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2009年2月

2009年2月28日 (土)

福岡ハカセの近況

「ダイヤモンドZAI」4月号。
松尾貴史との対談。

松尾 動的平衡?
福岡 絶え間なく動きながら、でも全体としてバランスが保たれているということなんです。私たちの身体の中のしくみも、生態系も環境もすべて動的平衡で成り立っている。動的平衡の大事な点は、全体が目には見えないけれどさまざまな形で相互作用している、実はつながっているということです。
松尾 それは昔からある言葉なんですよね。
福岡 ひと昔前、「複雑系」って呼ばれてましたよね、因果関係がはっきりしないことはすべて。それは「動的平衡」と言い直されるべき。誰かひとり局所的に欲張ると、全体の不幸につながってしまう、という考え方ですね。
(強調は引用者による)

……だそうですよ。

立ち上がれ! 複雑系研究者よ!

松尾 経済学を「動的平衡」で説明されている方っていらっしゃらないんでしょうか?
福岡 でも、動的平衡は予想ができないんです。動的平衡って、「すべてのものは流れます」ということなので。どの株を買ったら儲かりますか?どうしたら儲かりますか?ということを説明することにはならなくて。むしろ、どの株を買っても、どういうふうにジタバタしても、長い時間をとれば動的平衡なので、「得することもあるし、損することもありますよ」って説明になりますよね。

福岡ハカセの理論は予測能力がないようです。

福岡 言ってみればある種のあきらめなんですが、希望を語っているともいえます。結局、よいことであっても、悪いことであっても流れているので、悪いことはそのうち去ります。

もう、科学じゃなくなってると思います。

それから、川上弘美とも対談するそう。

福岡伸一さん×川上弘美さんトークセッション

川上未映子に続いて、女性小説家に福岡伸一の魔の手が…じゃなくて、触手が…じゃなくて、毒牙に…じゃなくて、まあ、なんと言うか、色々大変ですね。

野村萬斎とも共演したそうで、福岡ハカセ、ほんとに大人気。

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雑記 2.22-2.28

宇宙から見た地球は、人類の新たな「鏡」

斎藤環との往復書簡は放り出しても、宇宙飛行士との対話はちゃんとこなすんですな。それにしても、また「鏡」の話ですか。
どこでも、何につけても、「鏡」だの「ミラーニューロン」だのを話しに結びつけるんだよねえ、この人は。
若田さんも面食らっただろうに。

                  *  *  *
    
先々週、「誰か、金光翔の批判をどう思っているか訊いてくれない?」と書いたのだけど、ご本人が佐藤優に公開質問状を出したようです。    

金光翔「佐藤優氏への公開質問状」      

「回答期日は、2週間後の3月11日とした」そうですが、まあ佐藤は無視するでしょうな。
と言うか、無視するしか手がないでしょう。
で、ほとぼりが冷めたと思ったら、「妙な人間にからまれた」とかデマをあちこちに書き散らすでしょうね。
それが佐藤の「インテリジェンス(笑)」ってヤツですね。

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ヴィック・ムニーズ「ビューティフル・アース」展

トーキョーワンダーサイト渋谷で。
ゴミを使ってバスケットコート2面分の大きさの絵を制作。
会場には高さ2メートルちょっとの大きさの写真が展示してあって、離れてみると人物像なのだけど、近寄って見てみると、空き缶とか靴底といったゴミでできているのが見えてくるというだまし絵的な作品。
製作過程を撮影した動画も上映されていて、最初のうちはゴミの集まりにしか見えないものが、気がつくと絵になっているという、アハ・ピクチャー(笑)的な感じ。
一旦絵として見えてしまうと、もうゴミとしては見えなくなってしまうのが面白い。
3/1(日)まで、入場無料。

http://www.tokyo-ws.org/shibuya/

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2009年2月27日 (金)

「ザ・ベストハウス123 天才脳シリ-ズ 」(2)

「ザ・ベストハウス123 天才脳シリ-ズ 」のブログでの反応を「茂木健一郎  セレンディピティ」で検索で確認。
いくつかをピックアップ。

オーラソーマは、その神秘や不思議さからスピリチュアルと表現されがち。
ですが、色彩学や量子物理学、宗教学などの学問にも通じています。
さらに思ったのが…。もしや、脳科学とも繋がってるかも?

脳科学者の茂木健一郎さんが、人間の脳が起こす奇跡のような出来事、
「セレンディピティ」=偶然の幸運、について語っていた番組を見て。

オーラソーマのボトルを使って訪れるシンクロニシティを思い出しました。
なんとなく「シンクロニシティ」=偶然のような必然、とも言葉が似てる。

セレンディピティは、ひとつの物事を目指して進みながら、
全く違う別のことに出会い、思ってもみなかった幸運の出来事が起こる。

                  *  *  *
    
脳科学者・茂木健一郎さんが、偶然をチャンスに変える能力

“セレンディピティ”(偶然の幸運)という

成功の方程式を紹介しておられました。(ザ・ベストハウス123)

ポストイット、カッターナイフ、電子レンジ、マジックテープ…

これらの大発明は、失敗が元になって、

全然関係ないことと結びついて、

ひらめいたものだそうです。

まさに人生に無駄事はなく、

努力なしには報われないものですね。

脳の訓練と共に、神様のあと押しを頂けば

最強最速の「気付き」が訪れることでしょう。

                  *  *  *
    
それで、食事をしながら、昨日録画しておいたTV「ザ・ベストハウス123」を観ました。

テーマは「セレンディピティ」
聞き慣れない言葉。
事例をVTRで紹介してくれました。

さらに興味を持ち、番組での紹介者でもあった、茂木健一郎氏のクオリア日記を訪ねてみると

 偶然の出会いは誰にでもあるけれども、その時にその出会いに「気づいて」、
 いろいろ考え、吸収して自分のものにすることができるか、つまりは
 「偶然」を「必然」にすることができるか

という意味が紹介されていました。

そう、日々、出会いや発見やチャンスが巡ってくるのでしょうが、それをそのまま感じることの
できる人がどれほどいるでしょうか。
多くの場合、それと気付かぬまま過ぎていくのかもしれません。
本当はそれは神様が垂らしてくれた蜘蛛の糸、そっと差し伸べた手なのかもしれません。
                  *  *  *
    
昨日、ベストハウス123というフジテレビの番組を見ました。
脳科学者の茂木健一郎さんの「セレンディピティ」というめずらしい言葉に圧巻!

久しぶりに、ぼくの脳裏に焼きついた番組でした。
人生の幸運を掴む為には、準備が必要!幸運が振ってきたときに、それをつかめるかつかめないかがその人の人生を大きく変化させていくというお話でした。

 もっと言い換えると、幸運をつかむためには、ある法則があり、そのためにさまざまな準備をすることができる。つまり幸運をつかむ自分になることが可能であるということなのです。

 このすごいところは、幸運をつかむのは特別な存在の人ではないということ。それは誰しも成りえることであって、大切なことは、その人が、いかにその幸運を掴む為に、柔軟で、ゆとりのある情緒を保っているか。そして、そのいつかくるであろう幸運をつかむための準備をしているかということです。

 誰にだって幸せの天使は舞い降りてくる。その天使に出会えるか出会えないかはあなた次第なのです。

私が何を言いたいかは既にお分かりだと思う。
モギケンの言うことは「スピリチュアル系」の方を引き付ける様なのである。

253 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:10:22.78 ID:mht3jJcF
『水にいい言葉を言えば美味しくなる』っていうのも、こいつが言えばみんな納得しそうな
雰囲気だな…。うーん、マジで危険。

もう既にそういう状況になっちゃってるのですよ。

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2009年2月25日 (水)

「ザ・ベストハウス123 天才脳シリ-ズ 」

2ちゃん実況板より。

64 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:03:32.36 ID:++A18TOy
セレンディピティを意図的に起こしたらセレンディピティじゃないじゃん。
馬鹿なの?

82 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:04:22.85 ID:ACPchHDS
こんなに天才を研究してるのに茂木さんは
何時になったら天才になるんだろう

225 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:09:37.85 ID:+Noqicex
ポストイットの話、テレビでみるの何回目だろう・・・

253 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:10:22.78 ID:mht3jJcF
『水にいい言葉を言えば美味しくなる』っていうのも、こいつが言えばみんな納得しそうな
雰囲気だな…。うーん、マジで危険。

281 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:11:41.28 ID:t22FgSql
そりゃ成功以外は全部失敗だわな
失敗の積み重ねで成功がある

301 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:12:19.88 ID:ExDzducq
このおっさん言う事が全部結果論wwwww

389 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:14:39.32 ID:LIut5OSI
カッターは何の失敗でも無いただの発明じゃん・・・

404 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:15:07.93 ID:1NF/yrqS
セレンディピティが舞い込むかどうかも結局運じゃねぇかよ…。

425 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:15:36.83 ID:L9QJm7px
セレンディピティじゃなくて、偶然でいいじゃん。

511 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:17:55.29 ID:YJ4MtNrE
これ
苦情モノだろ
なんてふざけたこじつけ番組だよ
どんな閃きにも過程や境遇ってもんがあるだろ。
それを強引に関連させて後付けしただけじゃねえかよ

536 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:18:13.10 ID:mht3jJcF
成功には他にもいろんなファクターがあるのに、セレンディピティという耳障りのいい
(誤用だが)言葉で一括りにすることによって全てのことを説明しようとしている所が
新興宗教臭いんだよな。

653 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:20:35.45 ID:yOrMnJIl
さっきからちょっとセレン何たらとずれてないか?
ノーベルぐらいから

690 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:21:40.51 ID:RszDuMrb
安全基地は全然最新じゃなくて、心理学では愛着の理論で昔から使われている概念

728 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:22:41.69 ID:TyxuB9vz
偶然発見した人 → セレンディピティが有る
偶然発見しない人 → セレンディピティが無い

という結果論で有る無し言ってる事自体が実にクダラナイw

64 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:33:30.71 ID:uzq0NgSv
セレンディピティを起こす、セレンディピティを掴む、って言葉の使い方間違ってるだろ・・

85 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:34:01.20 ID:9r7/qR/2
格言を言い合う番組かよ

145 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:35:44.64 ID:4RgpDSOm
結局みんな元々頭いい人ばっかりじゃないか

337 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:41:17.05 ID:Bx9e1nAx
既に偶然じゃない件

388 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:42:43.62 ID:fmwODSvN
学者褒めてるだけですやん

402 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:43:01.46 ID:y3/dPfJ0
結果論をかっこよく言うの止めにしないか

585 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:47:11.59 ID:yUXWUXYX
全部こじつけじゃないかwww

586 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:47:12.31 ID:AQhP4lX9
んで茂木はなんでこんな誇らしげなんだ?

700 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:50:15.47 ID:IcuREafw
ノーベル賞とか巨万の富とかに、乗っからないでさ、
そんなの幾らでも、やっているだろう。脳科学者のヒラメキとし、手抜きするなよ。
地道に努力してスゴイ功績を残しているけど、表に出ない人とかを丹念に探して取上げろよ。
出会いの現場なんて言うなら、出会いを表現しろよ。

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2009年2月23日 (月)

「ナンシー“小”関風 パッチもん版画」

ネットで話題!“ナンシー小関風”スタンプ似顔絵が瞬時に描けるソフト!

2年も前の記事で申し訳ないんですが、今更見つけてしまったので早速活用してみました。
前に、自前で作ったことはあるんですけどね。

モデルは、もちろん、あの方とあの方です!

Mogi_3

Fukuoka2_2

ソフトで作成した後、多少加工しています。
まあ、悪くないデキじゃないでしょうか。

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2009年2月22日 (日)

トクマルシューゴ関連

アメリカでの反響をいくつか。

Spellbound By Guitarist Shugo Tokumaru By John Richards

Five Nights With Shugo Tokumaru  By Rachael Maddux

Shugo Tokumaru Does "Green Rain" On Iggy, Joined By Members Of Beirut And The National Onstage   

一番上のやつはMP3がダウンロードできるので、ファンはさっさとダウンロードしましょう。

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High LLAMAS 2009.2.20

素晴らしかった!
それまで全然聴いたことがなくて、トクマルシューゴ目当てで当日券を買って観たんだけれども、私の好みのど真ん中を撃ち抜かれた。
今まで聴いたことがなかったのが不思議なくらい。
めちゃくちゃねじくれた曲なのに、尖った感じがなくて温かなユーモアが漂っているのが素晴らしい。
機材の準備に時間がかかって立ちっぱなしで30分くらい待たされたので、始まったときにはメチャクチャ不機嫌になってましてけど、最後の方は感激しまくってました。
お客さんの方もかなり盛り上がってて、アンコールが2回。
終わったのが10時半。
前座も含めると3時間半の長丁場でした。
3,4曲くらいやったところで、近くの人が倒れて、出て行ってしまったけど、復帰できたのかな?

