« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

2009年1月27日 (火)

TBSラジオ環境キャンペーン

福岡ハカセ、ホントに人気者ですな。

特別番組『食べるって何だ?~福岡伸一教授と考える これからの「食」』

放送日:2009年2月8日(日)8時30分~9時55分
出演:福岡伸一(分子生物学者、青山学院大学教授)、久保田智子(TBSアナウンサー)

TBSラジオでは、2月2日(月)から2月11日(水・祝)まで、第14期環境キャンペーンを開催します。

今回も、「今日よりちょっといい、明日を」のスローガンのもと、
リスナーに環境問題への気づきを感じとってもらえるよう、
特別番組を含む13の番組で各パーソナリティの視点から環境問題を取り上げて行きます。

また、2月8日(日)8時55分~9時55分には、環境キャンペーン特別番組
『食べるって何だ?~福岡伸一教授と考える これからの食』を放送します。
分子生物学者の福岡伸一教授を迎え、現代の「食」について考えていきます。

「食」は誰にとっても大切なもの。食べるってことは何?
番組はそんな素朴な問いかけから始まります。

地球環境は、個々の部品の寄せ集めではありません。
生物や無生物がさまざまなかたちで複雑に関与しあうことで地球という生命系が維持されています。

「食」はそんな大きな流れの中の重要な要素。
「食」は「食べもの」ではなく、命の循環の一断面・・・

今回は福岡教授と「食」について、そして「大きな生命の環」について考えます。
そうすれば、ふだん口にする、にんじん、キャベツ、牛肉やこんにゃくも、
今までとは違って見えてくることでしょう。

どうぞお楽しみに。

内容は想像つくけど、一応チェックしておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月26日 (月)

また「動的平衡」とか言ってるよ

「動的平衡」なんて意味ないんだってば、と言ってるそばから

動的平衡 あなたの身体は分子の「淀み」

内容紹介
「ハカセ、生きているってなんですか?」
哲学する分子生物学者が問う「命の不思議」
10年におよぶ画期的論考の決定版

生物を構成する分子は日々入れ替わっている。
私たちは「私たちが食べたもの」にすぎない。
すべての生物は分子の「流れ」の中の「淀み」なのである。
しかし、その肉体、タンパク質の集合体に、なぜ「いのち」が宿るのか。
遺伝子工学、最先端医学は生物を機械のように捉えていないか。
生命の「背景」にある「時間」を忘れていないか。
いったい、生命とは何なのか。哲学する分子生物学者が永遠の命題に挑む!

「哲学する分子生物学者」ねえ……。

著者からのコメント
生命現象の核心を解くキーワード、それは<動的平衡> (dynamic equilibrium ダイナミック・イクイリブリアム)。

私たちは、自分は自分だ、自分の身体は自分のものだ、という風に、確固たる自己の存在を信じているけれど、それは実は、思うほど確実なものではない。私たちの身体は、タンパク質、炭水化物、脂質、核酸などの分子で構成されている。しかし、それら分子はそこにずっととどまっているのでもなければ、固定されたものでもない。分子は絶え間なく動いている。間断なく分解と合成を繰り返している。休みなく出入りしている。実体としての物質はそこにはない。一年前の私と今日の私は分子的にいうと全くの別物である。そして現在もなお入れ替わり続けている。

つまり、私たちの身体は分子の「淀み」でしかない。それも、ほんの一瞬の。私たちの生命は、分子の流れの中にこそある。とまることなく流れつつ、あやういバランスの上にある。それが生命であり、そのあり方を言い表す言葉が、本書のタイトル、<動的平衡>である。本書は、最初から最後まで、<動的平衡>とは一体何なのか、どのように成り立ち、いかにふるまうかを考えた本である。

爪や皮膚、髪の毛であれば、絶えず置き換わっていることが実感できる。しかし私たちの全身の細胞のそのすべてで置き換わりが起きている。固い骨や歯のような部位でもその内部は動的平衡状態である。お腹の回りの脂肪も、たえず運び出され、たえず蓄えられている。分裂しないはずの脳細胞でもその中身やDNAは作り替えられる。

なぜそれほどまでに、あえどのない自転車操業のような営みを繰り返さねばならないのか。それは、絶え間なく壊すことしか、損なわれないようにする方法がないからである。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを選びとった。それが動的平衡である。

生命は、必死に自転車をこいでいる。追手から逃れるために。追手は生命をとらえて、その秩序を壊そうとたくらむ。温かな血潮を冷まそうとする。循環を止めようとする。追手の名は、エントロピー増大の法則。輝けるものはいつか錆び、支柱や梁はいずれ朽ち果てる。いかなる情熱もやがては消え、整理整頓された机の上もすぐに本や書類が積みあがる。乱雑さ(エントロピー)が増える方向に時間は流れ、時間の流れは乱雑さが増える方向に進む。生命も、この宇宙の大原則から免れることはできない。しかし、エントロピー増大の法則に先回りして自らをあえて壊し、そして作り変えるという自転車操業を続ける限りにおいて、生物はその生命を維持することができる。私たちの身体において、たゆまず、けなげに自転車をこぎつづけているもの、それが動的平衡である。

あなたは本書を読み終わった後、季節の移ろいを感じ、高い空を見上げ、いろんな思いを巡らせることだろう。あるいは、たくさんの友達と会話することだろう。その時々に、こう言ってほしい。「ああそれはね、動的平衡だよ」と。

言わねーよ!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月25日 (日)

福岡伸一とコラーゲン(追記あり)

「コラーゲンは食べても効果はない」とあちこちで吹聴していた福岡センセイなんですが

しがない元DTP屋の独り言 コラーゲンは食べても効果無しはどうやら嘘のようだ

福岡センセイ、お手つきです。
「効果はない」なんて断言せずに、「効果があるという根拠は見つかっていない」くらいの言い方にしておけば言い逃れできたのにねえ。
ま、自業自得です。

(追記 2009.1.26)
上のニュースが発表される前に、こんなやり取りがあった模様。

http://news4vip.livedoor.biz/archives/51239486.html

35. Posted by 名無しクオリティ    2008年12月13日 18:22
コラーゲンは、ヒドロキシプロリンが消化酵素に対して抵抗性を持っているので、アミノ酸まで完全に分解されずに一部はペプチド断片となって吸収される。そのペプチド断片がコラーゲン生合成経路に働いて生合成が活性化される。その機構は解明されていないけど、in vivoでそういう結果は出てる。コラーゲンは単なるアミノ酸源として働いてるわけじゃないってのは正解だけど、効果がないってのは嘘。
プラセボ効果もあるかもわからんが。
しかもコラーゲンの構成アミノ酸の1/3を占めるグリシンってのも実は『睡眠の質を改善する』といった効果が発表されてるんだぜ。ちなみにグリシンは日持ち向上剤として使われているんだけどな。
日本人の科学リテラシーの無さにはがっかりだぜ。

39. Posted by 名無しクオリティ    2008年12月13日 18:45
米35
> そのペプチド断片がコラーゲン生合成経路に働いて生合成が活性化される。
> その機構は解明されていないけど、in vivoでそういう結果は出てる。
アーチファクトを解消してから語れよ。

