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2008年5月14日 (水)

統合失調症と「被害者意識」

これはヒドイ。

内田樹の研究室 被害者の呪い
                                           

「被害者意識」というマインドが含有している有毒性に人々は警戒心がなさすぎるように思える。
以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は「こだわり・プライド・被害者意識」と教えていただいたことがある。
「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。
統合失調症の特徴はその「定型性」にある。

まるで、「統合失調症は被害者意識のせいで病気になったのだ」とか「統合失調症は被害者意識があるからダメなのだ」と言っている様に読めてしまう。
統合失調症患者の「こだわり・プライド・被害者意識」は病気の結果であって、「こだわり・プライド・被害者意識」が亢進して病気になるわけではない。
また、統合失調症患者は、「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人ではない。

    症状は患者ごとにかなり多種多様であるし、なかには表面的な症状をほとんど示さない場合もあるので、臨床症状だけから分裂病の診断を下すことはほとんど不可能に近い。しかしよく注意してみると、どの症例にも例外なく認められる共通点が一つある。それは、患者の自己が確実な自己性を有してしないという点であって、これはもちろん彼の幼児期以来の対人関係の持ちかたと関係がある。この不確実な自己性という特徴は、種々の精神症状にも、患者の日常的な意識や行動にも現れて、そこに独特の分裂病的な雰囲気を作り出す。
      
『時間と自己』木村敏 P68    (*1)
 
  これらの本質的に非特異的な臨床症状以上に、自己性の不確実さという分裂病性の特徴をはっきり反映しているのは、患者が日常の対人関係の場面で示す意識の持ちかたや行動の仕方である。それは、一言でいえば「独特の不自然さ」と言ってよいだろう。あるいはブランケンブルクの症例アンネの表現を借りて、「自然な自明性が失われている」と言ってもよい(木村敏地訳『自明性の喪失』、みすず書房)。患者はその対人関係において、相手とのあいだに特有のぎこちなさを感じており、しばしばそれを「間がもたない」、「流れに乗れない」、「なにかずれている」などと表現する。患者は、周囲の人たちや事物の動静を自然にあるがままに受けとることができない。ビンスヴァンガーはこれを「事物のもとに気楽に逗留することができない」という意味での「自然な経験の一貫性の解体」と表現した(新海安彦他訳『精神分裂病』I、みすず書房、七頁)。ミンコフスキーのいう「現実との生命的接触の喪失」(村上仁訳『精神分裂病』、みすず書房、七〇頁)も、結局はこれと同じ事態を指している。
 このような分裂病者のありかたは、彼と個人的に親しく交わろうとするわれわれの心に、それ以外ではまず見られないような特別な印象を呼びおこすことが多い。(略)具体的な印象は患者によってかなりさまざまなニュアンスをおびるが、最も多いのは一種の接近遮断感、あるいは心の不通感とでもいうべき印象だろう。それからまた、患者の中でなにかが絶えず出ずっぱりの本番態勢にあって、つねに一種の近よりがたい緊迫感をただよわせている、という印象もある。患者はいつも真剣で、遊びや余裕に乏しい。仕事や勉強がうまく行かなくてぶらぶらしている患者でも、どこか思いつめて緊張しながら無為の時間を送っている、という感じがある。
 この不自然でゆとりのない内面的世界が、分裂病特有の自己性の不確実さを反映したものだということは、次のような患者たちのことばからも容易に理解できるだろう。例えばある患者は、「自分というものから一刻も眼を離すことができないのです。すこしでも眼を離したら自分がバラバラにこわれてしまいます」と言う。彼は美しいもの、自分をうっとりさせるものを極端に怖れる。それに夢中になると自分が消えてなくなるからである。別の患者は、「いつも気を張っていないと、他人がどんどん私の中に入って来て、私というものがなくなってしまう」と言うし、また別の患者は、「いつも先手先手で考えることに心掛けています。相手に先に読まれたら敗けですから」と言う。
 この先手先手の防禦的姿勢という患者の処世訓は、分裂病者の生きかたを時間的観点から考えて行く上で大きな示唆を与えてくれる。いずれゆっくり考えなければならないことだが、ここですでに、いささかの誤解を覚悟の上で公式化して言ってしまえば、分裂病者はいつも未来を先取りしながら、現在よりも一歩先を生きようとしている、と言ってよい。
 
  同 P70

  統合失調症患者の「こだわり・プライド」は、むしろ「自己性の不確実さ」に対する防衛機制である、とも考えられる。

 分裂病者は一般に現在の自己に対して否定的な態度を取る。
  (略)
 分裂病者の現状否定と未来希求のもう一つの現れとして、その日常的行動における性急さを挙げることができる。分裂病者は待つということを苦手とするようである。入院中の患者が外泊や通院を要求するときの説得困難ないらだちや、しばしば医者の助言を無視して結婚や進学を希望するときの思いつめたあせりぱ、精神科医のだれもが知っていることだろう。ここで患者が真に望んでいるのは、具体的な退院や結婚などのような、予定された将来ではない。むしろ彼らは、未知なるものとしての未来に対して激しい愉悦を示す。結婚しさえすれば、進学しさえすれば、いままでの人生とは根本的に追った未知のなにかが開けてくるだろうと考える。
 未来は、願望や憧れの対象となるだけではなく、もちろん恐怖の対象ともなる。分裂病者が他者を恐れるのは、相手が危険な人物に決まっていて、その手口がわかっているから怖いというのではない。相手がなにをするかわからないから怖いのである。他の精神病にも見られる迫害妄想とは追って、分裂病の迫害妄想では、他者は徹底的に未知なるものとして、未来の化身として怖れられている。
 
  同 P72

  統合失調症患者の「被害者意識」が、内田の言う「被害者意識」とは全く別物であることは明らかだろう。
 
  何にしろ、内田の文章の文脈で統合統合失調症を持ち出す必要性はどこにもない。それどころか、統合失調症を、文脈上ネガティブなものとして利用しているのだから極めて悪質である。

(*1)「分裂病」の語は、原文のままとした。

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» うちも似た感じだな~ [育児・子育てファイト!]
119 名無しの心子知らず sage 2007/12/20(木) 16:02:48 ID:SJzxrlfzうちも似た感じだな~ 様子見の様子見?くらいの感じで行政もそれほど熱心な地域じゃないので 3歳半検診にまた来てね~でホントに何すりゃいいの?ってところ。 やっぱり2歳半くらいで二語文も鐓�鐓�鐓�鐓�……鐔駕��鐔駕��も減って……で 今3歳5ヶ月だけどある程度文章になって会話も出来るようになってきた。 でも同じくらいの早い子は意思疎通どこ... [続きを読む]

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