秋葉原の通り魔事件について、「週刊文春」6月26日号から、識者二人による分析を見てみましょう。
まずは、佐藤優。
犯人が残した膨大な書き込みを読んで、まず脳裏を過ぎったのが、十九世紀のロシアの情景でした。
ニヒリズムが流行した当時のロシアには、どんな犯罪も肯定されるという風潮が蔓延していました。神が否定されるなら、犯罪を罰する根拠は何もない。ならば、革命も殺人も許される--。そんな世相から紡ぎ出されたのが、殺人を正当化する若者を描いた、ドストエフスキーの傑作『罪と罰』でした。
彼の記述には、同小説の主人公に通じる独善的な犯罪肯定の思考が見られます。
<オレがお前らの罪を背負ってるからお前らは幸せなんだよ>
<みんな俺を敵視してる>
<一歩踏み出したら、あとはいくだけ>
<世紀末的な眠さ>という表現が登場しますが、これも彼が文学的な表現を使いこなす知的能力の持ち主であることを示しています。全編を読み通してまず驚かされるのは彼の国語力の高さです。モノを書く人間から見ても、印象に残る構成となっている。私は不気味さを感じながらも、引き込まれるように一気に読みました。
チョッチョッチョッチョット待て。
ドストエフスキーを一冊も読んでない私が言うのもアレなんだが、『罪と罰』って、そんな内容だったっけ?
Wikipedia 罪と罰
頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てるも、殺害の現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまう。この思いがけぬ殺人に、ラスコーリニコフの罪の意識が増長し、発狂していく。
「神が否定されるなら、犯罪を罰する根拠は何もない」「ならば、革命も殺人も許される」っていうのとは随分違うと思うぜ。
「ロシア通」の文学的教養もいい加減なものですな。
それに、今回の犯人の<オレがお前らの罪を背負ってるからお前らは幸せなんだよ>というのは、「殺人を犯す自分の正当化」ではあっても「殺人の正当化」ではないだろう。
自分が行うことが罪であることは意識しているのだから。
ただし、犯人が取った行動は重大な犯罪であって、擁護できることは一切ありません。また、刑事責任の追及とは別の次元で、政府は徹底した事例研究を行うべきです。社会防衛のためにも、この犯人の内在的な論理を解明することが極めて重要です。それには「インテリジェンス」の思考が不可欠だと思います。少々突飛に聞こえるかもしれませんが、対象者がどういう考え方を持っているかを虚心坦懐に調べることは「インテリジェンス」そのものなのです。
出たーっ!「インテリジェンス」
伝家の宝刀!インテリジェンス。
何でも斬れるぞ!インテリジェンス。
否定する人間がいないと思ってテキトーなこと言ってないか?インテリジェンス。
佐藤優氏の「インテリジェンス」は、宮台真司の「社会学」、茂木健一郎の「偶有性」、福岡伸一の「動的平衡」と同様、何でも説明できるマジック・ワードになってますな。
政府は、この事件を「国家の危機」と捉え、本気になって分析と防止策に乗り出すべきです。
通り魔事件一つに政府を引っ張り出しちゃいますか。
「インテリジェンス」ってホントーにスバラシーですね。(棒読み)
次は、岡田尊司。
今回の通り魔殺人は、近年の少年犯罪によくあるパターンそのものです。親の言いなりだった優等生が挫折してゲームやネットにのめりこみ、うまくいかない現実の腹いせに、家庭内暴力から果ては社会に復讐しようと大きな事件を起こす。二十五歳の大人でも、このような事件を起こすほど、幼くなっている。思春期の課題を乗り越えられないまま、バーチャルな世界の中で時間が止まってしまった人間が増えているのでしょう。
最近の研究でも、暴力的なゲームや映像にふれていると、他者の痛みに共感する脳の活動領域が、低下することが分かっています。『脳内汚染』(文春文庫)にも書きましたが、自分の痛みばかりに敏感になり、悪意がないものに対しても、自分を攻撃しようとしていると思い込みやすいのです。
ハイハイ、『脳内汚染』ね。
他人の脳の心配をする前に、自分の脳の中が汚染されてないか疑ってみたら?
妄想性パーソナリティ障害は、絶えず厳しい評価にさらされ、辱めや支配を受けて育った人に多いとされます。彼は最も身近な肉親とも本心を見せ合う信頼関係が築けなかったと推察されます。その影響で、他人はすべて自分を非難するものだと思い込むようになってしまったのでしょう。
親は良かれと思って高い目標を与えたり規則で縛ったりしますが、子どもにとってはそれは強制体験になってしまう。これは、一般家庭にも起こりやすい「善意の虐待」です。成長していく過程で、子どもは自分の主体性を親に踏みにじられたと思い込み、精神的な歪みを抱え込むことになる。今回の無差別殺人は、決して他人事ではないのです。
ゲームのせいにしたかと思ったら、今度は家庭環境ですか。
まあ、二つは排他的ではないですけどね。
本人に会いもせず、ネットの書き込みとマスコミの報道だけで、よくもまあ、そんな断定的なことが言えるもんですね。
思いつきだけで言ってるんじゃない?
それにしても、「思春期の課題を乗り越えられないまま、バーチャルな世界の中で時間が止まってしまった人間」が、同時にラスコーリニコフを思わせる「文学的な表現を使いこなす知的能力の持ち主」になってしまったりするんだから、識者の分析を読むのは実に楽しいですな。 (*1)
と言うわけで、安原様、後はヨロシクお願いします。(勝手にふるなよ)
岡田尊司は「脳内汚染派」 、佐藤優は「ロシア文学派」または「インテリジェンス派」ってとこですかね。
(追記 2008.6.23)
(*1)「思春期の課題を乗り越えられないまま、バーチャルな世界の中で時間が止まってしまった人間」であることと「文学的な表現を使いこなす知的能力の持ち主」とは、必ずしも矛盾しないわけですが、やはりちょっと違和感がある。
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