42. Posted by 名無しクオリティ    2008年12月13日 19:02
ごもっとも。
ただ、コラーゲンやコラーゲンペプチドを摂食すると結果としてコラーゲン生合成が活性化されるという事実はあるので、「コラーゲン摂食が肌に良いというのは嘘」は間違ってるということを言いたかっただけです。
肌にいいということは実はかなり前からわかっていたけど、そのメカニズムは依然不明で、以前はコラーゲン分解物がそのままアミノ酸源になるからというのが定説だったけど、ここ数年でそれは間違いでどうやらコラーゲンペプチドが関与しているんじゃないかというのが常識になっています。解明される日も遠くないんではないでしょうか。
未だにコラーゲンがアミノ酸源とかそうじゃないとかの議論が教授から出ることに唖然です。おそらく、記者が誤解して間違った記事を書いたんでしょう。

上の35番さんの方が、福岡ハカセより信用できるんじゃない?

| | コメント (6) | トラックバック (0)

「動的平衡」と言う虚仮おどし

福岡伸一は、『できそこないの男たち』の出版により、いよいよ「気鋭の生物学者」として「ブレーク」したようだ。
複数の雑誌に連載を持ち、科学の話題になるとコメントを求められ、テレビのニュース番組にまで出演するようになった。
さすがの福岡氏もネタの使い回しが多くなり、福岡伸一ウォッチャーの私もいちいち取り上げようという気が起きなくなってきている。
しかし、あまりに愚劣な発言を目にしてしまうと、取り上げずにはいられないのである。

福岡は、『ハチはなぜ大量死したのか』という本に以下のような解説の文章を書いているようである。。
「三上のブログ  蜂崩壊症候群(CCD, Colony Collapse Disorder)」から再引用する。

 本書は単に、ハチの奇病についてレポートしたものではない。より大きな問題についての告発の書であり、極めて優れた環境問題の書であるといえる。それは私たち人間が、近代主義の名において、自然という動的平衡に対して無原則な操作的介入を推し進めた結果、何がもたらされうるか、すでに何がもたらされたかという告発である。狂牛病は、そして蜂群崩壊症候群は、まぎれもなく動的平衡が乱されたことを示す悲痛な叫び声であり、自然界からのある種の報復である。

 では、私たちは一体どうしたらよいのだろうか。その答えも本書の中にある。病気に対して手当たり次第、薬を飲むごとく、操作的介入を行うごとき行為の果てに答えは存在しない。答えは、自然界が持つ動的平衡の内部にしかない。(中略)病気への対応は、乱された動的平衡状態が、次の安定状態に移行する過程で見出される復元力(リジリエンス)としてしかあらわれることはない。本書の最も重要なメッセージはここにある。復元もまた動的平衡の特質であり、本質なのだ。

 事態はさらに深刻であり逼迫している。私たちはひょっとするとその復元力さえも損なうほどに、自然の動的平衡を撹乱しているかもしれないのだ。

 325頁~326頁

例によって例のごとく、「動的平衡」である。
「動的平衡」という言葉に関しては、これまでにも何度か批判してきた。

福岡伸一批判 「生物と無生物のあいだ」を中心に(2)

福岡伸一批判 「生物と無生物のあいだ」を中心に(3)

「動的平衡=非平衡」?

ゴチャゴチャと書いているが、私の批判の要点は以下の2点である。

・「動的平衡」などという言葉以前に、同じようなことをもっと明確に定義した言葉が存在するということ。

・「動的平衡」と言う概念の定義が不明確であり、適用範囲が際限なく拡大されてしまっていること。

「中央公論」2月号掲載の「過熱するインフルエンザ対策の陥穽」と題したコラムも、上の文章と同様、「動的平衡」という空疎な概念を振り回した文章の一例となっている。
福岡は、「抗生物質が病原菌の生育を抑制し、身体が病原菌と戦い、平衡を回復することを支援する」ということは「半面の真理」であり、抗生物質は、病原菌の生育に関する重要な生化学的ステップを阻害することによって、「病原菌の動的平衡を乱している」と言う。
このコラムの結びの文章は以下のようなものである

環境問題を考える上で最も有名なスローガン、Think globally,act locally(地球規模で考え、身の回りから行動しよう)を提唱した人物、ルネ・デュボスについて語ろう。彼は、私も留学していたことがある米国ロックフェラー医学研究所の微生物学者だった。抗生物質の存在を発見した最も初期の研究者のひとりでもあった。
そのまま研究を続ければノーベル賞にも手が届いたはずなのに、彼は早いうちに抗生物質研究から身を引いた。なぜか。抗生物質の開発が、病原体との永遠のいたちごっことなることがわかっていたからである。そして最終的に人間は、病原体に勝つことはないことを知っていたからである。実際、今、医療現場はどんな抗生物質も効かない新手の耐性菌の出現に手を焼いている。 ウイルスとヒトとの戦いにも全く同じことが言える。タミフルなどの抗ウイルス製剤は、ウイルスの増殖サイクルの一ステップに干渉してその動きを止める。開発当初、これは究極的な新薬だと考えられた。
 しかしここにあるのは、デュボスが失望したのと同じ図式である。
 タミフルが世界中で奪い合いとなり、備蓄合戦が展開されているのを彼が見たらなんと思うだろうか。タミフルが広範囲に使われれば使われるほど、タミフル耐性のインフルエンザウイルスの出現に手を貸すことになる。
 彼のテーゼとうらはらに、今、私たちが行っていることは、Act globally, think locallyなのである。地球規模で走り回って版図を広げつつ、結局、考えているのは自分のことだけなのだ。
 確かに目先の対応策としてはタミフルの備蓄もそれなりの意義があるだろう。しかしロングレンジで見れば、それはまもなく有効でなくなる。デユボスの教えは一体何であったか。、think globallyとは、地球全体を動的平衡として捉えよということである。生態学的視点を持てということである。ウイルスや病原菌を根絶することはできない。それは動的平衡の一部だから。むしろなぜ凶悪な病原体が勃興し、急速に拡大するかを考えねばならない。それは過剰なまでに集中化・工業化された家畜の飼育が病原体に進化の実験場を与えているからであり、とめどもない開発と人間の移動が、新たな生態学的界面を作っているからだ。私たちには、だましだまし病原体と共存する以外に道はない。

「地球全体を動的平衡として捉えよ」と言う言葉で、福岡は何を主張しようとしているのだろうか?
タミフル耐性のインフルエンザウイルスの出現に手を貸すことになるからタミフルは使用せず、そのまま放っておけ、と言いたいのだろうか? 
ウイルスや病原菌を撒き散らすことになるから移動は控えろ、と言いたいのだろうか?
「私たちには、だましだまし病原体と共存する以外に道はない」とは、結局のところ、どういうことなのか?
それが「抗ウイルス製剤を濫用するな」ということならば、その程度のことは「動的平衡」などという言葉を持ち出さなくても言えるだろう。
結局のところ、福岡の結論はごく当たり前のものでしかない。
専門家なら誰でも言うようなことだ。
「タミフルでインフルエンザを撲滅だ!」などと主張する専門家はどこにもいないのだ。

上にも書いた通り、福岡は「動的平衡」という概念を際限なく拡張し、ものごとを説明する。
福岡は主張する。
インフルエンザでパンデミックが起きれば、それは「動的平衡」を乱したためである。
蜂が大量死したら、それは「動的平衡」の乱れである。
狂牛病でパニックが起きれば、それは「動的平衡」の乱れである。
大気中の二酸化炭素が増大したら、それは「動的平衡の乱れである。
コンビニの弁当にソルビン酸が入っていたら、それは「動的平衡」の乱れである。
しかし、「動的平衡」が乱されたかどうかは、どうやって判断すればよいのだろうか?福岡は、具体的な判断基準を何一つ示さない。
何か不都合なことが起きたら、「それは動的平衡が乱されたからだ」と言うのである。
こういう物言いを、世間では結果論と言う。
野球やサッカーの解説者が言う結果論は素人からも馬鹿にされるが、生物学者と肩書きがついた人間が「動的平衡」と言えば感心されるのだ。

福岡は、「蜂群崩壊症候群は」「自然界からのある種の報復」だと言う。
自著の結びで、「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述する以外に、なすすべはないのである」と書いた人間にふさわしい言葉である。このような言葉を発するのは、科学者ではなく(ある種の)宗教家であろう。

(追記 2009.1.27)
いい機会なので、大プッシュしておく。
『生物と無生物のあいだ』なんか読まずに、こっちを読みましょう。

タンパク質の一生―生命活動の舞台裏 (岩波新書) Book タンパク質の一生―生命活動の舞台裏 (岩波新書)

著者:永田 和宏
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

『生物と無生物のあいだ』なんかを読むのは、金と時間の無駄遣いです。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2009年1月24日 (土)

クイズです

色々と書くネタはたまっているのですが、なんとなく長い文章を書くのが億劫な気分になっているので、「重箱の隅を突いてる」と言われそうだと思って今まで書いていなかった福岡伸一ネタを書いてみようと思います。
普通に書いても大して面白くないので、クイズ形式にします。

以下に『生物と無生物のあいだ』の文章を引用します。
この文章の中で、私が「これは変だ」と思ったのは、どこでしょう?
どこかの誰かさんのようにいつまでも気を持たせるつもりはないので、答えは下の方に書きます。
答えを見たら「なーんだ」という感じになると思うので、あまり深く考えないでください。
実際には、私がその部分にひっかかったのは、下に引用した箇所とは別の箇所を読んだ後だったのですが、そこを出すとモロに分かってしまうので、引用した箇所だけで判断してください。
分子生物学の知識がない方でも、当てずっぽうで当てられるかもしれないので、ちょっと考えてみてください。

 ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは、散らばっていたパズルのピースを見事に組み立てて、DNAの構造を言明した。それはわずか千語からなるごく短い論文として、『ネイチャー』の1953年4月25日号に掲載された。
 そこには糖とリン酸からなる二本の鎖がラセン状に絡まりあい、その内部にAとT、GとCが規則正しく対合しているモデル図が示されていた。シャルガフの法則がなぜ成立するのかを余すところなく明らかにし、同時に、互いに”相補的”関係にある二本のラセンは自己複製のメカニズムをも暗示していた。皆がそのことに目を奪われた。しかしこの図の中に、DNAの二重ラセン構造を解く鍵になったきわめて重要な知見がごくさりげない形で付記されていることに気づいた人はそれほど多くなかった。
   ラセン状に絡まりあう二つの鎖のそばに小さな矢印が振ってあった。その矢印は互いに逆の方向を示していた。そうなのである。DNAの鎖には化学的に方向性があり、頭と尻尾がある。二重ラセンを構成する二つの鎖は同じ方向を向いているのではない。互いに逆方向を向いて絡まっているのである。シックスナイン。このとき初めてその内部にヌクレオチドの対合を、ちょうどらせん階段のステップのように少しずつねじれながらも、等間隔・等距離に抱え込むことが可能となる構造をとりうるのである。
 さらにいえば化学的方向性が互いに逆走行であるがゆえに、短いプライマーに挟まれたDNA断片は複製のたびごとに二倍、四倍と増幅できることになる。マリスの発見もここにその基礎を穿っているのである。

それでは、お考えください。

さて、いかがだったでしょうか。
では、答えの発表です。
私が変だと思ったのは、「この図の中に」「ごくさりげない形で付記されている」という部分です。
なぜ、これが変なのか。
この書き方だと、ワトソンとクリックの論文の中で、DNAが互いに逆走する二つのらせんからなっているということが、図だけに示されているように思ってしまいますよね?
しかし、実際に論文の方を読んでみると、文中にこのことがはっきり書かれているのです。

この二つの鎖はその繊維軸(Z軸方向)に垂直なディヤード(すなわち二価の基)によってたがいに関係づけられる。鎖は双方とも右巻き螺旋になるが、このディヤードのためにそれぞれの鎖上の原子の配列は逆向きになる。

「さりげなく」も何も、はっきり「逆向き」と書いてあります。
と言うわけなので、福岡氏の書き方はミスリーディングなのです。
実は、『生物と無生物のあいだ』の別の部分でPCRの説明がしてあって、二重らせんの逆走はその伏線になっているのです。
(細かいことを言うと、PCRの説明は上の文章より先に出てくるので、「伏線」と言うのとはちょっと違うのですが。)
福岡氏は、話を面白くするために大げさに脚色しちゃったのですね。
ささいなことではありますが、福岡氏はこういう書き方をする人なので、読むときは気をつけたほうがいいですね、というお話でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月21日 (水)

対談

ちょっと気になってるんだが。

dagboek voor mijn onderzoekingsleven

◆へこんだまま,明日は東京にてハシゴする.まず午前10時半からは,大手町の日経サイエンス編集部にて『日経サイエンス』対談.午後1時からは東大農学部にて専攻教員会議.さらに,午後4時からは本郷〈ルオー〉にて音羽さまから“加圧”される予定.

『日経サイエンス』で対談って言ったら…やっぱりモギケンですかね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年1月17日 (土)

昭和51年のライフハック(笑)

実家に置いてあった昔読んだ本から、学研ユア コース シリーズ『スイスイ頭のよくなる本』を持って帰ったんですけど。

01_4   

なぜこの一冊だけを持って帰ったかと言うと…。

基本的にはパズルの本なのだけど、コラムのようなものが何箇所かあって、その中にこんなことが書いてあるのです。

(クリックで拡大)
06_3

目、口、手のフル活用--目で追うだけでなく、覚えることを話しながら、メモしながら記憶したほうが、ずっと効果がある。

「鶴の恩返し学習法」だ!

