コメント欄停止
と言うわけで、コメント欄も停止しました。
では、ごきげんよう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
しばらくブログの更新を止めようかと。
茂木健一郎のように中身がない男の相手ばかりしていたら、こちらまで中身がなくなってしまいそうだし、福岡伸一がバカの一つ覚えのように、ドーテキヘーコー、ドーテキヘーコーとあちらこちらで吹聴するのを観察するのにも飽き飽きしてきました。
連休中に色々本を読んで、やっぱり自分は書くより読む方が楽しいなあ、と。
ブログをはじめてから、新書や文庫本の類ばかり読むようになってしまっていたので、もっと歯ごたえのある本を読むのにリソースを集中しようかと思います。
別に、ああいう連中の批判をするのが私でなければいけないっていう理由もないし、世の中にはサイエンス・ライターなんていう職業の方もいらっしゃるみたいなんで、そういう方々が正しい知識を普及させてくれるんじゃないですかー、サイエンス・コミュニケーションとか言うんでしょ?よく知らないけど。
と言うわけで、しばしの間、お別れです。
再開は、一月後か二月後か、私の気分しだいで。
| 固定リンク | コメント (28) | トラックバック (0)
と言うわけで。
期日になりましたので、「Wikipediaの編集をしたのは茂木先生本人」は確定、と宣言させていただきます。
ま、単に匿名ブログだから無視されただけってことかもしれませんが。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
あ、いや、Wikipediaの件じゃなくて。
往復書簡の件で菊地成孔が、って話です。
で、Wikipediaの件は今日までなので、茂木先生、よろしくお願いしまーす。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
茂木健一郎のモーツァルト・モード
モーツァルトの音楽は脳の活性化をもたらすそうです。
現代人の脳の活性化をもたらすモーツァルトの楽曲をセレクションしたアルバム。モーツァルトの音楽の脳への効果、そのメカニズムの解説付き。それを脳の最先端の研究者として話題の茂木健一郎が監修。
「別冊ぶらあぼ 熱狂の日音楽祭2006公式アフターガイドブック」から。
モーツァルト、サイコーってことみたいです。
やっぱりモーツアルトの音楽による気分の高揚って、他の音楽の場合と違うんですよね。単に自分が好きな音楽を聴いて気分が高揚しているというわけじゃなくて、たとえばロックを聴いてる感じは、友達と楽しくしゃべってる時に似ている。それに対して、モーツアルトの音楽を聴いている時は、創造的に脳を働かせてる時の感じに似ている。イギリスの科学雑誌「ネーチャー」でも、「モーツアルト効果」ということが話題になったことがありますけど、僕自身が実体験的に思っていることです。
MySony Mail Magazine
別にモーツァルトじゃなくてもいいそうです。
すごく簡単なことで、脳によい音楽は、その人が好きな音楽なんですよ。昔、「モーツァルト効果」という研究があって、モーツァルトの曲を聴きながら勉強するとIQが10上がるって言われていたのですが、よく調べたら、モーツァルトの曲が好きな人にしか効果がないとわかりました。モーツァルトの曲が嫌いで聴きたくない人には、効果がなかったのです。好きな音楽ならば、ロックでもIQが上がることもわかった。好きな曲を聴いていると、脳の中の報酬系という回路が活性化されてIQが上がるんです。ビデオでも同じ。韓流でも、コメディでも、好きなものを見ると脳が活性化するのです。
脳科学者・茂木健一郎さんが語る熱狂の日
音楽サイコーってことみたいです。
どれほどの文字や数字を尽くしても、音楽体験のすべてを説明できません。それが音楽の魅力であり、すごさでもあると思います。「音楽にはかなわない。すべての表現ジャンルは音楽に嫉妬すべきだ」というのが、物理学、法学、生物学、脳科学を研究してきた私の素直な気持ちです。
「すべては音楽から生まれる」より。
クラシック音楽サイコーってことみたいです。
もう一つ特筆したいのは、ジャンルとしてのクラシックである。
私は、ポピュラーミュージックもボサノヴァも聴くし、好きである。また、一般的にも、クラシック以外の音楽の方が好まれ、その場にふさわしいということは多い。
しかしながら、クラシック音楽の、ある種の作曲家が作った曲のすばらしさは、絶対に揺るがない価値として私の中にある。単なる好みということ以上に、音の密度や様式の美といったクラシック音楽の構造が、自分の思考運動と相性がよく、脳内をエネルギッシュに働かせてくれるのである。これほどの快感は他にない。
「涙の理由」(重松清, 茂木健一郎)より。
揺らがない価値が揺らいじゃったようです。
茂木:島田雅彦が――あいつは時々面白いことを言うのですが――「文学と接点を持てないと偉くなれない」と。要するに、生きること、人生のブックキーピング(帳簿付け)を考えたとき、音楽や美術・アートは、パーツになる。たとえばアート界の偉い人の「偉さ」は、小説家、文学の世界の偉さ――というのも変だけれど――、ある種の重みと比べると一段落ちる。島田はそう言いきる。リアルなことだと思った。重松さんが言われたことと関係するんだよね。小説を通して得られる感動・涙は、特別なものなんだよ。モーツァルトやバッハでさえ文学の領域まで行っていないのかもしれない。
重松:僕は逆に、「個人の人生の体験や、社会・歴史の文脈があって成立するのが小説の感動」で、音楽はそれが抜き。僕はそっちのほうが、社会化できない分、プリミティブで深い気がするんだけど。
茂木:なぜ、文学や小説が我々の実存においてセントラルな位置を占めているのか。バベルの塔以降、世界は六千の言語に分裂して「お互いに不可視の領域」を築いてしまっている。「だからこそだ」という気がするのです。音楽は普遍的だから、かえって我々の自我に深く入ってこないんじゃないか。「外から見えない・不可視であること」と「人格に入り込んできている」ことは、「同じことではないのか」と。「万人にとっての共通のもの」は、逆説的だけれども、自我の深いところまでは行けないのだと思います。
茂木健一郎にとって、音楽って何?
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
今度は「女脳」だそうです。
女脳 ひらめきと勝負強さの秘密 (単行本)
茂木 健一郎 (著), 矢内 理絵子 (著)内容紹介
女流棋士矢内理絵子、将棋ひとすじ20年。
ひらめきと勝負強さの秘密をめぐって、
脳科学者茂木健一郎が、「女脳」の可能性を徹底解明!「先を読む力」や「沈思黙考」の重要性、男女の脳差、
構想力と直感力を育む方法、
感想戦の重要な意味などを明らかにする、
棋士と学者の珠玉のダイアローグ。
思いっきり、「neuromyths(神経神話)」ですな。
neuromythsに関しては、以下を参照のこと。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「茂木健一郎」の項、編集合戦お疲れ様です。
本人の以下のような発言を見つけました。
参考までに。
僕は本業という言い方は好きではないですね。便利なので脳科学者と名乗っていますが、脳科学のために生きているわけじゃない。
ということなので、「脳科学者」が「自称」かどうかなんて、あまり気にしないと思います。
「クオリア」はライフワークであり、一番大事な僕のテーマではある。でも、それはもしかして哲学と言ってもいいことかもしれない。カテゴリーや肩書にとらわれず、今の僕が世の中に差し出せる贈り物を、一番良い形で出していけたら。そういう気持ちですべてのことに誠心誠意取り組んでいるだけです。
カテゴリーや肩書にはとらわれないそうなので、「タレント」と書いておいても問題ないと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント