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2008年12月

2008年12月29日 (月)

最終更新

田舎に帰るので、今年の更新はこれでおしまいです。
「団まりな問題」を今年中に片付けられなかったのが心残り。
来年は4日以降に更新開始。

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「福家警部補の挨拶」

祝TVドラマ化。

ドラマ「福家警部補の挨拶 ~オッカムの剃刀~」(NHK総合)
1月2日(金)総合 午後9:00~10:30

正月の間観たい番組ってこれくらいだな。
原作がいいから、変にストーリーをいじったりキャラを誇張したりしなければ、ある程度のレベルは約束されてると思うんだが、脚本を書いてるのが劇団の人というところに一抹の不安が…。
それから、放送後に2ちゃんあたりで、「古畑のパクリだ!」とか言い出すチューボーが大量発生しそうな予感。

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茂木健一郎が吠えた

茂木健一郎が吠えたそうです。

桑原茂一Diary

傷つかない場所に自分を置いて

正論を吐くなと。

ゴメンナサイ、ゴメンナサ~イ。

茂木、ひとり 対 観衆300?

誰ひとり、茂木に対論する者はいなかった。

それは「傷つかない場所に自分を置いて正論を吐」いたからじゃないかと…。

他人からの借り物の言葉ではなく、

自分自身の言葉で話せよと。

……。

茂木の怒りは、つまりは、大きな人類愛だ。

アハハハ(虚ろな笑い)。

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2008年12月28日 (日)

2008年ベスト アルバム

去年はこちら。

2007年ベスト アルバム&ライブ

今年は以下の通り。
こちらも特に順番はなし。

The Movie                    Clare & the Reasons         
ジャイアント・クラブ         ウリチパン郡                
floating pupa                  pupa 
Uphill City                     I am Robot and Proud         
Indigo Nights                  PRINCE                      
The Monstrous Surplus    Pluramon                     
ホニャララ               SAKEROCK
「トウキョウソナタ」OST     Hashimoto Kazumasa          
GIJONYMO                    Yellow Magic Orchectra
An Invitation                   Inara George with Van Dyke Parks
That Lucky Old Sun        Brian Wilson   
After All                         AUS   

ヴァン・ダイク・パークスがらみの作品が3つあって、おまけにYMOが入っているという、「今、西暦何年だ!」って感じのラインナップですな。
プリンスのは、写真集の付録のCDなんで、ちょっと反則気味ですが、やっぱりプリンスは入れておきたいんで。
残りはエレクトロニカ周辺。
我ながら偏りまくった趣味だ。         

曲単位だと、AUS+GUTEVOLKの「Flags」と、A Lilyの「Light Shone Brighter,My Delicate Sun is My Sparklin' Sun」が印象に残ってます。

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2008年ベスト本

年末ということで、今年読んだ本のベスト10なんぞを。
ちなみに、去年はこちら。

2007年ベスト 本

で、今年は以下の通り。
基本的に2008年に出た本に限定。
マンガは除く。
順序は特につけてません。

1.心の起源                       D.C.ギアリー
2.鑑識眼の科学                 時津裕子
3.錯視芸術の巨匠たち         アル・セッケル
4.タンパク質の一生            永田和宏
5.安全。でも安心できない    中谷内一也
6.ヒトの中の魚、魚の中のヒト ニ-ル・シュービン
7.性淘汰                           マーリーン・ズック
8.ありえない!?生物進化論 北村雄一
9.心の脳科学                     坂井克之
10.丸山眞男話文集               丸山眞男手帖の会編

読んだ本は全部で147冊。
月12冊ペースか。
読み終わってない本もあるので、正確に言うと「手をつけた本」なんだけど、去年読み始めて今年読み終わった本もあるから、まあいいかと。

1は正確には去年出た本ですが、その辺はテキトーに。
3は単なる私の趣味ですね。
ブログで取り上げたことがあるのは、3,5,7,10くらいか。
それ以外も、そのうち取り上げたいと思ってるんですが、なかなか取り掛かれないですね。

ちなみに、この内フィクションは21冊。
年々小説を読む割合が減っていってるような。 

フィクション率 14%

どうも、これだけだと淋しい感じがするので、新しく文庫入りしたものからも追加。

トポフィリア           イーフー・トゥアン
バイオフィリア             E・O・ウィルソン
痩せ我慢の精神         萩原延壽・藤田省三

全体的にイマイチ小粒な感じがするのは、新書を読むことが多かったからですかね。
この内、新書は36冊。

新書率 24%

新刊を読むより、岩波文庫や昔の岩波新書を読んでた方が面白かったから、っていうのもありますね。

岩波文庫 13冊
岩波新書  8冊
岩波率  14%

ついでに、ちくまは18冊

ちくま率 12%

岩波とちくまで約1/4か。 

ワーストの方はというと、以下の2冊。

プルーストとイカ           メアリアン・ウルフ
オオカミ少女はいなかった  鈴木光太郎 

最初から批判するつもりで読んだ本は入れていません。
ある程度期待して読んで、裏切られたのが上の2冊。
なぜハズレだったのかは後で書きます。
これ以外は大きなハズレはなかったな。

おまけで、マンガも。
ベストを挙げるほど読んでないんで、読んだマンガのほとんどを挙げるようなもんなんですが。

1.パノラマ島綺譚  丸尾末広
2.想い出エマノン  鶴田謙二
3.新しい朝        黒田硫黄
4.聖☆おにいさん 中村光
5.冷食捜査官     とり・みき
6.バイオの黙示録 諸星大二郎

1は、はっきり言って原作を越えちゃってます。
乱歩ファンは必読。
2は、やっぱり時間もののSFはいいなあ、という感じ。
3は、まだ1巻しか出ていないけれども、十分面白いので。
『大金星』の方は、まだ読んでないです。
諸星大二郎は、「栞と紙魚子」シリーズの新作もあったけれども、私としては6の方を推す。

これ以外で、まだ読んでないけれど、読んだら確実にベストに入っていただろうと思うのは、五十嵐大介の『海獣の子供』。

ざっと、こんなところですね。

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今日の夜、モギケン テレビ出演

ビートたけしが新解釈!ニッポン人の現代史『2008を総決算!大混迷の原点は…1980』

混迷の2008年を知る為に現代史を振り返る▽百恵引退の年…道に落ちてた1億円がリーマン不況の原因?▽時代で変わる“脳”…茂木が無差別殺人分析▽激論…鳥越VS阿川
混迷の2008年を知るため1980年~2008年を振り返る▽百恵&王引退の年…道に落ちてた1億円がリーマン不況の原因?▽時代で変わる“脳”…脳科学者・茂木が無差別殺人分析▽激論…鳥越VS阿川VS茂木VS森永
出演
ビートたけし、鳥越俊太郎、茂木健一郎、阿川佐和子、森永卓郎

モギケン・ウォッチャーは要チェック。

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茂木健一郎 in 「正論」(追記x2あり)

「正論」1月号から。
茂木健一郎の発表。

茂木 私は脳科学をやっており、どうしてもグローバリズムと闘わざるを得ない定めにあります。クローバリズムと闘うことは自分の出自、アイデンティティを忘れることではないと考えています。では、私から見て日本的可能性の中心はどこにあるか。それは生命哲学です。私は今後も、自ら発見した視点を発表していきたいと思っています。日本語はもちろん、英語でも発信したいと考えています。

出た! 「生命哲学」。

 例えば本日の会場である明治神宮ですが、ここは明治大帝が亡くなられたあとに三百六十五種の木を植林して出来、今日では原生林のような風情を見せている。私は代々木から原宿に向かってよく明治神宮の森を歩くのですが、北参道に夏になると「光の川」が出来るのをご存じでしょうか。参道の両側に梢がせり出して、真ん中からちょうど太陽が直接差し込むのです。木漏れ日はありますが、暗いなかを光の川がすっと延びている。とても美しい光景です。これを美しいと感じる感性が日本人の自然観を象徴するものでしょう。私たちは自然を放ったらかしにはせず、丹念に整えるのですが、ベルサイユ宮殿の庭園のような幾何学的なものは好まない。自然の成り立ちに寄り添って計算しない美を考える。まったく彼我の間で美に対する感覚が違うのです。
 本居宣長が「もののあはれ」ということを言いました。私も宣長は大変好きです。文化勲章でいうと、百個分くらいの仕事をした人だと思う。というのは彼の仕事は、科学的な立場から見ても大変なものです。日本人はシステムをオープンな形で捉えて、そのなかで規則的なものと偶然のものとを巧みに織り交ぜる。いわば「偶有性」を培い、発揮していくと言っていい。宣長の仕事である「もののあはれ」は、科学的に言えばそういう「偶有性」に通じるものがあり、これは日本固有の感性であり、思想と言えます。

「文化勲章でいうと、百個分」とか「ノーベル賞、百個分」とか、この人、表現が貧困だね。

 問題は、そのことが世界的によく知られていないことで、大変な損失だと思います。特に今日のように地球環境問題がクローズアップされているなか、ヨーロッパ流の考え方では全てを人為的にコントロールしようとする。そのような文明が行き詰まりを見せる状況下、日本人の生命の根幹に対する洞察は、私たちが自覚している以上に普遍的価値を持っていると思っています。
 もうひとつ。日本古来の発想様式に「何かを秘する」ということがあります。これもとても面白いものです。例えば伊勢神宮の御霊代は八咫鏡です。ところが、それがあるのか、ないのか。模造の神鏡は宮中の賢所に奉安されていますが、あるならどこにあるのか。これは語らない。これは″秘仏″という考え方が関連しており、日本でだけ発達したものです。秘仏は六十年に一回ご開帳して、そのときだけ拝顔可能なものもありますが、絶対秘仏もある。例えば長野の善光寺の秘仏は絶対秘仏です。誰も見たことがない。どうもぐるぐる巻きになってそのなかにおられるようですが、誰も見たことがない。
 秘仏という思想がなぜ日本で発達したのか。これはとても凄いことなのです。例えばハリウッド流のCGでサンタクロースを描く。赤い服を着て温和に微笑む少し太めの男を描いて「これがサンタクロースです」と見せられて、皆さん信じますか。納得しますか。実はサンタクロースというのはどこにも存在しないからこそ、リアリティがあるのではないでしょうか。
 つまりご本尊である仏様の姿を秘仏という形で敢えて見せないことで無限の可能性を拓く。これは私たちにとってあまりにも当たり前の発想なのですが、この知恵は途轍もないものなのです。

サンタクロースにリアリティを求められても…。
大体、なんでサンタクロースと秘仏を比較するかね。
比較の対象がおかしいだろ。   

 私は日本語が大好きだし、素晴らしい言語だと思っています。しかし、一方で私は日本語に対してアンビバレントな感情を抱かざるを得ない。日本語で表現すること自体がモラルハザードを内在してしまうのです。つまり日本語で書いた瞬間に読み手は日本人になってしまう、内なる言語になってしまうのです。ハッキリ言って悔しい。これだけの宝物があるのに、と思うのです。
 私は英語万能主義ではありません。英語で書くことはありますが、そのときいつも日本語で込められる機微やニュアンスを英語にする作業にいつも苦しみます。これは我々が背負った十字架です。

「日本語で表現すること自体がモラルハザードを内在してしまう」って。
「モラルハザード」の意味、分かってる? 

 漫画とかアニメーションといったサブカルチャーは世界を席巻していますが、ではハイカルチャーはどうか。我々の周りには素晴らしい思想家はいるのに、英語をベースに活動している人たちほどには読まれない。日本語という壁があるためです。
 グローバリズムの荒波のなかで私たちは右往左往する必要はない。幕末当時、加賀百万石に住む人たちは「私たちにとっては江戸に徳川某がいようが関係ない。前田の殿様が一番だ」と考えていた。この気概ですね。今は何でも東京に傲う風潮が多い。
 いたずらにスケールの大きさを求めるのではなく、自分の内なる基準や倫理観を日本人はしっかり持たなければならない。これは英語で私たちの価値観を広く発信していくことと決して矛盾しない。出来損ないの日本像をつくるのではなく、我々自身の本当の姿を伝えるべきです。そのためには右往左往せずに、私たちの内なる基準を本気でつくりあげる。

「右往左往する必要はない」って言ってる割には、思いっきり右往左往しているように見えるのだが。 

私が産経の連載で取り上げた夏目漱石は、英国の栄華を見て本気で小説に取り組んだのです。だから欧米にひけを取らぬあれだけの作品を残せたのだろうと思う。本気でやるということがポイントなのです。

「本気でやるということがポイント」って、つまんない結論だな。

以下、討論に。

日下公人の

 京都大学の山中伸弥教授が万能細胞を開発しました。受精卵というのは成長とともに分化して、骨や臓器など異なる組織が次々出来て人間になっていく。それは受精卵の細胞には全能性があると言います。ならば分化を重ねて内臓や骨、大脳をつくれるのではないか。しかし、ヒトの受精卵を直接使うと倫理上の問題が発生する。そこで山中さんは既に分化した皮膚の細胞を初期化(バック)させて全能ではなく万能の細胞を開発するという画期的な仕事をやってのけたわけでらす。この初期化という考えは、日本人に極めて近い発想に基づいている。つまり、欧米などのキリスト教圈では人間とは神がつくったものである、神の御手の秩序は進歩のみを生み出すという思いこみがまずある。初期化という発想自体が神の生み出す秩序とは対極にあると言ってもいい。
 しかし、それはとんでもない思いこみに立っていると思う。日本人はそうした思いこみから解放されていますから、既にできあがった組織を退化させれば万能細胞が生まれるという根本的な発想の転換が柔軟に生まれるわけです。

という発言を受けて

茂木 ユーモアを交えた日下さんのお話には感服致しました。たしかに生命科学の分野で日本人の感性を発揮する場面はこれから沢山あると思います。というのはキリスト教の世界観というのはそこからニュートンの機械論的宇宙論などを生み出したわけですが、それではどうしても生命という分野を扱えない。そういうジレンマを抱えているのは事実で、その意味で日本人が生命科学の分野で活躍する可能性は大いにあると考えています。

西洋の人間には「生命という分野を扱えない」そうです。
日本人、スゲー。

 渡辺京二氏という文化人類学者が『逝きし世の面影』という幕末の頃の日本に関する本を書いていますが、ある事柄の本質は外から見ないとわからないことがあるのです。決して日本の本質とは、私たち日本人だけがわかっていると思いこむ必要はない。外からの眼を当てにして右往左往するのは愚かしいけれど、あくまでも我々が、「私たちの内なる基準」を追求した結果、ミシュランのようなフランスのガイドが認めてくれたというのが一番美しいのかなあと思います(拍手)

発信したいのか、発信する気がないのか、どっちなんだろう。

茂木 本当にそうですね。今、櫻井さんがおっしやったことは実に大変な問題だと考えています。華道や茶道もそうです。私は武者小路千家の官体庵に行き千宗匠さんのお茶席に招かれるまで、千利体がやろうとしたことがわかりませんでした。それがそのとき、初めてわかった。本当に驚愕する思いでした。要するに広がっているものをいくら見たところで本質的なものは-私の言葉では、それをクオリアというのですが-わからない。柔道もそうでしょう。いくら国際試合を見ても、柔道の原点にあった美意識はわからない。同じようなことは沢山ある。
 伊勢神宮もそうで、いろいろな人がいろいろなことを語っていますけれど、やっぱり実際にお参りをしてみないと絶対にわからない。仮にお参りをしても、妙な思い込みが少しでもあれば、全くわからない。私は本当に凄いと思った。伊勢神宮に参拝したとき、全ての現代美術は敗れたと本気で思いました。それくらいの衝撃を味わいました。でもそれは私がいくら語っても、流通している数多くの本を読んでもわからないのです。

現代美術、敗れたり!
結局、伊勢神宮がどう凄いのか、さっぱり分からないんだが。

 今日のシンポジウムですが、一貫して問題になっているのは、日本人自身が日本人の価値を知らないことです。実は我々自身が本物を知らない。それが「君に伝えたい日本」ということだと思うし、メディアの責任も重い。櫻井さんもテレビのお仕事を長年なさってきましたが、本物を伝えるという意味で、テレビには限界がありますね。

また、他人事のようにテレビ批判ですか。 

茂木 今日は脳科学者としての発言がありませんでした(笑い)。脳は楽観的でなければちやんと働きません。みなさん誰しも平均余命より長く生きると思っていますが、統計上はおかしな話なのです。つまり人間はそのくらい図々しくなければ脳がちゃんと働かない。私が最も心配しているのは、日本人は将来に対して悲観的過ぎるのではないかということです。極端にいえば前頭葉楽観回路がちゃんと働かなければ僻になりますから、あえて「根拠のない自信を持て!」と(笑い)。これがあれば明るいと思います。

日本はこれだけ凄い!と並べ立てておいて、結論は「根拠のない自信を持て!」ですか。
何か全然筋が通ってないような。 

(追記)
参考までに。

 風景の原型は、人類全体に共通の元風景を出発点として、地球上の至るところでしばしば類似点を見せる動機づけの影響を受けてはいるものの、相異なるさまざまな風景に分化してきた。これらの風景は相互に共通するものをあまりもたないように感じられる。こうした差異が存在するために、われわれは諸文化問のコントラストを過大評価しがちであり、時としてそれらの間に単純きわまる二項対立をもち込み、絶対的な対立物を明確なものにしようとして現実を戯画化してしまうほどである。この種の悪癖は「日本人論」に頻繁に見られ、そこでは日本人のアイデンティティが西欧文化との二元的な対立として定義されることが多い。特にしばしば、それも絶対的なものとして対立させられるのは、日水庭園とフランス式庭園である。
 図式的に見ると、このふたつのタイプの庭園がほぼ正反対の空間性を表現していることは事実である。全体的なパースペクティヴと部分的視界(展望)、対称と非対称、直線と不規則な曲線、幾何学的秩序と場所への適合、支配的眺望(ヴェルサイユ宮殿のテラスのようにトから下へと見下ろす眺望)と被支配的眺望(心砿獄の縁側から東山の彫果に向かうような、下から上へと見Lげる眺望)等々を指摘できる。
 したがって図式的にはこれらふたつの空間の捉え方には、共通点は存在しない。ヴェルサイユ宮殿やヴォーの庭園と無鄰菴や桂離宮は、環境に対する人間の趣味を表わすものとしては、その考えられる表現の幅の両極端に位置するものといえよう。前者の場合は自然を征服すること、後者の場合は自然を尊重することが問題となるのである。
   しかし現実には事情ははるかに複雑である。どちらのタイプの庭園も「自然」といえるような客観的実体との関連で規定されてはいない。どちらも人間の考えだした自然というものを、それなりのやり方で表現しているにすぎない。そしてどちらも人間の営為、すなわち自然環境の人為的変形によるものである。これは桂離宮にとってもヴェルサイユ宮殿にとっても同様であり、あるいはソウルの秘苑についてもあてはまることだが、しかし韓国人は秘苑を例にとって、自分たちの美意識はもっとも自然を尊重するものであると言う。周知のように日本人も自身の美意識について同じことを言っている。スウェーデン人、中国人もまた然り。そして彼らの庭園が、彼らの文化に固有の自然についての概念を表現している以上、誰もが正しいのである。その点にこそまさに普遍的な規則があって、その規則のなかに原型的な動機を突きとめることができる。しかしながらこの動機の表現はそうとうに異なった形をとることがある。
 別の文化から見ると、これらの異なる表現は人為的で、したがって自然に反するように見える。そのため他の文化は自分の属する文化ほど自然を尊重してはいないと、簡単に結論を下してしまう。同様にひとつの文化の枠内でも、こうした表現は変化して行き、同じ原型的な動機から出発した先行表現を人為的と感じさせてしまうことがある。フランス式の庭園が日本人には人為的と見え、日本庭園が韓国人にはやはり人為的と感じられるのとまったく同じである。
 一八世紀の英国・中国式庭園(かの「シャラワジ」趣味)の愛好家にとっては、ル・ノートル (1613~1700)の庭園の秩序だった構成は、反自然的に見えるだろう。けれどもル・ノートルにとっては、逆にこの規則性が宇宙の深遠な掟、すなわち自然の本質自体を意味し「神に授けられた権利」によって宇宙論的な秩序のなかで確立するとされ、自然に関する科学が近代的な発展を開始した時代であれば当然の発想といえよう。ガリレオは一六二三年に、自然は数学の言葉で記述されていると断言してはいなかっただろうか。
(略)
 時代が下ると今度は英国・中国式庭園が装飾過剰、つまり「建物」過剰のものとして人為的に感じられるようになった。たとえばレ〔Retz パリ郊外、サン=ジェルマン=アン=レ近くにあった一八世紀の英国・中図式庭園〕においては、廃墟を模したゴチック教会、ピラミッド(氷室に用いたもの)、「中国風の民家」、オベリスク、円柱形の家などがあった。
 こうして文化の違いと歴史上の変化により、庭園と風景に関する趣味はたえず変わってきたが、一方風景を眺め、庭園を整備する人間はしばしば同じ理想を掲げてきた。すなわち自然の本質を尊重し表現するということである。(略)
 
『日本の風景・西欧の景観』オギュスタン・ベルグ 

(さらに追記)
もう一つおまけに。

 空間と眺望を水平的に拡大しようとする衝動が、もっともぜいたくなかたちで表現されたのは、さらにあとであり、それは北西ヨーロッパの平坦な景観の中においてであった。アンドレ・ル・ノートルの芸術は、人間が自然に対して審美的な嗜好を押しつけることができるという信念の風刺画を作り出した。庭園は見せるためのものとなった。それは人間を称賛した。ヴェルサイユ宮殿の王の寝室から、フランスの太陽王は長くのびた中央の眺望をすっかり見渡すことができた。その眺望は、平坦な一面の水と歩哨のような樹木によって、さらに長く見えるように作られていた。左右対称的なデザインにおける、このような人間の意志の表示には、自然と神性に関する感覚はもはや残っていなかった。ヴェルサイユに神や女神の彫像が欠けていたのではない。それらはただ、人間の観念への無情な隷属状態の中で、従僕のようにおとなしく傍観していたにすぎなかったのである。大臣たちがルイー四世に、国庫の金を減らしかねず、さらに地形の障害をも克服しなければならない計画には乗り出さないよう進言した時も、王は思いとどまることがなかった。「困難の克服においてこそ」と、彼は悦に入って述べた、「われわれの力が明らかとなる」。イングランドもまた、ヴェルサイユ型の雄大な景観を自慢することができた。もっとも野心的な計画をもったものの一つは、二〇本の放射状の通りが田園のなかにずっと延びている、バドミントンのビューフォート公爵の地所であった。公爵に目をかけてもらおうと願ったあるジェントルマンたちは、公爵の眺望を広げるために自分かちの地所に本を植えたと言われている。
 一八世紀には、イングランドでいわゆる自然造景が普及した。自然景観は、普通の景観と同様、芸術作品であり、かつ技術者の功績でもあった。それは、直線や大きな通りや線状の池を避けたが、しかし人目を引く好ましい眺望への意図は変わっていなかった。ただそれを達成する手段だけが、より巧みになったのである。例えば、ランスロット・ブラウンは、後退する遠景(パースペクティヴ)を強調するために、両翼の遮蔽に木立を利用して、家からの眺望も考慮したので、その自然庭園には、左右対称な庭園よりももっと特権的な眺望点がたくさんあった。
 
『トポフィリア』イーフー・トゥアン

モギケンってケンブリッジに留学してたのにねえ。
なんていうか、モギケンってあまり教養ないよね。

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2008年12月27日 (土)

茂木健一郎 VS. 川島隆太

さて、「日本人の脳を活性化するっていうことについての文化は大嫌い」「答えの決まっているドリルをやればすむっていうのは、おかしいでしょ」と宣った茂木先生なんですが、これが川島隆太に向けられた批判であることは容易に推測できますね。
そんな茂木先生も、「文藝春秋」5月号では、こんな発言をしておられます。

――茂木さんの近著「脳を活かす勉強法」と、川島隆太・東北大教授が提唱している「脳を鍛える勉強法」とは、同じ脳をキーワードにしていても内容はかなり違うように思います。『脳を活かす勉強法』で最も強調したかった点は何ですか。

茂木 「脳を活かす勉強法」と「脳を鍛える勉強法」は互いを否定しあうものではなくて、それぞれ脳科学の別の側面に注目しています。つまり、脳の学習には大きく分けて「教師ありの学習」と「教師なしの学習」の二つがあるわけです。「教師ありの学習」は、ドリル系の「脳を鍛える勉強法」のようにあらかじめ正解が決まっていて、間違った出力(解答>をすると、教師が誤差を教えてくれるものです。学び手はその誤差を減らすように学習していきます。一方、「教師なしの学習」は、何が正解か決まっていないことがらについて学んでいくものです。脳には報酬系という価値観をつかさどる部分がありますが、価値にはそもそも正解がありません。その正解がない分野をどのように学習していくかというのが、強化学習をはじめとする「脳を活かす勉強を」なのです。昨今、一般の方向けにつくられたポピュラー・サイエンスの本やテレビ番組では、「教師ありの学習」ばかりが脳科学として認知されていますが、脳の学習には「教師あり」も「教師なし」もあることを知っておかないと、偏った理解になってしまいます。もちろん、川島先生は、このようなことはご存じです。脳科学の常識が、一般にどう伝わるかということが問題なのです。

(略)

――脳を「鍛える」こと以上に、「育む」ことが重要だということですね。

茂木 脳をどう「育んでいくか」ということが、現代の世界においては最も重要なテーマだと思っています。ただし、どちらもバランスよくこなすことが大切です。こうすれば脳が鍛えられる、とか日本人はすぐにたった一つの解を求めたがるのですが、脳にかぎらす何でもバランスとコモンセンスが一番大事ではないですか。子供の教育を例にとれば、〈読み書きそろばん的な教育〉と〈総合学習的な教育〉のどちらが重要かという論争が長年行われていますが、脳のしくみから考えると、どちらもやらなければいけない。脳というのはバランスの芸術ですから、どちらかを百バーセントにしてはいけないんです。

何か、言ってることがずいぶん違うんですが。

「脳科学の常識が、一般にどう伝わるかということが問題」。
ナルホド、おっしゃるとおりですね。
それじゃあ、日経サイエンスの対談で伊勢田さんの問いから逃げちゃったのは何なんでしょうか。

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茂木健一郎 and 神足裕司

「週刊アスキー」新年特大号より。
神足裕司(こいつも大嫌いなヤツだ)との対談。

神足 たぶん、それは強迫されているのかもしれないですね。アルツハイマーみたいになると、物忘れの数が増えるって、いつもテレビで教えられてるから。物忘れが激しくなると病気なんじゃないかと思ってしまう。
茂木 テレビってメディアは、ひどいですねぇ。
神足 ええ、そうですね。
茂木 って、言いながら神足さんだってテレビに関わってるじゃないですか。
神足 ハッハッハ。

どの口でそういうことを言うのかと。
「日経サイエンス」での対談から。

茂木 その点, かなり慎重に話しているつもりですが, テレビ番組の場合, 収録した内容全部が放送されるわけではありません。自分で, 全体の論旨をコントロールできないという問題がありますね。

伊勢田 それは理解できますが, そのような場合は出演しないという選択肢もあるのではないですか。

茂木 それもひとつの選択肢だと思います。メディアに登場する科学者の見識に任されている面もあるので, 私も注意しているつもりです。ただ, 科学的なエビデンスとしていえることはきわめて限られていて, しかも科学的であると判断するための境界線にもグレーゾーンがある。その違いは相対的なものです。

おまけに

茂木   神足さんだって、中産階級じゃないでしょ(笑)。でも、脳の働きから言うと、フリーランスのほうが全能的な活性化が進むというか、総力戦になるから人間的にも成長する可能性が高いんですよ。(略)

と言ったそばから、

茂木 実は、日本人の脳を活性化するっていうことについての文化は大嫌いなんですよ!
神足 ハハハ! いま、よくやってるやつ?
茂木 大嫌い。僕のPHP研究所から出している本は、それに対するアンチテーゼなんです。つまりね、答えの決まっているドリルをやればすむっていうのは、おかしいでしょ。中学生にだってわかるよ、そんなんじゃ世の中わたれないっていうのは。

って、どの口で(ry

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茂木健一郎 VS. グレッグ・イーガン?