「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(2)

それから、こんなことも。

(クリックで拡大)
03_2

一つのことにいきづまったら、ほかの問題を考えてみたり軽い運動をしてみてりと、適度に頭の切りかえをする

「プロフェッショナル 脳活用法SP」で、そんなこと言ってたなあ。

それから

(クリックで拡大)
02_2

自信を持つことの大切さ

「根拠のある自信を持て」ってことですね。

いきなり高い目標を与えられた集団より、ちょっと努力をすれば届きそうな目標を与えられた集団の方が”やる気”をどんどんおこし能率をあげたのだ。

何か、同じようなことが、茂木健一郎先生の本に書いてあったような。

この本の初版は昭和51年、つまり1978年に出ています。
要するに何が言いたいかと言うと、茂木先生が薦める勉強法は、私が小学生のときに読んだ本に書いてあるようなことばかりだってことです。

おまけで、もう一つ面白いものを。

Aha_4      

マーティン・ガードナーの『aha! Insight ひらめき思考』。
これもパズルの本ですね。
初版は1983年に出ています。

「アハ体験」って言葉自体は、別の元ネタがあるみたいですが、パズル的なものに結びつけたのは、これが元になってるのかも。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2009年1月16日 (金)

続・子どものころに読んだ本

正月に帰省中、手持ちの本をあらかた読みつくしてヒマになってしまった時に、部屋の隅に積み上げてあった古い本を掘り起こしてみたら、子どもの頃読んだ本がまだ置いてあった。
私の母親は異常に物持ちがよい、と言うか、ものが捨てられない人間なのである。
以前にも一度「子どものころに読んだ本」について書いたが、今回は現物の写真を撮ってきたので、それを見ていただこうという趣向。
趣味が著しく偏ってるので、心にヒットする人がどれだけいるか分かりませんが。
写真がボケボケなのは許してください。
ケータイのカメラは使い慣れてなくて。

とりあえず、一番古そうなやつから。
小学館の絵本『アラブアンナイトのお話』。

200901031505000

小学館の図鑑『なぜなに月と宇宙のふしぎ』。
これは小学校に入った頃かな。

200901031505001

同じく小学館の図鑑『宇宙』。
これは小学3,4年頃だったと思う。

200901031458000

懐かしの岩崎賀都彰(一彰)の宇宙画入り。

200901031513000

小学館の次は学研で。
ひみつシリーズから、『地球のひみつ』。
このシリーズの中では、とくに好きってものではなかった。

200901031517000

学研ジュニア チャンピオン コースから『あなたに挑戦 科学パズル』。

200901031500000

多湖輝の『頭の体操』の第4集。
第6集までは全部揃えてた。

200901031503001

同じく多湖輝の『天才パズル』っていうのもある。
こんなのばっかり読んでたなんて、我ながらイヤなガキだなあ、と思う。

200901031503000

小説もないわけじゃない。
ホームズものの『四つの署名』。

200901031459000

春陽堂少年少女文庫のポワロもの『ハンター荘殺人事件』。

200901031502000_2

他にも平積みにした本があったのだけど、上に大きな荷物が載っていて、めんどくさいから取り出さなかった。

200901031523000

200901031523001

ユア コース シリーズ『ホームズからの挑戦状』ってタイトルが見える。。
このシリーズには、「ムー」的なものも多かったけど、その手のものは全然読まなかった。
ノストラダムスとかユリ・ゲラーとかは全然信じてなかったなあ。
それから、ジュニア チャンピオン コース『暗号スパイ大作戦』と『名探偵トリック作戦』。
これは、けっこう気に入ってたような気がする。
他にもジュニア チャンピオン コースが何冊か。
『あなたに挑戦 国語パズル』
『あなたに挑戦 算数パズル』
『あなたに挑戦 まちがいさがしクイズ』
『科学びっくりパズル』

って、パズルばっかじゃん!自分。
このまま行ったら、勝間和代みたいになってたかもしれないけれど、幸か不幸か(幸だと思うが)そうはならなかったわけです。

小説だと、秋田書店のジュニア版世界の名作推理全集『列車消失事件』ってのもある。
これは短編集で、クイーンの「神の灯火」が「消えた黒い家」というタイトルで載ってた。

『記憶術』っていうタイトルが見えるけれど、これは全然憶えてない。
記憶術の本なのに!

ネットで検索してみたら、『名探偵トリック作戦』に1万円以上の値がついてた。

古書dejavu

家は宝の山ですな。
売らないけどね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月15日 (木)

当ブログへのコメントについて

年末以来、当ブログへのコメントがにわかに増えて、ブログ主としてはありがたい限りなんですが、中には揚げ足取り的なつまらない書き込みもありますので、今後、その手の書き込みには反応しないようにしますので、よろしく。
気分によっては反応することもありえるので、反応があったからといって、「意味のあるコメントだと認めたんだな」なんて思わないでください、
逆は必ずしも真ではないのです。

ついでに書いておくと、私がコメントに反応できるのは、平日だと夜9~11時くらいになります。
そのため、反応するまで時間が開く場合もありますので了承願います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月14日 (水)

団まりなと福岡伸一(2)

話はさらに続きます。
図書館で、団まりなの『性のお話をしましょう』を手にとってみたら、最後の方に、こんな文章を見つけてしまったのですよ。

 最近の世情をつらつらながめていると、男の力の弱り方がとみに目につきます。「女は度胸、男は愛嬌」は、もはや冗談とは言えません。もちろん女も弱ってはいます。私の周囲を見渡しただけでも、子供を生むことが昔に比べてはるかに大仕事になっています。しかし、男力の低下は女力の低下に比べてはるかに多面的、かつ重度であるように見えます。
  このことをこのことを意識するたびに、その原因の深いところに、男の性が作られたものであることがはたらいているのではないか、と考えさせられます。(略)
  この状況を打開するためには、すでに手遅れかもしれませんが、男が自分の弱さを認識しなければなりません。男は強くて有能であり、女は社会的能力が低く、けがわらしく、自分たちが支配してやらなければロクな知性も持てないのだ、などと去勢をはらず、自己欺瞞を止めることです。自分の脆弱さを率直に受け入れ、女の力を計算に入れ、両者で協力していくことです。その入り口を導いてくれる手本は、海外に山ほどあります。女の力を理解できない社会という意味では、日本は世界屈指の位置につけていると言えるでしょう。
  目覚めよ、男たち!
  真の協力者は、あなた方のかたわらにあるのです。

何か、どこかで目にしたような主張だなあ。
ウム、これは! 
福岡ハカセの『できそこないの男たち』と一緒じゃないですか!
と言うわけで、『できそこないの男たち』刊行時の「週刊現代」のインタビューから。 

人間も場所や時代に関係なく、基本的に男は女より寿命が短くストレスに弱く、病気にもなりやすいことが数値で実証されています。それは男が「遺伝子の使い走り」という役目のために、基本仕様としての女を無理やり作り変えた生命だからです。カスタマイズし過ぎたコンピュータが壊れやすいのと同じです。本書で伝えたかったメッセージの一つは「男よ謙虚に、女よリラックス」ということ。生物学を学べばそんなに男は威張れるものではなく、女に対して謙虚にならざるを得ないことが分かります。

