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2008年7月13日 (日)

役人叩き

厚労省職員、業務中に「2ちゃん」「ゲーム」三昧

厚生労働省で、官用パソコンを用いてゲームやお笑いなど業務と関係のないホームページ(HP)閲覧が1日に約12万件もあったことが12日、分かった。年金や後期高齢者医療、医師不足など厚労行政が批判を浴びるなか、多数の同省職員が職場を“ネットカフェ”状態にし、HPで遊んでいる実態が明らかになった。

 厚労省統計情報部では今年5月7日、職員約5万5000人のうち、東京・霞が関の本省と8つの地方厚生局計約5500台のパソコンを対象にインターネットの閲覧状況を調査。総閲覧数1000万件のうち、少なくとも12万2000件が業務外と判明した。

 
「総閲覧数1000万件のうち」「12万2000件」って、少ないじゃん。
まあ、「少なくとも」って言ってるから、実際はもっと多いのかもしれないけど、なんにしろ目くじら立てるようなことじゃない。
問題でもなんでもないことを問題に仕立て上げるのは止めようよ。

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2008年6月19日 (木)

識者の皆様

秋葉原の通り魔事件について、「週刊文春」6月26日号から、識者二人による分析を見てみましょう。

まずは、佐藤優。

 犯人が残した膨大な書き込みを読んで、まず脳裏を過ぎったのが、十九世紀のロシアの情景でした。
ニヒリズムが流行した当時のロシアには、どんな犯罪も肯定されるという風潮が蔓延していました。神が否定されるなら、犯罪を罰する根拠は何もない。ならば、革命も殺人も許される--。そんな世相から紡ぎ出されたのが、殺人を正当化する若者を描いた、ドストエフスキーの傑作『罪と罰』でした。
 彼の記述には、同小説の主人公に通じる独善的な犯罪肯定の思考が見られます。
<オレがお前らの罪を背負ってるからお前らは幸せなんだよ>
<みんな俺を敵視してる>
<一歩踏み出したら、あとはいくだけ>
<世紀末的な眠さ>という表現が登場しますが、これも彼が文学的な表現を使いこなす知的能力の持ち主であることを示しています。全編を読み通してまず驚かされるのは彼の国語力の高さです。モノを書く人間から見ても、印象に残る構成となっている。私は不気味さを感じながらも、引き込まれるように一気に読みました。

チョッチョッチョッチョット待て。
ドストエフスキーを一冊も読んでない私が言うのもアレなんだが、『罪と罰』って、そんな内容だったっけ?

Wikipedia 罪と罰

頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てるも、殺害の現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまう。この思いがけぬ殺人に、ラスコーリニコフの罪の意識が増長し、発狂していく。

「神が否定されるなら、犯罪を罰する根拠は何もない」「ならば、革命も殺人も許される」っていうのとは随分違うと思うぜ。
「ロシア通」文学的教養もいい加減なものですな。

それに、今回の犯人の<オレがお前らの罪を背負ってるからお前らは幸せなんだよ>というのは、「殺人を犯す自分の正当化」ではあっても「殺人の正当化」ではないだろう。
自分が行うことが罪であることは意識しているのだから。

  ただし、犯人が取った行動は重大な犯罪であって、擁護できることは一切ありません。また、刑事責任の追及とは別の次元で、政府は徹底した事例研究を行うべきです。社会防衛のためにも、この犯人の内在的な論理を解明することが極めて重要です。それには「インテリジェンス」の思考が不可欠だと思います。少々突飛に聞こえるかもしれませんが、対象者がどういう考え方を持っているかを虚心坦懐に調べることは「インテリジェンス」そのものなのです。

  出たーっ!「インテリジェンス」

  伝家の宝刀!インテリジェンス。

  何でも斬れるぞ!インテリジェンス。

 否定する人間がいないと思ってテキトーなこと言ってないか?インテリジェンス。

 佐藤優氏の「インテリジェンス」は、宮台真司の「社会学」、茂木健一郎の「偶有性」、福岡伸一の「動的平衡」と同様、何でも説明できるマジック・ワードになってますな。

  政府は、この事件を「国家の危機」と捉え、本気になって分析と防止策に乗り出すべきです。

通り魔事件一つに政府を引っ張り出しちゃいますか。
「インテリジェンス」ってホントーにスバラシーですね。(棒読み)
 
