福岡伸一 vs. ダーウィニズム(3)
福岡のダーウィニズムへの攻撃は、ベストセラー『生物と無生物のあいだ』でも見ることができる。
しかし私は、現存する生物の特性、特に形態の特徴のすべてに進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、ランダムな変異が選抜されたと考えることは、生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、大いなる危惧を感じる。
むしろ、生物の形態形成には、一定の物理的な枠組み、物理的な制約があり、それにしたがって構築された必然の結果と考えたほうがよい局面がたくさんあると思える。分節もその例である。
ショウジョウバエという小さなハエがいる。生物の形態が分節を有する機構についての重要な知見は、この透き通るような可憐な昆虫を観察することから得られた。このハエは、ハエとはいうものの、その英名をフルーツ・フライというように果物や樹液を好む、体長三ミリメートル程度の極小のハエである。試験管の中で飼育でき、ライフサイクルもきわめて短いので(卵から孵化するまで一目、幼虫期三日、蛹期五目)、古くから実験用生物として遺伝学者たちの有用なツールとなってきた。
産み落とされた卵は、分裂を繰り返し徐々に形を作り上げていく。ハエである以上、やがて小さな蛆虫となる。蛆虫にはすでに立派な、きめ細やかな分節構造がある。以下の話は、細胞分裂が進行し、細胞の塊がいよいよ幼虫となる、その一歩手前の物語である。
細胞塊はラグビーボールのような紡錘形をしている。将来、どちらの側が頭になり、どちらの側が尾になるか、この段階ですでに決められている。このとき、頭になる側の細胞から、ビコイド(becoid)と呼ばれる特別な分子が放出される。それはちょうど、水槽の一隅に投じられた過マンガン酸カリのように遠やかに拡散を開始する。ビコイドは発生段階のわずかな一瞬だけ放出されるが、ランダムな熱運動を凌駕するに足る分子数があるので、”平均すると”、頭から尾にかけて美しい濃度勾配を形成することになる。
ビコイドはそれに触れた細胞に対して、次の段階の分化命令を与えるシグナルとして働く。ここが不思議なところだが、細胞の側にはおそらくビコイドに対する感受性に段階的な閾値が存在するのであろう、ビコイドの濃度勾配に対して階段状の応答を示してそれぞれ分化を開始する。それが結果的に蛆虫の各分節を形成することになるのである。
一方、ビコイドの濃度勾配をラグビーボールの背中側から見ると、拡散は縦方向だけでなく、左右にも均等に広がっていくことになる。これが分化のシグナルの左右対称性を与えることになる。
このような現象を目の当たりにすると、生物が示す形態形成の根拠には、分子の拡散がもたらす濃度勾配やその空間的な広がりなど、ある一定の物理学的な枠組みがあることが見て取れる。
それは決してランダムな試行と環境によるセレクションによるものでなく、そのような淘汰作用よりも下位の次元であらかじめ決定されていることなのである。ランダムなのはむしろそのときの原子や分子のふるまいであり、その中からいかに秩序が抽出しうるかが問題となる。そのための大前提として、いみじくもシュレーデインガーが看破したように、原子に対して生物は圧倒的に大きな存在である必要があるのだ。(略)
『生物と無生物のあいだ』
しかし、物理的な制約が存在することを否定するダーウィニストなど本当に存在するのだろうか?