トクマルの方はと言うと、相変わらずキョドってました。
演奏の方は良かったと思います。
4月に出す新作にはタブ譜をつけるそうな。
私はギター弾けないから関係ないですけどね。

High LLAMASは早速CDを買い集めなくてはいかんなあ。

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Clare & The Reasons 2009.2.13

Clare & The Reasons 渋谷のクアトロへ。
物販でパリでのライブのCD-Rが2,000円で並べてあったので、躊躇なく買う。
フロアに入ったら、椅子が並べてあってビックリ。
私は後ろの方に立って観てましたけど。
開演前、徳武弘文がすぐ横に立っていたけど、そのうちVIP席に連れて行かれました。
その他、周りにいるのは業界人っぽい人たちばかりで、「一般人でスミマセン」という感じ。

内容の方は素晴らしかったです。
最初から最後から和やかで親密な雰囲気のうちに進行。
クレア・マルダーの公私に渉るパートナーであるオリヴィエが大活躍。
日本語を随分覚えていて、色々しゃべってたけど、「ワタシタチノ。ティーシャツ、カイマセンカ」には笑った。
クレアがギターをチューニングしている間にリコーダーで「イパネマの娘」を演奏。
これが5,6回繰り返されて、妙に盛り上がった。

セットリストは以下の通り。

?
Pluto
Alphabet City
Better without You
Over The Rainbow
Pluton
?
Rodi
(メンバー紹介)
Love Can Be A Crime
Nothing/Nowhere
Science Fiction Man
?
Under The Water
Everybody Wants To Rule The World
(アンコール)
Cook for You

Plutonの後にメドレーで演奏した曲がとても良かったんだけど、なんと言う曲か分かりません。
ご存知の方がいらっしゃったら、教えていただけませんか。

帰ってから、CD-Rを聴いたら、パリでのチューニング時の音楽は「ロッキーのテーマ」でした。

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2009年2月21日 (土)

雑記 2.15-2.21

カルロ・ギンズブルグをまとめ読み中。
メチャクチャ面白いっす。

                  *  *  *

J-POPの歌詞で「さくら」という単語を使うのを禁止してほしい。

                  *  *  *

モギケンって、『プロフェッショナル』のゲストで柳家小三治が出演したときに、蕎麦を食べるところをやってみせてくれ、とか言ったみたいですね。
岡崎武志が怒るのも無理ないなあ。
そういうモギケンに、以下のエピソードを捧げます。
元ネタは、『エスプリユーモア』(河盛好蔵 岩波新書)。

自然主義演劇の名作家アンリ・ベックは毒舌家をもって知られていたが、ある晩、さる名流夫人の晩餐会に招かれたとき、一人のあまり利口でない将軍が、彼に向かって、「ベックさん、ひとつ辛辣な言葉をきかせてくれませんか」と頼んだ。するとベックは即座に、「ひとつ大砲をぶっ放して下さいと僕はあなたにお願いしたことがあるでしょうか」と答えた。    

                  *  *  *

HIDEのアゲアゲ珍道中

壇上にあがってる人は青学の物理学教授で次のノーベル賞候補と言われている『福岡伸一』先生です。

「次のノーベル賞候補」とか「ノーベル賞に一番近い」とか言われる人間にロクなやつはいないね。

                  *  *  *
    
勝間和代の「断る力」を立ち読みして、かなり笑えたので取り上げようと思ったのだが、わざわざ金を出して買いたいとは思わない。
どうしたものかと考えていたら、私が引用したいと思っていたのと同じ箇所をdankogaiが引用していた。
ありがとう! dankogai。

例えば「勝間和代」という人物について、マスメディアその他から入手できた情報だけを元に、批判を繰り返し、自分のブログのエントリーや場合によっては私のブログへのコメントという形で意見を表明する人がいます。
その人は、私だけではなく、過去にも、例えば梅田望夫さんのような、ある時点で「旬な人」「時の人」を取り上げて、批判的というか、それを通り越した悪口を言い立てていることがわかりました。

あー、そういう人っていますよね。
茂木健一郎の悪口を書いてると思ったら、福岡伸一の悪口まで書いていて、その上dankogaiの悪口も時々書く、みたいなヤツ。

つまり、この人は勝間和代や、梅田望夫さんを嫌っているからというよりは、「旬な人を嫌う、批判するということがスタイルであり、持ち味なのです。そして私はこういった旬な人への批判を
「果たし状」
と読んでいます。

ナルホド!(笑)。

こういう批判を繰り返す人が、[批判の対象である]Aさんよりも優位な立場に立つことはほとんどありません。なぜなら、私がふだんこれまで接してきた、大きな業績を成し遂げてきた人たちは、例外なく「I'm right. You are also right」というスタンスの人たちで、自分たちに自身があるのはもちろんのこと、周りの人たちに対しても実に寛容で、他人に対する批判など、批判のための批判はほとんどありませんし、何か注文をつけるにしても、根拠と対応策をしっかりセットにして、建設的な批判を行う人たちだからです。

そ-なんだー。

とにかく、「果たし状」には、もっと自分を認めて欲しい、あるいは認められている人たちのあら探しをしたい、という強い欲求があるので、その人たちに対する一番ふさわしい対処法は、
「ほうっておく」 ということになります。

勝間先生は、結局ほうっておけてないですね。
わざわざ本に書いちゃうんだから。
スルー力ないなあ。
そういう意味では、福岡伸一センセイはすごいですね。
匿名ブログなんかで悪口書かれても、気にもしていないでしょうな。

                  *  *  *

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2009年2月19日 (木)

発車メロディー問題

先週の雑記で、副都心線の発車時の音楽はひどいと書いたのだが、ネットで調べてみるとあれがいいと言う人が結構いるみたいで。
ウーム、私の音楽的嗜好はかなり平均的なものから外れているという自覚はあるのだが……どうなんだろうな。
などと言ってても、首都圏在住でない方には判断のしようがないので、実際に聴いていただけますかね。

東京メトロ副都心線 渋谷駅発車メロディー

どうでしょう。
タイトルは、「おとぎのワルツ」と「愛ステーション」だそうです……。
ダメだ。
タイトルのつけ方からして、センスが合わない。

調べて見たら、この音楽を製作している会社まで分かった。

株式会社スイッチ

Wikipediaには「発車メロディー」という項目まであるんですな。

Wikipedia 発車メロディー

ついでに書いておくと、ありものの曲を使ったやつも好きじゃない。
高田馬場の「鉄腕アトム」とか、恵比寿の「第三の男のテーマ」とか、蒲田の「蒲田行進曲」とか。
発車の合図は普通のベルみたいな音の方がいいと思う。

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2009年2月18日 (水)

『進化倫理学入門 「利己的」なのが結局、正しい』

某所でタイトルを見てギョッとしたので、早速立ち読みしてきた。

『進化倫理学入門 「利己的」なのが結局、正しい』(内藤淳/光文社新書)

出版社/著者からの内容紹介
「嘘をついてはいけない」などの道徳の根拠は何か?
「正しい社会のあり方」という正義の基礎は、何に求められるのか?
 こうした問題は古くから議論され続けているが、決着がついていない。
 従来の倫理学や法哲学で議論が錯綜しているこの難題に対して、進化倫理学は「人間行動進化学」という科学的領域の知見を活用しながら、ユニークな視点で切り込んでいく。
 注目の新しい学問分野を解説した、初めての入門書。

編集者が献本して、dankogaiがバカなことを書く前に急いで言っておこう。

駄本です。

ドーキンスの『利己的な遺伝子』を引っ張ってきてみせてるくせに、「遺伝子の観点から見た自然淘汰」ってものを全然理解していない。
「個体が自分の遺伝子を残すために」っていう話になっちゃってる。
幸い、内藤の前著『自然主義の人権論―人間の本性に基づく規範』の内容をまとめた文章があるので、そちらを参照。

内藤淳『自然主義の人権論―人間の本性に基づく規範』について(pdfファイル)

後半は、資源の公平な配分が善である、って話で、遺伝子とか進化とか全然関係ない。
フツーの功利主義じゃん、って話。
何が「進化倫理学」だよ。
こんな本買っちゃいけません。

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何とかホイホイ

クオリア日記 魂へのご馳走

ぼくは、この本は「リトマス試験紙」だと
思う。

その通り。
『日本語が亡びるとき』ってホントに「何とかホイホイ」だよなあ。
モッチーとかダンコーガイとかモギケンとか、XXXXな人(表現自粛)が引き寄せられる。

「何とかホイホイ」をもう一つ。

クオリア日記 文明の星時間 未知の贈りもの

 ワトソンの考えたことが、科学的仮説として正しいかどうかということが問題なのではない。ただ一つ確かなのは、夜の海の体験のリアリティ。ワトソンは、それを信じた。未知の何ものかを自らの世界観の中に取り込もうという開かれた感性。全く同じ風景を見て、「ああ、イカが光っているのか」と片付けてしまう人もいるだろう。それでは、出会いの本質は失われてしまう。

「科学的仮説として正しいかどうかということが問題なのではない」って。

ポエムが書きたいなら、さっさと科学者の看板降ろしな。

このセリフを見ると、「百匹目の猿」騒動のときのライアル・ワトソンの言い訳を思い出すねえ。

忘却からの帰還 「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson

Watsonは続いて「百匹の猿の起源と進化についてのAmundsonの分析を何らの留保なく受け入れます。Amundsonが正しく示したように、あれはほんのわずかの証拠と多くの伝聞を基に私が創ったメタファー(比喩)です。私は偽りを述べてはいません。私の結論は、Amundsonが私を論破するために用いた5つのソースに基づいていません。厳密に逸話としてあの現象についての証拠を慎重に記述しています。「生命潮流」の引用文献は、何かの論拠とするためではなく、私がいつもやるように道具、および有用な背景情報へのアクセスのためとして提示したものです。」

科学じゃなくてメタファーである、と。
そう言えば、日本にも似たようなことを言った人がいましたっけ。

「水からの伝言」江本氏の主張(2005/12/28)

水からの伝言はポエムだと思う。科学だとは思っていない。僕は科学者ではない。単なるロマン的なこと、ファンタジー。

科学じゃなくてファンタジーだ、と。
茂木健一郎も、そのうち「クオリアの解明に科学的な意味はない。ファンタジーなんだ」とか言い出したりして。

で、ライアル・ワトソンなんですが、福岡ハカセも新著『動的平衡』で性懲りもなく持ち上げてました。
ライアル・ワトソンも「何とかホイホイ」ですな。

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加藤周一と福岡伸一(4)

福岡の文章の結びである。   

加藤周一は、ずっと後になって(それは『羊の歌』が記されてから約30年を経て)、「『羊の歌』その後」を書いた。その最後には、旅の終り、と題された章が置かれている。

 「私はあるとき友人に別れた後で、ニュー・ヨークから北上する鉄道の窓際の席に坐り、ぼんやりと外の景色を眺めていた。陽はすでに暮れかけていて、木立は黒く見えた。すると突然、大きく拡った森の木々の先端を、夕陽が刷くように赤く染め出した。黒い森の拡りの上に重ねての燃えるような真紅の平面、そのつかの間の光景を凝視しながら、私は同時に別れてきたばかりの友人の顔を、あたかも彼女が眼の前にいるかのように鮮やかに思い浮かべた。その瞬間に私は彼女の側にいた、と同時に、しかしその瞬間がたちまち過ぎ去るであろうことを、はっきりと意識していた。二度とくり返されない、かけ換えのない、瞬間の経験。その密度は長い年月の重みともつり合うだろう」

 絶え間ない消長、交換、変化を繰り返しつつ、それでいて一定の平衡が保たれているもの。それは恒常的に見えて、いずれも一回性の現象であること。そしてそれゆえにこそ価値があること。生命現象を、あるいは世界を、そのようなものとして捉えようとようやく気づいた私にとって、加藤周一はいつもはるかに遠い。

何とも気取った文章だ。
しかし、加藤の文章のどこに「平衡」が描かれているのだろうか。
「平衡」という言葉を持ち出す必然性がどこにあるのか。
この記事に付された著者紹介には「近く『動的平衡』が発売される。」との一文がある。
『動的平衡』と題した著作を上梓したばかりの男が、加藤周一を追悼するはずの文章で、加藤が使ってもいない「平衡」という言葉を持ち出して、自著の宣伝まがいの文章を書きつけるという、この恥知らずな振る舞い。
猛烈な嫌悪感を覚える。 
私が言いたいのは、訳知り顔の凡庸な「生物学者」が加藤周一をダシにして書いた陳腐な自分語り混じりの駄文を読まされるのはたまらなく不愉快だ、ということだ。

加藤周一の一ファンとして思うことを書いた。
「重箱の隅つつきだ」と言う人間は、加藤周一になど興味がないのだろうし、おそらく他の誰かにでも本当に興味を持ったことがないのだろう。 
 

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2009年2月17日 (火)

加藤周一と福岡伸一(3)

もう一度、福岡の引用した加藤周一の文章に目を通してほしい。

私は医学の研究室で暮らしてきたにも拘らずではなく、まさにその故に、研究室を離れることを考えるようになった。しかし私が医を排するにいたったのは、多忙に堪えなかったからだけではない。医学の研究は、また専門家の極端に進んだものである。(中略)しかし極端に専門化した領域では、私一人の人生と研究の内容との間に、どういう橋渡しをすることもできない。おそらく詩作に没頭するのは、学問の研究に没頭するのとは違うだろうし、李杜の詩の内容は、李杜の人生の他にはなかったはずであろう。私は詩を必要としていたと言えるのかもしれない。

あなたは、この文章をどのように解釈しただろうか。
医学の道を志すも、自分の仕事に虚しさを覚え文学の世界に身を転じた一人の男の心情吐露?
そのように受け止めたのだとしたら、あなたは福岡の文章によって間違った方向に誘導されたのだ。
まず、福岡が省略した部分を元に戻して引用してみよう。

私は医学の研究室で暮らしてきたにも拘らずではなく、まさにその故に、研究室を離れることを考えるようになった。しかし私が医を排するにいたったのは、多忙に堪えなかったからだけではない。医学の研究は、また専門家の極端に進んだものである。必ずしも私の仕事が自然科学の研究だったからではないかもしれない。しかし極端に専門化した領域では、私一人の人生と研究の内容との間に、どういう橋渡しをすることもできない。おそらく詩作に没頭するのは、学問の研究に没頭するのとは違うだろうし、李杜の詩の内容は、李杜の人生の他にはなかったはずであろう。私は詩を必要としていたと言えるのかもしれない。

(強調は引用者による)

強調した部分が、福岡が省略した箇所である。
「ひそかに私は文系にあこがれ、”文転”の可能性さえ考えるようになった」という福岡が、自分自身の姿を加藤と重ね合わせて見せるために、どのような印象操作を行おうとしたのかがこれで分かるだろう。
福岡は、加藤の文章から自分に都合がいい部分だけを抜き出したのだ。
このことは、『続・羊の歌』の、上に引用した文章を含む章の最後の部分を見てみれば、さらにはっきりする。

 私は血液学の専門家から文学の専門家になったのではない。専門の傾城を変えたのではなく、専門化を廃したのである。そしてひそかに非専門化の専門家になるうと志していた。その後、今日まで、私は、竹内好や安保条約や源氏物語絵巻について書き、日本の近代思想史やヨーロでハの現代思潮ということについても書き、また大学の教室で、「正法眼蔵」や「狂雲集」のことを喋った。そういう話題は、外からもとめられたのではなく、それぞれの機会にみずから択んだのであり、私にとっては互いに関連のないものではなかった。はじめからはっきりしていたのでほなく、次第に私自身に見えて東るようになった一種の関連……しかしそれはもっと後になってからの話である。
 私は容易に医業を捨てなかった。しかし、機会は、中央アジアの作家会議へ出かける決心をしたときに、訪れた。勤先の鉱山会社は、医務室を別の医者に委ねて一ヵ月以内の休みならば認める、といった。私は三ヵ月を必要とした。職を辞して私は出発し、その後再び医者の仕事にもどることはなかった。

加藤は「科学」と「文学」を対立させたのではない。
「専門化」と「非専門化」について語っているのである。

 私は衝撃をうけた。自分の気持ちを言い当てられたからではない。これが本の最後の最後におかれていたからだった。彼は、夥しい本を読み、そして多くを書き、少なくない数の女性を愛したのちに、そこへたどり着いたのだ。この言葉は、金属の塊のようにゆらりと揺れながらもまっすぐ私の心の底に沈んだ。
 私はまだ全く何もなしてはいなかった。私は、自分が踏み出した場所に、分相応の穴を掘ろうとだけ思った。すこしずつゆっくり時間をかけて。いつかたゆまず掘り進められたその穴が十分な深度に達したとき、何らかの水脈に触れるだろう。それは(筆者が理系に進学を決めるきっかけとなった)ファーブルの、あるいはベルヌの詩とつながっているかもしれない。

福岡のこの文章には、曖昧なところがある。
福岡は、加藤の文章のどこに「衝撃をうけた」のだろうか?
「自分が踏み出した場所に、分相応の穴を掘」るとは、何を意味しているのだろうか?自分自身の研究を続けるということだろうか。
しかし、加藤は医学の世界から離れたのである。
”文転”するのは生物学の研究をしばらく続けた後にしようと決意した、ということであろうか。
しかし、そのことと、加藤が「多くを書き、少なくない数の女性を愛したのちに、そこへたどり着いた」ということとは、どうつながるのだろうか。
”文転”するのは「多くを書き、少なくない数の女性を愛したのち」にしようと思ったということなのだろうか。
どうも論理の筋がつながっていないように見える。
結局のところ、福岡が熱力学や線形代数や化学に対して抱いていた「味気のない」という感情は払拭されたのだろうか。
それとも、そうではないのだろうか。
冷静に考えてみれば、加藤と福岡の境遇にはさほど共通したところがないのに気がつく。
無理に自分自身と加藤を重ね合わせようとしたために、このような曖昧な文章になってしまったのだろう。
福岡の文章は、思わせぶりだが中身がない。

だが、私が本当に言いたいのはそんなことではない。

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2009年2月16日 (月)

加藤周一と福岡伸一(2)

 加藤周一の『羊の歌(正・続)』 (岩波新書)を読んだのはそんなときだった。周知のとおり、加藤周一は医者の長男として生まれた。子供の頃、彼のヒーローは日本武尊でもジークフリートでもなくダーウィンだった。自身も東大医学部に進学し医者となり、血液生化学を専門とする研究の道に入った。読み進めると、果たせるかな、私が知りたいと思っていたことについての彼の独白が記されていた。

「私は医学の研究室で暮らしてきたにも拘らずではなく、まさにその故に、研究室を離れることを考えるようになった。しかし私が医を排するにいたったのは、多忙に堪えなかったからだけではない。医学の研究は、また専門家の極端に進んだものである。(中略)しかし極端に専門化した領域では、私一人の人生と研究の内容との間に、どういう橋渡しをすることもできない。おそらく詩作に没頭するのは、学問の研究に没頭するのとは違うだろうし、李杜の詩の内容は、李杜の人生の他にはなかったはずであろう。私は詩を必要としていたと言えるのかもしれない。」

 私は衝撃をうけた。自分の気持ちを言い当てられたからではない。これが本の最後の最後におかれていたからだった。彼は、夥しい本を読み、そして多くを書き、少なくない数の女性を愛したのちに、そこへたどり着いたのだ。この言葉は、金属の塊のようにゆらりと揺れながらもまっすぐ私の心の底に沈んだ。
 私はまだ全く何もなしてはいなかった。私は、自分が踏み出した場所に、分相応の穴を掘ろうとだけ思った。すこしずつゆっくり時間をかけて。いつかたゆまず掘り進められたその穴が十分な深度に達したとき、何らかの水脈に触れるだろう。それは(筆者が理系に進学を決めるきっかけとなった)ファーブルの、あるいはベルヌの詩とつながっているかもしれない。

上の文章には、少なくとも一つ嘘が含まれている。
『続・羊の歌』を実際に確かめてみればすぐに分かることだが、福岡が引いた文章は、「格物到知」という最後から三つ目の章に含まれている。
「最後の方」とは言えるだろうが、「最後の最後」とは言いがたいだろう。
些細と言えば些細なことである。
ワトソン/クリックの論文にはっきりと書かれていることを、「ごくさりげない形で付記されている」と表現してみたり(*1)、シェーンハイマー自身は「動的平衡」という言葉を使っていないのに、「シェーンハイマーは、この事実に、身体の「動的平衡」という素敵な名前をつけた」と書いてしまったり(*2)するのも、同様に些細なことだろう。
だが、ある人物の本質というものは往々にして一見些細に思えるところに表れたりするものではないだろうか。
単に「最後の方」とは書けばいいものを、「最後の最後」と誇張した書き方をせずにいられないところに、福岡伸一という書き手の本質が現れているのではないだろうか。
ドラマチックな面白さを優先して事実を蔑ろにするような書き手には気をつけたほうがいいだろう。
 
だが、私が本当に言いたいのはそんなことではない。

(*1) 「クイズです」参照。
(*2)「福岡伸一批判 「生物と無生物のあいだ」を中心に(4)」参照。

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加藤周一と福岡伸一(1)

朝日新聞文化欄で「追悼加藤周一」というシリーズが始まった。
2月14日の第三回は福岡伸一が執筆している。

 アンリ・ファーブルのような緻密さ、ジュール・ベルヌのような飛躍、あるいは今西錦司のごとき自由な変幻さに憧れて、はるばる京都大学に進学した私は、目の前の現実に半ば失望していた。熱力学は既にわかっていることをわざとややこしくしていた。線形代数は操作的操作の延々たる繰り返しだった。化学は囲碁の定石を暗記することに似ていた。どれも味気のない、ひからびたものに見えた。むしろ、阪倉篤義が講じる、今昔物語の語り□に隠された秘密や米山俊直が語るレビ=ストロースの認識の旅、あるいは河合隼雄が解読するル・グウィンの物語、渡辺実が論じる伊勢物語の成立にまつわる宮廷サークルの仮説に心が躍った。
 理科系の学問は、私が解きたいと願っていた問題-それは今から思えばあまりにもナイーブな自分探しにしかすぎなかったが-に何の解答をも与えないように感じられた。ひそかに私は文系にあこがれ、”文転”の可能性さえ考えるようになった。

熱力学、線形代数、化学の専門家は本気で怒っておいた方がいいだろうと思う。
私としては、福岡が生物学など止めて文学者にでもなっていればよかったのに、と思わずにいられない。
その方が、生物学者の肩書きを持ちながら世の中にデタラメを撒き散らすよりも、世のため人のためになったであろう。
福岡の文章など、文学としても質の悪いものだと思うが、日本の文学がどうなろうと私の知ったことではない。

だが、私が本当に言いたいのはそんなことではない。

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2009年2月15日 (日)

アハ・ピクチャー

茂木健一郎が「世界で一番受けたい授業」で「アハ・ピクチャー」とかやってたみたいなんですが。

http://www.ntv.co.jp/sekaju/old/student/20060204.html

「現在、世界的に脚光を浴びている脳科学者、茂木健一郎先生が登場!」(笑)って、ちょっとどうなのよ、という話はさておき。

下條信輔の『サブリミナル・インパクト』を読んでいて気がついたんだけど、アハ・ピクチャーの元ネタってコレかな?

The Need for Attention to See Change

そのうち、茂木健一郎の元ネタのまとめ記事でも書いてみましょうかね。

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『動的平衡』

福岡伸一の『動的平衡』が本屋に出ていたので、早速立ち読みしてみました。
雑誌なんかに書いた文章に手を入れたものが中心のようで、特に目新しいネタはなさそうでしたねえ。
『もう牛を食べても安心か』『生物と無生物のあいだ』『できそこないの男たち』あたりに書いていたネタの焼き直しという感じ。
『生物と無生物のあいだ』『できそこないの男たち』のレトリック過剰のくどい文章に比べると、簡潔で読みやすい文章だと思いましたけど、だからと言って読む価値があるとは思いませんよ、もちろん。
気がついた点を指摘しておくと、福岡ハカセ、相変わらずミトコンドリア・イブのことを誤解してるみたい。
ミトコンドリア・イブが16万プラスマイナス数万年前にアフリカに存在しただろうということは、アフリカ単一起源説の有力な根拠ではあるけれども、それとホモ・サピエンスが同じ時期に現れたということは全然別のことです。
福岡ハカセは、そのあたり分かってなさそう。

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「痛いブログ」

今まで気がつかなかったのだが、ここは「痛いブログ」だったらしい。

ミスターの部屋

福岡氏ほどの科学者になると痛いアンチも多いからね(^^;
↓こういう痛いブログもあるくらいだし。。。

liber studiorum
a.k.a アンチ福岡伸一BLOG
http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/

言葉狩りでイチャモンを付けてるのは一部の基地だけだから気にしない方がいいと思う。
こういうキムチを肯定する事こそ、未成年の諸君には有害だろう。

「キムチ」と言うのは何のことだか分からんね。
それから、私としては、「言葉狩り」をした記憶などないのだが。
曖昧で無内容な言葉や、不正確な言葉を批判するのが「言葉狩り」だって言うのなら、当ブログでは今後も「言葉狩り」を続けていく所存でございます。

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やっと出てきた

茂木健一郎に噴き出た賛否両論

「賛否両論」って割には、「賛」の方が全くないのには笑ってしまうが。
媒体が「日刊ゲンダイ」で、引かれているのが大槻教授と斎藤環の発言っていうのもビミョーな感じだが、批判がマスメディアに現れるようになったこと自体は歓迎しますよ。

とは言え、大槻教授や斎藤環といった専門が違う人間の発言よりも、「同業者」がどう見ているか、ということの方が気になりますね。
ということで、以下を参照。

Procrastinator's column とうとうマスコミでも批判が

SfN(北米神経科学会)の学会会場でも見かけたけど、いつも床に座ってマックで何か書いているか読んでいるかだった。内外に認められている存在であれば、もっとも規模の大きい世界中から研究者が集まる学会なのだから、ポスター発表者やその他の研究者と熱心に議論していたりする姿が見られてもおかしくないはずなのだが・・・。

また、彼の語る「脳科学的には-」の知見のうち、彼が実験したもの研究したものはほとんどないというのも問題があるように思う。論文自体、彼がfirst author(論文で表記される著者名で、もっとも最初に書かれている人のこと。その論文の実質的な代表者・責任者であるとみなされる)であるものがないし、彼がどういう実験をして、どういうことを明らかにしたのか、見たことも読んだこともない。

茂木健一郎という「タレント」の実態がよく現れていますな。

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2009年2月14日 (土)

福岡伸一メディア出演情報

LOHAS SUNDAY
2/15(日) 06:00-09:00

オバマ大統領がグリーンニューディールを掲げるなど、時代のキーワードとなった「Green」。
グリーンな未来ってどんな未来?今月は様々な角度からグリーンに迫ります。
次回は「食」がテーマ。食糧自給率の低い日本、その未来はどうなる??
ゲストには「生物と無生物のあいだ」がベストセラーとなった福岡伸一さんを迎え、一緒に考えます。
また、王理恵が東京の農家に直撃取材!

もう一つ。

サキヨミLIVE [フジテレビ系]
2009年2月15日(日)22:00-23:11

あ、そう言えば、先週のラジオ出演、聞くの忘れてた。

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雑記 2.8-2.14

幻影随想 NHKがネアンデルタール人の番組でやらかしたらしい

まあ、NHKの科学ものは信用しないのがデフォルトってことにしておいた方がいいと思いますね。
今回は、NHKが製作した番組ではないですが。

                  *  *  *
    
カルロ・ギンズブルグって、前から気になってたんですよね。
これも面白そう。

http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/diary.html

Ludwig Wittgenstein の「家族的類似性(family resemblence)」と Francis Galton の「合成写真(composite photography)」との秘められた関係を論じている.monothetic な本質的形質を優生学的な観点から抽出しようとした Galton の意図をひっくり返して,みごとに polythetic な類似度に置き換えた Wittgenstein の鮮やかさ.その動機には,因果的・歴史的な説明を排して,全体俯瞰的(ubersichtlich)な説明を好んだという Wittgenstein の基本姿勢があったという.しかし,本質主義ではなく,家族的類似性という個体の変異を束ねる概念を提唱したことで,むしろ系譜学的な伝統に接近したと Ginzburg はみている.その例証として,西欧社会における「家系図」の歴史ならびに比較文献学における「文献系図」の歴史をふりかえる.

                  *  *  *

政府が次期IT戦略の策定作業を開始      

    
脳科学者でソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャーの茂木健一郎氏は「国民のチャレンジ精神を涵養(かんよう)するには安全基地(セキュア・ベース)としてのITインフラの構築が必要。住基ネットの番号をどう活用するかについても、行政が公共利益の増大のために挑戦的な取り組みをするための安全基地として位置づけて整備すべき。ただし、具体的な制度設計、システムがいい加減なものだと不幸な結果となる。かなり慎重な検討が必要だ」と発言、また「もっと若い人たちもメンバーに加えるべき」とコメントした。

IT立国、オワタ。

                     *  
    
モギケン、宇宙に進出。

http://www.yomiuri.co.jp/space/news/20090209-OYT1T00598.htm

この無意味な繁殖力の強さは一体何なんだろうな。
   
                  *  *  * 

アメリカ国民がオバマに熱狂するのと大阪府民の9割が橋本知事を支持するのと、根っこのところはあまり違わないんじゃないかという気がする。
シニカル過ぎますかね。

                  *  *  *
    
佐藤優って、公演で「双方向性を担保するため、聴衆からのどんな質問にも答えます」と言ってるそうな。
誰か、金光翔の批判をどう思っているか訊いてくれない?

                     *  
    

「私にも話させて」より、「フォーラム神保町」の「世話人」。

青木理、伊田浩之、伊東乾、魚住昭、乙骨正生、香山リカ、小林健治、佐藤優、多井みゆき、田原総一朗、東郷和彦、二木啓孝、宮崎学、山口二郎、山田聡(50音順)

知らない名前もあるけど、それ以外はろくでもないヤツばかりだ。

                  *  *  *
池袋のジュンク堂でまとめ買い。
新刊は3冊購入。

『疑似科学はなぜ科学ではないのか』
『ダーウィン『種の起源』を読む』北村雄一
『都築道夫ポケミス全解説』小森収・編集    

その他、カルロ・ギンズブルグの旧著等4冊購入。
全部で2万円ちょっと。
本買い過ぎ。
全部読み終わるのはいつになることやら。

                     *  
    
池袋に行くたびに思うのだが、副都心線の発車時の音楽ってひどいよねえ。
    
                  *  *  *

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2009年2月10日 (火)

『ザ・ムーン』

池袋で『ザ・ムーン』を観て来ました。
映画館に行くのは、何とまあ、5年ぶり。
黙って座って2時間もスクリーンを眺めてるのって、億劫なんですよねえ。
ストーリーを追うのとか、めんどくさい。
だけど、この映画は退屈しませんでした。
むしろ短く感じたくらいで、3,4時間くらいあってもいいんじゃないかと。
脳内トリップを堪能しましたよ。
エンドロールで、宇宙飛行士たちにMoon Hoaxを否定させていたのは余計な気がしました。
一気に地上に引きずり下ろされた様な感じがして。
あんなもの信じるバカは放っておけばいいじゃないですか。
DVDの映像特典にでもしておけばよかったんじゃないかな。
それから、主題歌が平井堅っていうのも、意味が分かりませんでした。

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2009年2月 9日 (月)

Clare & The Reasons日本ツアー

Clare & The Reasonsの日本ツアーが始まったわけですが、金沢公演があまり人が入らなかったそうで、これはイカン!と思い、一人でも多くの人に観ていただける様、宣伝することにいたしました。

http://www.toms-cabin.com/Clare2009/

2.10(TUE) 広島クラブクアトロ
2.11(WED) 京都 磔磔
1.21(WED) 名古屋 TOKUZO
2.13(FRI) 渋谷クラブクアトロ

アメリカのポップスにいくらかでも興味があるならば、絶対見に行くべし!

…と、私ごときが言っても、説得力がないので、こういうときは他人の権威を利用するのです。

細野晴臣も誉めてたよっ!

1/26放送の「Daisy Holiday」から。

『The Movies』という とてもスゴいアルバムを作って人たちですよね。
ジェフ・マルダーの娘さん。
これは、是非見に行かなきゃ。

キリンジも誉めてたよっ!

堀込高樹の『The Movies』評。

ジェフ・マルダー?の娘、クレア・マルダーを中心にしたグループのアルバムです。アコースティックな楽器ばかりを使っているんですけど、ちょっと変わった感じのアレンジが魅力ですね。アルバム全体が不思議な雰囲気のわりには、メロディは品があって、基本、古臭い音楽に聴こえるかもしれないけど、今どきな感じも凄くして。そのアンバランスさが好きで、よく聴いてました。

萩原健太も誉めてたよっ!

ということなんで、是非。

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2009年2月 7日 (土)

雑記 2.1-2.7

『サブリミナル・インパクト』(下條信輔 ちくま新書)読了。
序章と第1章が一番面白くて、その後は内容が薄い気がした。
『サブリミナル・マインド』(中公新書)の方が面白かったな。

                  *  *  *
 
『本の中の世界』(湯川秀樹 岩波新書)を読んでいたら、「動的平衡」と言う言葉が出てきて、ドキッとした。
生物学とは全然関係ない文脈だったんですけど。

                       *  
             
そう言えば、フランシス・クリックの本でも「動的平衡」と言う言葉を目にしたことがある。
もちろん、シェーンハイマーとは無関係。
まあ、特別独創的な言葉じゃないってことですよ。

                       *  
       
ミスター”動的平衡”、福岡伸一がラ・フォル・ジュルネに参加した模様。
今のうちに予言しておくけど、絶対「音楽は”動的平衡”である」とか言いだすね、この人。

                       *  

去年のラ・フォル・ジュルネ・ジャポンのアンバサダーは茂木健一郎。
ラ・フォル・ジュルネ・ジャポンの中の人って見識ないね。

                  *  *  *

私は、物わかりの良さそうな顔をした人間を信用しない。
鶴見俊輔という人は、どうも信用できないとという気がしていたのだが、「みすず」の読書アンケートで『生命と無生命のあいだ』を挙げているのを見て確信した。
この人はダメだ。
一緒に中沢新一の本も挙げている。
センス悪過ぎ。

                  *  *  *
 
1/28の「久米宏のテレビってやつは!?」より。

久米「茂木さんは、テレビ多いですよね」 
       (略)
茂木「自分から出ようと思って出てるんじゃなくて、しがらみでしょうがないから」

「日経サイエンス」2月号より。

伊勢田 だとしたら,メディアで発言するときは,ここまでが科学で, ここからが生命哲学だと区別する必要があるのではないですか (笑)。
茂木 その点、かなり慎重に話しているつもりですが、テレビ番組の場合,収録した内容全部が放送されるわけではありません。自分で全体の論旨をコントロールできないという問題がありますね.
伊勢田 それは理解できますが,そのような場合は出演しないという選択肢もあるのではないですか。
茂木 それもひとつの選択肢だと思います。メディアに登場する科学者の見識にまかされている面もあるので,私も注意しているつもりです。ただ科学的なエビデンスとしていえることはきわめて限られていて,しかも科学的であると判断するための境界線にもグレーゾーンがある。その違いは相対的なものです。

出たくないなら出なきゃいいのに。`

                  *  *  *

「TV Bros.」のおおひなた ごうのマンガが面白かった。
手塚治虫からとり・みきまで、マンガの枠組みをおもちゃにしたメタな笑いというのはこれまでもあったし、おおひなた自身もよくやっているのだが、今回のものは見事だと思った。

                      *  
 
とり・みきと言えば、こんなものを見つけた。 

L'autre bande dessinee 

機械翻訳させるとメチャクチャな日本語になるが、ファンなので大体の内容はつかめる。
それにしても、フランス人の口から 「青林堂」だの「秋田書店」だの「蛇女」だのという単語が出てくるところを読むのは、ちょっと妙な気分。

                        *  

exciteの翻訳はまあまあだけど、Googleの翻訳って全然使えないね。

                  *  *  *
 
TOWA TEIの新作「BIG FAN」、良かった。
この人は、「サウンド・ストリート」にデモ・テープ送ってた頃から、音色の感覚が変わってないねえ、いい意味で。

                  *  *  *

地下鉄に乗っていたら、が車内放送が。
「社内で急病人……X分の遅れ……お詫びいたします」
急病人が出て遅れたのは、地下鉄のせいじゃない。
もちろん、急病人の責任でもない。
悪い人間はいないのだから、謝る必要はない。
意地悪な見方をすると、「遅れたのはコイツのせいです」と言っているようにも感じられる。
謝る必要もないところで謝るのは不誠実だ。

                  *  *  *

404 Blog Not Found    宇宙人に左右を説明するには

コメント欄とはてブの人たちは、今すぐ本屋に行って、マーティン・ガードナーの『自然界における左と右』を買って読むべきだと思う。
『非対称の起源』(クリス・マクナマス ブルー・バックス)でも可。

                       *   

Googleで「オズマ問題」を検索してみると、DJ OZMAの紅白騒動がひっかかる…。

                  *  *  *

clare & the reasons来日公演開始。
私は来週観に行きます。

                  *  *  *

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日本語は亡びました

404 Blog Not Found    近代的日本国民の青写真 - 書評 - 現代語訳 学問のすすめ

なんとか意味はわかるものの、とても現代人の文章には見えない。これでも、新字新仮名遣いなのである。カタカナとひらがなを転置しただけで、もう「昔のえらい人の古典」になってしまう。私でも敬して遠ざけずにはいられない。

あのー、『日本語が亡びるとき』って読んでないんですけど、日本語が<現地語>になってしまって知的な仕事をする連中がみんな英語で読み書きするようになったら、漱石や鴎外や福沢諭吉と言った先人の残した財産がもったいないから、エリートを養成して近代日本文学を頭の中に叩き込もう、とか言う内容だと思ったんですが。
明日の日本を担うカリスマ・アルァブロガーが、たった134年前の日本語の文章を、「敬して遠ざけずにはいられない」って、どーゆーことなんでしょうか。

何度も読んだはずなのに、これを読むまで気がつかなかった。

この随筆集こそ、近代的日本国民というものを創り上げた一冊だったのだと。

ほんとに「何度も読んだ」のかしらね。

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2009年2月 4日 (水)

Songsmith

ちまたで話題のMicrosoftのSongsmith。
「これはヒドイ」だの「音が安っぽい」だの「笑える」だのと、随分盛り上がっているので、ワクワクしながらYoutubeでいくつか聴いてみました。
で、私の感想。

そんなにひどくないじゃん。

もっと、脱力するようなひどさを想像してたんですけど。
これよりひどい音楽は世の中にいくらでも存在すると思うけどね。
セブンイレブンの店内放送の音楽なんて、ホントにひどいよ。
ポップスやロックの名曲がイージー・リスニング風にアレンジされてるんだけどさ。
「何で、そんなチープな音色使う?」「何?その中途半端なメロディの崩し方」「どうして、そんなコードにしちゃう?」って感じで、聞くに堪えないですよ。
それから、サトームセンとかヨドバシカメラのCM音楽とか思い出してみてよ。
人間が作ってあの程度のレベルなんだから、30030ドルのソフトであれだけのものが作れるなら上出来だと思うんだけど。
音色がチープとかいってる人もいるけど、それほどとは思わないなあ。
私も10年位前にDTMソフトを自分でいじってみたことあるけど、パソコンで出す音なんて、あんなもんじゃないかな。
まあ、最近はテクノとかエレクトロニカなんかではパソコンでもかなりのレベルの音は作れるようになってるけど、生楽器の音のシミュレートをしたら、やっぱりどうしても安っぽくなると思いますよ。
有名な曲のボーカルにアレンジをつけたヤツがひどいとか言って笑っている人も多いけど、ウーン、それほどヘンだと思わんなあ。
ヘンだと思うのは、元曲を知ってるからなんじゃないの?
知らないで聴けば、こんなものだろう思っちゃうんじゃないかな。
リミックスものなんかで、元の曲と全然違うコードをつけたりするのとかあるしなあ。私はそんなに違和感なかったですね。
それから、何か勘違いしてる人が多いみたいだけど、アレンジのジャンルとかコードとかは選択できるようになってるんですよ、このソフト。
Roxanneがサルサ(ってつられて書いちゃったけど、あれはサルサじゃないよな?)になってるからって、バカなソフトだって笑うのは、ちょっと違うんじゃない?
あれは、ユーザがわざと合わなそうなアレンジを選んで面白がってるんでしょ。
まあ、さすがにかなり無理があるアレンジになってるのもあったけど、一応ちゃんと形にはなってるから感心しましたよ、私は。

それから、CMの方も随分笑いものになってるみたいだけど、これもそんなにひどいと思わないなあ。
日本のCMで、もっと神経を逆なでにするような不快なものがいくらでもあると思うんだけど。
そういうのに比べたら、微笑ましいくらいのものじゃないかと。
まあ、あのMicrosoftにしてはチープ過ぎるってのはありますけどね。
それから、開発者が出演してるのも話題のようですが、素人にしては歌がうまいなあ、と思いました。
少なくとも、私はあれほどは歌えないです。

念のために言っておきますけど、これはネタじゃないですからね。
100パーセント本気で書いてます。
なんだか、音楽のセンスを疑われそうだなあ。

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