   
次は、岡田尊司。

  今回の通り魔殺人は、近年の少年犯罪によくあるパターンそのものです。親の言いなりだった優等生が挫折してゲームやネットにのめりこみ、うまくいかない現実の腹いせに、家庭内暴力から果ては社会に復讐しようと大きな事件を起こす。二十五歳の大人でも、このような事件を起こすほど、幼くなっている。思春期の課題を乗り越えられないまま、バーチャルな世界の中で時間が止まってしまった人間が増えているのでしょう。
  最近の研究でも、暴力的なゲームや映像にふれていると、他者の痛みに共感する脳の活動領域が、低下することが分かっています。『脳内汚染』(文春文庫)にも書きましたが、自分の痛みばかりに敏感になり、悪意がないものに対しても、自分を攻撃しようとしていると思い込みやすいのです。

  ハイハイ、『脳内汚染』ね。
  他人の脳の心配をする前に、自分の脳の中が汚染されてないか疑ってみたら?

  妄想性パーソナリティ障害は、絶えず厳しい評価にさらされ、辱めや支配を受けて育った人に多いとされます。彼は最も身近な肉親とも本心を見せ合う信頼関係が築けなかったと推察されます。その影響で、他人はすべて自分を非難するものだと思い込むようになってしまったのでしょう。
  親は良かれと思って高い目標を与えたり規則で縛ったりしますが、子どもにとってはそれは強制体験になってしまう。これは、一般家庭にも起こりやすい「善意の虐待」です。成長していく過程で、子どもは自分の主体性を親に踏みにじられたと思い込み、精神的な歪みを抱え込むことになる。今回の無差別殺人は、決して他人事ではないのです。

ゲームのせいにしたかと思ったら、今度は家庭環境ですか。
まあ、二つは排他的ではないですけどね。
本人に会いもせず、ネットの書き込みとマスコミの報道だけで、よくもまあ、そんな断定的なことが言えるもんですね。
思いつきだけで言ってるんじゃない?
 
 
 それにしても、「思春期の課題を乗り越えられないまま、バーチャルな世界の中で時間が止まってしまった人間」が、同時にラスコーリニコフを思わせる「文学的な表現を使いこなす知的能力の持ち主」になってしまったりするんだから、識者の分析を読むのは実に楽しいですな。 (*1)
 
  と言うわけで、安原様、後はヨロシクお願いします。(勝手にふるなよ)
 
  岡田尊司は「脳内汚染派」 、佐藤優は「ロシア文学派」または「インテリジェンス派」ってとこですかね。

(追記 2008.6.23)
(*1)「思春期の課題を乗り越えられないまま、バーチャルな世界の中で時間が止まってしまった人間」であることと「文学的な表現を使いこなす知的能力の持ち主」とは、必ずしも矛盾しないわけですが、やはりちょっと違和感がある。

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2008年6月18日 (水)

宮崎県民の皆様へ

東国原知事「愛のムチ条例できないか」…県議会で発言 (読売新聞)

 宮崎県の東国原英夫知事は18日、学校教育の場や地域での子どもとの接し方について、「『愛のムチ条例』や、『愛げんこつ条例』ができないか。検討に値するかもしれない」と発言した。

 この日の県議会一般質問で、自民党県議が「昔は隣近所の年配の方からもよく指導され、げんこつをもらった。今は体の五感を使って学ぶ体験が少なすぎる」などと県教育長の見解をただした。

 閉会後、報道陣が最も印象に残る質問を尋ねたところ、知事はこのやり取りを挙げ、「私もそう(げんこつをもらった)でした」と述べた。さらに、「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』ってのができないのかな。非常に難しいですね」と話した。

  この馬鹿をどうにかしてください。お願いします。

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2008年5月 1日 (木)

法廷のワイドショー化

「見せる法廷」遺体写真も 裁判員制度へ福岡地検が試行
2008年05月01日03時03分

 福岡地裁で30日に開かれた殺人事件の初公判で、検察側が事件直後の現場や遺体、致命傷になった傷口などの証拠写真を、プロジェクターで法廷に大写しにした。来春始まる裁判員制度を見据えた「見せる法廷」の取り組み。制度開始に向け、さらに証拠の示し方などを検討するという。

(略)

 検察側は傍聴席に向けたモニターに、大量に出血して倒れた男性の遺体や首の傷口、血痕の写真などを次々に映写。犯行状況を詳しく再現した。論告では、現場状況を「血の海」と表現し、「残忍極まりない犯行」として懲役14年を求刑した。

 傍聴した男性の父親は公判で「(写真を)目を開けて見られなかった」と意見陳述した。地検からは事前に、写真の使用の是非などについて意見を聞かれていたといい、公判後の取材に「事件の悲惨さ、犯行の悪質さをよく伝えてくれた」と評価した。

 福岡地検は「裁判員は事実認定だけでなく、量刑判断も担う。起訴状の『刃物で切りつけた』との文言だけでは伝わらない悲惨な実態を伝えようとした。今後も、どの証拠をどの程度まで示すか検討を重ねたい」と話している。

裁判員制度へ向けてこういう取り組みが行われるというのは、嫌な感じがする。
出血の量など、どこにどの程度傷を受けたかで決まるわけで、現場が「血の海」だからといって、「残忍極まりない犯行」だと判断できるのか。
「残忍」かどうかは、前後の状況で判断されるべきであって、現場の視覚的な状況から感覚的に判断されるべきではない。
「傍聴席に向けたモニターに、大量に出血して倒れた男性の遺体や首の傷口、血痕の写真などを次々に映写」「犯行状況を詳しく再現」などというのは、”ワイドショー的””週刊誌的”発想だと思う。

 法廷取材を続ける作家の佐木隆三さんは「裁判員に強い印象を残す点で検察側には有効な手法だろう。厳罰化への懸念など、裁判員への影響を考え、証拠として写真を示すことに慎重な意見もあるが、裁判官と裁判員は対等な立場で評議すべきだ。見るに堪えないものも見ることが、裁くことの重みだ」と話した。

佐木隆三の想像力が週刊誌レベルってことだ。

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2008年4月22日 (火)

理解不能なのはどっちだ?

母子殺害元少年の「理解不能」発言 「死刑制度認める、でも死刑になりたくない」(J-CASTニュース)

「はい。僕は死刑存置主義者ですから。終身刑も検討して欲しいと思っていますけどね。ただ判例として僕が死刑になるのは避けたい。ほかの少年少女の事件にも大きく影響するんですから」

どこが理解不能なんだ?

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光母子殺害

光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】

--今回の少年は(犯行時)18歳。ハードルが外れ、今後、少年の死刑判決が続くと思いますか。

本村 そもそも、死刑に対するハードルと考えることがおかしい。日本の法律は1人でも人を殺めたら死刑を科すことができる。それは法律じゃない、勝手に作った司法の慣例です。

この質問をした記者は馬鹿じゃないかと思う。
被害者の家族にこんな質問することに何の意味があるんだ?

死刑に関しては、前に引用した中井久夫の発言を再度引用しておく。

中井 犯罪の瞬間の責任能力を認めないということは、ただちにその人の人権を否定することになるのかな。裁判の過程は、修復の過程であり、ゆっくり時間をかけて法廷弁論を展開をしてゆくという過程が重要なので、判決や刑の執行が最重要なのではないとも考えられる。責任能力だって、最初からこれはだめだと検事が不起訴にする場合もあるけども、多くは法廷で時間をかけて論じられる。この過程も考えに入れるべきでしょうね。死刑の是非は棚上げして言うのですが、鎮魂の過程とも考えられませんか。日本の死刑囚の裁判は非常に長くかけているでしょ。あれはそれなりの理由があるんですよ。迅速に死刑執行したらどうなるか。死刑される人は、まだ昂ぶりが残っているからかえって楽かもしれないという意見もあるんですけど、しかし迅速に死刑を執行した結果は、加害者、被害者双方の家族その他の自殺が非常に多い。したがって家族が、それなりに心の中で折り合いをつけて、そして自分の新しい人生をそれぞれを歩みだしてからこっそり死刑執行する。それはあるわけです。実際、社会に的に合意が得られそうにない死刑を執行しないのは、戦後の日本の著しい特徴です。

(追記)
そもそも、「ハードル」って何なんだ?

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2008年4月19日 (土)

司法も対案を?

アリャリャ?「レジデント初期研修用資料」にコメントしたんだけど、なくなっちゃてるよ。

レジデント初期研修用資料 司法も対案示してほしい

元医者さんの

それから、三権分立を不磨の大原則のように言われていますが、
たぶん300年以上の考えなのに、
時代に合わせて変わることは無いのですか?

の後に

だったら、対案出せば?

とコメントしたんだけど、アオリと判断されちゃったかな?
そんなつもりはないんだが。(*1)

んで、おまけに

レジデント初期研修用資料 正義の敵は正義

そもそもみんな、法律とか憲法とか、そんなに大切に考えてるものなんだろうか ?

