福岡伸一 vs. ダーウィニズム(1)
福岡伸一は、「文学界」8月号で川上未映子と対談している。
川上が芥川賞受賞作を書くために出版社にカンヅメになっていたとき、逃避行動として「生物と無生物のあいだ」を読んでいた、というのが二人の縁の様である。
まずは、この対談から見てみよう。
ここでの福岡の発言はおかしなところだらけなのだ。
川上 ちょっと待ってください。その「思った」というのは誰が思うんですか? 一匹が思っただけで進化が起きるわけじやありませんよね。どこにある意志なんですかね。よくテレビなんかで、「魚が睦に上がって両生類になりました」とか言いますけれど、その境目ってどこにあるんですか?
たとえば人間の指はなんて五本になったんでしょうか。指が一本もない状態から、二本、三本……と増えていったのか、それとも違うのか。いつ、どのように進化するのかという境目の詳細がちっともわからないんです。福岡 川上さんは、境目に対してちょっと病的なこだわりがあるわけですね。そこをサラッと通り過ぎちゃう人と、ダメな人がいて、すごくこだわってしまうというのはものを考えていく上で大事な資質だと思いますよ。
進化については、大きく分けて二つの説明の仕方があります。ひとつはダーウィンが唱えた「淘汰説」。自然界は、遺伝子のレベルでもタンパク質のレベルでも常に揺らいでいますから、突然変異が生じ得る。さっきの指の話になぞらえるなら、指のない人、一本指の人、二本指の人、さらには六本指の人もできるかもしれない。ある時代の環境の中でそれぞれが生存競争を行い、結果として五本指の人たちがもっとも有利だったから生き残った-大雑把にいえば、それがダーウィンの考え方です。川上 もう一つの考え方というのは?
福岡 十九世紀フランスの博物学者ラマルクが唱えた「用不用説」です。たとえば個体の中に五木指になりたいという内的な欲求があったら、それが世代を超えて引き継がれ、やがては形質が変化するというものです。川上 思っているだけでなりたいようになれたらいいですよね(笑)。
ラマルクの説の説明としては、「個体の中に五木指になりたいという内的な欲求があったら、それが世代を超えて引き継がれ、やがては形質が変化する」というのは少々トンチンカンである。ラマルクの説は、「よく用いる器官は発達し、そうでない器官は萎縮退化することで進化が起こった」とするのが用不用説と、「生涯の間に身につけた形質が、子孫に伝わる」のが獲得形質の遺伝である。
Wikipediaの「用不用説」の項を参照。
福岡 ただ残念ながら、「思った方向に進化する」というメカニズムぱいまのところ発見されていません。親がどんなに頑張って特殊な能力を身につけても、子供には引き継がれない。だから後天的に獲得した形質は遺伝しない、というのが現在の生物学のセオリーで、ラマルクとその弟子たちぱ歴史から完全に消されてしまったんです。
「ラマルクとその弟子たちぱ歴史から完全に消されてしまった」というのは実にイヤラシイ言い方だ。まるでラマルクたちが学問的な議論によってではなく、政治的な力によって葬られたかのようだ。
「用不用説」を復活させようとする試みる人間は何度も現れた。だが、結局誰も獲得形質が遺伝するような仕組みを考えつくことができなかった、ただそれだけの話である(エピジェネティクスはまた別な話)。
「いまのところ発見されてい」ない「メカニズム」を必要とする理論など、無視されて当たり前ではないか。
もっともダーウィンの説もあくまで仮説に過ぎず、五本指が私たちの形質になった真の理由を証明できるわけじやありません。たしかに四本指族と六本指族がいて、その間で五本指族が生き残ったという物的証拠は何もないわけですから。
「ダーウィンの説もあくまで仮説に過ぎない」というのも妙な言い草だ。
「仮説」だから正しいとは限らない、とほのめかしたいのだろうか。
その「仮説」が高い説明能力を持つ一貫した体系を形作り、明白な反証もないのであれば、その「仮説」は「正しい」と見なされるのである。
「用不用説」と「淘汰説」の2つの考え方があって、「用不用説」がダメなら「淘汰説」を取るしかない。
実際、「淘汰説」は進化を説明する唯一の考えであり、その説明能力は極めて強力である。
なぜ「用不用説」などに未練がましく色目を使わなければならないのか。
ここまでの発言でも推測できるだろうが、福岡はダーウィニズムに反感を持っている。