もう一つおまけに。
a day in the life of mercy snow経由で。
イーガンの新刊から。

そのとおり。あんたたちが望み(あんたたちはまだそのことを知らないんだが)、その結果、容赦なく(あんたたちはたぶん抵抗するだろうが)あんたちちにあたえられるべきもの、それはもっと大きな脳だ。
付加メモリ! 付加処理能力! いますぐアップグレードを!
昔とは逆にコンピュータのメタファーで脳を売りこむわけ。

『TAP』は帰省中に読む予定。

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茂木健一郎 VS. 岡崎武志

この際なので、取り上げようと思っていて忘れていた記事を。
「中央公論」12月号の、岡崎武志による『脳を活かす仕事術』レビュー。

(略)
あるいは仕事を始める時はいきなり「本題に入り、アクセルを思い切り踏み込む」ことを勧め、これをかつての悪役プロレスラーになぞらえ「タイガー・ジェット・シン仕事術」と命名。脳科学、なんて言われると眼をつぷりたくなるが、茂木の本を読むと、頭蓋が透明なプラスティックと化し、脳の運動が目に見えるようだ。
 じつは、脳を筋肉みたいに鍛える方法を説いた本は過去にもあった。品川嘉也『頭が突然鋭くなる右脳刺激法』(青春出版社)がそれで、一九八八年度のベストセラー。脳を左右で分け、その働きの違いを次のように説明したのがこの本の大きな特徴。
 「右脳はイメージ、絵画、音楽、ひらめき、さらには総合的判断といった領域の能力をつかさどり、左脳は、言語、論理、代数的機能、そして分析的記号的判断といった、ビジネスにおいては、ある程度機械に代行させられるような能力を分担している」
  とたんに、「右脳人間」「左脳人間」とみんながうるさいぐらいに言い出した。「脳」についての本がベストセラーになったのは、私の知るかぎりこれが初めて。
 なにしろ、「脳」という、目に見えず、触れもしない不可触領域に鍬を入れたのだから、衝撃も大きかった。この本が出た年の前年、八七年に「リゾート法」が制定される。バブルによる内需拡大のかけ声のもと、国家を挙げてリゾート開発に狂奔する。山が削られ、荒れ地は整地され、海は埋め立てられ、スキー場、リゾート地、ホテル、遊園地などが作られた。
 見えなかった「脳」の力が発見され、次々とその活用法が叫ばれ始めた時期と一致している。赤潮川原平は、それまで気づかなかった脳の不思議な働きを発見することを「脳内リゾート開発」と呼んだが、まさに「脳」はバブル期に開発が始まったリゾートだった。
 しかし、ご承知の通り、大型リゾートはその後破綻し、負債を抱えて次々とつぷれていく。私は、一連の「脳」ブームをうさんくさいものとして遠ざけている。「脳」が、廃墟となったリゾートと同じような目に遭わなければよいが……。

割と抑えた書き方になってますが、当初は違っていた様子。
自身のブログで、そのあたりのいきさつを書いてます。

okatakeの日記 2008-10-19

昨日は最後の「中央公論」の原稿を書き上げる。茂木健一郎『脳を活かす仕事術』と過去の「脳」ものを組み合わせて。最初、こないだ見た「プロフェッショナル」の話から書き始めたが、あとでカット。私憤が混じると文章が濁ってしまう。

「私憤」と言っているのは、以下のことのよう。

okatakeの日記 2008-10-16

「いろはの日々」さんが書いているのを読んで思い出したが、「プロフェッショナル」に小三治が登場。それをぼくは放送を忘れていて、後半しか見られなかった。再放送をチェックするつもり。「なぜ笑いは必要なんですか」と茂木健一郎が聞いたねえ。このタコすけ。小三治さん、困っちゃった。しばらく黙って、「ただ、笑っちゃうんじゃないですか」とぽつり。そのあと、正確ではないが、笑っているあいだは幸せで、笑っている自分が、人は好きなんじゃないか、という意味のことを言った。これにはしびれた。いい顔してたなあ、小三治。

モギケン、「タコすけ」呼ばわりされちゃってます。

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茂木健一郎 VS. 伊勢田哲治(2)

spiklenci-slastiさんが、件の「あいのり」での発言を文字起こしされているのでリンク。

spiklenci-slastiの日記

「日経サイエンス」の記事と併せて読むと面白さ倍増です。

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2008年12月26日 (金)

茂木健一郎 VS. 伊藤計劃

こちらは「SFマガジン」での伊藤計劃のインタビューから。
インタビュアーは佐々木敦。

-脳ブームとか起きてるけど、入り口はあくまでも科学の問題であったはずが、いつのまにか通俗的な人生論にすりかわっていたり(笑)。

伊藤 クオリアって結局人間の神秘化に貢献しているだけですからね。その先に突き抜けるのが科学のおもしろさだと思うんですけど。

-だからクオリアをなくしてしまえるんであればなくしてしまえばいいと思うんですよ。それでどうなるのかを考えるべき。最後にクオリアが立ちはだかって人間ってすごいっていう話になるのだったら、何のためにそこまで突き詰めてきたのかわからない。

伊藤 それはみんな言ってますね、クオリアについては(笑)。人間ってすばらしいねっていう結論に落ち着けば安心するわけで、科学ってそういうものじゃないと思うんですけどね。(略)

直接名前は出してないけど、モギケンのことですわなあ。
ここで言われてることには全面的に同意します。
結局、モギケンが言ってることって「通俗的な人生論」ですからね。
これを「哲学的な議論」だと思っちゃう人間が多いから困ってしまうんですが。

「科学ってそういうものじゃない」って言うのも。激しく同意。
私にとって、科学やSFの面白さっていうのは、従来の人間観を解体して、ある意味では非人間的と言えるようなところにまで行ってしまうスリルにあるわけでして。
イーガンだって、ウィリアム・ギブスンだって、バラードだって、面白いSFはみんなそうでしょ。
クオリアってものがあるから人間って素晴らしいですね、い~い~ない~い~な~、に~んげ~んってい~い~な~、みたいな話は退屈でしかたがないです。

やっぱりSFの人たちはマトモですな。
私の頭の中のヒエラルキーではSFの方が純文学より上になってるんで、まあ、不思議ではないんですけど。
純文学の連中は茂木健一郎とか福岡伸一とかを持ち上げてしまうから救いようがないです。
っそれにしても、やっとまともにモギケンを批判する人間が出て来始めた感じで、私はうれしい。
斎藤環のは、ピント外れだったからなあ。

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茂木健一郎 VS. 伊勢田哲治

「日経サイエンス」2月号、さっそく読みましたよ。
いや、伊勢田さん、素晴らしいです。
モギケンに正面から切り込んでます。
これは近来稀にみる痛快事ですね。
伊勢田氏にテレビでの発言について問い詰められて、生命哲学がどうのとか、dankogai並みに斜め上のことを言い出して逃げるモギケン。
モギケンの打たれ弱さがモロに露呈していて、かなり笑えます。
本人を前にしての批判は高橋悠治以来じゃないですかね。
このときも打たれ弱さが出ちゃってて爆笑モノです。

高橋悠治+茂木健一郎:公開トーク『他者の痛みを感じられるか』(8)

菊地成孔との対談ってのもありましたな。

脳ミュージック、脳ライフ

要するに、この人は、調子よく相手を持ち上げてワキアイアイと対談、という手が通じないと全然ダメなんですね。
と言うわけなんで、茂木健一郎に対して含むところをお持ちの有名人の方は、直接会って批判すれば楽勝だと思いますんで、どんどんやってください(笑)。

「茂木健一郎 VS. 伊勢田哲治」と言えば、こんなのもあるそうで。

応用哲学会第一回年次研究大会開催のおしらせ

  2009年4月26日(日)
  京都大学文学部新館第三講義室

  公開シンポジウム 「これが応用哲学だ!」

  パネリスト  伊勢田哲治(京都大学)
         茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所)
         森岡正博(大阪府立大学)
  司会     戸田山和久(名古屋大学)

なんでまた、応用哲学のシンポジウムでモギケンなんか呼ぶですかね。
哲学者でよってたかってフルボッコにして吊るし上げようっていうんですかね。
「物理出身の”自称脳科学者”のくせに、クオリアとかい言ってんじゃねーよ、哲学をナメんな!」とか。
それはないか。
私としては、そういうのを期待してしまうんですが。
パネリストに森岡正博がいるのがビミョーな感じがしますけど。

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2008年12月21日 (日)

香山リカって

若者が嫌いだということに気がつかれた香山先生ですが

私は若者が嫌いだ!

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大人も嫌いみたいです。

キレる大人はなぜ増えた

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駅や病院、学校、飲食店で増殖中のクレーマー、モンスターペアレント、暴走老人、ウェブ炎上……。公共の場で居丈高に振る舞い「自分は正しい」と思い込む、いい年をした大人たち。キレる大人が増えた背後にある病理を診断、処方箋を示す。

「うつ」と言いたがる人も嫌いみたいです。

「私はうつ」と言いたがる人たち

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――ある日の診察室
「私うつ病みたいです。休職したいので、診断書ください!」

この思い込みにまわりは迷惑、ほんとうに苦しんでいる人が泣いている。
仕事を休んでリハビリがてらに海外旅行や転職活動に励む「うつ病セレブ」、
その穴埋めで必死に働きつづけて心の病になった「うつ病難民」。
格差はうつ病にもおよんでいる。
安易に診断書が出され、腫れ物に触るかのように右往左往する会社に、
同僚たちはシラケぎみ。
はたして本人にとっても、この風潮は望ましいことなのか?

新しいタイプのうつ病が広がるなか、ほんとうに苦しんでいる患者には
理解や援助の手が行き渡らず、一方でうつ病と言えばなんでも許される社会。
その不自然な構造と心理を読み解く。

やっぱり「うつ」と言いたがる人は嫌いみたいです。

仕事中だけ「うつ病」になる人たち――30代うつ、甘えと自己愛の心理分析

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心の病の休職者による企業損失が年間約1兆円とも言われる時代。30代に、新しいタイプの「うつ病」が急増している。果たして彼らは、ほんとうに病気なのか?それとも―!?いまどき若年層ビジネスマンの心理を、当代一の人気精神科医が、切り口鋭く読み解く。

うつ病が日本を滅ぼすそうです。

うつ病が日本を滅ぼす!?

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80年代が忘れられないみたいです。
単なる老化現象じゃないかって気がしてきました。

ポケットは80年代がいっぱい

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サブカルチャーの生き証人・香山リカが描く、
オシャレ・キュート・アヴァンギャルドな80年代の日々

伝説の雑誌「HEAVEN」「遊」はじめ、
貴重な雑誌、レコードの写真も収録。

1981年、サブカルチャー勃興期の渋谷。伝説のカルト雑誌『HEAVEN』の編集部が、香山リカの出発点だった。そこは祖父江慎、町田町蔵、巻上公一、戸川純、浅田彰らが集い、最先端のカルチャー情報が飛び交う、ちょっと危険な香りが漂う文化サロン。その過激で濃密な交流の日々とは?

「新人類」「ニューアカデミズム」「ニューウェーブ」「テクノ」「スキゾキッズ」など数々のキーワードを生み、多くの才能を生み出した80年代サブカルチャーの現場を描く、オシャレ・キュート・アヴァンギャルドな80年代クロニクル。

「ニューアカデミズムの旗手」中沢新一と香山リカとの対談『「ニューアカ」と「新人類」の頃』も合わせて収録。

イヌネコにしか心を開けないそうです。

イヌネコにしか心を開けない人たち

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「人間は見返りを求めるけれど、この子だけは無償の愛を私に注いでくれる」―もはやペットなしでは生きられない現代人。いい大人がなぜ恥ずかしげもなく溺愛ぶりをさらしてしまうのか?なぜもっと人間には優しくできないのか?動物愛護運動はなぜ暴走するのか?イヌ一匹・ネコ五匹と暮らす著者が自らのペット偏愛歴を初告白。「人間よりペットを愛してしまう心理」を自己分析しながら、ペットブームの語られざる一面に光をあてる。

人間が苦手なそうです。
分かります。

精神科医ですがわりと人間が苦手です

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2008年12月20日 (土)

ミステリのような

最近気がついたのだが

まるでミステリのよう

と評される本は、たいてい「ミステリのよう」ではない。

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ラスト・クリスマス

この一週間くらいで、「ラスト・クリスマス・のカバーを5バージョンくらい耳にした。
そんな何種類もいらないっちゅーんねん!(<-ニセ関西弁)

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2008年12月17日 (水)

(今回は)「レッテル貼り」ではありません

最後にもう一つだけ。

apjさんの言う「レッテルを貼る奴」の中には私のことも入ってるんじゃないかと思うんですが、注意して読んでもらえば分かるはずですけど、今回の件で私はapjさんの属性や人格を攻撃するようなことは書いてないんですよ。
私の批判の対象は、「apjさん」ではなくて「apjさんの言説」だったのです。

「apjさんへの応答(1-1)」で、「政治的スタンスの問題」と書いたので、apjさんが右寄りだとほのめかしたという風に読んだかもしれませんが、「右寄り」だと断言するようなことはしていません。
私とapjさんの見方の違いは「政治的スタンス」によるものかもしれない、と書いただけです。

「apjさんへの応答(1-2)」にしても、「もし1だったとしたら」「apjさんが「排外主義者」と共通した心性の持ち主であるとみなします」と書いているわけで、仮定法になってますよね。
その上で、

apjさんは、

「排外主義に対して盲目である」

または、

「より自然な他説が存在するのを無視して自説に固執した」

と、ORの形にしているわけで、apjさんが「自説に固執した」と認めれば、「排外主義者」という批判を逃れることができたのです(きっと、認めるつもりはないでしょうけど)。
私はapjさんのことを「排外主義者」とは一度も呼んでいません。
「apjさんへの応答2」はけっこうきつい書き方もしてますが、これだって、批判の対象は、「apjさん」ではなくて「apjさんの言説」です。
そこら辺、けっこう気を使って書いたつもりなんですが、分かっていただけなかったようで残念です。

それにしても、そもそも、レッテルを貼ることって何がまずいんですかね?
正しいレッテルなら貼り付けてもかまわないと思うんですが。
今回はapjさんに対して何らかのレッテルを貼ることはしませんでしたけど、今後もそうだとは限りませんよ。
一貫して「右寄り」の言動をとる人を、私は「右寄りの人」と呼びます。
一貫して「排外主義的」な言動をとる人を、私は「排外主義者」と呼びます。
何か不都合がありますか?

最後に、ジョークを一つ。(inspired by カネゴンさんのところ

「なあ、アヒルのような格好で、アヒルみたいに鳴いてるのがいるんだけど、アレ、何だろう?」
「それはアヒルというものだよ」

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2008年12月15日 (月)

apjさんへの応答(2)

apjさんの新エントリ「レッテルを貼る奴を見ると無条件に攻撃したくなる 」は対話拒否の宣言と受け取りましたので、とてもむなしい気分になっているのですが、当初の予定通り続けたいと思います。

「火中の栗」へのapjさんのコメント。

 言及されているようなので書いておきます。
 私の方のコメント欄の内容があちこち振れたので、余計わかりにくくなっていますが、最初のエントリーを見ればわかるように、「今回、国籍法に反対した人が目立った理由」についての話をしているのであって、「ガキの国籍の話」なんか最初からしていないんですけど。

議論のテーマが違う 」から。

そもそも「ガキの国籍の話」なんかしてなくて、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」の話をしていたのだからレイヤーが違うのは当たり前。国籍法改正の是非については、最初から議論するつもりは全く無かったので、エントリー内にも何も書いていなかったはず。国籍法改正の議論だと勘違いしたコメントに対応していて引きずられたのは私の不手際なので、それを見て国籍法の話だと思われたのなら仕方がないのだけど。

上のapjさんの発言をふまえて、次の論点に移ります。

論点2
apjさんは何を議論していたのか
議論のレイヤーは維持されていたのか。
apjさんの問題設定および議論の進め方に問題はなかったか。

「「国籍法改正の是非」ではなく「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」」を議論していたのであって「「ガキの国籍の話」なんか最初からしていない」 と、apjさんは主張されていますが、実際のところはどうだったのでしょうか。

結論を先に言ってしまえば、apjさんのこの主張は認められません。
apjさんは、コメント欄で「国籍法改正の是非」にまで踏み込んだ発言までしています。
また、道徳的な判断や個人的な感情も混入させ、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」の議論から逸脱し、違うレイヤーの議論をゴッチャにしてしまっています。
そもそも、国籍法改正に反対する人たちが国籍法改正をどのように理解していたかを検討することをせずに、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」の検討がまともにできるわけがありません。
「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」を議論するためには、「国籍法改正」自体に対する正確な理解が大前提のはずなのに、apjさんはあやふやな理解のまま議論を始めたため、議論を混乱させてしまいます。
その上、apjさんは視野狭窄に陥り、相手のコメントの意図を捉え損ね、的外れな発言を繰り返し、どんどん混乱を拡大させてしまっています。
apjさんは、「国籍法改正の議論だと勘違いしたコメントに対応していて引きずられたのは私の不手際」と、議論が「あちこち振れた」のを偶然の成り行きであるかのように書いていますが、私に言わせれば、これはapjさんがつっこみを誘うような的外れなコメントを繰り返しためであって、必然です。
「ひきずられた」などと言っても、責任を逃れられるわけではありません。

では、apjさんの混乱した議論を実際に見ていきましょう。
以下、引用文中の強調は全て引用者によるものです。

(事例1)
親の責任を問題に

元のエントリが公開されてから半日経過後のapjさんのコメント。
早くもこの時点で、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」を論じることから外れ、国籍法改正自体に触れています。
その上、「バカ親」に対する道徳的な非難の調子が混ざっています。

法改正してまでバカ親のフォロー? (by apj)
sodaさん、

>国籍法の不備により、人生がメチャメチャになる子ども達が現実に沢山いる

 じゃあ、子供を作ることを決めた親の判断について責任を問うことを同時にやらないとやっぱりおかしい。旧国籍法の状況で子供を作れば子供の人生がまずいことになるくらいのことは、大人の頭ならわかりそうなものですよね。承知の上で何でそんなことやったの、と。子供に責任は無いから事後的に救うしかないというのはわかるけど、親にペナルティを与えないまま済ませるのは変でしょう。なし崩し的に数が増えればそのうちオッケーみたいなやり方はどうしても引っ掛かる。

 というか、何で法改正してまでバカ親のフォローをしなきゃならないのか、ってことの方が釈然としない。やって後々まずいことになりそうなことは、避けるのが普通では。
 法改正前に、国籍法との兼ね合いで困ったことになるのが分かっていながら子供を作った親には、「先を見ない考え無しの馬鹿」ってレッテルを存分に貼らせてもらいたいです。

at 2008/12/08 19:46:52

「法改正してまで」という言い方には、apjさんの国籍法改正に関する無理解が露呈しています。

今回の国籍法改正は最高裁で違憲判決によるものです。

e-politics - 国籍法改正

国籍法の法改正が必要な理由
最高裁で違憲判決が出たからです 。最高裁が法律の規定を違憲としたのは、在外邦人の選挙権を制限した公職選挙法を巡る訴訟の判決(05年9月)以来の8件目で、「不合理な差別の救済」という観点からすみやかな法改正が求められています。法改正をしない場合、個別の訴訟に追われたり、立法の不作為を問う訴訟によって損害賠償が認められるケースも予想されます。
→参考資料:最高裁判決(国籍法3条1項違憲訴訟)

国籍法改正が議論の大前提であって、法律の悪用云々は国籍法改正に伴う派生的問題でしかありません。
国籍法改正の背景への理解を欠いたまま、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」を論じようとするのが、そもそも無理だったのです。
「「ガキの国籍の話」なんか最初からしていない」も何も、「ガキの国籍の話」が大前提の議論だったのです。

この時点でapjさん自身が国籍法改正に関する理解を修正していれば、この後の混乱は避けられたかもしれません。
しかし、この後もapjさんの無理解な状態は続きます。

(事例2)
改正に反対

「国籍法に反対した人が目立った理由」について議論していたはずが、apjさんは改正にはっきりと反対を表明してしまいます。

この時期の改正には反対です (by apj)
shunsokuさん、

>入管法の網をくぐって外国人に低賃金労働させていたイチゴ農家とか、まずは日本人側の悪行も見ておいてくださいな。

 報道で知りましたが、まさしく悪行ですよね。他にも、研修生名目で実体が低賃金労働というのもありましたよね。ソースをすぐに引っ張り出せないのですが、賃金払えという提訴も起きていたかと。どんどんやって、入管法の穴を潜って外国人を理由に搾取したって金銭的帳尻を合わせる羽目になるという前例を作ってもらいたいです。
 ただ、悪行かどうかを周囲が知るにあたって、見た目が日本人と区別のつきづらい中国人韓国人だと、発見が遅れそうなので、多少は注意が必要かと(中国韓国を名指しで差別する意図ではなく、外見上日本人と見分けが付きづらいという現実があるので、何か変なことが行われていても気が付きにくいだろうという意味)。

>私は多民族混住社会に賛成ですが、adjさんはどうでしょうか?

 今のところ何とも言えません。自然に穏やかに混住社会が実現するのならいいと思うのですが、それは時期的にかなり先のことではないかと。今焦って混住社会の実現を目指そうとする必要は無いでしょう。
 おっしゃるように、今の状況だと、引用した記事のような子供の国籍取得→母親が来日、ができたとして、じゃあ親がどんな職業に就けるのかというと、低賃金且つ不安定なところでしか働けないのではないかと(日本人女性の平均的な働き方を参考にすれば)。だとすると、日本国民でも一旦低賃金労働者になると、子供に対する教育費を掛けられない結果子供もその層から抜けられないことが懸念されている現状では、雇用が不安定な層を増やすだけですよね。もともと外国人だった人が日本に行くと子供の代まで低賃金労働者のままだ、ということになってしまうのは、健全ではない。
 日本の国土の面積を考えると、今の国民の数は多すぎると思うので、少子化で日本人の数が減ってある程度落ち着いてから、どいう混住社会にするか考えていけば良いと思います。
 最近の混住社会を目指す背景には、少子化が困るからやる、という方向がありそうなんですが、無理に少子化を食い止めようとしても、あまり良い結果になりそうにない。もともと国土に比して人が多すぎる状態を強引に維持しようとしても、長続きはしなさそうです。移民をやった国は経済状況が悪くなると揉めてるし、アメリカだって貧困が広がっているわけで……。だから、もう少し日本の人口の減少が落ち着いてから、どうやって混住社会にするか考えればよいと思います。

at 2008/12/08 21:00:21

「この時期」でなければ、いつ改正すればよいのでしょうか?
改正されるまでの間、子どもの権利はどうなってしまうのでしょうか?
このような発言をすれば、以下のsodaさんのコメントのようなツッコミが入るのは当たり前のことです。

Re: 法改正してまでバカ親のフォロー? (by soda)
> じゃあ、子供を作ることを決めた親の判断について責任を問うことを同時にやらないとやっぱりおかしい

いや、今回のこの法律がまさにそれなんですよ(まだ弱いけど)。

別に日本人どうしだって、結婚せずに子どもを作って、でも認知せずに逃げてしまう男ってのが昔から問題となっていましたよね。

母親が観光ビザ等で入国した外国人の場合、たとえ父親が認知したところで、これまでは国が問答無用で強制送還してしまうため、そういう男は責任逃れができてしまう。国が、そういう男の責任逃れを幇助していた、というところが問題なわけです。

で、子どもが日本国籍を得ることができ、日本に住み続けることができれば、認知した父親には通常の日本の法律により父親の責任(扶養義務)を問えるようになるわけです。

apjさんは、どうも問題を誤解しているように見えますです。

at 2008/12/08 21:10:53

(事例3)
親の責任を問題に

sodaさんのコメントの後も、apjさんは親の責任を問題にし続けます。
子どもの権利の問題だということを、まだ理解してないようです。

どの段階で責任追及するかの問題のような (by apj)
sodaさん、

>母親が観光ビザ等で入国した外国人の場合、たとえ父親が認知したところで、これまでは国が問答無用で強制送還してしまうため、そういう男は責任逃れができてしまう。国が、そういう男の責任逃れを幇助していた、というところが問題なわけです。

 まず、問題の前半。
 観光ビザで入国している外国人女性との間に子供を作る時点で相当に無責任ではないかと。短期間しか日本に居られないのがわかっていて子供を作るわけですから。一方、母親だって無責任ですよね。短期間で国に帰ることがわかっていながら子供を作るわけですから。観光ビザの意味を知らないわけじゃないでしょうし。私が、親の責任とか先を見ないと書いてるのは、親のこの段階の行為です。

