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2008年10月

2008年10月29日 (水)

memetic sex?

またまた、dankogaiネタですみません。

404 Blog not Found 不可思議なモノ、汝の名は、性 - 書評 - 雌と雄のある世界

今、私は「人」といった。これは遺伝子(gene)が支配する「体」と、意伝子(meme)が支配する「心」の複合体である。この論点で言えば、「雌と雄」というのは genetic sex であるのに対し、「女と男」というのは memetic sex という言い方も出来るだろう。うち本書では前者のみを扱っているが、後者について著者が書くことはあるのだろうか。是非一読してみたいものだ。もっとも、後者に関して客観的視点を保つのは、前者に関してよりずっと難しく、それゆえ科学的研究もずっと遅れているのではあるけれど。

世間ではそれをgenderと呼んでいるんじゃないかと思うのだが。

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2008年10月28日 (火)

ジョアン・ジルベルト日本公演 延期&中止

ジョアン・ジルベルトの来日公演、東京公演は延期、横浜公演は中止だそうなので、観に行く予定だった方はご注意ください。
私は2日に観に行く予定だったんですけどね。

http://www.joao-concert.jp/

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2008年10月27日 (月)

子どものころに読んだ本

なんでも世の中は読書週間なんだそうで。
で、dankogaiが、こんなことを言ってるんですが。

404 Blog not Found  まずお前が読め、お前が!

こういうのも何だけど、人々の読解力は上がってると弾言できるよ。未だかつて、これほどの文字に囲まれて生きていたことってないもの。どうでもいいメッセージを捨てて、自分に必要なメッセージを拾うという点にかけては、本しかなかった頃の人と比べて、今の人の方が格段にあるはず。

dankogaiが言っても、全然説得力ないんですが。
まあ、それはともかく。

正直、活字だけの本を楽しめるのは、中学生以上でも遅くないと思う。私はませガキだったのでそれより早かったけど。それ以前に「本を読んで楽しめる」っていうのなら、まず嘘つきと思っていい。大人の機嫌を取るための。

ナニ言ってんだ! ふざけんな!

そんなわけないだろーが。
小学校の図書室にある本が、全部大人の機嫌を取るためのものだっていうのかよ。
この発言は到底許しがたいぞ。
私の子ども時代を全否定するようなもんだからな。

というわけで、今回は私が子どものころに読んだ本を紹介。
何の役に立つのか分からないけど、まあ、何かの参考になれば。

小学校に入る前に読んだ絵本の類は省略。
よく憶えてないし、ほかの人とあまり違いがないと思うので。
ただ、一冊だけよく憶えている絵本がある。
『きょうはとくべつ』 っていうタイトルで、これが何で印象に残っているかというと、暗号が出てきたから。
後ろから読むだけの単純なものだったんだけど、自分で気がついたのでうれしかったのだ。
これは、小学校に入る前か、入ってすぐくらいかな。

小学校に入ってから読んだ本で一番古いのは・・・小学館の図鑑かな。
宇宙の巻だけだったけど、これは気に入っていた。
自分の意志で選んだのかどうかは憶えてないけど。
このころから理系志向があったわけ。

それから、よく読んだのは、定番だけど学研の学習まんがのひみつシリーズ。
最初に読んだのは、『できる・できないのひみつ』
友達が持ってたのを読んで、気に入ったから自分も親に買ってもらった。
何度も読んだから内容もハッキリ憶えてるな。
ビルをどんどん高くしていくと、エレーベータのための面積が増えてしまうとか、台風をなくしてしまうと大気の循環が狂って台風よりももっとひどい災害が起こるかもしれない、とか。
それから、地球の裏側まで穴を開けてものを落とすと、空気がなければ裏側までの間を往復し続けるけど、実際は地球の中心に空気が集まって圧力で金属のように硬くなるからダメだ、とか。
後ろのほうは偉人伝になっていて、リリエンタールとかモンゴルフィエ兄弟とかが取り上げられてた。
これが小学一年か二年のとき。
このシリーズは十数冊持ってたはず。
やっぱり内山安二がマンガを描いてるヤツがよかったな。
『コロ助の科学質問箱』とか。
内山安二じゃないけど、『忍術・手品のひみつ』も好きだった。
やっぱり、科学ものが好きだったんで、『お金と切手のひみつ』が出たあたりで「何かこれまでと違う!」という気がして冷めてしまった。

普通のマンガで初めて買ったのが「ドラえもん」の6巻と10巻。
これも小学2年くらいじゃなかったかな。
本屋で親に買ってもらったところまで記憶にある。
なんでいきなり6巻を買ったかというと、巻末にドラえもんの色んな道具の説明があって、それが目当てだったのだ。

小学3,4年で読んだヤツで憶えてるのが、本屋をやっている親戚が送ってきてくれた子供向けの文学全集の何冊か。
ネットで調べてみたら、「小学館国際版少年少女世界文学」というシリーズだった。
『ゆうかんな船長』というのが印象に残ってたんだけど、今日調べて、作者がキップリングだということを知った。
他に印象に残ってるのは、やっぱりスティーヴンソンの『宝島』だな。
『アンクル・トムの小屋』もあったけど、読んで楽しいものじゃなかった。

小学4年あたりから、ミステリ(という言葉は当時は使わなかったな、「推理小説」だ)を学校の図書室から借りて読むようになる。
もちろん、あかね書房のシリーズですよ。
「活字だけの本」は、このあたりから。

あかね書房/少年少女世界推理文学全集 全20巻
01 『モルグ街の怪事件』 エドガー・アラン・ポオ
02 『シャーロック・ホームズの冒険』 コナン・ドイル
03 『赤い家の秘密/黄色いへやのなぞ』 A・A・ミルン/ガストン・ルルー
04 『アルセーヌ・ルパンの冒険』 モーリス・ルブラン
05 『ふしぎな足音』 G・K・チェスタートン
06 『魔女のかくれ家/二つの腕輪』 ジョン・ディクスン・カー
07 『ABC怪事件/恐怖の旅客機』 アガサ・クリスティー
08 『エジプト十字架の秘密/十四のピストルのなぞ』 エラリイ・クイーン
09 『恐怖の黒いカーテン/アリスが消えた』 ウイリアム・アイリッシュ
10 『スパイの秘密/学園の名探偵』 W・サマセット・モーム/ジェームズ・ヒルトン
11 『のろわれた沼の秘密』 フィリス・A・ホイットニー
12 『マギル卿さいごの旅/チェーンの秘密』 F・W・クロフツ
13 『エジプト王ののろい/スコッチ・テリアのなぞ』 S・S・ヴァン・ダイン
14 『あかつきの怪人/暗黒街捜査官』 レスリー・チャータリス/レイモンド・チャンドラー
15 『X線カメラのなぞ/マルタの鷹』 E・S・ガードナー/ダシール・ハメット
16 『非常階段/シンデレラとギャング』 コーネル・ウールリッチ
17 『名探偵シャーロック・ホームズ』 コナン・ドイル
18 『ジキル博士とハイド氏/自殺クラブ』 ロバート・ルイス・スティーヴンスン
19 『人工頭脳の怪/ノバ爆発の恐怖』 カート・シオドマク/ロバート・A・ハインライン
20 『暗黒星雲/生きている首』  アイザック・アシモフ/他/アレクサンドル・ベリャーエフ

このシリーズは半分以上は読んでるな。
ハードボイルドものは、「これは自分の求めてるものと違う」という気がして手を出さなかった。

あかね書房には別のシリーズもありまして。

あかね書房/推理・探偵傑作シリーズ 全25巻
01 『ホームズの名推理』 コナン・ドイル
02 『ABC怪事件』 アガサ・クリスティー
03 『恐怖の黒いカーテン』 ウィリアム・アイリッシュ
04 『モルグ街の怪事件』 エドガー・アラン・ポオ
05 『ホームズの冒険』 コナン・ドイル
06 『魔女のかくれ家』 ジョン・ディクスン・カー
07 『エジプト十字架の秘密』 エラリイ・クイーン
08 『マルタの鷹』 ダシール・ハメット
09 『ジキル博士とハイド氏』 ロバート・ルイス・スティーヴンスン
10 『奇岩城』 モーリス・ルブラン
11 『ホームズと四つの怪事件』 コナン・ドイル
12 『見えない殺人犯』 ウイリアム・アイリッシュ
13 『怪盗紳士ルパン』 モーリス・ルブラン
14 『ドラゴンプールの怪事件』 S・S・ヴァン・ダイン
15 『黄色い部屋の秘密』 ガストン・ルルー
16 『ビクトリア号怪事件』 ジョン・ディクスン・カー
17 『怪紳士暗黒街を行く』 レスリー・チャータリス
18 『決闘! ルパン対ホームズ』 モーリス・ルブラン
19 『ゆうれい殺人事件』 クレイトン・ロースン
20 『どろぼう天国』 G・K・チェスタートン
21 『なぞの038事件』 エラリイ・クイーン
22 『ホームズと三つのなぞ』 コナン・ドイル
23 『冒険家クラブ』 アガサ・クリスティー
24 『らせん階段のなぞ』 メアリイ・ロバーツ・ラインハート
25 『あかつきの追跡』 ウイリアム・アイリッシュ

このシリーズ、最初に数ページ、マンガで内容紹介がしてあったんですよね。
こっちは2,3冊除いて全部読んでると思う。
最初に読んだのは、ヴァン・ダインの『ドラゴンプールの怪事件』(ドラゴン殺人事件)で、たぶん小学4年のとき。
印象に残ってるのは、アイリッシュの『あかつきの追跡』(暁の死線)。

SFのシリーズもあったんだけど。

あかね書房/少年少女世界SF文学全集 全20巻
01 『鋼鉄都市』  アイザック・アシモフ
02 『生きていた火星人』  ロバート・シルヴァーバーグ
03 『恐竜世界の探検』 コナン・ドイル
04 『タイムマシン28000年』  レイ・カミングス
05 『惑星からきた少年』  パトリシア・ライトソン
06 『四次元世界の秘密』  A L・P・デービス
07 『地底世界ペルシダー』エドガー・ライス・バロウズ
08 『両棲人間』  アレクサンドル・ベリャーエフ
09 『不死販売株式会社』 ロバート・シェクリイ
10 『宇宙船ドクター』  ハリー・ハリスン
11 『惑星ハンター』 アーサー・K・バーンズ
12 『海底の地震都市』 フレデリック・ポール & ジャック・ウイリアムスン
13 『ロボット・スパイ戦争』  カルル・ブルックナー
14 『海底二万リーグ』 ジュール・ヴェルヌ
15 『月世界の核爆発』  パトリック・ムーア
16 『宇宙戦争』  H・G・ウェルズ
17 『さまよう都市宇宙船』  ロバート・A・ハインライン
18 『宇宙怪人ザロ博士の秘密』  エドモンド・ハミルトン
19 『怪奇植物トリフィドの侵略』  ジョン・ウインダム
20 『銀河系防衛軍』 エドワード・E・スミス