ダーウィニズムに反感を持つ人間がラマルク主義に肩入れするのはよくあることだ。
福岡のアンチ・ダーウィニズム的な態度は、これからもっと見ていくことになる。
指の本数の説明もヘンテコだ。
過去のヒトにおいて「四本指族と六本指族」が存在しなくてはならないかのような言い方をしているが、五本指のルーツはもっと古いものである。
ひとのゆびの数が五本になったいわれは予想外に古く、いまから約三億年ほどの昔にさかのぼります。つまり、いまから三億年のむかしに、海に住む魚からイモリやカエルの仲間、すなわち両生類に進化して、動物がはじめて陸にすみつきました。そして、おのさいしょの上陸に成功した両生類のゆびが五本だったことに、ひとのゆびの数が由来しているのです。
いってみれば、ヒトのゆびの五本という数は、三億年のむかしからの宿命ということになります。と同時に、いまでは死にたえて生きのこってはいませんが、上陸に失敗した魚のなかには、ゆびの数(ムナビレとハラビレの中の骨の数)が五本以上や、五本以上のものもあったということを反省してみる必要があります。
井尻正二選集 7 随想
五本指はヒトが遠い祖先から受け継いだ基本設計だ。
指を増やしたり減らしたりする強い淘汰圧がない限り、指は五本のままである。
川上の方から出してきた例だからしかたがないが、「五本指」の話は進化の説明としてはあまりよくなかったのではないだろうか。
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コメント
ネットサーフィンしていたら、偶然、このサイトを見つけました。
福岡伸一批判、凄いですね。
「生物と無生物のあいだ」ですが、難しいことは分かりませんが、
福岡は、動的平衡の向こう側に”魂”みたいなものを想定しているんではないでしょうか?
「生命には魂がある」なんて科学者が言っちゃうと絶対にマズイですから、本の中では一言も言ってませんが(笑)。
それに魂と言っても、それがどういうものかは規定しようがありませんしね~。
ただ、福岡伸一の言っていることに、”魂”という隠蔽された(あえて欠落された)キーワードを入れてやると、
福岡の言わんとすることがすんなりと分かるように思います。
だから、「生物と無生物のあいだ」では、動的平衡という概念が表面に出てますが、
実はその奥には、「生命には魂の存在する」という予感が潜んでいるのではないしょうか?
この本はそういう読み方をする本かなと思っています、私個人は。
この川上未映子との対談での進化論でもそう。
>川上 ちょっと待ってください。
>その「思った」というのは誰が思うんですか?
>一匹が思っただけで進化が起きるわけじやありませんよね。
>どこにある意志なんですかね。
ちょっとお茶を濁すようのな言い方をしてますが。
それにダーウィンの進化論やラマルクの用不用説に対する態度も、
なんとなくボンヤリと意思を持った魂っぽいものを想定しているように思えます。
いや、これはあくまで私の推測ですけど…。
魂っぽいものを仮説すること自体は科学としてはいいんじゃないですかね?ダメなのかしら?
ところで、生命に魂ってあるんでしょうかね?
投稿: dot | 2008年12月24日 (水) 11時48分
気をつけて読んでみれば分かるんですが、福岡氏は「動的平衡」という言葉を非常に雰囲気的に使っていて、厳密な定義は一度も提示してないんですよね。
学問的に意味があるようなことは書いてなくて、一般の読者が持っている漠然とした「生物」というもののイメージににヒットするような書き方になっている。
言葉を変えれば「魂」みたいなものですよね。
そういう常識的なイメージを「動的平衡」という一見深遠そうな言葉にくるんで提出して見せたのが、ヒットの原因ではないかと思っています。
>魂っぽいものを仮説すること自体は科学としてはいいんじゃないですかね?ダメなのかしら?
>ところで、生命に魂ってあるんでしょうかね?
それは「魂」の定義しだいでしょうね。
投稿: a-gemini | 2008年12月24日 (水) 23時23分
>それは「魂」の定義しだいでしょうね。
確かにそうですね。ただ、魂を定義するのは難しいでしょうね。
なぜなら、魂を他の何かに例えようがないと思いますから。
たぶん、魂は物質とは違うように思います。生物としては物質として顕現してきますが…。
物質でなければ、光?あるいは微細な量子的なものでしょうか?