福岡の指摘を待つまでもなく、ダーウィニストたちは進化を制約するものを意識している。
例えば、河田雅圭『はじめての進化論』の「4―進化を制約するもの」を参照せよ。
進化を考える上でさまざまな制約を考慮に入れることの重要性は、グールドとレウォンティンらによって強調されてきた。
グールドとレウォンティンが言うように、彼らの見方は「変化が起こったときには、それが自然淘汰を媒介としているかもしれないということを否定はしない。しかし彼らの見方は、さまざまな制約が可能な道筋や変化の形態を強力に制限しているために、そうした制約自体が進化の最も興味深い面になるのだとも主張している。」
『ダーウィンの危険な思想』ダニエル・デネット
そして、ダーウィニストたちはそのような指摘を自分たちの理論に組み込んできたのである。
グールドとレウォンティンは、適応に代わるものをまだ別に議論している。これも、すでにオーソドックスなダーウィニズムのうちで出会っている命題だ。つまり、遺伝子のランダムな固定化(歴史的偶然の役割とその役割の増大)とか、遺伝子の発現方法から来るさまざまな発達上の制約とか、「多数の適応度ピーク」をもった適応度地形のなかを歩きまわるという問題などが、それである。これらはみな現実的現象であり、進化論者の間では、その存在そのもが議論されることはなく、それらにどれだけ重要性があるかが議論されている。たしかにこれらを組み込んだ理論は、ネオ・ダーウィニズムの総合説がより洗練されたものになるのに一つの重要な役割を果たしてはきたが、あくまでもこれは、修正や複雑化であって、革命ではない。
『ダーウィンの危険な思想』ダニエル・デネット
実際のところ、福岡の説明は淘汰による説明の代案になっていない。
ショウジョウバエが分節を持つことの説明として福岡が持ち出してきたのは「至近要因」であり、自然淘汰は「究極要因」を説明するものである。
2つは全く異なるレベルでの説明なのだ。
長谷川眞理子による説明を見てみよう。
その後、私が本格的に動物の行動の研究をするようになってから、「ティンバーゲンの四つのなぜ」ということを習いました。これは、一九七三年に、動物行動学の祖の一人としてノーベル医学・生理学賞を受賞した、オランダ生まれのニコ・ティンバーゲンが言ったことで、動物の行動については、四つの異なる「なぜ?」が存在するということを意味しています。動物の行動を本当に理解するためには、この四つの達う「なぜ?」のすべてを解明しなくてはなりません。
「四つのなぜ」とは、 (1)その行動が引き起こされている直接の要因は何だろうか、(2)その行動は、どんな機能があるから進化したのだろうか、(3)その行動は、動物の個体の一生の問に、どのような発達をたどって完成されるのだろうか、(4)その行動は、その動物の進化の過程で、その祖先型からどのような道筋をたどって出現してきたのだろうか、という四つの疑問です。これらは、それぞれ、(1)至近要因、(2)究極要因、(3)発達要因、(4)系統進化要因、と呼ばれています。
たとえば、シジュウカラは春になるとなぜ「ツピーツピー」と鳴くのだろう? という疑問を取り上げてみましょう。
(1)の至近要因に関する答えは、シジュウカラの脳内にどのような構造があり、季節の変化を感知させるメカニズムはどんなものであり、それらがどんなホルモンによって歌生成を促すようになるか、というようなものになるでしょう。
(2)の究極要因に関する答えは、シジュウカラの歌はなわばりの維持と配偶相手の雌の獲得のために機能しており、歌う方が歌わないよりも繁殖成功率が上がったので、鴫く行動が進化した、というようなものになるでしょう。
(3)の発達要因に問する答えは、シジュウカラのヒナには、もともと、歌の原型を生成するプロセスが遺伝的に組み込まれているのだけれど、それが、他のシジュウカラの歌声を問くことによって、どのようにおとなのパターンになっていくのかというようなものになるでしょう。
(4)の系統進化要因は、あまり美しくさえずらなかった、シジュウカラの祖先の鳥から、どのようにしてあのようなさえずりができてきたのか、という歴史的な道筋の話になるでしょう。
さて、これらは、同じ疑問に対して、それぞれが異なる角度から答えを出しています。この四つの疑問は、それぞれが異なるものですから、分けて考えなくてはいけません。至近要因の疑問に対して発達要因で答えてはいけないし、究極要因の疑問に対しては、至近要因の答えでは答えにならないということです。しかし、これら四つは、やはり互いに関連しあってもいますから、一つの行動のすべてを理解するためには、四つの疑問の全部に取り組まねばならないでしょう。『生き物をめぐる4つの「なぜ」』 長谷川眞理子
福岡は、「究極要因の疑問に対して」「至近要因の答え」を出してしまったのである。
![]() |
ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化 著者:ダニエル・C. デネット |
![]() |
生き物をめぐる4つの「なぜ」 (集英社新書) 著者:長谷川 真理子 |
| 固定リンク
「福岡伸一」カテゴリの記事
- 超豪華ラインナップ(2009.04.28)
- 予言成就(2009.04.26)
- 雑記 4.12-4.18(2009.04.18)
- 第一種の誤り/第二種の誤り(2009.03.31)
- 悩める宮崎哲弥(2009.03.27)
「科学」カテゴリの記事
- neuromyths(神経神話)(2009.05.02)
- 例の記事(2009.04.22)
- 第一種の誤り/第二種の誤り(2009.03.31)
- 「科学者にも怖いものはある」最終回(2009.03.28)
- アリストテレスの錯覚(2009.03.22)




コメント