こっちは、あまり読んでないなあ。
読んだのを憶えてるのは『鋼鉄都市』『不死販売株式会社』『海底二万リーグ』くらい。
他にも1,2冊読んだような気がする。

SFだと、岩崎書店のシリーズもあった。

岩崎書店/エスエフ少年文庫
01 『第四惑星の反乱』 ロバート・シルヴァーバーグ
02 『太陽系の侵入者』 ポール・フレンチ
03 『わすれられた惑星』 マレイ・ラインスター
04 『宇宙人アダム・トロイ』 Adam Troy M・パチェット
05 『うしなわれた世界』  コナン・ドイル
06 『まぼろしのペンフレンド』 眉村卓
07 『アーサー王とあった男』  マーク・トウェイン
08 『迷宮世界』 福島正実
09 『生きている首』  アレクサンドル・ベリャーエフ
10 『作戦NACL』 光瀬龍
11 『宇宙怪獣ラモックス』 ロバート・A・ハインライン
12 『大氷河の生存者』ロバート・シルヴァーバーグ
13 『宇宙の勝利者』ゴードン・R・ディクスン
14 『時間と空間の冒険 世界のSF短編集』 Ed:福島正実
15 『宇宙紀元ゼロ年』 ビタリ・メレンチェフ
16 『タイム・カプセルの秘密』ポール・アンダースン
17 『超世界への旅 日本のSF短編集』 Ed:福島正実
18 『なぞの第九惑星』 ドナルド・ウォルハイム
19 『宇宙大オリンピック』ミルトン・レッサー
20 『フェニックス作戦発令』 福島正実
21 『タイムマシン』H・G・ウェルズ
22 『宇宙人ビッグスの冒険』 ネルソン・ボンド
23 『宇宙の漂流者』 トム・ゴドウィン
24 『消えた土星探検隊』 フィリップ・レーサム
25 『百万の太陽』 福島正実
26 『宇宙の密航少年』 R・M・イーラム
27 『凍った宇宙』パトリック・ムーア
28 『木星のラッキー・スター』 ポール・フレンチ
29 『まぼろしの支配者』 草川隆
30 『夢みる宇宙人』 ジョン・D・マクドナルド

初めて読んだSF小説は『うしなわれた世界』か『生きている首』か、どっちかだったと思う。 
この中では、『超世界への旅 日本のSF短編集』も読んだのを憶えている。
他にも2,3冊読んだような気がするけど、憶えてない。

ポプラ社のホームズものは、当然全部読んでます。
ルパンものは、あまり読んでないなあ。
『813』と『奇岩城』と、あと1,2冊だけ。

ポプラ社といえば、忘れちゃいけない、江戸川乱歩

1  怪人二十面相
2  妖怪博士
3  少年探偵団
4  青銅の魔人
5  大金塊
6  透明怪人
7  怪奇四十面相
8  地底の魔術王
9  電人M
10  宇宙怪人
11  奇面城の秘密
12  黄金豹
13  サーカスの怪人
14  夜光人間
15  塔上の奇術師
16  仮面の恐怖王
17  鉄人Q
18  魔法博士
19  灰色の巨人
20  魔人ゴング
21  海底の魔術師
22  空飛ぶ二十面相
23  悪魔人形
24  鉄塔王国の恐怖
25  黄金の怪獣
26  二十面相の呪い
27  黄金仮面
28  呪いの指紋
29  魔術師
30  大暗室
31  赤い妖虫
32  地獄の仮面
33  黒い魔女
34  緑衣の鬼
35  地獄の道化師
36  影男
37  暗黒星
38  白い羽根の謎
39  死の十字路
40  恐怖の魔人王
41  一寸法師
42  蜘蛛男
43  幽鬼の塔
44  人間豹
45  時計塔の秘密
45  三角館の恐怖

読んでないのも何冊かあるけど。
最初に読んだのが、『三角館の恐怖』で、次が『時計塔の秘密』。
これも、たぶん小学4年のとき。
少年探偵団ものとか最初から子供向けに書かれたものはあまり好きじゃなくて、大人向けの作品をリライトしたものの方が好きだった。
『死の十字路』とか。
少年探偵団ものは、子供心にもガキっぽい気がしたのだ。

それから、「少年探偵ブラウン」っていうシリーズもあったなあ。
問題編と解決編が分かれてるやつ。
調べてみたら、今でも売ってる!

少年探偵ブラウン (1)

「マガーク探偵団」っていうのもあった。
こっちも、今でも売ってる!

マガーク少年探偵団!(1)こちらマガーク探偵団

小説以外も読んでましたよ。
「エネルギーとは何か」みたいな感じの科学方面の本が多かったな。
それから、朝日新聞社から、『朝日少年少女理科年鑑』っていう、その年の科学の話題を解説した本が毎年出ていて、小学校高学年のときに読んでました。
それから、誠文堂新光社の『子供の科学』ね。
自分でも毎月買ってたけど、学校に二年分くらいのバックナンバーがあったから、そっちも目を通してたな。

藤原宰太郎の推理クイズものもよく読んだ。
Wikipediaにも書いてあるけど

内容は、いわゆる殺人のトリック、密室なのにどうやって殺せたか、というような推理小説の命というべき部分のみを、古今東西の推理小説から流用しクイズとして出す、今考えると著作権はどうだったのかと疑問の湧くものだった。

それから、多湖輝の『頭の体操』シリーズもよく読んだ。
最初に買ったのが、テレビのプログラム形式になってる第4集だったんだけど、出てくる名前が「大村昆」とか「藤田まこと」とか「渥美清」とか、私が読んだころでもハゲシク時代がずれてましたね。
7,8集あたりなると、さすがにネタ切れ感を感じて、10集以降は本屋で手に取る気すら起きなかったですね。

他にも色々あるような気がするけど、今日はこんなところで。
こうして見ると、小学4年くらいで、その後の興味の方向が決まっちゃってますね。

というわけで、dankogaiよ、今後はあまりふざけたことは書かないように。
まあ、言っても無駄だろうけど。

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2008年10月26日 (日)

モーツァルト効果

「週刊プレイボーイ」の茂木健一郎インタビューから。

-●●を食べたら頭が良くなるなんて話も多いですが・・・。
「そんなわけねえだろって話ですよ(笑)。『何したら頭がよくなりますか?』とか、『何食べたら頭よくなりますか?』とか、『何食べたら頭よくなりますか?』とか、そういう質問事態が間違ってます。
(略)ひとつの道具でうまくいくほど人生って甘くないでしょ。トンカチだけで家が建ちます?」

……。
厚顔無恥もここまでいくと感心しますわ。

茂木さん、アンタすごいよ!

茂木さん、「茂木健一郎のモーツァルト・モード」なんていうCD出してましたよねえ?

茂木健一郎のモーツァルト・モード
現代人の脳の活性化をもたらすモーツァルトの楽曲をセレクションしたアルバム。モーツァルトの音楽の脳への効果、そのメカニズムの解説付き。それを脳の最先端の研究者として話題の茂木健一郎が監修。

ジャケットに「脳と創造力を鍛える音楽のクオリア」なんて書いてあるんですけど。

「モーツアルト効果」なんてこともいってましたよねえ。
「別冊ぶらあぼ 熱狂の日音楽祭2006公式アフターガイドブック」から。
ソースは「6ねん2くみのへや」。

やっぱりモーツアルトの音楽による気分の高揚って、他の音楽の場合と違うんですよね。単に自分が好きな音楽を聴いて気分が高揚しているというわけじゃなくて、たとえばロックを聴いてる感じは、友達と楽しくしゃべってる時に似ている。それに対して、モーツアルトの音楽を聴いている時は、創造的に脳を働かせてる時の感じに似ている。イギリスの科学雑誌「ネーチャー」でも、「モーツアルト効果」ということが話題になったことがありますけど、僕自身が実体験的に思っていることです。それから、音楽の即興性に最近すごく感心があって、やっぱり音楽の本質って即興なんじゃないかっていう気がするんですよ。そういう意味では、モーツアルトって、演奏もそうだけど、作曲でさえもほとんど即興なんじゃないかなあ。演奏で同じフレーズがリフレインされるときの2回目は、自由に弾いてよいという意味であるということとか、今の音楽の弾き方、聴かれ方と違うと思うし、モーツアルトの時代の作曲は、ジャズのジャム・セッションに近いものだった気がしますね。こういうことは、モーツアルトを受容する際に大事なことですよ。なんかもう大作曲家が昔書いた楽譜を、とにかく忠実に再現するというのがクラシックだと思われてるんだけど、実はそうではなくて、もっと即興性があったはずなんだよね。今までそこになかった音楽が、即興で、その場で、まさに生み出されつつある様子、そういう瞬間を想像できるということが、「モーツアルト・モード」だと思う。

ところが、2年後にはこんな風に言ってますね。

MySony Mail Magazine 

すごく簡単なことで、脳によい音楽は、その人が好きな音楽なんですよ。昔、「モーツァルト効果」という研究があって、モーツァルトの曲を聴きながら勉強するとIQが10上がるって言われていたのですが、よく調べたら、モーツァルトの曲が好きな人にしか効果がないとわかりました。モーツァルトの曲が嫌いで聴きたくない人には、効果がなかったのです。好きな音楽ならば、ロックでもIQが上がることもわかった。好きな曲を聴いていると、脳の中の報酬系という回路が活性化されてIQが上がるんです。ビデオでも同じ。韓流でも、コメディでも、好きなものを見ると脳が活性化するのです。

「すごく簡単なこと」って…。

「他の音楽の場合と違う」って言ってたじゃん!

「僕自身が実体験的に思っていること」って言ってたじゃん!

この面の皮の厚さはスゴイわ。

週プレの記事に戻って

「例えば、ブログを書いている人も書きっぱなしじゃなく、それがどのように読まれているかを意識しないとダメ。コメントやトラックバックも役に立つでしょう。自分のやっていること、表現していることはなにほどのことなのか?そういう“鏡”を持つ必要があると思いますね。」

以前、「クオリア日記」にトラックバック送ったのに拒否されたことあるんですけど…。
きっと、システムが不調だったんですよねっ!

「生命の本質は何が起こるかわからないところでどうするかってことですから。根拠のない自信を持つ、何でもやってみる、そして“鏡”を持つ。これさえあれば、人生は大丈夫ですよ。」

ひとつの道具では上手くいかないけど、三つあれば丈夫みたいです。

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2008年10月22日 (水)

福岡ハカセの恥ずかしい間違い

amazonで『できそこないの男たち』の読者レビューを見てみたら、

後半の3割程度は性の生物学的な議論に移る。素晴らしい前半とうってかわってここのデキは良くない。科学的な論述のはずかポエム的な表現とまじって不正確な印象を与える。出典不明なため確認できないが間違った記述もある。たとえばmtDNAの共通祖先とY染色体の共通祖先は倍近く時代が異なるはずで、同時代ではありえない。

という指摘がされてまして、いくら福岡伸一でもそこまで変なことは書かないだろう、きっと書き方がまずいせいでそういう風に読めるような文章になっちゃったのだろう、と思ったのですが・・・。
本屋で立ち読みで確認して、唖然。
ハッキリと、「十数万年前」「同じ頃、同じ場所」と書いてありました。

福岡ハカセ、大ポカです。

amazonのレビュアーの方が指摘している通り、ミトコンドリア・イヴ(以下、「イヴ」)は約14~20万年前、Y染色体アダム(以下、「アダム」)は、約6万年前、アフリカに存在していたと言われています。
年代的には倍以上離れていますし、同じアフリカといっても、アフリカのどこかまでは分かっていませんから、「同じ場所」と言ってしまってはまずいでしょう。

このことは、Wikipediaにすら書かれています。

この結果は、2000年にネイチャー・ジェネティクス誌において発表された、スタンフォード大学のピーター・アンダーヒルとカヴァッリ・スフォルツァらのグループによる父親から息子にのみ伝わるY染色体を用いた同様の検討によっても、ほぼ同じパターンが確認された。これはY染色体アダムと呼ばれることがある。Y染色体アダムは6万年前頃に生存していたと見られるが、当然のこととしてミトコンドリア・イブの夫である可能性は無い。

(もしかしたら、アダムとイヴが「同じ頃、同じ場所」に存在した、という研究が存在するのかもしれませんが、福岡ハカセは参考文献を明らかにしていないので確認できません。
だから、こういう本にはちゃんと参考文献を載せておかなきゃいかんのですよ。
それはともかく、そういう研究は存在しないと思われます。
その理由は以下を読んでもらえばわかります。)

「そんなの単なるうっかりミスで、大げさに騒ぐようなことじゃないだろ」と言う人もいるでしょうが、そういうわけにはいかないのです。
その理由は、以下を読んでもらえば分かるはずです。

驚くべきことに、上に書いたような事実は、福岡ハカセが批判していたブライアン・サイクスの『アダムの呪い』(「『できそこないの男たち』(2)」参照)にしっかり書かれているのです。

いま思えば、Y染色体研究にはふたつの驚きがあった。ひとつ目は、Y染色体のなかに遺伝的な多様性を見つけるのが思った以上にむずかしかったということだ。ふたつ目は、Y染色体ツリーからホモ・サピエンスの歴史を推測したところ、mtDNAをもとに行った計算よりも、はるかに近い過去に祖先がいたという結果が出たことだ。どうやらイヴは、アダムよりずっと昔に暮らしていたようだ。突然変異の回数を足して、その平均発生年数を掛けるという計算にもとづくと、イヴが生きていたのは十四万年前で、アダムが生きていたのはほんの五万九千年前ということになる。1990年代後半、この点に注目する研究者はどこにもいなかった。(略)

『アダムの呪い』ブライアン・サイクス

(サイクスは「1990年代後半、この点に注目する研究者はどこにもいなかった」と書いていますが、これは疑わしい。以下のデネットの引用を参照。)

福岡ハカセは、自分が批判した本すら、ちゃんと読めていなかったということになります。

さらに、福岡ハカセがいつも批判するリチャード・ドーキンスもこんな風に書いているのです。

 イヴは誤りへと誘惑する偉大な女であり、私たちは、あらかじめその誘惑に備えておくのがよいだろう。その誤りはきわめて教訓に富むものである。(略)
  第二に、イヴとアダムはカップルではなかった。もし二人が出会ったとしたら、途方もない偶然の一致だし、何万年前もの時間を隔てていた可能性も十分ありえるのだ。副次的な論点として、イヴのほうがアダムに先行していたと信じるべきいくつかの独立した理由が存在する。雄のほうが雌よりも繁殖成功率の変異が大きい、つまり、一部の飯が他の雌の五倍の子供を産むことができるのに対して、最も成功する雄は成功しない雄の何百倍もの子供をもつことができる。大きなハレムをもつ雄は普遍的な祖先になるのが簡単である。雌は大家族をもつみこみが雄より小さいので、同じ芸当をなしとげるにはずっと大きな数の世代を必要とする。そして実際に、現代の最も信頼できる「分子時計」が推測するそれぞれの年代は、イヴについてはおよそ14万年前、アダムについては6万年前というものである。
 
  『祖先の物語』ヤン・ウォンと共著

福岡ハカセも、ネチネチとドーキンスの悪口を書くくらいなら、ちゃんとドーキンスの本に目を通しておいたほうが良かったんじゃないでしょうか。

ついでに、ダメ押しでもう一つ引用を。

Y染色体アダムはミトコンドリア・イヴの夫か恋人だったのだろうか。そうでないことはほとんど確かである。これら二つの個体が同時代に生きていた確率は、ほんのちいさなものでしかないからだ。(父性は母性より時間とエナルギーがずっと少ない仕事なので、<論理的に>可能なのは、Y染色体アダムがごく最近まで生きていて、寝室では非常に忙しかったという点である(略))

『ダーウィンの危険な思想』ダニエル・デネット

(ちなみに、この本の出版は1994年。Y染色体アダムの年代が明らかになる前です。)

要するにですね、アダムとイヴが同じ時代に存在したのではない、ということは、この話題を取り上げている本では、大概書かれていて、「素人さんは、このあたり間違いやすいから、勘違いしないでね」とわざわざ注意してあるんですよ。
で、福岡ハカセは、見事にその箇所を勘違いしてしまったわけですね。
これは、かなり恥ずかしいことですね。
自分が本に書いたネタの関連文献をまともに読めてないということなんですから。

さらに恥ずかしいのは、『できそこないの男たち』には、チンギス・ハーンの子孫の話題が書いてあるということ。
上の引用でドーキンス/ウォンが書いているように、雄のほうが雌よりも繁殖成功率の変異が大きいので、イヴのほうがアダムに先行していたと論理的に推測することができます。
チンギス・ハーンのY染色体のエピソードは、雄の繁殖成功率の変異の大きさを端的に示す例なのです。

Wikipediaの「チンギス・カン」の項より引用。

2004年にオクスフォード大学の遺伝学研究チームは、DNA解析の結果、チンギス・カンが世界中でもっとも子孫を多く残した人物であるという結論を発表した。彼らによれば、現在までに彼のY染色体を引き継いでいる人物(すなわち男系の子孫は1600万人にのぼるとされる。)

チンギス・ハーンのエピソードは、福岡ハカセが自分の勘違いに気付くチャンスだったのに、福岡ハカセはそれを見逃してしまったのです。

と言うわけで、福岡ハカセの犯した間違いがいかに恥ずかしいものか、理解していただけたでしょうか?

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2008年10月21日 (火)

「プロフェッショナル 脳活用法SP」

いやー、くだらなかったねー。

例によって「最新の脳科学」って言葉を連発してたけど、目新しい話は全然なし。

前回の時は、気合を入れて5回シリーズで観賞記を書いたけど、

「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(1)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(2)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(3)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(4)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(5)

今回はそんなことしないよ。
もう、めんどくさいもん。
あっさり、流します。

茂木健一郎先生が、過去に番組に出演した100人の「プロフェッショナル」の発言を分析して、どうやったらアイディアが生まれるか結論を出したんですってさ。

ナレーション
茂木が薦めるプロフェッショナルの発想法、それはっ!

                                  発想法②
                               “寝る”発想法

茂木 「寝る」って言うと「エエッ!」と思う方もいらっしゃったかもしれませんが、これも脳科学的にもちゃんと理にかなった方法なんですね

いや、別に驚きませんけど。
そういうことはねえ、寺田寅彦がずっと昔に書いてるんですよ。

「三上(さんじょう)」という言葉がある。枕上(ちんじょう)鞍上(あんじょう)厠上(しじょう)合わせて三上の意だという。「いい考えを発酵させるに適した三つの環境」を対立させたものとも解釈される。なかなかうまい事を言ったものだと思う。しかしこれは昔のシナ人かよほど暇人でないと、現代では言葉どおりには適用し難い。(略)
 現代の一般の人について考えてみるとこの三上には多少の変更を要する。まず「枕上(ちんじょう)」であるが、毎日の仕事に追われた上に、夜なべ仕事でくたびれて、やっと床につく多くの人には枕上は眠る事が第一義である。それで眠られないという場合は病気なのだからろくな考えは出ないのが普通である。

寺田寅彦って言うか、昔の中国だな。
それを今更、さも目新しいことのように言われてもねえ。

ナレーション
さらに、もう一つ。
茂木が注目すべきポイントを導き出した。

                                    発想法②
                              考え事は「場所」を選べ

住吉 アイディアが出やすい場所を選ぶポイントっていうのは、何なんでしょう?

茂木 一言で言うと、脳が外からの情報に邪魔されない所なんですよ。

・・・。
それは、単に「静かなところは考え事に向いている」ってことじゃないんですか。
そんなの、100人の「プロフェッショナル」を分析しなくてもいえるだろって。

茂木 情報は入ってくるんだけど、それにあんまり注意を払わなくていいところ、そういうところっていうのがね、ひらめきを生むのに非常にいい環境なんですよ。

住吉 どうして、そういう状況だと発想につながるんですか?