でも、生物という物体にとどまるので、まるで粘り気のある塊みたいだし、
そのうえ何らかの意志(orベクトル)を持ってさえいるように感じられます。
ノックアウトマウスが正常だったり、ある一定方向に進化したり。
(進化はエントロピーというには発散の度合い低く、何らかの方向性があるように
感じられるのですが…。もちろん、見えないところで絶滅していくものも多いでしょうけど。)
ま、あくまで想像ですけど…。
>福岡氏は「動的平衡」という言葉を非常に雰囲気的に使っていて、
>厳密な定義は一度も提示してないんですよね。
おおよそ、「現象として動的平衡がある」という言い方でしょうね。
しかし、その動的平衡の原理は何であるかは、はっきりと明言はしていませんよね。
それはそのはずで、原理が分かっていないからでしょうし、それにどうも、
彼はその原理を魂みたいなものに求めているんじゃないでしょうかね。
ただ、今の世の中の生命観では、遺伝子が分かれば、もう生命が分かったという雰囲気がある中で、
ノックアウトマウスの例を出して、遺伝子を超えた何かがあるという指摘は、
ちょっとしたパラダイム転換みたいな感じはします。
いずれにしろ、物質を寄せ集めて生命体を創造することが可能になれば、
生命の謎が解けたことになるんでしょうね。
物質としての材料的には、死んだ生物を用意すれば良いんでしょうけど、
そこに生命を吹き込むのはなかなか難しいんでしょうね。
ま、フランケンシュタインの世界ですね(笑)。
でも、もうこういう話は止めましょう。魂なんて科学者のいう言葉じゃありませんよね。
いいえ、科学者じゃなくても、現代人は魂なんて言葉を使っちゃいけませんよね。
魂なんて言ったり考えたりしていいのは、せいぜい宗教家くらいでしょう(笑)。
ところで、今でもこの地球上のどこかで、ただの物質から生物が生まれているんしょうかね?
投稿: dot | 2008年12月25日 (木) 11時58分
あ、それから、魂は何らかのシステムかもしれませんね。
遺伝子がそのシステムの一部かもしれないですね。
でも、ノックアウトしたマウスが正常ということは、
システムが破壊されたのに何か変ですね。
遺伝子以外にもフェイルセーフなシステムが他にも用意されてるんでしょうか?(笑)
メタ遺伝子?!(笑)どこかに記述されてるのかしら?(笑)
あるいは、遺伝子以外にもシステムがあって、
遺伝子に記述されていないのに、遺伝するというシステム(笑)。
ああ、バカげた想像になってきました(笑)。
だんだん、分からなくなってきた…(笑)。
そんなことを考えると、言い古された言葉が浮かんできます。
生命って不思議ですよね~(笑)
投稿: dot | 2008年12月25日 (木) 12時21分
>でも、ノックアウトしたマウスが正常ということは、
システムが破壊されたのに何か変ですね。
そこら辺の話は、福岡氏も書評を書いた『ダーウィンのジレンマを解く』に書かれてるんですよ。
そのうち取り上げます。
とりあえず抜粋。
マイナス面として、相互作用が強くないときわめてミスを起こしやすく、ミスは生物の回路に簡単に広がるだろうと思われるかもしれない。個々の要素に関しては確かにそうだが、回路自体は複雑で、途中のどこかでミスを防いだり正したりするようにつくられていることが多い。生物の非常に多くの経路が他の経路、いわゆる重複経路によってバックアップされているように思われるのは、こういう理由があるからなのだと筆者らは信じている。マウスの遺伝実験では、非常に重要そうな遺伝子を欠損させても、あまりひどい表現型にはならなかったり、まったく影響がなかったりすることはよくある。たいてい後から、他の遺伝子の機能がその欠損をカバーしていることが発見される。
なぜ生物は、確度の低いサブ経路の集積した複雑な経路でなく、確度の高い単純な経路をつくらなかったのだろう? その答えは、弱い連係が経路の設計原理となっていることにあるだろう。同一の経路が同一の生物内で異なる目的のために繰り返し使われている。したがって、それらがさまざまなプロセスと相互作用し、異なる環境と細胞タイプの中ではたらくためにはわずかに改変されなくてはならない。構成要素や経路の使い遺の広さは、かなりの代償を払って手に入れたものだ。
投稿: a-gemini | 2008年12月25日 (木) 23時21分