒って、言ったよ。『その言葉を最初に言ったのは私だ!』とね。」
 
        45
 私は、ピアニストのアルトゥール・ルビンシュタインのラジオ・インタビューを聞いたことがある。全体的な印象として、聞き手はかなり陳腐で、まぬけだった。インタビューの最初に、彼は突然尋ねた。「ルビンシュタインさん、あなたは神を信じますか?」緊張の沈黙があった。「いや」とルビンシュタインは、はっきりと答えた。「いいかね。私が信じているのは、もっと偉大なことだ!」

       47
マーク・トゥエインは、リヒャルト・ワーグナーの音楽をどう思うかと問われて言った。「うん。実際に聴こえるほど悪くはないんじゃないか!」

       48
 音楽と数学。数学者フェエリツクス・クラインがあるパーテイーに行くと、集まっていた人たちが、音楽と数学の相関関係について話し合っていた。議論がその性質や形式の類似にいたるにつれて、クラインは徐々に困惑の表情になっていった。しまいに、彼は言った。「私には、数学と音楽がどう似ているのか、よくわからん。だって、数学の方は、とても美しいんだよ!」

       55
 何かの本に、真の哲学者とは、九歳の少女であると書いてあったのを読んだことがある。彼女は、窓から外を眺めていたが、突然振り向いて、母親に言ったそうだ。「それにしても、どうしてこんなに何でもあるのかわからないわ!」
 次にご紹介するのは、私の出会った子供たちが語った言葉だが、明らかに哲学的なニュアンスを含んでいる。
 ヴィンセント (三歳)。ヴィンセントは、生まれて初めて飛行機に乗ろうとしたとき、父親に聞いた。「空に昇ったら、僕たちも小さくなるの?」
 バリー(五歳)。ある日、バリーが言った。「九九歳にならないといいなあ!」
 「どうして?」と私は聞いた。
 「だって、そこまで年とったら、死んじやうかもしれないよ!」
 ミリアム(八歳)。ミリアムは、数理論理学者の娘だ。彼女は、父親の性格を受け継いだか、または習得したらしい。夕食の途中に、彼女の父親が言った。
 「何ですか。そのミリアムの食べ方は!」
 彼女は答えた。「私、ミリアムなんて食べてないもん!」
 ジェニファー(六歳)。ジェニファーは哲学者の娘である。ある朝、彼女の兄ジョニー(八歳)が朝食に降りてきて、両親に次から次へとエイプリル・フールの嘘を披露した。そこヘジェニファーが降りてきたので、ジョニーは彼女にも嘘をついた。
 「いったいどうしたの、ジョニー。」と彼女は言った。「今日はエイプリル・フールじゃないわよ!」
 「えっ、違ったっけ?」彼は驚いて叫んだ。
 「エイプリル・フールでしたあ!」
 あるとき、ジェニファーは、映画に連れて行ってもらった。帰ってきた彼女は、母親に言った。「ママ、今まで作られた中で、一番おもしろい映画はなあに? ママが一番おもしろいと思うのじゃなくて、一番おもしろい映画を敦えてほしいの。」
 デイビッド(十歳)。妻と私とで、デイビッドの家族と一緒にドライブ・イン劇場に行ったときのことだ。最初の映画はすばらしかったが、次に始まったのはひどくつまらなそうだったので、大人の一人が出ようと言った。デイビッドはもちろん残っていたかったので、議論が始まった。
 「多数決で決めたらどうだい?」と私が提案した。
 「だめだよ!」デイビッドが言った。「多い方が勝つんだから、不公平だ!」
  ナタリー(八歳)。ナタリーも、数理論理学者の娘である。彼女の一家が、週末に私の家に遊びにきた晩、「時間」について、活発な哲学的議論をしたことがあった。どういうわけか、私は時間は実在しないという立場をとることになった。
 翌朝、朝食のとき、誰かが二人の知人のどちらが年上かを尋ねた。
 「ビルが二歳年上だよ」と私は答えた。
 「どうしてそうなるの?」とナタリーが間いた。「時間は、実在しないって言ってなかった?」

Book 哲学ファンタジー

著者:レイモンド スマリヤン
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コメント

今晩は。

これは素晴らしい。

この本、図書館で見かけるたびに、今度読んでみようかな、と思いながらも、未だ読んでいなかったのですが、これは、「近い内に読む本リスト」に加えざるを得ません。

この感想から導かれるのは、私もねじれた論理が好き、って事ですね(笑)

投稿 TAKESAN | 2008年5月 5日 (月) 22時30分

TAKESANさん、こんにちは。

気に入ってもらえるとうれしいです。
スマリヤンは、『タオは笑っている』も面白いですよ。

投稿 a-gemini | 2008年5月 6日 (火) 08時51分

こういう、逆説的な論理って面白いですよね。
内田樹風の単なるヘリクツとは違って。

投稿 a-gemini | 2008年5月 6日 (火) 10時32分

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