茂木 外から色んな情報が入ってくると、その処理で脳がせいいっぱいになっちゃうんですね。
実はひらめきって言うのは、内側から何かが生まれてくるプロセスですから、ある意味では自分の内側、無意識に耳を傾けなくちゃいけない。
そういう余裕が生まれるのは、リラックスできるところ。

それも、寺田寅彦がずっと昔に書いてるんですよ。

「三上」の三上たるゆえんの要素には、肉体の拘束から来る精神の解放というもののほかにもう一つの要件があると思われる。それはある適当な感覚的の刺激である。

住吉 会議をしている途中に行き詰って、「お手洗いに行ってきます」って場を離れると、「ワッ!」って言って、「これは!」ってことがあるんです。

茂木 僕と全く同じ。
「ちょっとトイレ言ってきます」って言って、その間にひらめきます。

だから、昔の中国人が「厠上」って言ってるでしょうが。

そのほかにも、やる気を出すためには、「あこがれの人を持つ」とか「小さな成功を大切に」とか、そんなの脳科学を持ち出さなくてもいいだろって。

ホントにくだらなかったですわ。

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2008年10月20日 (月)

『できそこないの男たち』(2)

福岡ハカセへの悪口は、さらに続きます。

「福岡ハカセ、恩を仇で返す」の巻

『できそこないの男たち』の第1章で、福岡ハカセは、「ドーキンスのようなイギリスの知識人は、平然を装って下ネタを語ることが知的だと思っているようなふしがあって鼻白む」みたいなことを書いてるんですけどね。
そういう書き方するくらいだから、当然ドーキンスの文章が引用されてると思うじゃないですか。
ところが、実際に引用されてるのは、福岡ハカセが翻訳した、『Yの真実-危うい男たちの進化論』の文章なんですよ。

福岡ハカセ、ワケ分かんねっす。

その『Yの真実-危うい男たちの進化論』の訳者あとがきでは、こんな風に言ってるんですよ。

権力や地位や富や名誉は父から息子に継承された。そしてその系統を守るために幾多の血が流され、権謀が渦巻き、業火が燃えさかった。だから表層的には人類はY染色体を後生大事に死守してきたかのように見える。あるいは逆に、Y遺伝子こそが人類をそのように仕向けたと、故意に見なすことができる。そしてそこから物語をつくりだすことができる。本書と同時期に出版されたブライアン・サイクス著『アダムの呪い』(ソニー・マガジン)がまさにそうだ。(略)私はここにもまた、リチャ-ド・ドーキンスに端を発する「遺伝子の悪しき擬人化」を見ていささか食傷せざるを得ない。遺伝子に目的はなく、また淘汰も遺伝子のレベル(ましてや染色体のレベル)で起こりうるものではない。(略)この点、本書の著者スティーヴ・ジョーンズは控え目で、遺伝子の擬人化や社会の成り立ちを遺伝子の戦略として戯画化しようとする誤った社会生物学的誘惑にきわめて自覚的であり、好感がもてる。Y染色体の物語は勇ましい侵略譚ではなく、どちらかといえばペーソスの物語なのだから。

こっちでもドーキンスの悪口を言ってるけど、まあ、それはともかくとして、こんな風に褒めていた著者を、自分の本でけなすなんて、随分ヒドイじゃないですか。

それにしても、ドーキンスが下ネタなんて書いてたっけ?
と思って福岡ハカセが翻訳した『虹の解体』をペラペラめくってみると、これかな?っていうのが。

最近私は、南アフリカのクルーガー自然公園でとてもゆっくりしたある種の躯動を見つけた。それはゆったりとくねった湿った線で、道筋に沿って続いており、正確に何種類かの複雑な繰り返しパターンをとっていた。私のホストで熟練のガイドが言うには、それは発情期のオスの象の小便の跡ということであった。オスの象は、発情期に入ると、多かれ少なかれマーキングの目的で継続的に尿を垂れ流すらしいのである。その道の上にできた左右に振れている尿の跡は、おそらく振り子のように動いている象の長いペニスによって作られたものである(もしそのペニスの動きが完全にニュートンの法則にしたがっているとしたら、その揺れは正弦波になるだろう。まあそんなことはないのだろうが)。私は、後からフーリエ解析ができるかもしれないと思い、その写真をとったが、残念ながらそれは実現していない。しかし理論的には可能である。尿の跡の写真を正方形の紙の上に置き、座標をデジタル化して曲線をコンピュータに送り込めばよい。コンピュータによって最新のフーリエ解析を行ない、その成分となる正弦波を抽出することができるはずだ。もっと簡単には、象のペニスの長さを測定する力法もある(必ずしも安全とはい支ない)。しかしコソピュータ解析のほうが面白いし、フーリエ自身も自分の考え出した数学的技術がこのような、まったく想像していなかった目的に使われることを喜んでくれるに違いない。なぜ尿の跡が足跡やミミズの糞のように化石として残らないかはわからないが、もし残っていたら、われわれは、発情期の尿の跡という間接的な証拠からフーリエ解析を使って、絶滅したマストドンやマンモスのぺニスの長さを測定することが可能である。

しかし、コレ、「鼻白む」ってほどの下ネタか?

福岡ハカセはピュアなハートの持ち主なんですねえ。

スティーヴ・ジョーンズは自分の本のネタを提供してくれたし、ドーキンスの本からは週刊文春の連載のネタを持ってきてるのに、そうやって後ろ足で砂をかけるようなことをするなんて

福岡ハカセ、性格ワルッ!

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2008年10月19日 (日)

『できそこないの男たち』(1)

最初に断っておきますが、以下の文章は単なる非生産的な悪口に過ぎません。
『できそこないの男たち』に対するちゃんとしたレビューや、生物学的な知識を期待して読んでも時間の無駄になるだけです。
福岡伸一ハカセに(良い意味でか、悪い意味でかはともかく)興味を持っている人だけ、お読みください。

「福岡ハカセ、ネタを流用する」の巻

福岡ハカセの新著『できそこないの男たち』なんですが、真っ先に指摘しておかなければならないのは、この本のテーマが、福岡ハカセが翻訳を手がけたスティーヴ・ジョーンズの『Yの真実-危うい男たちの進化論』とソックリだということ。

できそこないの男たち』の内容がどういうものか、amazonの説明を見てみましょうか。

出版社/著者からの内容紹介
地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、生物の性は単一で、すべてがメスだった。
<生命の基本仕様>----それは女である。本来、すべての生物はまずメスとして発生する。メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸の役割を果たす"使い走り"に過ぎない----。
分子生物学が明らかにした、男を男たらしめる「秘密の鍵」。SRY遺伝子の発見をめぐる、研究者たちの白熱したレースと駆け引きの息吹を伝えながら《女と男》の《本当の関係》に迫る、あざやかな考察。

出版社からのコメント
○オビ表
          <生命の基本仕様>
           それは女である
サントリー学芸賞受賞作『生物と無生物のあいだ』を経て辿り着いた意欲作。《女と男》の《本当の関係》を知る
○オビ裏
   「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」

   シモーヌ・ド・ボーヴォワールはこう高らかに宣言した。
   しかし、これは生物学的に見て明らかに誤りである。
      
一方、『Yの真実-危うい男たちの進化論』の方は、こんな感じ。

出版社/著者からの内容紹介
縮み,衰え,生殖以外には役立たず.男の未来を暗示する染色体「Y」. 果てしない競争を続けてきた男が,実は「女のなり損ないである」という事実を突きつける,人類の半数必読!の書.

内容(「BOOK」データベースより)
男たちの未来を暗示する染色体Y。それは負け組の刻印なのか!?人類の半数必読の書。

何となく似てますね。
中身を見てみると、もっと似てますよ。
『できそこないの男たち』は買ってなくて手元にないのですが、この本は、光文社のPR誌『本が好き!』の連載をまとめたものなので、そっちから引用してみましょう。
たぶん、本になったものとあまり変わりないはずです。

 これまで見てきたとおり、生物の基本仕様としての女性を無理やり作り変えたものが男であり、そこにはカスタマイズにつきものの不整合や不具合がある。つまり生物学的には、男は女のできそこないだといってよい。だから男は、寿命が短く、病気にかかりやすく、精神的にも弱い。しかし、できそこないでもよかったのである。所期の用途を果たす点においては。必要な時期に、縦糸で紡がれてきた女系の遺伝子を混合するための横糸。遺伝子の使い走りとしての用途である。
 使い走りは使い走りとしての役目を一心に果たした。わき目もふらずに。それはアリマキの時代から、ヒトがヒトとなりアフリカを後にしたとき、ユ-ラシア大陸をはじめすべての大陸にまで及んだとき、そしてそれ以降いままで全く変わっていない。使い走りはずっとずっと女性に尽くしてきた。使い走りだけではない。女性の命ずるまま、命ずるものすべてを運んで来ようとした。

一方、『Yの真実-危うい男たちの進化論』の方はと言うと。

(略)生物学の研究によると、女ではなく男のほうこそが二次的な性なのだ。(略)

 「第1章 男はできそこない」より

かつて女性の生殖器は、男性の生殖器が裏返しになったものだと思われていた。いたって単純な考え方だ。しかし実際にはヒトゲノムの配列が解読されてみると、男女の違いは本当に微々たるものであることがわかった。男であることの謎など、生命の広大な神秘とはくらべものにならないくらい簡単な問題なのだ。現在の科学は「女の完成体が男である」という昔ながらの思いこみをきっぱりと否定した。ヒトの遺伝子はおよそ五万個だが、そのうち男だけがもつ遺伝子は、ほんのわずかである。Y染色体がそうした遺伝子の司令部となっており、この司令部からの命令によって、最初は女性であった退治が男への険しい道を歩むことになるのだ。

 「プロローグ 女になりきれなかった男」より

本書は、すくなくとも人類の半数の方がたにとって、興味深い内容になったと思う。これは男らしさとは何かという問いを探索する物語であり、少々受け入れがたい事実を認めていくプロセスである。すなわち、女性は男になりきれなかったものであるという古い考え方をくつがえし逆に、男こそが女になりそこなったものだという事実を明らかにする。

 「プロローグ 女になりきれなかった男」より

やっぱり、似てますよね。
しかも、第1章のタイトルは「男はできそこない」なのですよ。

これだけ似てると、意識的にネタを流用したというのは否定しがたいんじゃないかと思うんですが。
まあ、似てるといっても文章まで一緒と言うわけではないだろうし、独自のネタも盛り込んでるんでしょうから、パクリと言うつもりはありません。
しかし、どうしても

セコイ

と言いたくなる気持ちを抑えることができないのです。

実は、福岡ハカセが自分が翻訳を手がけた本からネタを流用するのは、これがはじめてではないのですが、その件についてはまた後で。

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2008年10月16日 (木)

福岡ハカセ、新刊発売!