さらに言うと、『性のお話をしましょう』の第Ⅴ章第三節の小見出しには、「雌が基本で雄は上乗せ」「雄は作られた性」というものがあるのですよ。
 
『性のお話をしましょう』が出たのは2005年2月。
福岡センセイがパクったのかどうかは分かりませんが、二人はやはり似たような発想の持ち主であるようです。

ところで、基本仕様が女だからと言って、何で男が「できそこない」ってことになるんですかね?
全然分からない理屈なんですけど。
女が完全だ、という仮定をとれば、それを変形した男は不完全ってことになるかもしれませんけど、逆に男が完全だと仮定したら、女はそれに達する以前の不完全なもの、ということになるわけで。
「男の方が完全だ」とか「女の方が完全だ」という生物学的な根拠は何にもないですね。
「男の方が病気に弱くて寿命が短い」と言ったって、それが不完全だということになるんですかね?
それなら、「女の方が体も小さくて体力も弱いから不完全だ」という言い方だってできてしまいますよね。
何を「完全」の基準とするかなんて、恣意的なものでしかないですね。
男だろうが女だろうが好きなほうを選んで、都合のいいように判断基準を選べば、いくらでももっともらしいスト-リーが書けるわけです。
それに、「男は生物学的にできそこないなんだから、謙虚にせよ!」っていうのもバカげた話です。
「女は生物学的に弱い存在なのだから、男に従え!」と言ったら、どうなりますか?
「男は生物学的にできそこないなんだから、謙虚にせよ!」っていうのは、これを裏返しにしただけで、理屈は一緒ですよね。
「男は生物学的にできそこないなんだから、謙虚にせよ!」なんていうのは、「酒場でのバカ話」程度のものに過ぎません。
この手の主張は、生物学とは何の関係もありません。
趣味の悪いジョークとして受け止めるのが正解です。
生物学者が言ってるから生物学的なことなのだ、などと考えてはいけません。

ついでに。
 
福岡伸一がゲストの「マル激トーク・オン・ディマンド」が公開されています。

だから男はみんなできそこないなんだ

会員登録が必要なので中身は見ていませんが、コメント欄がなかなか面白いです。
けっこう冷静に見ている人が多くて一安心。
全然ダメなコメントもありますが。
 

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2009年1月12日 (月)

相対性理論

相対性理論の「ハイファイ新書」がバカ売れしているようなので、便乗してちょっと書いてみる。
小倉キャスターには先を越されてしまったが。

「とくダネ!」で小倉キャスターの口から相対性理論

どんなバンドかって言うと、「渋谷系 ミーツ セカイ系」って感じですね。
歌詞的には、ほとんど誰も知らないと思うけれど、オシャレTVの「恋のテロリストNo.1」を思い出すな。
雰囲気というか世界観がちょっと似ている。
(オシャレTVは渋谷系じゃないけど)
戸川純にも、ちょっと似てるかなあ、不思議ちゃんキャラなところとか。
そう考えると、バンド的にはゲルニカにも似てるかも。
雰囲気的には全然違うけど、個性的な女性ボーカリストを前面に押し立てて、独創的なコンセプトをベースにして、男性メンバーがサウンドを作り上げているところとか。

日曜日にライブを観に行こうと思ってたんだけど、入場規制で結局観れなかったので、去年の10月に観たライブのことを書く。
『nest festival'08』のトップでの登場だったので、観客の方もまだ温まってなくて、ちょっとポカーンとして観てる感じでしたね。
ボ-カルのやくしまるえつこは、ライブ中はほとんど動かず。
他のメンバーはバックで黙々と演奏。
MCは、「しゃべり」というより「セリフ」という感じで、曲の間に一言だけつぶやくように発せられる。
「私のポケモンになってよ」と言ったときは、思わず会場から笑い声が。
「ばらすわよ、オーパーツのこと」と言ったときは、近くにいた女の子の客が、「エッ?何て言ったの?」」と連れの人間に聞いてたんで、「オーパーツ」って言葉はやっぱり一般的じゃないんだなあ、と思った。
「ハイファイ新書」からの曲も何曲か演奏したと思う。
最後は「バイバイ」とひとこと言って、去っていきました。

最後までキャラを作りこんで素の姿を見せなかったのが、潔くてよかったな。
この人たちはインタビューも断っているらしくて、ブログだの二万字インタビューだので、素のキャラで親近感をだそうとするアーティストに比べたら、好感が持てる。
こういう姿勢を貫き通すのはなかなか大変だと思けれどが、このままがんばってほしい。

では、最後に新作(傑作!)から、「地獄先生」を、どうぞ。

ハイファイ新書 Music ハイファイ新書

アーティスト:相対性理論
販売元:インディーズ・メーカー
発売日:2009/01/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

団まりなと福岡伸一(1)

これで「団まりな問題」も一段落、と思いきや、話は意外なところにつながってしまったのです。

「ダカーポ特別編集 今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2008」で、福岡伸一が 「ノーベル賞と科学ブーム」というテーマを担当しているのですが、「福岡さんが選ぶ、『ノーベル賞と科学ブーム』が分かる10冊」の中に、『細胞の意思』が入っているのです。
(福岡センセイ、「AERA」の「2009年 100人の予言」という特集でも、ノーベル賞について書いてましたな。
しかも、小柴昌俊や西澤潤一の文章の上に。
本当にエラくなりましたねえ。)

以下、福岡氏のコメント。

従来、DNAを擬人化して書くことは真実を見誤らせることになる、というのが生物学者の見解でした。しかし、あえて擬人化して説明を試みたのが『細胞の意思-<自発性の根源を見つめる>』です。

いや、福岡センセイ、それは違いますって。
団センセイは、分子じゃなくて細胞に意思があるって言ってるんです。
「細胞」っていうのがポイントなんだから、そこを分かってあげないと団センセイが気の毒ですよ。
きっと、自分が『できそこないの男たち』で遺伝子を擬人化して書いちゃったもんだから、自己正当化の気持ちがあって誤読したんでしょうね。

それはともかく、何か絵に描いたような「類は友を呼ぶ」ぶりですな。
ダーウィニズムに対する反感とか、学会の主流に対してはアンチの立場をとってるところとか、似たもの同士ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『細胞の意思』団まりな

モギケンのことはひとまず置いといて、「団まりな問題」です。
発端は、TAKESANさんのところでのコメント欄でのやりとりです。

今はもう大丈夫だろう的な雰囲気

団まりなは、どういう意味で「細胞の意思」という言葉を使っているのか、実際に『細胞の意思』に目を通して確認してみました。
団まりなは、「意思」という語を以下のように定義しています。

以上を総合して本書では“意思”という語を、”ある何らかの主体(たとえば人間個人または人間集団など)が、他者(ほかの人間や生きもの)によって強制されるのではなく、自己の純粋な立場において、何らかの活動や思考などを想起し、行うこと”という意味で使うことにします。

『細胞の意思』、P63

要するに、人間と同じように意思を持っているのだ、と言っているように見えます。しかし、これだけでは額面通りに受け止めるのは躊躇したくなるでしょう。
説明のため便宜上の比喩として、こういう言い方をしているのではないか、という疑いが捨てきれないかもしれません。
しかし、以下のような記述を読むと、本気で「細胞には意思があるのだ」と主張していると解釈せざるをえないのです。