>国が、そういう男の責任逃れを幇助していた、というところが問題なわけです。

 こっちは国の問題で、確かにその通りです。
 だから何というか「合わせ技」で責任逃れをしていたことになる。

>認知した父親には通常の日本の法律により父親の責任(扶養義務)を問えるようになるわけです。

 それなら何もしないよりは(制度としては)良さそうですね。しかし、日本でも、離婚して母子家庭になった場合に父親からの養育費の支払いがきちんと行われるケースばかりではないことを考えると、日本の平均的な離婚で生じた母子家庭と同じ条件になる、という結果になりそうですね。

at 2008/12/08 21:26:28

追加:別の展開になりそう (by apj)
 これまでは、認知しても国が追い払ってくれるから恰好だけつけていられたけれど、今後は認知したら確実に扶養義務発生、となると、
認知せずにばっくれようとする父親 vs. 認知をさせようとする母親
の紛争発生の予感が。
 認知って、実質は、どの父親から養育費をぶんどるかを確定させるって意味ですしねぇ。

 本当は、きちんと育てられるということを見越した上で子供を産むというのが、育てる環境の確保という面から見ても望ましいわけで、これまでよりも用心深く先を考える方向に進んでくれると良いのですが。
at 2008/12/08 21:33:46

(事例4)
親の責任を問題に

再び、sodaさんのコメント。
sodaさん、問題の所在を理解しないapjさんにちょっとキレかかっている、と言うか、ほとんど呆れてしまっています。

Re: どの段階で責任追及するかの問題のような (by soda)
> 観光ビザで入国している外国人女性との間に子供を作る時点で相当に無責任ではないかと。

もちろん、そうですよ。
しかも結婚もしないし、それどころか国に強制送還させるに任せるんですから、とんでもなく無責任です。
現実にそういう親が沢山いるからこそ、今回の法律改正が必要になったわけで、そういうコンテキストを無視して議論するのは無意味でしょう。

> 日本の平均的な離婚で生じた母子家庭と同じ条件になる、という結果になりそうですね。

そうです。
それでも、子どもにとっては、強制送還されるよりはずいぶんマシな結果になるケースが多々あることは、前のコメントで参考リンクを張った弁護士の方のブログにある通りです。

改正前の状況は、婚外子差別そのものであり、そういう状況を放置すべきだという人が沢山いること自体が日本人として情けないです。;-/

さすがに、apjさんも、子どもの権利のためだということは理解したように見えますが、「バカ親」に対する道徳的な非難の調子は混ざったまま、と言うより、むしろ強くなっています。

別の無責任も残ってますよね (by apj)
sodaさん、

>現実にそういう親が沢山いるからこそ、今回の法律改正が必要になったわけで、そういうコンテキストを無視して議論するのは無意味でしょう。

 結局、「法律改正してまで馬鹿親のフォロー」に違いはないけど、馬鹿親に尻ぬぐいをさせる方向ということですね。了解です。

 そうすると、東南アジアあたりに出かけていった日本人男性が現地人女性を妊娠させた挙げ句日本に逃げ帰って知らんぷりを決め込むという、別パターンの無責任も蓄積されてきているわけで、こっちはどうすりゃいいんでしょうかね。日本で事を起こすよりも、もうちょっとアクティブに計画的に見えますが……。

 こういうのをきちんと解決してからでないと、とても対等な関係で混住社会の実現なんか無理ではないかと。東南アジア女性相手なら向こうに行ってやりたい放題やっても良い、と考えている無責任な日本人男性が相当数居る状態で混住社会にしたって、うまくいきそうにないです。相手を尊重しなくていい、という価値観が根底にあると、まずうまくいかない。
at 2008/12/08 21:54:18

(事例5)
DNA鑑定

「国籍法改正の是非」ではなく、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」を論じていたはずなのに、DNA鑑定の導入の可否にまで踏み込みます。

法的に義務づけるのは難しいようですけどねぇ…… (by apj)
LiXさん、
 DNA鑑定はあった方が良いとは思うんですよね

 自分の子でもないのに認知せよと迫られて揉めるのは嫌だろうし、逆に、無責任に子供を作った男性にきっちり責任を負わせるという意味でもあった方が間違いがない。法的にやるのは、他とのバランスを考えると難しそうですけどねぇ。

 どっちにしても、信頼を取り戻すのであれば、
・不法就労・不法滞在の徹取り締まり、早期発見と国外退去の徹底。国内で制度を悪用して不法に外国人を就労させた日本人への処罰の徹底。
・滞在許可を出すのは管理可能な人数に止める(増やすなら徐々に)。
・短期のビザで入国して子供を作ったり、短期のビザで海外に行っている間に子供を作るような親には子供の養育の責任を負わせる(妊娠させて知らんぷり、ということができないようにする)。
・外国人を受け入れるのなら、低賃金労働者として受け入れるのではなく、一定以上の収入があって社会保障も一緒に担えるような状態で受け入れるべき(∵ただでさえ国内で不安定雇用されている人が増えて、実質経済難民が発生しつつあるときに、外国人を低賃金労働者として受け入れる余裕があるとは思えないし、さらに難民発生を加速しそうなので)。

基本は、
・ルール違反しない
・ズルしない
でしょうね。
at 2008/12/09 01:39:02

(事例6)
法を守らない人たちへの非難

rnaさんのコメント。

観光ビザの意味とか (by rna)
apjさん:
>>観光ビザで入国している外国人女性との間に子供を作る時点で相当に無責任ではないかと。短期間しか日本に居られないのがわかっていて子供を作るわけですから。一方、母親だって無責任ですよね。短期間で国に帰ることがわかっていながら子供を作るわけですから。観光ビザの意味を知らないわけじゃないでしょうし。私が、親の責任とか先を見ないと書いてるのは、親のこの段階の行為です。<<

今までだって結婚すれば母親は在留資格「日本人の配偶者等」がとれますし、結婚してなくても認知された子を日本で育てる場合は在留資格「定住者」がとれます。観光ビザ(短期滞在ビザ)で入国して不法滞在になった状態からでも他に犯罪に関わったりしていなければ問題なさそうですが。

このへんに色々事例があります。
≫ link here ≪

子供を作る時点では何の問題もないです。子供ができても結婚しない・認知しないのが無責任なのです。そして、当然ですが、それは外国人相手じゃなくても同様です。

at 2008/12/09 03:13:29 

このコメントを受けて、apjさんの、「ルール違反する人」に対する、道徳的感情からくる個人的嫌悪が表明されます。

不法滞在そのものがまずい (by apj)
maさん、

>観光ビザ(短期滞在ビザ)で入国して不法滞在になった状態からでも他に犯罪に関わったりしていなければ問題なさそうですが。

 不法滞在そのものがまずいのではないかと。何日滞在可能です、というのがあらかじめわかっているのに意図的に違反しているわけですから、そういう行き当たりばったりで平気でルール違反する人と同じ社会には住みたくないな、と。
 滞在期間が決まっているのなら、原則としてそのように最初から行動しろ、他の手段で延長しようとするのはやめろ、ということです。不法入国やら不法滞在をしているのなら、それを合法にするために子供を作ろうというのは間違っていると思いますよ。つまりは、行動を自制しろということです。法律の問題ではなく分別の問題だと思いますけど。
 
at 2008/12/09 03:48:29

「平気でルール違反する人と同じ社会には住みたくない」と感じるのはもっともなことではありますが、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」とも「国籍法改正の是非」とも関係ないレベルのお話です。
どんどんレイヤーがずれていってます。

(事例7)
法を守らない人たちへの非難

apjさんは、法を守らない人たちへの非難を続けます。

紛らわしいことをすればそれなりに見られる (by apj)
maさん、

>不法滞在自体はルール違反ですが、在留中に恋愛したり結婚したりすることは別にルール違反じゃないでしょう。

 ってことは、やっぱり早期発見が大事ですね。「在留中」に恋愛したり結婚したりするのはルール違反ではないけど、それが「不法滞在中」にかかってしまえば、やっていることに自覚がないとみなせますし。

>罪を犯した人も同じ社会に住める

 ただし、刑事的責任の追及が終わった後で、ですよね。
at 2008/12/09 10:13:07

(事例8)
在留外国人の意図を詮索

apjさんは、rnaさんの「普通に好きな人ができて結婚するつもりで」という言葉に食いつき、「これをどうすれば検証できるのか」というトンチンカンな議論を始めてしまいます。
もう、わけが分かりません。

どうすれば検証できる? (by apj)
maさん、

>普通に好きな人ができて結婚するつもりで、という状況を想定してます

 これをどうすれば検証できるのか、ちょっと考えてみました。
(略)
 
at 2008/12/09 11:23:10 

(事例9)
親の責任を問題に

kyousumさんが、再び「法律改正してまで馬鹿親のフォロー」というapjさんの発言を俎上に上げます。

Re:思想の問題というよりも、信用されてないだけなんじゃ…… (by kyousum)
apjさんは

>「法律改正してまで馬鹿親のフォロー」

ということをおっしゃるのですが、なぜ親を中心に捉えるのですか?子の国籍取得の問題なのに。

国籍は国と子の間の問題です。親があげたりあげなかったりするものではありませんから、子を中心に考えるべき問題なのです。ですから、「馬鹿親のフォロー」だということにこだわるのはズレています。子どもの権利の問題です。

子どもの権利の問題であることを再度強調されたのにも関わらず、apjさんは、親の責任の問題に固執し続けます。

きっかけを作ったのは誰? (by apj)
kyousumさん、

>親があげたりあげなかったりするものではありません

 ややこしい状況を発生させたのは親ですよね。

>どれも子どもがコントロールできる問題ではないという点では共通しています。

 親にとっても不可抗力な問題と、親がコントロール可能な問題が混じってますよね。

 子供の権利の問題なのはわかってますし、違法ではないのもわかってますが,親の勝手のし放題を容認するのは釈然としません。だから、そこに至るまでの親の行動内容によっては「馬鹿親と呼ばせろ」程度のことは思いますけどね。
at 2008/12/09 11:54:52

本人は分かっていると言っていますが、結局全然分かっていません。

(事例10)
在留外国人の意図を詮索

apjさんのわけの分からない「検証」に、ZZZのつっこみが入ります。

何を検証しているのでしょうか? (by ZZZ)
「普通の恋愛」をしてできた子どもならば日本国籍を与えてよい
母親が滞在許可取得を狙って作った子どもならば日本国籍を与えるべきではない、ということでしょうか?

母親にどのような意図があろうとも、子どもに責任はないはずです。
母親の意図を探ったところで、子どもの扱いを買えることはできないでしょう。

at 2008/12/09 11:39:05

apjさんの答え。

前提が正しいかどうかです (by apj)
ZZZさん、

>「普通の恋愛」をしてできた子どもならば日本国籍を与えてよい
>母親が滞在許可取得を狙って作った子どもならば日本国籍を与えるべきではない、ということでしょうか?

 ではなくて、滞在許可取得のダシに使われているケースが多数とわかった場合は、滞在許可の出し方の方を何とかしろという話になるだろうということです。

 もともと、このエントリーは、出入国管理に対する不信があるのでは?という問題提起で書いてますから、不信があることを裏付けるかどうかという意味での検証になります。
at 2008/12/09 11:57:17

在留外国人の意図を詮索することが、どうして「出入国管理に対する不信があることを裏付けるかどうかという意味での検証」になるのでしょうか?
論理的に破綻しています。

この後もapjさんの支離滅裂な議論は続きますが、そろそろ私もいい加減飽きてきました。

最後に以下の発言を取り上げましょう。

(事例11)
専門家の軽視

問題に関する理解の不足は、専門家の軽視に結びつきます。
いや、専門家の軽視しているから、自らの理解の不足に気づくことができないのでしょうか。
以下の原告関係者を小バカにした物言いに注目してください。

追加です (by apj)
いーぐるさん、
 ところでその原告関係者、今回の私のエントリーのやりとりに反論するとしたら一体何をどう言うつもりなんでしょうかねぇ。面倒くさがってやる気なさそうですが^^;)。
 たとえばこんな内容を示せば私の論に対する反論になるんでしょうか。
・国籍法改正反対はゼノフォビアの人のみによって引き起こされた。
・反対した人の中で、出入国管理に不信感を持っている人などいない。反対理由を述べていることと不信感の存在は関係がない。
・出入国の管理に、一般人が不安を抱くような問題はない。
・私が列挙した管理不行き届きではないかという事例は、実は全て解決済みである。
・入国のハードルは今後上がる予定で、下がるというのは全くの杞憂。

 最後の2つはソースが出てくればOKだけど、それ以外は反論して示そうとしたら逆にぐだぐだになりそうな気がします……。 at 2008/12/09 20:18:19

後半の文章もひどいものです。
誰も「国籍法改正反対はゼノフォビアの人のみによって引き起こされた」と主張してなどいません。
相手の主張を歪曲し、証明のハードルを必要以上に上げてしまうというアンフェアなふるまいです。
その上、相手が馬鹿げた主張をしているかのように見せかけて叩くという意味で、「藁人形論法」でもあります。

また、「反対した人の中で、出入国管理に不信感を持っている人などいない」ことのソースを示すことができるか、などと言っていますが、「関係がない」ことの証明が不可能なのはapjさんも重々承知しているはずです。
これはニセ科学ビリーバーが自説の擁護する際によく使う論法です。
証明が求められているのは、「国籍法改正反対と出入国管理への不信感の関連」を主張するapjさん側です。

最後の一行は、専門家に対する敬意のかけらもない夜郎自大な発言です。

もう、これくらいで十分でしょう。

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2008年12月14日 (日)

apjさんへの応答(1-2)

次に「排外主義」について。

「国籍法改正」反対する人たちの動機に「排外主義」はないのでしょうか?