今週は何となくやる気が起きず、更新も滞り気味だった当ブログですが、福岡伸一ハカセの新刊『できそこないの男たち』がとうとう店頭にならんだので、盛り上がらないわけにはいかないのです。

福岡ハカセ、新刊発売オメデトーゴザイマース

さっそく、本屋でサラッと立ち読みしてきましたよっ。
フムフム、ナルホド。
えーと・・・、何かちょっと読んだだけでツッコミどころが色々見つかったんですけど。
福岡ハカセ、急に人気者になったもんだから、ワキが甘くなっちゃってるんじゃないでしょーか。

ドーキンス・ファンの皆さんは、第1章にチューモーク!
福岡ハカセがドーキンスの悪口を書いてます。
なんでドーキンスの名前を持ち出す必要があるのか、読んでもサッパリわからないんですけどねっ。
おまけに、その悪口、思いっきりブーメランになっちゃってるんですけどねっ。
どういうことかは、エピーローグに目を通してもらえば分かります。
         
さて、これから色々悪口を書かなければならないんですが、買って読むつもりはサラサラありません。
福岡ハカセにお金を落としたくないからねっ!
買わずに、どうして悪口が書けるんだと思うかもしれませんが、まあ、どうなるか見ていてくださいな。

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2008年10月13日 (月)

GUTEVOLK+植野隆司+kazumasa hashimoto 2008.10.12

国立の地球屋にて。
「60名限定LIVE」ということだったんだけど、あそこ、そんなに入れたんだろうか。
とても小さな店で、せいぜい4,50人しか入れないような気がしたんだけど。
狭いおかげで、演奏者が至近距離にいて、親密な雰囲気で聴けたので感激。
おまけに全部生演奏だし。
GUTEVOLKのライブは映像に合わせて録音された音を使うことが多かったけど、やっぱり生演奏の方がいいな。

1曲目が「シェガ・ジ・サウダージ」だったので驚いた。
カバーが2曲とGUTEVOLKの曲が2曲とkazumasa hashimotoの曲が4曲、植野隆司の曲が1曲、だったかな。
2番目にやった口笛の曲が何か分かりません。
最後のやった、植野隆司の曲がとても良かった。

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「アンチ福岡伸一BLOG」は今月末まで

「期間限定」と言いつつ、いつまでか決めていなかったので。
「アンチ福岡伸一BLOG」は、とりあえず、今月いっぱいということにします。
私も、こういうのはちょっと下品だなと思ってるんですよ、ホント。

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「荒らし認定」されちゃいました

dankogaiに「荒らし認定」されてしまったようです。
トラックバックが通らなくて、コメントを書き込もうとしたら、こんな画面が。

Dankogai

「URL:」の欄にここのアドレスを書いていたのを抜いたら書き込めました。
ここにリンクされるのが嫌なようですね。

まあ、私もコメント欄で少々暴れすぎたかな、という気がしないわけでもないんですが(苦笑)、どうですかね。

別に文句はないですよ。
ブログのルールはブログ主が決めるものですしね。
トラックバックを拒否しようが何しようがお好きなように。

とりあえず、事実の報告まで。

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2008年10月11日 (土)

『安全。でも、安心できない…』

こんな本を待っていた!

安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書 746) Book 安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書 746)

著者:中谷内 一也
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

今日の日本での生活が、歴史的にも、他の国と比べても、豊かで安全なものであることを頭では理解しているのに、実際には安心を感じていないのはなぜなのか?
「安全なのに安心できない」という人びとの気持ちを社会心理学の観点から解説したスゴ本!。

今回は、dankogai風に始めてみました。

文章はとても読みやすく、2,3時間で楽に読み通すことができます。
章ごとのポイントが明確で、理解しやすい書き方になっていると思います。
主張を過度に一般化することを控え、仮説は仮説としてはっきり提示する著者の態度にも好感が持てます。

以下に概要をまとめます。

第1章

安全さえ確保できていれば安心を確保できると素朴に考えている企業や行政部門は多いが、「安心」は「安全」と違う。
「リスク認知研究」とは、科学技術や人間の諸活動、自然現象などによる事故や災害をどのように 認識しているのか、あるいは、生命や健康、財産を失ってしまう可能性、すなわちリスクの程度や性質をどのように受け止めているのかを明らかにしようとする研究分野である。

私たちは、経験によって身につけたパターン化された認識のまとまり、すなわち、”スキーマ”を利用して対象を解釈しようとする。
赤福偽装事件を例に考えてみると、赤福偽装事件は、最初の報道の段階では、できたてであるかのように偽って表示したことが問題であって、衛生面の安全性の問題ではなかった。
しかし、消費者は安心しなかった。
赤福の事件の前の一連の偽装事件から、消費者の頭には、「偽装をするような会社は、安全面でもきっと悪いことをしているに違いない」というスキームができあがっていたのではないか。
その後、実際に安全面でも問題があったことが発覚し、結果的には消費者の判断が正しかった。
安全性とは直接関係ないトラブルでも、人びとの安心は大きく損なわれることがある。企業や行政は、現実の安全性を高めようとするだけでなく、人びとのこころに向き合って、安心を高めることを考えなければならない。

第2章

私たちの生活は、分業により衣食住すべての領域において外部への依存性がたいへん高くなっている。
このような社会では安全を外部の専門家に委ねる場面も増えている。
人びとは、専門家が信頼に値するかどうかをどのように判断しているのか。

「二重過程理論」では、情報処理の過程が二種類あると考える。
情報処理の負荷が高い「中心ルートによる処理」と、情報処理の負荷が低い「周辺ルートによる処理」である。
個人があることがらに関して、何らかの意見や情報などを示された場合、
(1)その情報を詳細に処理するよう動機づけられているか
(2)その情報を詳細に処理できる能力があるか
によって情報処理のルートが異なる。
動機づけも能力もある場合は中心ルートの処理が進められ、動機づけと能力のいずれかが低い場合は周辺ルートによる処理が進められる。

知識や能力を欠いた領域では、信頼などを手がかりとした負荷の低いタイプによって判断をする傾向が強くなる。
つまり、信頼が安全判断や安心に影響するのは、その人の動機づけが低いか、知識が低い場合である。

信頼には非対対称性がある。
信頼を得るにはたくさんの肯定的実績の積み重ねが必要で長い時間を要するが、信頼性を失うにはたったひとつの否定的な事実で十分である。
単純な非対対称性モデルでは、社会的な信頼は全体として悪化する一方のように思えるが、実際はそうなってはいない。
単純な非対対称性モデルではうまく当てはまらない部分も説明するモデルとして、二重非対称性モデルが提唱されている。
二重非対称性モデルでは、人は事前の信頼レベルを維持する方向で、後続する情報を受け止める、と考える。
信頼されているリスク管理責任機関はますます信頼を高めやすく、信頼のないリスク管理責任機関はますます信頼を失いやすい。
低い信頼性を肯定的なできごとの積み重ねで少しずつ高めていき、それをあるレベルにまで到達させることができれば、人びとからの信頼性は安定する、と二重非対称性モデルは予測する。

第3章

それでは、どのような要素が備わっている人が信頼され、どのような場合には信頼されないのか。

信頼研究者は、「動機づけ要因」と広い意味の「能力要因」の2つが信頼を導くと結論する。
「能力」とは、特殊な安全管理技術だったり、専門知識であったりし、「動機づけ」とは、リスク管理への取り組みのまじめさであったり、立場の公正さであったり、リスクにさらされる人たちへの思いやりであったりする。

リスク管理に携わる人間が信頼を得るためには、高い技術力を持っていると認識されることも重要だが、リスク管理の姿勢をどう評価されているか、という点を配慮することも必要である。

第4章

「動機づけ」や「能力」といった要因とは異質の要因によってリスク管理者への信頼が決まるという考えが現れた。
それは、リスク管理者と自分とが同じ価値を共有していると感じられるとき、リスク管理者への信頼が生まれるという考え方である。
これが、主要価値類似性モデル(SVSモデル)である。
リスク管理の領域に当てはめて言うと、ある個人が、リスク管理者は当該問題を自分と同じようにとらえ、問題解決のプロセスや結果において何を重視すべきか、という考えを共有していると感じるとそのリスク管理者を信頼するということである。

それでは、従来の従来の社会心理学の信頼既定要因のモデルとSVSモデルの関係はどうなっているのか。
従来の従来の社会心理学の信頼既定要因のモデルは問題への関心の低い人の信頼をうまく説明し、SVSモデルは比較的関心の高い人の信頼を上手く説明するのではないか、と考えられる。
つまり、関心の高い人にとってのリスク管理者に対する信頼判断は、すでに自分の中で明確になっている価値を相手が共有しているかどうかを判断することであり、相対的に能力評価や動機づけ評価の重要性は低くなる。
関心の低い人では、相手の動機づけや公正さ、能力などへの評価が、信頼できるかどうかの判断の上で重要な要素となり、相対的に価値類似性評価の重要性は低くなる。

第5章

リスク認知に関するバイアスの一種に一次的バイアスと呼ばれるものがある。
これは、あまり発生しない望ましくないこと(薬物常用者による殺人、人質立てこもり、等)については発生頻度を過剰に推定してしまい、逆に、たいへん多く発生している望ましくないこと(空き巣、ひったくり、等)に対しては、発生頻度を過少に推定してしまうという認知傾向である。

低頻度犯罪に対する過大評価、高頻度犯罪に対する過少評価は、「不安感情」によっても説明できる。
身体に危害が及ぶ犯罪について考えるときは強い不安感情が引き起こされ、その影響によって発生件数が過大に見積もられてしまうのではないか、ということである。

ヒューリスティクスは、簡単なルールで解を導く、情報処理負荷の小さな「判断の近道」である。
前の章で見た、「信頼できるあの人が危ないといっているのだから、私もそれは遠ざけておこう」という判断のしかたも、そのひとつの形である。
リスク認知において最も重要なヒューリスティクスが感情ヒューリスティクスである。感情ヒューリスティクスとは、対象を見聞きしたときに感覚的に抱く「嫌な感じ」「好ましい感じ」という、ネガティヴ、もしくは、ポジティヴな内的経験を手がかりとする判断法である。

人間は、意識的で、分析的な「理性的システム」と、無意識的、自動的に働く「感情システム」の二つの情報処理システムを持っている。
「感情システム」は進化の過程の中で育まれたものであって、感情に基づく判断からは完全に逃れることはできない。                  

終章

最近では、能力認知と動機づけ認知を強調する従来からの考え方と主要価値類似モデルとを統合したような理論も提唱されている。
Trust,Confidence and Cooporation(TCC)モデルである。
TCCモデルでは、価値の類似性認知が動機づけ認知を導き、また、過去の実績が能力認知を導き、両者が相まってリスク管理組織への協力へと人びとを向かわせると考える。

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またまたdankogai

dankogaiのブログを見にいって愕然。
つい2,3日前に店頭に並んで、その日のうちに買って、ここで取り上げようとしていた中谷内一也の『安全。でも、安心できない…』がレビューされていたからだ。

例によって出版社から献本されたものだそうで。
先を越されちゃったよ、こういうのはズルイよなあ、やる気なくすよ、と思ったのだが、レビューを読んで、考えが変わった。

全然見当はずれじゃん。

これなら、こっちで取り上げる意義は薄れてないな、ということで安心した。

dan君さあ、アナタまともに読んでないでしょ?
読んでたら、こんな見当はずれ書くわけないもんね。
「提供者に出来るのは、安全まで、なのである。それを安心に転化するのは、本来利用者の仕事なのである。」ってどういうこと?
そんなこと、この本に書いてないでしょ?
むしろ正反対でしょ?