「生物は合目的的な存在である」という記述と、「生物学(科学)に合目的性を持ちこんではならない」という言葉が、どちらも同じように深い説明もなしに、べつべつの著者によって、当然のことのように書かれています。この問題がまだ感覚的なレベルにあって、それぞれの根拠を示すのがむずかしいというのが、この問題をめぐる現在の状況の正直な位置づけということでしょう。では、なぜ、このように重大な問題が、これほど真っ向から対立したまま放置されているのでしょうか。なぜ、どちらの側も決定的な証明を見つけられないのでしょうか。
 私は、その理由が、どちらの陣営も細胞の存在や行動にいっさい目的性を持たせてはならない、という第3章で規定した“科学的考え方”の人々はもとより、生命の合目的性を認める人々さえもが、細胞が“思い”“悩み”“考え”“決断する”とまでは考えられないのです。私たちが受けてきた“科学的教育”は、それほどまでに重く、深いために、せっかく細胞に認めた合目的性や自発性も、どこかぜんまい仕掛けのように、私たちの頭の中ではぎごちなくしか動いてくれないのです。私は本章で、細胞にも“意思”があるという立場から、その合目的性のあり方を何とか説明してみようと思います。

同、P145~146

著者は、単に表現のしかたを問題にしているのではなくて、従来の“科学的考え方”そのものを批判しているわけです。
ここには著者の混乱があるように思えます。
著者は、「生物は合目的的な存在である」という記述と、「生物学(科学)に合目的性を持ちこんではならない」という言葉が矛盾したものだと考えているようです。
しかし、この二つの記述は観点が異なるのですから、互いに矛盾するものではありません。
「生物学(科学)に合目的性を持ちこんではならない」というのは、「説明に”目的因”のようなものを持ち込むな」ということです。
「生物は合目的的な存在である」というのは、「目的があるかのように振舞う」ということを記述しているに過ぎないのであって、「目的因」のようなものを持ち込んでいるのではないのです。
言い方を変えれば、前者は「なぜ」を説明しようとしているのに対し、後者は「いかに」を記述しているのです。

なぜ団まりなはこのような奇矯な主張をするのでしょうか。
私はそこに、団まりなの研究対象である細胞の複雑さや柔軟さに対する思い入れを見ます。 

細胞膜で包まれた状態ではぜんまい仕掛けの機械のように見えていた胚の細胞たちは、不慮の事態に直面しても、誰の命令も受けず、これだけの仕事ができるのです。化学反応の連鎖に突き動かされて、否でも応でもなく変化させられているというようなイメージにはまったく合いません。そのようなイメージは、人間が安直に細胞たちに押し付けたものに過ぎません。

同、P143

「化学反応の連鎖」を「ぜんまい仕掛けの機械」に喩えること自体が、機械論に対する偏見だと思うんですがね。
機械と言っても、「ぜんまい仕掛けの機械」のような単純なものもあれば、コンピュータのように複雑な機械もあるわけで。
今後、機械がもっと発達すれば、生物のような柔軟性を持つかもしれない。
少なくとも、それを否定するような原理的根拠はないでしょう。
人間の個体が意思を持つ、と言っても、それも結局は「化学反応の連鎖に突き動かされ」た結果なわけです。

以下ような記述も興味深いものです。

「科学的考え方」でこの問題をとらえる場合は、次のようになります。これらの輸送タンパク質は、細胞が進化の過程で遺伝子の変異によりつぎつぎと手に入れたもので、その種類や作用は、たまたま細胞が環境条件にうまく適応するのに役に立ったものが蓄積して、現在の姿があるのである。つまり、これらの輸送タンパク質は、環境条件とともにすべて細胞にとって所与のものであり、それぞれの性質に応じて粛々と化学反応を行っているに過ぎない。細胞は、環境の微細な変化に応じて、多少はそれらの数や活性をコントロールする分子メカニズムを与えられているが、総じて受身的にこれらの反応の結果に従っているに過ぎない。
 これに対し、擬人的になることを恐れず、細胞を主体的に外界に立ち向かう生き物ととらえる「擬人的考え方」の立場からは、細胞は、時々刻々と環境条件をモニターする目的のために、状況に応じてしかるべき輸送タンパク質の種類や数や活性を出し入れしている、と見えます。この二つの考え方の、はたしてどちらが本当らしいのでしょうか。
 
同、P150
 
  こんな臨機応変な、柔軟な対応が、細胞メカニズムからの積極的な参加なしに、遺伝子の偶然的な変異や、その結果の外部環境への適応という偶然的なことがらの集積としてなしうるとは、私にはとうてい考えられません。細胞がただただそのような能力を付与されてしまった受身な存在とする考え方が、現在は“科学的”と思われていますが、私には、このような考え方は、ほとんどサイエンス・ロマンとか、サイエンス・フィクションのように見えてしまいます。現に、遺伝子環境の変異をもとにした細胞進化の仮説では、遺伝子変異から先のメカニズムは、実は何もわかっていないのです。細胞たちの現在の姿を、彼らがさまざまな状況に直面して、自分たちに与えられた能力の範囲で必死に工夫し、自分を改良してきた結果とする“擬人的考え方”もそれを裏付けるメカニズムは何もわかっていません。しかし、メカニズムはわからなくても、現象を把握することはできます。まず虚心に現象をとらえること、そして知ることのできたメカニズムを応分に現象に当てはめて理解を重ねること、これが本当に科学的な態度と私は考えています。皆さんは、いかがでしょうか。

同、P156~157

ダーウィニズムに対する反感を見て取ることができます。
「こんな臨機応変な、柔軟な対応が、細胞メカニズムからの積極的な参加なしに、遺伝子の偶然的な変異や、その結果の外部環境への適応という偶然的なことがらの集積としてなしうるとは、私にはとうてい考えられません」というのは、典型的な「主観によるダーウィニズムの否定」ですね。
そもそも、「目的因」のようなものを持ち込まずに、生物が合目的性を持ってるかのようにふるまうということを説明するのが、自然淘汰の理論なんですけどね。
細胞が合目的に活動していることは明白だ、だが自然淘汰による説明は気に入らない、何か違った説明が必要だ、といったところから「意思」のようなものを持ち出さざるを得なくなってしまったのではないでしょうか。 

おそらく、団まりなも実証的な研究の枠内では「まともな生物学者」なのでしょう。しかし、実証的な研究の枠を外れて個人的な信念や哲学のようなものを語り出すと、研究対象に対する思い入れが暴走してトンデモに接近、という感じになっているのではないでしょうか。