まずは、札幌国際大学教授の大月隆寛の文章を見てみましょう。

【断 大月隆寛】国籍法「改正」のもたらす未来

(略)
 「過疎」ということが言われ始めたのは高度成長期半ばと記憶します。それから40年あまり、今や「限界集落」と言葉も無残に変わり、「ムラ」は最終的にその姿を消し始めている。「ムラ」を最終的に絶滅に追い込み、「農」に代表される一次生産の場を考えなしにやせ衰えさせ、核家族化と少子化で減った労働力は付け焼き刃の外国人を「新」日本人に仕立てて埋め合わせ、一方、「先住」日本人たちはというと、列島を覆い尽くした「都市」の高度消費社会コロニーにおびえながらたてこもるしかなくなり、老いた少数派になってゆく…考えたくないですが、しかし、この「改正」国籍法後の日本を静かに想像してみると、最悪、そんな近未来すら思い浮かんできます。
 
 「ホワイトアイランド」と呼ばれたのは植民地時代、アフリカ諸国の都市。白人がたてこもるコロニーとしての「都市」と、それを取り巻く現地のネイティブたちという構図で、そこでは文化や民族問題は同時に貧困、階層問題でもありました。それと同様、わが国でも早晩、外国人含めた「新日本人」たちとの間に、「都鄙(とひ)」そして「内地雑居」といった古くて新しい問題が、21世紀的な文脈でもう1度浮上するはず。国籍法「改正」を支持した諸センセイ方、それに対する目算と覚悟はもちろん、おありですよね?(札幌国際大学教授)

国籍法改正が、どうしてこんなスケールの大きな話になってしまうのか、私には理解不能です。
「先住」日本人と「新」日本人という二分法(私には無意味なものとしか思えませんが)は、大月教授の「排外主義」をはっきりと示していると思います。

上品ぶった文章の中に皮肉を利かせてみせる大月隆寛教授に比べると、一般の人々の反応はもっと分かりやすいものです。
apjさんが「思想の問題というよりも、信用されてないだけなんじゃ……」を公開した前日の12月7日のblogを、「国籍法改正」というキーワードでGoogle検索して見てみましょう。

ttp://jyajyamore3rd.at.webry.info/200812/article_4.html
日本終わったな。国籍改悪法が成立したようです。
てゆか。成立した後で報道するマスコミってなんなの?んで改正法成立阻止のためにいろいろ運動してきた人を「右翼」とか「歴史修正主義者」だとか報道してんですけど。お前たちはマスゴミだ。
(略)
恥じるべきは、目の前の利権のために日本国を外国に売り渡す売国奴だ!
葦の小船に乗って全員日本からまとめて出ていけ!!!

ttp://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51260160.html
繁華街で客を引く外国人娼婦、

そのような者であっても日本人の子供を産みさえすれば日本国籍の名の下に堂々且つ公然たる経済活動が許される!

「日本国籍」というブランドさえあれば、いかなる犯罪に手を染めても決して日本から排除されることはない! 

そうした不良外国人女の背後にいるのが外国人犯罪組織であり暴力団組織である!

裏社会を肥え太らせる改悪国籍法を断固として廃案に追い込め!

ttp://setina.blog24.fc2.com/blog-entry-24.html
賛成した議員は全員氏ね
DNA鑑定必須だって言ってるだろ売国奴

こいつらの生活保護は当然国民に課税されるわけで
外国人生活保護費って確か85k円/月だっけ?
外国人保護するより日本に投資するのが先だろ・・

ttp://qendo18kai.iza.ne.jp/blog/entry/827468
国会議員は、日本国民の国益を守るために存在するのだ。

半島人のために画策する議員は不要である。

ありもしない「強制連行」や公娼制度の中の「慰安婦」の実態を学んでから政策論議してもらいたいと考えるのは老人だけではないのだぞ。

ttp://matukasa.blog32.fc2.com/blog-entry-377.html
結婚がいかにも古臭いしきたりと思われて、離婚が増え、結婚しない若者が増える中、挙句の果てに「両親の婚姻」を外す国籍法改正案が通るなど、政治レベルでも家庭の根底からの破壊するおかしな動きになっている昨今、思わぬところに影響をしてきているのでは・・・?そう感じて仕方が無い今日この頃です。

ttp://blog.goo.ne.jp/syarin_saihakken/e/584015a79e92fdbd6005f99565e8e12b
国家として国民を大事にすることは一理あることだ、
また世界中のことを考えて行動することが大事だというのにも一理ある。
しかし、国民の一部を犠牲にして、わずかな数の外国人を優遇しようといったら
どうだろう。
えらくおかしな主張だと感じる人が多いだろう。
これが、左翼の差別的な平等主義だ。
自分たちにとって都合のいい場所においては
異常なまでに完全でないと納得できない。
しかし、別の場所においてはいかに悲惨な差別が存在したとしても
まったく気にもならない。
だから、左翼は理想を掲げつつ中国共産党と北朝鮮という独裁国家を崇拝し続ける。

ttp://neyama.blog31.fc2.com/blog-entry-785.html
 しかし、問題は「偽装認知」だけではない。まず予想できるのは重国籍の問
題である。国籍法は、重国籍を認めていないが、日本国民と外国人との間に生まれた子どもについては22歳に達するまでに国籍を選択することを定めている。そのため、今回の法改正によって、未成年ではあっても、中国と日本、韓 国と日本のように二つの国籍を持つ、つまり重国籍者が確実に増えることとなる。

(略)

 仮に重国籍が認められれば、当然ながら、成人には参政権も付与される。中国との重国籍者が、台湾と隣接する与那国島や尖閣列島を管轄する石垣市に大量に住所を移して選挙権を行使したら、どうだうろか。また、韓国では対馬(竹島ではない!)が韓国領だとの主張が高まっているが、そんな韓国との重国籍者が対馬市に大量転入したら……こう考えると、恐ろしいものがある。

事実誤認妄想悪意にまみれたこれらの文章に排外主義を見て取ることができないとしたら不思議だと言うしかありません。

このような書き込みが多数存在するにもかかわらず、apjさんが「居もしない排外主義、歴史修正主義者」「思想の問題というよりも、信用されてないだけなんじゃ……」と書くことができたのは何故でしょうか。

考えられるのは、以下の五つです。

1.このような文章を目にしても排外主義とは感じなかった。
2.排外主義だとは思ったが、不法滞在や不法就労に起因するもっともな反応であると考えたので、問題としなかった。
3.たまたま排外主義的な意見を目にすることがなかった。
4.排外主義だとは思ったが、それが「国籍法改正」反対の動機だとは考えなかった。
5.そもそも、世間の反応を調べることをしなかった。

もし1だったとしたら、驚くべき鈍感さだと言わざるを得ません。
他人の排外主義に盲目なのは、自らも排外主義である者でしょう。
私は、apjさんが「排外主義者」と共通した心性の持ち主であるとみなします。

それでは、2はどうでしょうか。
以下のやり取りは、この解釈を裏付けるものように見えます。
kyousumさんのコメント。(at 2008/12/08 09:41:55)

私が見た限りでは、「ハーフの子などどうでも良い。『日本人』の不利益になる改正だから反対」だという意見の人や、「日本が大量に入国してくる外国人で乗っ取られる」といったゼノフォビアに基づくとしか思えない意見の人も見受けられました。「居もしない排外主義」というのは事実誤認と思います。たまたまapjさんが見かけなかっただけではないでしょうか?

上に対するapjさんのコメント。(at 2008/12/08 11:16:40)

>「日本が大量に入国してくる外国人で乗っ取られる」といったゼノフォビアに基づく

 そう考える人が出てくる背景には、不法就労や不法滞在を許さないということをきちんとやってこなかったということがあるのでは。その上、移民可にしようなどという話が出てくるので、さらに不安を煽る結果になっているのではないかと。不法就労や不法滞在の取り締まりをきびしくやって、管理可能な程度に入国のハードルを上げれば、「乗っ取られる」という不安を抱く人は減ると思いますけど。

しかし、この解釈は「居もしない排外主義」という表現を説明していません。
上のapjさんの答えは、「排外主義」が存在するのには理由がある、と言っていることになるわけですから、「居もしない排外主義」という表現とは矛盾します。
apjさんのコメントは、kyousumさんのコメントに対する回答とはなっていないのです。

3はどうでしょうか。
これは、私には考えにくいことです。
私が上に挙げたブログは、「国籍法改正」で検索して100程度見た中から、特にタチの悪いものを取り上げたものです。
apjさんも少し調べてみたら、この手の排外主義的な内容のブログはほぼ間違いなく目に入ったはずだと思います。

では、もし4または5であった場合はどうでしょうか。
apjさんは、「排外主義」と「国籍法改正反対」の結びつきを否定(または軽視)して、「不法滞在や不法就労に対する不安」を「国籍法改正反対」の原因として提示しています。
この二つを、「国籍法改正反対」を説明するための仮説として検討してみましょう。

(仮説1)「国籍法改正反対」は「不法滞在や不法就労に対する不安」によるものである
(仮説2)「国籍法改正反対」は「排外主義」によるものである

まず、(仮説1)から。
これはapjさんの説です。
この仮説は、以下のようなステップに分けることができるでしょう。

(ステップ1)日本では出入国管理が徹底されておらず、不法滞在や不法就労が適正に取り締まられていない
(ステップ2)そのため、多くの人が不法滞在や不法就労に対する不安を感じている
(ステップ3)不法滞在や不法就労に対する不安が「国籍法改正反対」の動きを引き起こしている

この仮説は現実に即しているのでしょうか。
各ステップごとに検討してみましょう。

まず、(ステップ1)はどうでしょうか。
apjさんは、コメント欄(真面目な方の中国人・韓国人だって迷惑 at 2008/12/08 19:27:24)で偽装結婚と偽装認知の事例を提示しています。
これに関しては、私の方で議論する準備ができていないので、ここでは論じません。
とりあえず、これが正しい主張であると仮定しておきます。

それでは、(ステップ2)はどうでしょうか。
不法滞在や不法就労に対する不安を感じている日本人は存在するのでしょうか。

理屈の上では、そのような不安を感じている日本人が存在することは自然なことであると言えるかもしれません。
しかし、apjさんはそのような日本人が実際に存在するという例を一切挙げていません(少なくとも、私が批判を書いた時点では)。

(ステップ3)も同様です。
「不法滞在や不法就労に対する不安が「国籍法改正反対」の動きを引き起こす」ということは、理屈の上では考えられないことではありません(私にはかなり不自然だと感じられますが)。
しかし、apjさんは「国籍法改正反対」を表明している人間が、同時に「不法滞在や不法就労に対する不安」を表明している事例を一切挙げていません

これは、apjさんが、(ステップ1)で偽装結婚と偽装認知の事例を持ち出しているのとは対照的です。

結局のところ、(仮説1)は、理屈の上ではかろうじて成立しているものの、それを裏付ける根拠をapjさんは示さなかった、ということになります。

一方、(仮説2)はどうでしょうか。
こちらも(仮説1)と同様に、ステップに分けて見ましょう。
(ステップ1)「排外主義」が存在する。
(ステップ2)「排外主義」の持ち主にとっては、「国籍法改正」は不都合なものとして受け取られている。
(ステップ3)「排外主義」が「国籍法改正反対」の動きを引き起こしている

これらの各ステップは、上に挙げた複数のブログの例で検証することができます。
これらのブログには、排外主義的な感情のために国籍法改正が否定的に受け止められている様子が容易に見て取ることができます。
よって、「国籍法改正反対」は「排外主義」によるものである、という主張は一定の妥当性を持つと言えるでしょう。
(もちろん、これは「排外主義」以外の要因が存在することを否定するものではありません。念のため。)

そもそも、落ち着いて考えてみれば、「排外主義が存在する」という主張と、「不法滞在やら不法就労に対する不安が存在する」という主張は排他的ではありません。
排外主義的な感情が不法滞在や不法就労に対する不安を強化する、ということも考えられるのですから。
(上に引用したapjさんの発言(at 2008/12/08 11:16:40)も、そのことを指摘しています。)

よって、(仮説2)は(仮説1)を包含する、より強力な仮説だと言うこともできます。それにも関わらず、apjさんは「排外主義が存在する」という主張を退け、自説に固執しました。
他に蓋然性の高い仮説が存在するのを無視して自分の気に入ったリクツに固執するのは、ニセ科学ビリーバーの特徴です。

ここら辺で、私の結論を書いてみましょう。

論点1の結論
「国籍法改正反対」の動きにおける「排外主義、歴史修正主義者」の関わりは無視できないものである。

apjさんは、

「排外主義に対して盲目である」

または、

「より自然な他説が存在するのを無視して自説に固執した」

のどちらかである。

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2008年12月13日 (土)

apjさんへの応答(1-1)

本記事は、apjさんの「思想の問題というよりも、信用されてないだけなんじゃ……」に関して私が書いた記事へのapjさんのコメントに対する応答です。

全部書き上げてから公開しようと思っていたのですが、大分時間がかかりそうなので、書き上げたところから公開していくことにします。
反論等は、できれば全部が公開されてからにしていただければありがたいです。

この記事を読む方へのお断り。
この記事では、私が特に疑問を感じた点に絞って書いていますので、その点を了承願います。
論点は他にも挙げることができると思いますが、議論を発散させたくないので。

では、始めます。

「居もしない排外主義、歴史修正主義者」?

論点1
「国籍法改正」反対者の過大な反応は何によるものなのか?
「国籍法改正」反対への「排外主義」「歴史修正主義」の関わりをどのように捉えるべきなのか?
上記に関するapjさんの判断および、そこに至るまでの手続きは妥当なものだったか?

まずは、発端となったapjさんの記事から、私が最初にひっかりを感じた部分を引用します。
文中の強調は引用者によるものです。

思想の問題というよりも、信用されてないだけなんじゃ……

(略)
 法にのっとった出入国管理が徹底されることが原則なのに、そっちがなかなかうまくいかない状態が長期間続いている。うまくいってないのに、日本に入国する外国人の数を増やそうとしている。このことによって、出入国管理に対する不信感は確実に増大しているはずである。そこに国籍法改正案なんか出したら、反発があるのがむしろ当たり前である。国籍法改正に対する反対が起きたのは政治思想によるものではなくて、これまでの出入国管理のやり方が信頼されていないことが積み重なっていたものが、国籍法をきっかけに出てきたということのように私には思える。
 もし、これまでに、やったもん勝ちにならないような出入国管理が十分に行われ、不法就労やら不法滞在を一掃するだけの実績を上げており、かつそのことが国民に周知されていたならば、国籍法改正が騒ぎになることはなかったのではないか。

 居もしない排外主義、歴史修正主義者などを探す暇があったら、条文通りの出入国の管理を徹底させることを、まずは実行してもらいたい。不法滞在やら不法就労やらを十分取り締まれていない現実があるのに、改正国籍法については悪用はされませんなどと説明したって、信用しろという方が無理である。
(略)

posted at 2008/12/08 04:23:11
lastupdate at 2008/12/08 05:04:59

さて、「居もしない排外主義、歴史修正主義者などを探す暇があったら」という部分は、apjさんも引用している「週刊金曜日」の記事中の以下の部分を受けてのものと思われます。

 民主党の古本伸一郎議員は「真正なる日本人の血統」という言葉を繰り返し、偽装認知防止策を訴えた。質問に立った多くの議員が同様の質問を行なったが、法案は全会一致で可決、参議院へ送付された。
 衆議院で可決されたにもかかわらず、反対派の議員は国会内で反対集会を行なうなど、この法案への反対を訴えていた。その中心メンバーが、平沼赳夫議員や稲田議員、山谷えり子議員ら、歴史修正主義者たちだった。

まずは「歴史修正主義者」について検討してみます。

文中に名前が挙げられた人たちは、「歴史修正主義者」なのでしょうか?
それとも、「歴史修正主義者」ではないのでしょうか?

手近な情報ソースとして、Wikipediaを参照してみましょう。
(Wikipediaの信頼性云々の議論は別のところでやってください。)

Wikipedia -稲田朋美 
Wikipedia -平沼赳夫 
Wikipedia -山谷えり子

上記Wikipediaの記事に目を通しただけでも、稲田と平沼「南京虐殺」や「従軍慰安婦」に関して、特定のスタンスをとっていること、山谷が右寄りの政治家であること、は容易に推測できるでしょう。

わざわざ調べることをしなくても、これらの人たちの名前は新聞やニュース等で目にする機会があるはずです。
最近でも、映画「靖国」に関する騒動が、各メディアで大きく取り上げられましたが、稲田朋美の名前もその中に登場します。
以下はその一例。

映画「靖国」問題、騒動の背景は?

「国籍法改正」反対の動きに、「歴史修正主義者」が関わっていることは明白だと、私は考えます。
もちろん、「国籍法改正」反対したのは、「歴史修正主義者」と呼ばれている人たちだけではなく、田中康夫など、一般には「リベラル」と思われていた者も存在するわけですが、だからと言って、「歴史修正主義者」の関与が否定されるわけではありません.。

私には、apjさんが「居もしない排外主義、歴史修正主義者」と書いた真意がよく分かりません。
私の頭で考え付く解釈は、以下の通りです。

1.そもそも「歴史修正主義者」など存在しない。
  「歴史修正主義者」とは、左翼が勝手に作ったレッテルなので認めない。
  よって、稲田や平沼も「歴史修正主義者」ではない。
2.「歴史修正主義者」は存在し、稲田や平沼も「歴史修正主義者」だが、「国籍法改正」反対との関わりはない。
3.単純に上記の人々が「歴史修正主義者」と言われていることを知らなかった。

1ということであれば、政治的スタンスの問題ということになります。
私自身は「左寄り」の考えの持ち主と自認していますので、今回の件に関するapjさんと私の見方の違いは、政治的スタンスの違いに帰着することになるでしょう。
この場合、ここで「歴史修正主義者」の存在について議論をしても決着がつくことはおそらくないでしょうから、私はこれ以上の議論を望みません。

2は、ちょっと考えにくい解釈です。
稲田朋美や平沼赳夫が歴史修正主義者であることを認めた上で、「国籍法改正」反対への歴史修正主義者の関わりを否定するというのは辻褄が合いません。
この解釈だと、apjさんはちょっと頭が混乱していた、ということになります。

3であれば、最低限の調査もせずに「居もしない排外主義、歴史修正主義者」と書いたことになり、その手抜きぶりを非難せざるをえません。

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「サキヨミ」に福岡伸一出演

(精神的に)疲れたので、息抜きのために小ネタを。

「サキヨミ」に福岡伸一が出演します。

福岡ハカセのささやかな言葉

■フジテレビ 「サキヨミ」
放送日時 >> 12月14日(日)22:00-23:15

福岡伸一ウォッチャー(っているのか?)は必見。

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2008年12月10日 (水)

火中の栗

例の件だが、コメント欄でやり取りが続いてるけど、apjさんはまだよく分かってなさそう。
増田がこんなこと言ってるんで

ネット右翼を笑えないエセ科学批判の科学者

ようはさ、何だかんだ理屈こねるけど、科学を絶対的真理だとどっかで誤解してて、それがいろんな言説の支えになってて、あげくのはてにエセ科学批判は市民運動みたいな言われ方までされるんだよ。だからさ、こういう人はとっとと切らないといけないんだよ。エセ科学批判する科学者としてはまとも、とかバカなこと言ってないでさ。周回遅れだのなんだのいって、結局なんにも分かってない、議論が実際に反映されてない、いい証拠だよ。エセ科学批判のまともな先生たちは、ここを反省しなきゃならないんだよって、何回いっても分かってもらえそうにないけどね。

ここは、あえて火中の栗を拾いに行って、apjさんをきっちり批判しておこうと思ったのだが、私の言いたいことは、もう書かれちゃってました。

NC-15 ニセ科学批判してる先生の発言がニセ科学信者とさほど変わらない件について

付け加えることないなあ。

要するに、今回の件は

法の瑕疵で法の谷間に落ちちまったガキをどう救済するか。そういうシンプルな話

なんであって

そもそもガキの国籍の話が何故出入国管理の話になるのかわからねえんですけどね。事象のレイヤーが違う話だろ。

おっしゃるとおりでございます。

はてブ経由で知ったのだが、

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/e0010.html
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/e0011.html

これを見ると、昔から変わってないみたいですね。
今回の件も、何でこんなに批判されてるのか分かってないんじゃないかなあ。

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e-politics - 国籍法改正

国籍法改正に疑問を持ってる人は、以下に目を通しておいたらいいんじゃないですか。

e-politics - 国籍法改正

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田中康夫

いやはや。

お友達の浅田彰はどう思ってるんですかね。
次号の「ソトコト」の「憂国呆談」でどう発言するか楽しみ。
東浩紀に続いて、日本のポストモダニストの真価が問われるところですな(笑)。

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2008年12月 9日 (火)

福岡伸一とDNA鑑定

「国籍法改正」で検索して出てくるブログを眺めていって、頭がクラクラしそうになってきております。
そんな中、macskaさんのところで、福岡伸一が、今回の件にからんでいることを知る。

macska dot org in exile

ウーン。
別に間違ったことを言っているわけではないのだが、ビミョーに斜め上を行っちゃってるような。

 その人の出自を探るとか、何か民族性とリンクしているというのは、幻想なんですね。だからやっぱりそこには、DNAをめぐる神話と真実が如実に表れていて。たとえば嫌がるものを無理矢理ね、採取して調べるという点が人権侵害であるということにおいては、指紋を無理矢理押させるのと、無理矢理DNAサンプルを取られるというのは、同じく人権侵害だと思います。ですから、その用途をですね、非常に限定すれば、親子鑑定に使うという点に関しは、有効なツールだとわたしは思いますけれども、そのために、そのことが濫用されないいろいろなバウンダリー・コンディションを整える必要があると思います。

そもそも、今回の件でDNA鑑定を「民族性とリンクして」論じている人間なんているんですかね?
「DNAをめぐる神話と真実」なんて、今回の件とは何の関係もないでしょ。
問題は、「生物学的な親子関係の確認」が法体系の中でどう位置づけられるかと言うことであって。
と言うわけで、以下を参照。

■国籍法改正について語るための基礎知識(3):「DNA鑑定」導入までの5つのハードル

DNA鑑定自体やその濫用が問題なわけじゃなくて、「DNA鑑定の対象を平等原則に反するんじゃないか」ということですね。
その上、衆議院法務委員会で法務省民事局長の以下の発言

偽装認知のためにDNA鑑定すべきじゃないかと、これもよく分かる議論なんですが、実は議員の皆様方ご承知と思いますが、日本の民法の親子関係を決める手続きと言うのは認知で決まる。

そのときにDNA鑑定を出せなんていうことは言わないわけでございます。

ここに家族の情愛で自分の子供だと認知したと言うのだったら、それでとりあえずの手続きを進めて、後でおかしなことがあったら親子関係不存在とかそういうのでひっくり返していく。あるいは嫡出否認なんかでひっくり返していくと。こういう法制度。これが日本の独特の制度でございます。

それを踏まえますとDNA鑑定を最初の認知の段階で持ち込むことになりますと、やはり親子関係法制全体に大きな影響を及ぼすなど、これを私どもとしては考えざるを得ません。

これでも分かるように、「生物学的な親子関係」というものは日本の法制度上の親子関係とピッタリ重なるものではない、と。

だから、この議論に関しては「生物学者」の出番はない。
福岡伸一の言っていることは意味がないのです。
まあ、福岡伸一が悪いと言うよりも、ゲストの「生物学者」にこういう話題を振る、田中康夫と番組側に問題があるんですけどね。
田中康夫にいいように利用されちゃってる福岡伸一もダメだとは思いますが。

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2008年12月 8日 (月)

団まりな

図書館に行って『細胞の意思』にザッと目を通してみましたけど…。
やっぱり、これ、「と」だと思いますよ。
これについては、後でじっくり書きます。
(最近、このセリフ多いなあ。)

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国籍法改正

国籍法改正の話題は、いくつかのブログでチラチラと目に入ってはいたのだが、ちゃんと読んでおらず、誰がどういう理由で反対しているかもつかめてなくて、「はあ、何かまずいことでもあるんですか?」くらいに思っていたのだが・・・。
色々目を通してみて、驚いた。

何で反対してるんだ!

私には、この法律に反対する合理的な理由が一つも見出せなかったですね。
apjさんも、何かヘンなこと書いてるなあ。

思想の問題というよりも、信用されてないだけなんじゃ……

コメント欄での発言も含めて、サッパリ理解できませんでした。

(追記)
国籍法改正の経緯については、以下の説明が分かりやすくていいですね。

半可思惟  ■国籍法改正について語るための基礎知識(1):違憲判決の図解

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2008年12月 6日 (土)

とり・みき

PUPAのライブに、とり・みきも観に来ていたことを知る。
ブログも始めたそうで。

TORI MIKI'S BLOG

とり・みきのマンガを初めて読んだのは『ひいびい・じいびい』の頃だから…約20年前か。
ファン暦長いなあ。
あの「理数系ギャグ」が趣味に合ったのですよねえ。

正直言って、この何年かに出たものは、あまり読んでなかったりするのだが、新刊が2冊でたということで、「とり・みき祭り」的な気分になり、2冊とも買った。
『ロボ道楽の逆襲』は短編集。
ちょっと内田百鬼園風の不条理ホラー「蝙蝠」が一番面白かった。

ロボ道楽の逆襲 (CUE COMICS) (CUE COMICS) Book ロボ道楽の逆襲 (CUE COMICS) (CUE COMICS)

著者:とり・ みき
販売元:イースト・プレス
Amazon.co.jpで詳細を確認する

『冷食捜査官』は連作集。
ハードボイルドとギャグの融合。

冷食捜査官 1 (1) (モーニングKC) Book 冷食捜査官 1 (1) (モーニングKC)

著者:とり・みき
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


どちらも面白かった。
やっぱり、自分はとり・みきのギャグマンがが好きなのだと再確認。

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PUPA 208.11.30

渋谷C.C.Lemonホールへ。
ここに行くのは実は初めて。
向かう途中の案内板の表示が「渋谷公会堂」のままになっていて、「ふざけた名前つけてんじゃねーよ」という無言の抵抗を感じました。

座ってライブを観るのは久しぶりで、違和感が。
私はスタンディングのほうが好きだな。

予告通り、ゲストで細野晴臣が登場。
「リハなし」とか言ったので、1曲くらいで帰っちゃうのかなと思ったら、4曲もベースを弾いてくれました。
高橋幸宏のドラムと細野晴臣のベースをバックに原田知世がバカラックの「Are You There」を歌って、「いいものを見させてもらったなあ」、と。
アンコールでは、「It's gonna work out」もやって、幸宏ファンとしては歓喜乱舞、いや、実際は座って聴きましたけど、まあ、気持ちとしてはそういう感じ。
原田知世のソロの曲もやって、何かほとんどアイドル歌謡みたいな雰囲気で、「エレクトロニカはどこに?」って感じでしたけど。
会場も元渋谷公会堂だし、「ザ・トップテン」みたいで。
いや、別に悪い意味ではなくて、とても良かったです。
2時間くらいで終了。

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『ディファレンス・エンジン』ギブスン/スターリング

初めて読んでから17年後の再読。
前に読んだときは、やけに読みにくくて、内容が全然頭に入ってこなかったのだけど、今回は、まあ何とか理解できましたよ。
で、結論。
「やっぱ、つまらん」
きくまこ先生や巽孝之なんかがやたら持ち上げてるけど、つまらないものはつまらないと言うしかない。
つまらないのは、作品の核となるアイディアが描写によって示されずに、セリフや地の文で直接的に説明されてしまっているところ。
そもそも、アイディア自体もそれほど面白いものとは思えない。
バージェス動物群は、蒸気機関コンピュータが発達したもう一つのヴィクトリア朝の象徴なのだ、とか言われても、「フーン、だから何?」としか思わないな。
ストーリーは退屈だし、歴史改変小説としても大して面白みがあるわけじゃないし、全然面白がるポイントを見つけることができませんでした。

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加藤周一死去

訃報 「日本文学史序説」加藤周一さん死去=89歳

89歳ですか。
最後まで老醜をさらすこともなく活動し続けていたんだから、立派なものです。
これで、躊躇なしに「知識人」と呼べる人間は日本に一人もいなくなったな。
一流大学の教授だとか、何か有名な賞をもらっている、なんてことくらいでは「知識人」とは呼べないのですよ。

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『HOW BUILDINGS LEARN』

YAMDAS現更新履歴経由で。
とても興味深い。

aki's STOCKTAKING   HOW BUILDINGS LEARN / digest

5. 建築雑誌的建物--No Road

大部分の建物は、High Roadの美点もLow Roadのよさも持っていない。要するに、時間とどんな関係を持つことも拒否し、時の経過は建物を侵食するにすぎないと考えているのである。なかでも最悪なのが有名な新築ビル、有名になりたいビル、有名なビルの物まねやそのまた物まねのビルである。

1986年に、MITにいわゆる<メディア・ラボ>館が建築された。ルーブルのガラスのピラミッドを設計した当代アメリカ随一の建築家とされるI・M・ペイの設計である。実際にこのビルのなかに研究室を持った私は、50億円以上もかけたこの華麗なビルのあまりの不便さ、融通のきかなさにショックを受けた。

しかし、これはけっして例外的なことではなく、むしろ、建築家が細かく設計しすぎた新しいビルではむしろこれが当たり前になっている。M・ミンスキーによれば、「問題は建築家が自分たちは芸術家だと思っていることだ」という。芸術は本質的に非機能的、非現実的なものであり、月並みを排し新奇を尊ぶものであり、芸術的建築は遠くから鑑賞されるべきものである。芸術は流行を生む。流行とはスタイルを意味するが、スタイルは目くらましであり、機能性とは相容れない。
元凶は建築写真にある、とカリフォルニア大学バークレー校建築学科の教授、クレア・クーパー・マーカスはいう。「仕事をとるためには賞をとる必要があるけど、その賞の選考は写真をもとに行われる。(・・・・)
人々が建物を使い始める前の、純粋に視覚的な写真だけが基準なんです」そこで、野心的な建築家は、機能を犠牲にしても、写真の見映えを優先して設計するわけである。
(略)

9.民衆による建築--建物は相互に学びあう

民衆による建築というのは、いわゆる<アカデミックな><洗練された><最新のスタイル>の建築とは対極にある、専門の建築家が設計した物でない建物、要するに、この世界の大半の建物ということである。

こういう住宅の場合、家を建てようとする人は地元の建築業者と話し合い、共通の経験をどだいにして一緒に家を設計する。正式な図面の必要はない。紙に書いた図面が存在するのは文化的な衰弱のしるしで、それだけ互いに頭のなかで描く物にずれが出てきていることを意味する。

建築家は古い問題に新しい解答を用意しようとするが、名もない地元の建築業者は古い問題にはむかしから実証されている古い解決法を受け入れることで満足する。そうやって、何世代にもわたって、新しい建築は年月を経た古い建物のよいところを真似して建てられ、ゆっくりと進化していく。(建物は学ぶのである。)民衆による設計の核にあるのはスタイルではなく、フォーム[定形]である。スタイルは時に弄ばれるが、フォームは時から学びとる。(北欧の森林地域に紀元前から見られる細長い三角屋根の民家、ナンタケットの捕鯨の町の住宅、マレーの住宅などの例を紹介。)

最新スタイルのビルの場合には、建築家が命令をくだし、クライアントがそれを受け容れるが、ほかの大半の建物では、事はそんなふうには運ばない。クライアントはめったに革新的なものは採り入れない。彼らは主に借用するのだ。どこかで気に入ったものを見ると、あんなふうにしてほしいという。

地域的な伝統を現代に活かして魔法のような成功を収めた例に、いわゆる<サンタ・フェ・スタイル>がある。プエブロ・インディアンの伝統的な住宅にスペイン人の影響が加わり、さらにヤンキーによる技術革新が採り入れられて成立していたこの日干しレンガの住宅を、今世紀に入って町の再開発委員会が採用して広めた結果、サンタ・フェはアメリカでもっとも美しい古い町という評価を得ることに成功した。

しかし、建築家が伝統的な民家の様式を採り入れて設計するというやり方をとったため、ひとつのフォーム[定形] だったものがスタイルに変質し、本来きわめて柔軟な構造をもっていた日干しレンガの家は、初めから細部まで決定されたものになって、美しい形だけが受け継がれ、伝統的な住まいの知恵(柔軟性)は失われた。

著者はさらにアメリカで広範な人気を博した3つのタイプの住宅--ケープ・コッド住宅、バンガロー、移動住宅--の人気の秘密について考えている。この3つのタイプに共通するのは小さいことと増築の容易さだが、とりわけ、移動住宅(トレーラー)には<プロセスの美学>ともいうべきものがあり、あからさまに未完成で、間に合わせの住居にすぎないという特性がある。建築家が単にスタイルを採り入れるのではなく、こういう伝統的な民家のもつ構造的な柔軟性を採り入れた設計をするようになれば、必要なだけオリジナルであると同時に、とても親しみのもてる、気分のいい、しかも、変化を促してくれるような建物ができるのではないか。

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子どもの言葉2

再び、イェスペルセンの『言語』から。

人ともに分からないという利点をもつことに気がつくことがあり、こうして意識的に、「秘密のことば」を発達させることかありうる。こういうことばの中には、一学校のみに限られるものもあるが、また、全国のある年齢の子どもたちに広く一般に用いられるものもありうる。「M入れことば」や「S入れことば」というのは、mやsを〔ふつうのことばの中に〕入れることであり、たとえばgoing out to-dayを、goming mount tomdaymとかgosing outs tosdaysとか言う。「マロースキーイング」とか「ホスピタル・グリーク」とか呼ばれるものは、単語の初順位音を入れ加え、plenty of rainをrenty of plain と言い、butterflyをflutterbyと言う。(〔パブリックスクールの〕ウィンチェスター校の)「ジフ」あるいは「ハイパニーズ」というのは、二つの初頭位子音の最初のものをwaに置き代え、その上でpまたはgを挿入する。そこでbreeches〔二半ズボン〕はwareechpesとなり、pennyはpegennepyとなる。

クレイグ・ライスの「スイート・ホーム殺人事件」の場面を思い出す。

「ダガ・イキ・ジョコ・ブク?」ダイナがエープリルにいいました。
「ゼッケ・タカ・イキ・ニキ」エープリルは嬉しそうです。
「英語でおっしゃい」マリアソ・カーステアズは難しい顔をこしらえていいました。 「英語なんだい」アーチーが黄色い声をあげました。「タット王の英語なんだい。あの意味教えてあげようか。みんな始めの字の  」
「オコ・ダカ・マカ・リキ」エープリルが慌てていいながら、食卓の下で彼を蹴りました。
 アーチーは何かブツブツいいながらやめてしまいました。

以下も面白い。

すでに存在していた思考の糸が切れることではなくて、新しい世代の幼児が、年長者の世代にあっては一つの単語ともう一つの単語とを結びつけていた思考の糸を、決して自分では作り上げない、という事実であるということを、心に留めることが大切である。時としては、子どもの頭の中には、まるで観念の結びつきがないことがある。一つの単語が、まったくそれだけ孤立して丸ごと考えられ、のちになって初めて、その語源的関係が認識されるようになるらしい。六歳の女児が、いつ自分は生まれたのかと尋ねた。「あんたは、十月二日に生まれたのよ。」「あらそれじゃ、わたしは誕生日に生まれたのね!」と彼女は叫び、このとてもうれしい偶然の一致に目は喜びで輝いていた。

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2008年12月 3日 (水)

漢字一文字

2008の世相を表す漢字、それは?!(ココログニュース)

毎年思うのだが、こんなことして何の意味があるのだろうか。
遊びとしても至極つまらないものだ。
流行語大賞も同様。

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引用

前にも考えたのだが、引用だけでブログを成立させることもできるんじゃないか。
下手に自分で文章を書くより、そっちの方が面白いんじゃないか。

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子どもの言葉

まとまった文章を書く余裕がないので、他人の文章の引用でお茶を濁す。
今読んでいる岩波文庫の『言語』(イェスペルセン)から。

時として子どもはある単語をなにか二次的意味ではじめに覚える。ある田舎の子どもがはじめてコペンハーゲンに来て兵隊を見ると言うには、「あそこにtin-soldier〔おもちゃの兵隊〕がいる」(二歳0ヵ月)。シュテルンはかれの娘が田舎に連れてゆかれた時の話をして言うには、娘は豚の背中をかるく叩いてやろうと思ったが、「豚はいつも汚い所にいるのよ」と言われて止められ、急に新しく考えついた、「ああ、だから豚っていうのね、汚いからね。だけど汚い所に寝ていなければ、なんていう名なのかしら。」歴史は繰り返す。つい先だってもある教師が手紙をよこして言うには、生徒の一人が作文をこう始めたという、「豚とはうまく名づけたものである、なにしろブタ的であるから。」
 似かよった音をもつ単語も、混同されやすい。何人もの子どもは成熟するまでに、soldier〔兵士〕とshoulder〔肩〕、hassock〔ひざぶとん〕とcassock〔黒の司祭服〕、diary〔日記〕とdairy〔乳しぼり場〕の区別に難儀をして来ている。グレンコナー夫人は書いている、「かれら〔子どもたち〕はほとんどつねに、(メロンのことを)レモンと言い、正しく言おうと努力するとやはり発音を間違う。「メリンと言ってはいけません。」「わかりました。メラムですね。」」

われわれ〔成人〕は書いたり印刷されたりするもので、各単語のあとに少しアキを入れた文を見慣れているので、話される言葉について全く違った観念をもっている。話される言語では、単語は少しの切れ目もなく次々と続き、結局話手が単語を探してためらうか、言いたいことの終わりまで来るかして切れるのである。not at allはnot a tallのようにきこえる。ここで多くの場合、子どもの側で、なにが一語でなにが二語や三語であるかを見出すには、多くの量の比較と分析とが必要になる,前に述べたことであるが、”How big is the boyという質問は、聞かれる子どもにとっては単一の表現であり、かれの分析力を越え、他の句についても、ずっと後年まで同じことである。そこで子どもは、誤った切り方をし、語部を一単語として扱うか、一単語を語群として扱うかする。二歳六ヵ月のある女児は、弟にどいてもらいたい時にはいつもTanobijeuという用語を用いた。両親はついに、この子は年長の子どもたちが用いていた句を耳で聞いて短縮したのだということを発見した。それは"Tend to your own business"〔大きなお世話だ、ほっといてくれ〕というのであった(オーシェー)。
 ある子どもは、いとこにAunt Katie〔ケーティーおばさん〕と呼びかけ、「わたしはAunt Katieではないの、ただのケーティーなの」と言われ、翌日、「おはようございます、ただのケーティーおばさん」と言った(翻訳)。You are a good boy〔いい子だね〕と言ってほめられた子どもは、母親に言った、「お母さん、いい子だね」(二歳八ヵ月)。
 セシル・Hちゃん(四歳0ヵ月)はパーティーから帰って来て、とてもおいしいものをもらって食べたと言った。「何なの?」「Rats.」「違う、違う」「じゃあ、mice」彼女はsome-ice〔アイスクリーム〕を食べるかと聞かれ、それがsome miceだととったのであった〔その連想でratsと間違えた〕。S・Lちゃん(二歳六ヵ月)はしじゅう、a bananaのつもりでabananaを用いた。この形は”Will you have a banana?"〔バナナがほしいか〕という質問から来たものらしいが、May I have an ababana ?”といった文で用いられたのであった。子どもたちはしばしばappleの意でnappleと言うものであるが、これはan-appleの誤った分割から生じており、またenormousのつもりでnormousと言う。

Book 言語 上―その本質・発達・起源 (岩波文庫 青 657-1)

著者:オットー・イェスペルセン
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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