出版社から献本されて、ちゃんと読んだふりしてレビューを書いてアフィリエイトで小銭かせぎできるんだから、アルファブロガーってのはいい御身分だよな。
こっちは、まだポイントがたまってないから一円も得してないよ。
いや、別に小銭かせぎのために書いてるわけじゃないから別にいいんだけどね。

出版社の皆さんもさ、この人に献本するのいい加減止めません?
まあ、売り上げには貢献してるんだろうけどさ。
自分が手がけた本がいい加減な紹介されてうれしいですか?
ちょっと考え直したほうがいいと思いますよ。

と言うわけで、ちゃんとした紹介は私がやってあげましたので、次のページへGO!

『安全。でも、安心できない…』

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I am Robot and Proud 2008.10.10

茂木健一郎先生が、朝ブログを書くと脳にいいって言っていたので、朝に書いてみました(嘘)。

I am Robot and Proudを観に、渋谷のタワレコへ。
1曲目はTENORI-ONを最前列の観客に触らせて作ったパターンを基に演奏。
2曲目でもTENORI-ONを使っていたけど、それ以外はキーボード弾きまくり。
全部で5,6曲演奏。
私は楽しめたけど、他の人はどうだったのかな。
盛り上がってるんだか盛り上がってないんだかよく分からない雰囲気だったけど。

ライブを観た後、洋書のフロアに上がっていくと、FUNKYな感じのリズムギターが聴こえてきた。
James Brown?とか思って耳を澄ますと

プ、プリンス様だ!

もしや、と思って音楽書のコーナーを見てみると、あった!

『21 Nights』

21 Nights Book 21 Nights

著者:Prince
販売元:Atria Books
Amazon.co.jpで詳細を確認する

写真集なんだけど、バカでかいです。
まあ、本当は写真集自体はどうでもよくて、目当ては付属のライブ。
去年ロンドンでやったアフターショーを収録したもので、曲目は以下の通り。

3121
GIRLS & BOYS
SONG OF THE HEART
DELIRIOUS
JUST LIKE U(monologue)
SATISFIED
BEGGIN' WOMAN BLUES(new song)
ROCK STEDAY/featuring Bervely Knights
WHOLE LOTTA LOVE
ALPHABET STREET
INDIGO NIGHTS
MISTY BLUE/featuring Shelby J.
BABY LOVE/featuring Shelby J.
THE ONE
ALL THE CRITICS LOVE U IN LONDON

7000円ちょっとしたけど、買いましたよ。
プリンス様のためならこんなの安いもんですよ、ええ。
ゴミみたいなJ-POPのCDが3000円とかで売られてるんだから、プリンスのCDなら1万円でもおかしくないですよ、マジで。

洋楽のフロアに降りていって、フアナ・モリーナの新作を発見。
来日ライブがあることを知るが、場所がビルボード東京。

なんでそんなバブルなところで。

もっと普通のライブハウスにしてほしかったよ。

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2008年10月 9日 (木)

『懐疑論者の事典』

福岡伸一ネタは一休み。

さっそく買ってきましたよ、『懐疑論者の事典』。
少々値段が高いので上巻だけにしといたけど、そのうち下巻も買います。
ペラペラ眺めているだけでもなかなか楽しいですな。
中に一項目、ブログのネタに使えるものを見つけてニヤリ。
そのうち書きます。

とりあえず、不満は値段と帯の推薦文が宮崎哲弥ってことだけですね。

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2008年10月 8日 (水)

氏か、育ちか

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの福岡伸一ハカセは、遺伝学にもケンカを売っちゃいます。
ピアニストの小菅優との対談にて。

おっしゃるとおり、天才は「育ちによって生まれる」が正解です。私たち分子生物学者はDNAを調べますが、DNAの中に、ピアノや砲丸投げの才能を譲り渡す遺伝子が実在しているわけではないのです。遺伝子には、その人間が「どのように生きていくか」について何のプログラムも書かれていません。ですから、「氏か、育ちか」と聞かれたら、生物学的な答えも「育ち」となるのです。

「ソトコト」 11月号

そりゃまあ、「ピアノの天才の遺伝子」は存在しますか?と訊かれたら、生物学者は「そんなものはありません」と答えるでしょうね。
だからと言って、「ピアノの才能は遺伝とは全く無関係だ」と遺伝学者が考えているわけでもないでしょう。

行動遺伝学の安藤寿康は、遺伝をめぐるさなざまな誤解を列挙していますが、そのうちのいくつかを紹介しましょう。

⑥環境は遺伝ではない
 「遺伝」と「環境」という概念を対立するものとして用いることからくる誤解である。第5章で紹介したように、一人一人が作る環境は、その人の遺伝子型のいわば「延長された表現型」であるといえる。自分からどんな環境を選択するか、あるいは人からどんな働きかけを受けやすいかによって遺伝的影響も変わる。その意味で、環境は遺伝の一部だといえる。ただし環境として個人の外部にあるものであるから、他者が意図的にそれを変えようと思えば変えられる可能性がある。遺伝と環境を互いに不可侵の独立した原因と考えてはならない。

⑦遺伝は環境ではない
 これは⑥の裏返しで、やはり人々がしばしば陥る遺伝と環境の二分法に基づいている。「遺伝的なものは自動的に発現する」という誤解にもあったように、行動や学習への遺伝的な影響はその行動や学習が成立する場としての文化的環境が与えられて初めて発現するという意味で、遺伝は環境に依存する。また遺伝と環境の交互作用効果があるときには、遺伝の発現の仕方が環境条件によって左右されるので、これも遺伝の影響が環境と密接にかかわってくる。そもそも遺伝情報とは、長い進化のプロセスを経て、地球上の何らかの環境に適応したものの遺産であるから、その意味でも遺伝には環境が反映されているのだ。
 
⑧遺伝だと原因遺伝子が存在する
 心が遺伝的である以上、遺伝子がかかわっていることは確かであり、人と異なるタイプの遺伝子を持っていれば、異なった行動や物の考え方感じ方をするだろう。しかしここに単純な因果律を想定し、この遺伝子があった「から」こういう行動が発生したと考えることには十分慎重でなければならない。遺伝子がかかわるのはアミノ酸を特定する配列の仕方であり、心理現象そのものではない。ひとつの心理現象にかかわる遺伝子は非常にたくさん存在し、その組み合わせの全体の効果として遺伝的効果が現れる。このときどれか一つの遺伝子を、その形質の原因遺伝子と考え、「○○遺伝子」と呼ぶことは避けるべきである。行動的、心理的形質が示す一人一人の全体的特徴--それが遺伝的資質とか持って生まれた性格などということばで表現されるのである―-は、数多くの遺伝子の相加的、非相加的効果の総体から生まれるものであり、特定の1つまたは少数の遺伝子の影響として理解することが難しい場合が少なくないのである。

⑩遺伝決定論者がいる
 本書を読んで、「また遺伝決定論者がのさばりだした」と思う人が出てくるかもしれないが、これも議論を不毛に陥らせるつまらぬ誤解だ。これまで環境の影響を全く認めない純粋がちがちの「遺伝決定論者」などいたためしはなかった。遺伝決定論者をあたかも実在しているかのように扱うのは、それに対立する環境重視論者であることが多い。遺伝論者といわれる人は、遺伝と環境の両要因に目配りをしながら、その両方の効果を指摘しようとする人たちに対して、環境重視論者が、ちょっとでも遺伝的影響について積極的な発言をされるのを嫌悪して一方的に貼りつけたレッテルだといわざるを得ない。
 
  『心はどのように遺伝するか』

心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観 (ブルーバックス) Book 心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観 (ブルーバックス)

著者:安藤 寿康
販売元:講談社
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  遺伝学者からすれば、「氏か、育ちか」という二項対立は、問題の立て方自体が間違ってるんですよ。

 要するに、ここで福岡ハカセがやっていることは、いもしない極端な「遺伝決定論者」の像を作り上げておいて、それを否定することによって別の極端な結論(この場合は「環境決定論」)を受け入れさせようとする、ということで、「藁人形論法」ってやつですね。
 
  ついでに、福岡ハカセの文章をもう一つ。
  前にも取り上げたやつですが。

 こんな調査がある。スポーツ、芸術、技能、どのような分野でもよい。圧倒的な力量を誇示するプロフェショナルというものが存在する世界がある。そんじょそこらのアマチュアなど全く寄せ付けないプロフェショナルたち。そのような人たちがいかにして形成されたのか。それを調査したものである。
世界的コンクールで優勝するピアニスト、囲碁や将棋の名人たち、トップアスリート。彼ら彼女らについて、ふつう私たちは半ばため息をつきつつ、次のように感じている。あのような人たちは天賦の才能の持ち主なのだ。われわれ凡人とはそもそも出来が全く異なるのだと。
 ところがプロフェッショナルたちの多くはみな、ある特殊な時間を共有しているのである。10000時間。いずれの世界でも彼ら彼女らは、幼少時を起点として少なくとも10000時間、例外なくそのことだけに集中し専心したゆまぬ努力をしているのだ。10000時間といえば、1日3時間練習をしたりレッスンを受けるとして、1年に1000時間、それを10年にわたってやすまず継続するということである。その上に初めてプロフェッショナルが成り立つ。
 DNAの中には、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在してはいない。DNAには、人を生かすための仕組みが書かれてはいるが、いかに活かすかについては一切記載はない。プロの師弟はしばしば同じ道に進むことが多く、それは一見、遺伝子のように見える。けれどもおそらくそうではない。親はDNAではなく環境を与えているのだ。やはり氏より育ち。DNA研究者の偽らざる感慨である。

日本経済新聞 夕刊『10000時間』2008.8.21

「才能のある人間でもプロフェッショナルになるには努力が必要だ」ということは「誰でも努力すればプロフェッショナルになれる」ということではないのですが、福岡ハカセはワザと読者がそのあたりを混同するような書き方をしているからタチが悪いですね。

これに対しても、安藤寿康の本からの引用で答えておきましょう。

 人間の学習には、このような学習を成立させる「場が埋め込まれる場」としての環境の存在がきわめて重要である。言語にしても直立歩行にしても、いかに生物学的に組み込まれたかのように見える行動でも、このような社会的な場なしに、自動機械のように遺伝的プログラムによって発現し出すことはないことがわかってきた。狼に育てられたアマラたちが言語を使えるようにならなかったのは、単にヒトの言語を聞いたことがないというだけでなく、それを使用する状況に埋め込まれていなかったからと考えられる。この意味で、言語をはじめとして、人間の文化的、社会的行動が自然に引き起こされるための環境や状況の重要性はきわめて大きい。そして現在、心理学では、このような「状況主義」が大変流行している。

しかしながら、このように状況に埋め込まれているという意味で環境が重要であるとしても、だからといって環境がすべてというわけでもなければ、遺伝の意味がかき消されてしまうわけでもない。環境には、前述のように、誰にとっても当てはまる一般的な場や舞台を与えるものとは別に、一人一人にとって異なり、個人差を生み出す原因としての環境がある。
 たとえばいつもがみがみと弟子の欠点を罵倒ばかりしている親方の仕事場では、いつも雰囲気が緊張し、弟子たちは失敗をおそれてびくびく仕事をしているのに対して、おおらかで少々の失敗は大目に見てくれる親方のもとでは、みんなのびのびと仕事ができるということがある。このような違いは、親方のかかわり方という環境の違いによって説明できそうである。
 しかし同じ仕立屋のもとに弟子入りした見習いでも、仕立屋として一人前になる時間や仕立屋としての力量に個人差があるのはどうしてなのだろう。優秀な仕立屋の仕事場にも出来の悪い見習いはいるし、逆に大したことのない親方のところでいい職人が育っていることも少なくない。
優れた見習いは同じ状況下にあっても、より上手に周りの手がかりを利用するだろうし、そういう見習いにはどんどん新しい仕事、難しい仕事がまわってくるだろう。この個人差は、単純にもともと与えられていた状況や環境の差では説明できない、むしろ一人一人の行動の差によって作られてくるものである。
 能力の個人差は決して状況だけでは説明されず、やはり本人に内在する何らかの特性を仮定しなければ説明かつかない。その意味で、現在心理学で流行している「状況主義」は偏った見方をしていると思われる。仕立屋になるには仕立屋としての環境が周りにあることが必要であるが、仕立屋としての能力の個人差は、その人を取り巻く直接の環境や状況の差だけでは説明できないのだ。

  『心はどのように遺伝するか』

ここから先は余談。
小菅優は、ラ・フォル・ジュルネで茂木健一郎とも対談していましたね。
「新進気鋭のアーティスト」と呼ばれるような人間には、他人の名前を利用しようとする「キタナイ大人たち」が群がってくるから、気をつけたほうがいいと思いますね。
この前、誰それと対談した、とか言って雑誌の連載とかブログのネタにするエセ科学者とか。
大した害はないかもしれませんが、そういう連中の相手をするのは時間の無駄ですし。 
  「日経ビジネス アソシエ」10・21号から、映画プロデューサー、マックス桐嶋の言葉。

  腕まくり以外にもう一つ、中年を迎えた男女がしたがること。それが「知ってるアピール」です。
 ロケ先で、中堅俳優が若手女優に「スピルバーグ監督と会った時は…」「ショーン・コネリーと共演した時は…」と、自分の過去の経歴をひけらかしていました。
 ランチの際、隣り合わせた若手女優が僕にこう言いました。
「ネームドロッパー(他人の名前を引き合いに出して自分の格を上げようとする輩)は、『自分は人の名前や業績なしでは取るに足らない人間です』と拡声器で吹聴しているのと一緒だと気づいてないみたい…」
(略)
 自分がネームドロッパーと化している瞬間は、自分では気づきにくいかもしれません。そういう時は、他人の名前や自分の過去の業績といった、自分の内面以外の要素をネタに話を進めている自分にハッとすることです。そして、他人の自慢話やネームドロッピングが、自分の耳にどう聞こえるかを思い起こすことです。

茂木健一郎には、「ナンバーワン・ネームドロッパー・イン・ジャパン」の称号を与えたいですね。

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サイエンスアゴラ2008

11月22日から24日の3日間サイエンスアゴラが開催されるそうで、こういう試み自体は結構なことだと思うので、あまりケチをつけるようなことは書きたくないのですが、参加者の顔ぶれを見てみると、どうも・・・。

「疑似科学とメディア」パネル討論 日時 : 11月23日(日) 17:30-19:00
主催 : 日本学術会議 科学と社会委員会科学力増進分科会
登壇者 : 池内 了(総合研究大学院大学 理事)、毛利 衛(科学と社会委員会科学力増進分科会 委員長、日本科学未来館 館長)、佐倉 統(東京大学 教授)、鈴木 晶子(京都大学 教授)/司会 ほか
内容 : 疑似科学がいろいろと取りざたされていますが、むしろ疑似科学を反面の鏡として、現代の科学がその「科学性」をいかにして担保すべきかを考えます。そこからは、日常感覚としてとらえた科学のあり方が自ら浮き上がってくるものと期待されます。

池内了が「疑似科学」を議論・・・。

ウーーン。

「科学で街を元気に!科学フェスティバルは地域を活性化できるか?」シンポジウム 日時 : 11月23日(日) 15:00-16:30
共催 : 21世紀科学教育の創造ワーキンググループ
登壇者 : 中谷 健太郎(元 湯布院映画祭 主催者)、元村 有希子(毎日新聞社 記者)、清原 慶子(三鷹市長)、西尾 正範(函館市長)、美馬 のゆり(公立 はこだて未来大学 教授)、縣 秀彦(国立天文台 准教授)/司会

元村「ゲーム脳」有希子・・・。

ウーーン。

「総括セッション ~未来の地球 日本からの提案」シンポジウム 日時 : 11月24日(月・祝) 15:00-17:00
登壇者 : 吉野 彰(旭化成グループ フェロー)、上田 昌文(NPO法人 市民科学研究室 代表)、香山 リカ(立教大学 教授)、永山 國昭(サイエンスアゴラ 実行委員長)ほか

香山リカが「総括セッション」に・・・。

ウーーン。

「理系作家トーク」トークショー 内容 : 人気サイエンスライターにご登壇頂き、科学を活字で語る可能性を含めて縦横的に語って頂きます。

タイトル : 「科学を語る言葉」
日時 : 11月23日(日) 12:30-14:00
登壇者 : 福岡 伸一(青山学院大学 教授)、最相 葉月(ノンフィクションライター)、渡辺 政隆(サイエンスアゴラ 事務局)/司会

タイトル : 「スピリチュアルブームをぶっとばせ!」
日時 : 11月24日(月・祝) 13:00-14:30
登壇者 : 香山 リカ(立教大学 教授)、植木 不等式(サイエンスライター)、渡辺 政隆(サイエンスアゴラ 事務局)/司会

ここにも香山リカが登場。
おまけに福岡 伸一って・・・。

なんか、地雷踏みまくってる ような気がするんですけど。

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ノーベル賞

「大してうれしくない」=時折笑みも-ノーベル賞受賞決定に益川さん・京都
10月8日0時35分配信 時事通信

 「(受賞は)大してうれしくない。研究者仲間から『正解だったよ』と言ってもらうのがうれしい」-。京都産業大で記者会見に臨んだ益川敏英さん(68)は「理論屋」らしく、小難しい顔で受賞決定について分析した。
 論文発表から実に35年後の吉報に「人ごと。(受賞の)可能性があるとしたら今年だと思っていた」と話し、「われわれが言ったことが正しいことが分かったのは、2002、03年の実験。あとは社会的お祭り騒ぎだけ」と冷静な口ぶり。
(略)

カッコイー。

世の中には、「ノーベル賞100個分」とか言って、「社会的お祭り騒ぎ」の方を先に起こそうとする「科学者」もいますけどね。
ま、これは余計なイヤミでした。

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「棲み分け」キターーーッ

福岡ハカセが、また性懲りもなくダーウィニズムに対する逆宣伝を・・・。

ニッチ(niche)という言葉がある。本誌の読者なら、まず、ニッチ産業とかニッチ市場が思い浮かぶだろうか。しかし、ニッチには本来、スキマという意味はない。ニッチとは、巣(nest)と同じ語源を持つ言葉であり、生物学では生態学的地位すなわち自分の適所という意味である。
 ほとんどすべて生物は、自分の生活空間を限定し、食べるものを限定している。つまり、ニッチを持ち、ニッチを守っている。そのことによってできるだけ他種との競争を避け、棲み分けを行っているのだ。もし、生物の原理が、適者生存・弱肉強食のみであったなら世界はこれほどまでに多様性に満ちてはいなかっただろう。

日本経済新聞 10/2 夕刊

「棲み分け」キターーーッ!!!

今西理論キターーーッ!!!

「もし、生物の原理が、適者生存・弱肉強食のみであったなら世界はこれほどまでに多様性に満ちてはいなかっただろう」っていうのは、ダーウィニズムに対するイヤミのつもりなんでしょうけど、実際にはイヤミにもなっていない。
「弱肉強食」っていう自然淘汰のイメージが致命的に古いです。

テレビの自然もののドキュメンタリーなんかで、カモシカが豹に襲われて「自然界には弱肉強食という厳しい掟が…」なんていうのは、淘汰とはあまり関係ない。
競争はカモシカと豹の間ではなくて、豹の間やカモシカの間で行われてるんですよ。
豹の間やカモシカの間で、どういう性質を持つものが子孫を残すのに成功するか、という競争なわけで、そういう競争は、ただ自然を観察をしていても見えてこない。
要するに、「棲み分け」っていうのが自然を横に見ているのに対して、「進化」っていうのは縦に見ているわけで、そもそも対立するようなものじゃないんです。
自然のある瞬間を切り取ってみて、「ホラ、棲み分けしてるじゃないか」なんて言っても、自然淘汰は否定できないのですよ。

そもそもダーウィニズムっていうのは、まさに「多様性」を説明するものなんですけどね。
なぜか、その点が世間ではあまり理解されてないんですよねえ。
「進化」っていう「進歩」のことばかり考えてしまう。

福岡ハカセは本当にそのあたりを分かってないのか、分かった上でわざとやってるのか。
何にしろ、福岡ハカセのダーウィニズムに対する逆宣伝は目に余りますね。

そのくせ、先週出た週刊文春の連載では、自分が翻訳した『虹の解体』からネタをそのまま持ってきたりしてるし

あやまれ! ドーキンスにあやまれ!

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2008年10月 7日 (火)

ブログタイトル変更

この際なので、期間限定でブログのタイトルを変更することにしました。

「そこまでやるかよ、キモッ!」

という声は無視させていただきます。

大長編ドラえもん「のび太と鉄人兵団」から、ドラえもんの名セリフを引用して、今の私の胸の内を代弁させてみたいと思います。

マジだぜ!!

Dora

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アンチ福岡伸一キャンペーン開催

今月17日に新著『できそこないの男たち』が発売されるということで、福岡伸一に対する世間の注目度がさらに高まることが予想されます。
そこで、当ブログでは、当分の間、福岡伸一に対する悪口を中心に書いていきたいと思います。
「批判」などとお上品なフリをするつもりはありません。
「悪口」であり「否定」です。
私は、福岡伸一という人間が一刻も早く目の前から消えることを心から願っているのです。

「オマエ、どんだけ福岡伸一のことキライなんだよ」
「そんな細かいとこまでツッコミ入れるか?」
「しつこすぎて、かえってヒク」

そんな声が聞こえてきそうですが、カンペキに無視させていただきます。

「粘着」と言われようが何と言われようが気にしません。

私の福岡伸一に対する嫌悪感と侮蔑の念は強まる一方なのです。

「外野の声など知ったことか!」

という態度で書かせていただきますので、よろしく。

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2008年10月 6日 (月)

ウナギイヌは遺伝子組み換えへの警鐘だったらしい

先日の赤塚不二夫の死去に際しては、故人をたたえる言葉がメディアに溢れました。
私自身は赤塚不二夫にはあまり思い入れがないのですが(藤子・F・不二雄夫には思い入れがあるんですが)、タモリの弔辞にはやはり感動しました。
しかし、数ある故人をたたえる言葉の中でも最もユニークなのは、田中康夫の次の言葉でしょう。

田中 父は犬、母は鰻なのに、種を超えた強い愛から生まれた奇跡の愛の結晶と公式HPに記されているウナギイヌは、笑いを誘いながらも遺伝子組み換えやクローンへの警鐘となっているからね。その先見性たるや、哲学者を超えているよ。

「ソトコト」10月号 憂国呆談

ウナギイヌは遺伝子組み換えへの警鐘だったって

マジっすか!? 田中センセイ。

「種を超えた強い愛から生まれた奇跡の愛の結晶」「遺伝子組み換えへの警鐘」って、なんかヘンな感じがするんですけど。

フランスの生物学者フランソワ・ジャコブは、こう書いています。

 しかし、遺伝子工学は熱狂的な歓迎とともに、敵意もひき起こした。それは生物学にたいする不信の主要原因のひとつとなった。騒がれているような危険性が問題だからではない。そうした危険性は、病原性のバクテリアやウイルスに関する実験でずっと以前に乗り越えられた危険性以上のものではない。遺伝子工学にたいする不信の真の原因は、ある生物から取り出した遺伝子をべつの生物に入れるという考えが、わたしたちの心を乱すからである。「遺伝子操作」とか「DNA組み換え」と呼ばれるものは、なにか超自然に手をつけるように見えるのだれは苦悩する人間のこころに刻みこまれた神話を、時の闇の奥からふたたび登場させ、怪物の姿がひき起こす恐怖感、自然に反する交雑や結合にたいする嫌悪感をかき立てている。
 このことを納得するには、過去に描かれた「最後の審判」図を眺めればじゅうぶんだろう。
たとえば、ヒエロニムス・ボッシュのものを見よう。ボッシュの描く地獄図は、想像できうる限りのおそろしい怪物であふれている。そこで罪人を拷問するおぞましい怪物は、まさに自然に反した交雑物である。魚と大、鼠と昆虫、人間と鳥の混合体というぞっとするような怪異な生物。ボッシュにとって、苦悩を生み出すもっともよい方法は、日常の秩序に想像界の混乱を対置することだった。遺伝子工学の実験が思い起こさせたのは、まさにそうした古くからの悪夢である。遺伝子工学は不吉な知を思い出させた。それは禁じられた知、手に入れてはならない知の典型そのものだった。遺伝子工学は神から大を盗み出して罰せられたプロメテウスを想起させたのである。殼大のスキャンダルは、生命の根幹にある物質を、いとも簡単に手先でいじくることができるということだった。人間の誕生というこの世でもっとも素晴らしい物語、あるいはもっとも困難な問題を、遺伝子工学はいとも手軽に取り扱った。精子と卵子が出会って結合し、受精卵が分裂をはじめ、細胞が二つになり四つになり、やがて小さな玉、そして袋くらいの細胞の塊になり、力を秘めたその小さな存在の内部に、徐々に神経細胞が形成される。
それはやがて話し、計算し、絵を描き、バイオリンを演奏し、車の波をかきわけて道を横断し、一冊の本を書くことを可能にする,その小さな細胞の塊のなかには、代数と音楽、統辞法と意味論、幾何学と対位法が含まれている。これよりファンタスティックな物語を想像できるだろうか。それを手先でいじくるとは、いったいなんということだ!

『ハエ、マウス、ヒト』

田中センセイの理屈だと、ボッシュは500年前に既に遺伝子組み換えやクローンへの警鐘を鳴らしていた、ということになってしまうんですが、いかがなもんでしょうか?
実際には、「古くからの悪夢」の延長線上にボッシュの絵があり、そのまた先に遺伝子工学に対する嫌悪がある、と言うことではないでしょうか?
「ウナギイヌは遺伝子組み換えへの警鐘」というのは、これを逆向きに見た上に、ウナギイヌをそこに投影してしまった結果ではないでしょうか?

田中センセイも、福岡伸一以外の生物学者の本を読んで勉強をなさったほうがいいのではないでしょうか。
こういう発言を注意もせず聞き流してしまう浅田彰もどうかと思いますけど。

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2008年10月 4日 (土)

「樺島勝一展」弥生美術館

樺島勝一の名前を初めて目にしたのは、広瀬正の『マイナス・ゼロ』を読んだ時。
タイムマシンで昭和七年に戻った主人公が、居候先の家族の男の子と会話するシーン。

 「ちょっと見せてくれる? よごさないように気をつけるから」
 俊夫は、そうことわって、タカシ秘蔵の本の中でも一番新しい少年倶楽部六月号をひき技いた。
 表紙を見ると、上部に赤い宇で「少年倶楽部」と右から左へ書いてあった。下には「我等の空軍號」とある。表紙の絵は飛行機だった。
 「この飛行機は、ええと……」
  俊夫が、また苦吟していると、タカシがいった。
 乙九一式戦闘機だよ。少し本物よりカウリングが小さくて、胴体が大すぎるんだ。斎藤五百技は、飛行機の絵はうまくないや。樺島や御水の方がいいな」
 たしかに、その通りだった。九一式戦闘機なら、俊夫も知っているが、こうデフォルメされていては、わからないのも無理はない。
 昭和二年、陸軍は中島、三菱、川崎の三社に国産戦闘機の競争試作を命じたが、その中から昭和六年に合格採用されたの、が、中島製の、この九一式戦闘機だった。基礎設計にあたったのは、中島がフランスから招いたマリー技師とロバン助手。ジュピター四百五十馬力の空冷式発動機をそなえ、最大時速三〇〇キロという、当時の最新鋭戦闘機だった。
 「そうだね」と俊夫は子供のころを思い出していった。「樺島勝一や鈴木御水の絵はいいね」
  俊夫は、壁に貼ってあるタカシの絵が、この両画伯の作風を真似していることに気がついた。
軍艦の下に書いてあるヘチマのスポンジみたいなのは、樺島式の波のつもりらしい。
 タカシは、同好の土を得て、目を輝かせた。
 「ふーん。その本の中に出てるよ。『吼える密林』のさし絵は御水で、『亜細亜の曙』は樺島なんだ」

その十数年後、黒田硫黄のインタビューの中で「樺島勝一」の名前を目にしたときは、広瀬正と黒田硫黄という私の好きな作家が思わぬところで結びついてうれしかったな。

--好きな画家っていますか。

黒田 あまり好きな画家っていう風には考えないんです。いっぱいいると言えばいっぱいいいるし。普通にいい絵は好きですけど。でかい油絵を直に見るとすごいなあとは思いますね。印刷と違って、飛び出して見えます。ま、いくらか画集やら図録やらがトイレに並べてあったりするんですけど、で昨日ミロの画集を見ていたら、落書きみたいなんだけどこれはやっぱりうまいなあと思いました。うまいというかきちんと絵になっているんです。不思議だ。あれはなにかしらの秘密がありますね。具象だと樺島勝一の船の絵をずっと眺めたりします。特に具象がいいということはないんですけど。

ユリイカ 2003年8月号

と言うわけで、弥生美術館で「樺島勝一展」が開催されると知り、さっそく観に行ってきました。

生誕120年記念 ペン画の神様 樺島勝一展
-写真よりリアルな密描画-

 1920~30年代を中心に活躍した挿絵画家、樺島勝一(1888~1965)は、当時人気のあった少年雑誌『少年倶楽部』に迫力のある挿絵を描き、少年たちを熱狂させました。その卓越した描写力は「写真よりリアル」と謳われたほどで、「船のカバシマ」「ペン画の神様」とも称されました。
 一方で、1923年には、日本で初めて吹き出しを用いたマンガ『正チャンの冒険』も手掛けており、後に主人公「正チャン」が被っていた帽子は、「正チャン帽」として商品化され、大ブームになりました。
 本展は、樺島勝一の生誕120年を記念した本格的な回顧展です。初公開の作品も展示し、生涯の画業をたどります。
 
会期: 2008(平成20)年10月2日(木)~12月23日(火・祝)

挿絵の掲載された当時の雑誌のほかに原画も多数展示。
印刷されたときのことを考えてか、コントラストが強めに書かれていて強烈な印象を受けました。
得意の船の絵は、やはり原画で見るとかなり迫力があって、特に波の表現の精細さがすごかった。
『正チャンの冒険』も、モダンな感じのすっきりした絵柄で私の好みだったな。

ということで、広瀬正ファンと黒田硫黄ファンは、迷わず弥生美術館にGO!

ついでに、竹久夢二美術館の方も。
    
夢二がロシアバレエ団〈バレエ・リュス〉の頃の作品でバルビエの絵を模写したものが2点あって面白かった。
私はバルビエ好きなので。    

永遠のエレガンスを求めて―ジョルジュ・バルビエ画集 Book 永遠のエレガンスを求めて―ジョルジュ・バルビエ画集

著者:ジョルジュ・バルビエ,鹿島 茂
販売元:六耀社
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帰りに、展覧会に併せて出版された「樺島勝一 昭和のスーパーリアリズム画集」も買ったんだけど、こちらは残念な出来。
印刷の質のせいか、ペン画の精細さが表現されてなくて、弥生美術館で観たときの迫力がほとんど感じられない。
絵の一部をトリミングして拡大したものも何点かあって、構図が台無し。    
「亜細亜の曙」の挿絵のような代表作に偏っていて、探偵小説雑誌や『飛行少年』に掲載された初期の挿絵がほとんど取り上げていないのも不満。    
こちらは迷わずお奨め、というわけにはいかないのです。 

樺島勝一昭和のスーパー・リアリズム画集 (Shogakukan Creative Visual Book) Book 樺島勝一昭和のスーパー・リアリズム画集 (Shogakukan Creative Visual Book)

著者:樺島 勝一
販売元:小学館クリエイティブ
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2008年10月 1日 (水)

またしても、dankogai

404 Blog Not Found

自腹購入。こういう本があるから、献本だけには頼っていられない。

頼ってるんかいっ!

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