……と書いたところで、以下の団まりなの文章を発見。
「現代思想」2008年7月号から。
タイトルは「あえて擬人化のすすめ」。

 私は、敬遠されるタイプの研究者だと思う。その理由は、この時代に分子や遺伝子を毛嫌いし、細胞をむやみに擬人化しか妙な感情移入を止めず、その非科学的な語り口は鼻につき、聞くに堪えない。良いことも言っているんだろうけれど、あれではそれも帳消しだ、といったところだろう。長く続くこの批判に、ただむやみに突っ張っていたわけではない。ようやく最近になって、自分の態度の根幹が見えてきた。本橋でそれを表現してみようと思う。

ああ、やっぱり同業者からは敬遠されてたんですね。
そりゃそうだろうと思います。
で、結びの文章。

 「細胞を理解したい」というときに我々が真に求めているのは、細胞を成立させている分子メカ号スムを徹底的に解明することではなく、細胞にとって生きているとはどういうことか、細胞はなぜ話し介うのか、細胞にとって他の生物の遺伝子を導入されるとはどういう変化なのか、未分化な細胞に戻るとは、分化した細胞にとってどういう経験なのか、といったことではないのか。
 「そんなこと、分るはずがない!」という声が聞こえる。
果たしてそうだろうか。細胞から作られている我々が、細胞を直感的に理解できないはずがあるだろうか。まして、細胞の分子メカ号スムについての膨大な知見を手にしている我々が、直感の内容を取り違える可能性は極めて小さいのではないだろうか。擬人的な表現によって、細胞の振る舞いに寄り添うことが許されれば、さまざまな自由な発想が浮かび、これまでとは違った視点で問題を立てることができ、細胞の、そして生命の理解も大きく膨らむのではないだろうか。
 私の近著(NHK出版、題名未定)で、幾つかの具体例をもって、細胞に寄り添うことを試してみた。こちらも合わせて読んでいただけると、私の言わんとするところをより深く理解していただけると思う。

この「近著」というのが『細胞の意思』のようです。
しかし、上のような書き方だと、便宜的に擬人的な表現を使っているだけのようにも見えますよねえ。
やっぱり、この人の頭は混乱してると思います。

| | コメント (8) | トラックバック (2)

脳科学が世界を救う(2)

相変わらずのモギケン節でございます。

プロ論 生き残りたかったら、バブルを起こせばいいんです

これからは「バブル」をキーワードとして押していくつもりのようですな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年1月11日 (日)

NHKスペシャル「女と男~最新科学が読み解く性~」

今第一回を放送しているところなのだが、そこはかとなくトンデモ臭が漂っているような気がする…。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/woman_man.html

第1回 惹(ひ)かれあう二人 すれ違う二人 
2009年1月11日(日)午後9時00分~9時49分 総合

男女はなぜ惹かれあうのか。脳科学はいま、恋のメカニズムを解明しつつある。その中心はドーパミンという脳内物質。快楽を司るドーパミンの大量分泌が恋する二人の絆となっているのだ。ところが脳科学は同時に、皮肉な状況も浮かび上がらせている。高い代謝を要求するドーパミンの大量分泌は身体への負担が大きく、長く続かない。そのため、“恋愛の賞味期間”はせいぜい3年ほどだというのだ。
 そこで、男女関係はどうすれば長続きするのかという科学的な探求がさまざま進められている。アメリカでは30年に及ぶ家族の長期研究を通して、長続きしない男女関係では、男女差が大きな障害になっている事実が浮かび上がってきた。たとえば、女は、相手の顔の表情から感情を簡単に読み解くが、男は必死に脳を働かせてもハズす。女が悩みを相談するとき、話を聞いてもらいたいだけなのに、男は解決策を示そうとしてしまう。
こうした男女の違いは、長い狩猟採集時代の遺物ではあるが、無意識のなかに深く根ざしており、日常生活のなかで深刻な影響を与えやすいという。違いをちゃんと意識して、相手の気持ちを理解する努力が欠かせないのだ。
番組では、ワシントン州立大学の離婚防止のカウンセリングプログラムに密着し、「子育てを成し遂げる関係から、お互いの人生に影響を与え合う関係へ」と変わるなかの男女関係を描く。

第2回 何が違う? なぜ違う? 
2009年1月12日(月)午後10時00分~10時49分 総合

男女平等の国・アメリカで新たな“男女区別”がはじまっている。小学校や中学校の義務教育現場で、男女別授業を行う学校が増えているのだ。成長期には特に男女の差=性差が出る。そこで、それぞれの性に合った教育をしようという試みなのだ。また、医学の分野でも、病気の男女の違いを重視する動きが広まっている。
そうした動きの背景にあるのは、いま新たな男女差が次々と見つかっていることだ。特に、脳は性ホルモンなどの影響で性差が生まれていることが最近になってはっきりしてきた。
なぜ脳に男女差があるのか。そのヒントは、「同じことをしていても、脳の使いようが男女で異なっている」ということだ。たとえば、地図をたどっているとき、男は空間感覚を利用して地図を見るが、女は記憶や目印を手がかりに地図を見る。つまり、同じことをしていても両者が使っている脳の分野は異なっているのだ。脳が違うのは、「男女それぞれで得意なことが違う」ということなのだ。
では、いったいなぜ、人間は男女で得意なことをわざわざ違うようにしたのか。それは「ともに生き延びる」ためである。長い、長い狩猟採集時代、ヒトの祖先はいつも飢えとの戦いのなかにあった。そこで役割分担をしていろいろな食糧を確保する生存戦略を採ったのだ。
女と男の違いの最新研究を通して人間の歩んできた道筋をたどるとともに、医学や教育などではじまっている、性差に注目する新たな潮流を描く。

 
第3回 男が消える?人類も消える? 
2009年1月18日(日)午後9時00分~9時58分 総合

性染色体がXXなら女、XYなら男。1億7千万年前に獲得したこの性システムのおかげで私たちは命を脈々と受け継いできた。ところが、この基本そのものであるシステムは、大きく揺らいでいる。じつは男をつくるY染色体は滅びつつあるのだ。専門家は「数百万年以内には消滅する」という。なかには、来週になって消えても不思議ではないとする意見さえある。
じつは「遺伝子できちんとオス・メスを決め、両者がそろって初めて子孫をつくる」というのは、私たちほ乳類が独自に獲得した方法だ。ほかの生物はメスだけで子孫を残せる仕組みを持っている。そのほ乳類独自のシステムが長くほ乳類の繁栄を支えた一方、いよいよその寿命が尽きようとしているのだ。
さらに人間の場合、Y染色体を運ぶ精子の劣化も著しい。これは生物学的に一夫一婦制が長くなった影響だという。
こうした性システムの危機に私たちはどう対応すべきなのか。シリーズ最終回では、いわゆる試験管ベイビーが生まれて30年、生殖技術をめぐる最前線もたどりながら、現在、性の揺らぎが引き起こしているさまざまな影響を追う。

録画して後でチェックしておこう。

| | コメント (19) | トラックバック (2)

2009年1月 9日 (金)