どういう言いぐさ?
「レジデント初期研修用資料」は前から興味深く読んでいたのだが、これからは見方を変えることにする。

今回の裁判に関しては、とりあえず、参考としてApemanさんのところにリンクを張っておく。(*2)

Apes! Not Monkeys! はてな別館  小泉流「非戦闘地域」

この件については、たぶん、後でもう一回書く。

(追記 2008.4.20)
(*1)もう少し書き方を考えればよかったと、今は思うが。
(*2)勝手ですみません。私が何か書くより説得力があると思うので。

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2008年4月18日 (金)

「アナログ放送終わります」

「アナログ放送終わります」テレビ画面に常時字幕へ

 検討案によると、今夏からアナログ放送で「アナログ」という文字を流す。一定期間を置き、画面の下部に「アナログ放送は2011年7月24日で終了します」といったスーパーを入れる2段階方式。番組を録画しても文字スーパーは残る。スーパーのデザインや文言は今後詰める。

  ふざけんな。

 ま、いいか。そうなったらテレビは放送は見ずに、どうしても見たいやつは、誰かがYouTubeにあげてくれたやつで見ることにしよう。
 これで、CMともおさらば。さようなら、テレビ局。

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2008年3月 6日 (木)

テレビの深夜放送自粛?

テレビの深夜放送自粛しては? 自民、環境対策で検討へ(asahi.com)
2008年03月04日18時56分

 「午前0時以降はテレビの深夜放送を自粛したらどうか」。4日の自民党総務会で、環境対策を話し合ったところこんな案が飛び出した。70年代のオイルショックや90年の湾岸危機で、省エネ対策として政府が深夜放送の自粛を呼びかけた例があるため、最近の原油高対策にならないか――との発想だ。今後、党内で是非を検討するという。

 会合では、森山真弓元法相が「オイルショック時のように、テレビを自粛するぐらいのことはやるべきだ」と提案。加藤紘一元幹事長も「京都議定書を国民に理解してもらうためにも検討すべきだ」と同調。中には「深夜までテレビを放送する必要性があるのか」との意見も出た。

 これに対し、谷垣禎一政調会長が「法律でしばることはできず、マスコミの協力も必要だ。国民運動のような形で対応できるのか勉強してみたい」と引き取った。

  もっとほかに考えるべきことがあるはずだろ、と思うのだが。
  合理的な根拠が乏しいまま、旧式で保守的な生活感覚を元に、道徳的色彩を帯びた否定論が主張され、かつ、本人達はそのことにまったく無自覚、という点で、”ゲーム脳”論に似ている気がする。

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2008年1月27日 (日)

大阪府知事選 橋下徹氏当選確実

橋下徹、当選確実なそうで。大阪府民の皆様。ご愁傷様です。東京都民に差をつけるせっかくのチャンスを逃してしまったんですね。「横山ノックでは失敗したけど、同じミスは二度としない!」って言えるようになるチャンスだったのにねえ。この調子だと、日本は紳助とかそのまんま東とかお笑い芸人に牛耳られそうだな。サイアクだ。

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2008年1月26日 (土)

緊急地震速報"不発”

“不発”続き…緊急地震速報発表されず 予測震度、基準より低く(産経新聞)

相次ぐ“不発”は、速報の信頼性にも影響しそうだ。

感度が良過ぎて逆方向の誤報を出しても、「信頼性にも影響」するだろうが。下の記事を見ろ。

緊急地震速報 ラジオ6社が啓発特番

速報することで、揺れが強くなる前にガス器具を消すなど、防災面での効果が期待できる。その半面、ラジオで速報を耳にしたドライバーが驚いて急ブレーキをかけたり、橋やトンネルを通り過ぎようと焦ったりして、事故につながる危険性も心配されている。

安易な書き方するなよ。

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「オーラの泉」問題 所感

 江原啓之の件については、各所で盛り上がっているので、これでおしまいにしよう。
 ちょっと気になったのは、「ニセ科学批判」の人たちの反応が案外鈍かったこと。一段落ついてから振り返って冷静に議論しようということなのかも知れないけど、せっかくのチャンスを見逃しているように見える。「ニセ科学批判」方面の人たちからすれば、江原啓之なんかインチキなのは明らかだから、かえって興味が薄いのかも知れない。江原のホット・リーディングなんて陳腐なものだしな。一人ひとりが批判的な見方を身に付けなければ江原一人を叩いたところで大して意味がないと思っているのかも知れない。「ニセ科学批判」の人たちは上品だから「溺れた犬は叩け」という態度は趣味に合わないのかもしれないけど、たちの悪いペテン師に対してはこういう態度も必要だと思うよ。

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