素人考え

青空文庫で末弘厳太郎の「嘘の効用」を読んでいたら、こんな文章が。

「嘘の効用」末弘厳太郎

 私は法律家です。ですから、専門たる「法律」以外の事柄については――座談でならばとにかく――公けに、さも先覚者ないし専門家らしい顔をして、意見を述べる気にはなれません。法律家は「法律」の範囲内にとどまるかぎりにおいてのみ「専門家」です。ひとたびその範囲を越えるとただちに「素人」になるのです。むろん「専門家」だからといって絶対に「素人考え」を述べてはならぬという法はないでしょう。けれども、その際述べられた「素人考え」は特に「専門」のない普通の「素人」の意見となんら択ぶところはない。否「専門」という色眼鏡を通して、物事を見がちであるだけ、その意見はとかく一方に偏しやすい。したがって普通の「素人」の意見よりかえって実質は悪いかもしれないくらいのものです。しかも世の中の人々は、ふしぎにも「専門家」の「素人考え」に向かって不当な敬意を表します。普通の「素人」の「素人考え」よりは大いにプレスティージュをもつわけです。例えば、世の中には無名の八公、熊公にして、演劇に関する立派な批評眼を具えているものがいくらもいます。ところが、何々侯爵とか、何々博士とかが少し演劇に関して「素人考え」を述べると、世の中はただちにやれ劇通だとか芝居通だとかいって変に敬意を表し、本人もいい気になって堂々と意見を公表などします。侯爵や博士のくせに芝居のことも人並みにわかる珍しい男だというくらいならばともかく、その男がさも「専門家」らしい顔をして「素人考え」を憶面もなく述べるのをきくとき、また、世の中の人々がこれに特別の敬意を表するのをみるとき、私は全く不愉快になります。かくのごときは実に一種の「不当利得」にほかならないと私は考えています。しかし世の中の「専門家」はとかくこの点を間違えやすい。世の中の人々も、普通にその同じ間違いを繰り返して「専門家」の「素人考え」を不当に尊敬します。私は全く変だと思います。

私の頭にどういう人達の名前が浮かんだか、分かりますよね?

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年1月 7日 (水)

脳科学が世界を救う

新年早々、茂木健一郎先生が私たちのような凡人の脳ミソをぶっ飛ばすような刺激的な発言をしていらっしゃいます。

2009年混沌の先
バブルはひらめき、脳科学で読み解く経済危機

茂木 健一郎氏 脳科学をやっている立場からすると、ネットワーク構造で結びつけられた社会において、バブルの発生と崩壊は避けられないのです。

 脳の中にもバブルがあって、一番時間的に短いバブルは0.1秒のひらめきです。これはバブルと非常に似たようなグラフが描き出されるのです。神経細胞の活動が「ビュン」と上がって下がる。

 バブルのあの価格変動と全く同じです。その0.1秒の間だけ、神経細胞の活動が急激に高まって低下するのですね。そのことによってひらめきが起こり、新しい学習が生じます。

さすが、茂木健一郎先生です。
バブルを脳科学の言葉で説明すると言う独創性。
経済学や脳科学というジャンルの壁をものともしないスケールの大きさ。
まさにノーベル賞クラスの理論です。

我々は旧態依然とした経済学にしがみついたままではいけないのです。

パラダイムの転換です。

エピステーメーの拡大です。

経済学者は、旧来の枠組みに囚われず、経済学と脳科学の融合に真剣に取り組むべきです。

―― 経済的なバブルも発生するメカニズムは後講釈ではいろいろと言えますが、結局の所なぜ発生したのか、分かったようで分からない面があります。

 茂木 脳のバブル発生のメカニズムを解明しようと努力している立場から言うと、経済的なバブルに至るメカニズムをコントロールすることは不可能だと思います。

 ではどうすればいいか。それは、ただバブルに慣れればいいと思うんですよね。

茂木健一郎先生から、バブル崩壊の処方箋をいただきました。
実に貴重でありがたいことです。
日本の、いや、アメリカやアメリカ経済の影響下にある国の経済政策に携わる人間は、茂木健一郎先生のところに飛んでいって教えを請うべきです。
それが、この混沌とした21世紀の世界を救うための唯一の道です。

―― スケール・フリー・ネットワークだと所得の格差が生じやすいのですか。

 茂木 直感的に言うと、例えばみんなが同じ組織に属していて、その組織の中で決まっている給与をもらっているなら、そんなに差は生じないですよね。でも、これが例えばみんながフリーランスになって、いろいろなところから自由に仕事をもらって仕事をするようになると、腕のいい人と、悪い人でものすごい差ができてしまいますよね。

 ちょっとそれに似たようなメカニズムでグラフ構造というものがあります。点と点が線で結ばれてつながっていくようなものをグラフ構造と言いますが、グーグルの創業者のサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、インターネットを史上最大のグラフ構造だと思って解析して、グーグルをつくったわけです。そのグラフの結びつき方が人によって変わってくるので、それで副産物として所得格差が生じてしまうのです。

さすが、茂木先生。
やっぱり、「スケール・フリー・ネットワーク」は現代社会を読み解くためのキーワードですよね。
なんだか、世の中の大概のことは脳科学とネットワーク理論と複雑系で説明できるような気すらしてきました。   
 
それにしても、日経ビジネスはGJ。
脳科学者に経済について語らせるとは。
他社とは一味も二味も違います。
これからも、レベルの高い記事の提供をお願いいたします。

(追記)
愚堂さん、もしこれをお読みでしたら、是非忌憚のないご意見をいただきたいと思います。
私、何かおかしなこと言ってますでしょうか?

| | コメント (21) | トラックバック (2)

2009年1月 5日 (月)

愚堂さんへ

あちこちにコメントをいただいてますが、まとめでこちらで。
本来ならば、一つ一つのコメントに対してお答えすべきなんでしょうが、正直に言って、私には、愚堂さんと議論することに意味があると思えないのです。
コメントの内容から、愚堂さんは茂木氏のファンであると見受けられます。
私がこのブログで、茂木健一郎の批判をしているのは、「茂木健一郎って、何かうさんくさいんだよな」とか、「茂木健一郎って、色んなところで目にするけど、一体どういうことを言ってる人なんだろう」と考えている人に向けてのことです。
茂木ファンの方をを折伏しようとか、議論で勝とうとかいう風には考えていませんし、それが可能であるとも考えていません。
そんなことをしようとするのは時間の無駄であると考えています。
愚堂さんにとっても、このような無名の人間のブログなどのために時間を費やすのは、無駄なことではないでしょうか。
お互い、無駄なことに時間を費やすのは止めにした方がよいのではないでしょうか。
そのような訳ですので、愚堂さんとの議論は遠慮させていただきます。
無責任な愚論を撒き散らす、言いっ放しのブログだと思っていただいて構いません。
不誠実な態度だとご不快になられたなら、申し訳ありません。
謝ります。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

新年

明けまして、おめでとうございます。
ブログ再開です。
去年からの宿題がたまっちゃってるんですねよえ。
「団まりな問題」もあるし、ワースト本についても書かなきゃいけないし、「福家警部補の挨拶」にダメ出しもしておきたいし、福岡伸一ネタもたまってるし、モギケン・ネタもまだあるし、。
おまけに、いない間にコメント欄は大賑わいになっちゃってるし。
さて、どこから手をつけたものか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »