『音に色が見える世界「共感覚」とは何か』
ついでに、もう一つ。
茂木が推薦文を書いている『音に色が見える世界「共感覚」とは何か』(岩崎純一/PHP新書)は噴飯ものである。
茂木はこれまでにも、色々クズのような本に推薦文を書いているが、この本は特にひどい。
私は、本屋で最初の2ページを読んではらわたが煮えくり返った。
どこがどうひどいのかは、立ち読みでもすれば分かるのでここには書かない。
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ついでに、もう一つ。
茂木が推薦文を書いている『音に色が見える世界「共感覚」とは何か』(岩崎純一/PHP新書)は噴飯ものである。
茂木はこれまでにも、色々クズのような本に推薦文を書いているが、この本は特にひどい。
私は、本屋で最初の2ページを読んではらわたが煮えくり返った。
どこがどうひどいのかは、立ち読みでもすれば分かるのでここには書かない。
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そこで、
死んだ方がいい茂木が、
こういう質問をその青年の前で、
母親に向かって行ったのである。
「○○君で、良かったですか?」
2ちゃんより。
290 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/09(水) 21:36:27 ID:iv/Hdd030
脳に障害がある患者を捕まえて、無理やり感動させようとしているが・・・
あそこまで回復すれば、患者の問題が解決するとでも思っているのかな?
何か番組の構成考えて欲しい。291 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/09(水) 21:38:37 ID:HEbQvr/5O
トランポリンではしゃぐタレント達292 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/09(水) 21:39:27 ID:4H465NHji
あとあと問題になりそうだな、、、
過去NHKでもめたのと同じような、、、293 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/09(水) 21:41:58 ID:kNofq7Ts0
偽善番組295 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/09(水) 23:17:51 ID:mOjpi2IM0
>>292
ひきるなか296 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 00:13:25 ID:sP3hLbhG0
どこかに嘘があるような気がする。297 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 02:23:53 ID:MC2b0gRN0
>>296
どこかも何も・・・
久々に鳥肌立つくらい酷いものを見た気がしたぞ。298 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 05:32:46 ID:DyRoaiaM0
あの手の動きで文字を書いてるってのはいくらなんでも納得できない
手の動きをスローで見せて検証とかもしないところからも
それがあの母親の嘘であることは明らかだったそれを嘘だと追求しないのが優しさだというのは、俺は違うと思う
彼には、簡素ではあるが自分の意思はあるように見えた
それを無視して母親が勝手に「こう言っている」と決めつけるのは
彼に対する侮辱でしかないと思う301 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 07:21:25 ID:vfqTGoeJ0
母親の精神状態の方が重症
っていうか絵を描く時も字を書く時も母親が手を添えていたよな。302 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 08:18:57 ID:X/TGrv590
施設で母親が手添えて書いてた字はガタガタなのに
習字はやけに綺麗だと思ったら、習字のときだけは筆と指の先しか映さなかった
出来上がった作品を見るに、他の時よりガッチリホールドして
動きもダイナミックだったんだろう
トランポリンで歩けるようになっただけでよかったのになんでこんなの放送した303 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 08:33:14 ID:9X1+QvKU0
>>298 >>302
ほぼ同意。
障害者の事実を曲げてバラエティー化して伝えるのは良くないと思う。学者としての茂木氏への信頼も揺らぐ。
個人的には、母親に嘘をついている意識はないかもとおもう。(事実上は嘘だけど)
思いこみではないかと。母が代理で考えたことが、そのまま息子の意思であるという
思いこみ。
もしそうならば、取り上げることなく、そっとしておくべき。
それで彼らは幸せなのだから。304 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 08:45:25 ID:cfnq3dC3O
前頭葉半分ない男性の話の母親の掌を使って言葉を伝えるってやつ・・・
何度よく見ても、彼の指はひらがなを書く動きをしてないよな。
しかも最後は母親が強制的に「・・・ですっ!」て終わらせてる。
最後息子に「泣いたら変です」「大丈夫です」って伝えられて?母親が泣くとことこ
これはもう母親が精神的におかしくなってしまったようにしか思えない。305 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 09:12:14 ID:aUTl0DS/0
日木流奈のことは
もうすっかり忘れ去られているみたいだな306 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 09:19:21 ID:H5+82oqE0
>>305
俺は逆にこの番組で日木流奈のこと知ったよ。>>302
とめ、はね、はらいっていうのか?
そういうのがしっかりし過ぎてて誰が見ても本人が書いたとは思わないだろうな。なんかきちんと検証するのが正しいことなのか
分かっていてもそっと見逃すのが正しいことなのか俺には分からんかった。
だからずっとモヤモヤした気持ちが残ってるわ。
嫌なものを見てしまったって気分。307 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 09:20:57 ID:H5+82oqE0
なんだか茂木さんも薄っぺらく見えるようになってしまったなぁ・・・。
凄い人なのは分かるけどさ。308 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 09:29:51 ID:LV2x30uC0
茂木なんてバラエティに出るような人間だよ。その時点で程度が知れる。
別にたいしたこと言ってなかったし。ほんとに賢い人はああいう民法バラエティには出まくらないから。311 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 17:36:28 ID:LA7/kvwe0
>>306
母親はあくまでサポートで
彼が自力で自分の意思で書いたと信じてあげるのが正しい314 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 18:07:00 ID:QDnT8Ick0
モギが「カタワなのに彼女作れるなんてすごい!」みたいな事言ったのはびびった
なめてんじゃねえぞ317 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 20:54:05 ID:21WG2EJJ0
これまで茂木健一郎を尊敬してきたが、今回の番組では本当にがっかりした。
前頭葉半分ない男性の母親の偽りの演出には、茂木も気がついたはずなのに
(普通みんな気付くよな)、最後まで真剣さを装って解説していた。
これからは彼をまともに信用することはないと思うと、悲しいね。
それにしても、これがノーベル賞に近い人?考えられない。318 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 20:56:50 ID:21WG2EJJ0
これまで茂木健一郎を尊敬してきたが、今回の番組では本当にがっかりした。
前頭葉半分ない男性の母親の偽りの演出には、茂木も気がついたはずなのに
(普通みんな気付くよな)、最後まで真剣さを装って解説していた。
これからは彼をまともに信用することはないと思うと、悲しいね。
それにしても、これがノーベル賞に近い人?考えられない。319 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 21:40:15 ID:j9Dtrmif0
茂木はただの脳ミーハー。
専門家というわりにはPHP文庫に書いてあるようなことしか言わねぇし。
女ウケする心理学や占いに”医学風味”をまぶしてるだけ。
バラエティでは使い易くて重宝してるのか知らんが、もうイラネ。320 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 21:43:46 ID:sgwoEiNN0
>>314
ゆとり脳なんだね...あれは前頭葉の話じゃないの?
前頭葉に人を愛する機能があるけど、それが失われた。
でも愛する感情が他の脳の部分に。という意味でしょに。321 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 22:34:40 ID:nclYSFOuO
なら意味一緒じゃねえか
どういう種類のカタワかいちいち書かねえとわかんねえのか?
こいつは可能性は無限とか言っときながら本当に凄い事されたら大げさに驚きやがる
それがどんなに相手を傷つけるかわかってない
珍獣を見る目と同じなんだよな
もうカタワはほっといてやれよ
面白がるな322 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/10(木) 23:23:22 ID:OylV/09A0
昨日の母親の一人芝居怖かったうちの母ちゃんもハイテンションで自己解釈を押しつけてくる人なんだが
子供の真実がそんなに怖いのだろうかあれは周りの人が一言
「お母さんは手を添えないでください」
って言ったらどうなっちゃうのかね323 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/11(金) 00:14:03 ID:YU6KP9/AO
そりゃ怖いでしょ。
良い、と考えなきゃ生きてけないじゃないか?
人生捧げて介護する程だもん。
あのお母さんには息子さんがすべてなんだろう。間違てるのかもしれんが、それで幸せならいいんじゃないか?
息子さんの本心がわからん以上、どうしょもない。324 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/11(金) 00:57:37 ID:gFvm7cCp0
ひきるなの時は虐待疑惑が出てたんだよな
子供が途中で寝てるのに気付かないで手をバンバン文字盤に打ち付けてたり
ちょっと動くだけでぜいぜい言ってるのに全国講演会やってたり
妹の方はほったらかしなんじゃないかとか…
ドーマン法ってのも怪しかったしこっちの音楽療法は一人で歩けるまでは本当に効果があったみたいでよかった
このまま教祖化せずに静かに暮らしてほしいけど
テレビ見たスピリチュアル系の人達はほっとかないかもしれない
だから放送しちゃいけなかったと思う327 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/11(金) 10:50:28 ID:OjwXImWD0
茂木はレベル的にバカの壁の爺さんと同じだったってことか。331 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/12(土) 01:06:09 ID:8yxR+UE30
やらせとまでは言わないが、今回の放送は酷い。
ただ一人で歩けるのは事実。このすごさは認める。あの母親を誰も止められなかったんだろうな。
どうみても立つ以外の行動は、母親の一人芝居。
あぁなっちゃうと、誰も指摘できないんだろうな・・・332 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/12(土) 10:59:12 ID:VPe4ot0R0
なんであんなの放送したんだろう
音楽トランポリン療法で歩けるようになったのは事実のようだから
細かいことには目をつぶったってことだろうか
発掘アルアルはNGだけど音楽トランポリンはOKというのは
障害者を馬鹿にしているような気がするとかいろいろ考えてしまうのだけど結局
「私は母親なんだからあなたのことをあなたよりも理解しているの!」
って態度が個人的に苦手というか…自分の母親が自分の手を持って筆を動かして
「あら、好きな女性がいるのね~デートがしたいのね~喫茶店でお茶飲みたいのね~」
なんて状況最悪すぎる339 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2009/09/13(日) 20:14:42 ID:AHaa+Bui0
奇跡の詩人のときは反響の大きさから
後日1時間くらいかけて釈明番組を放送したんだよな
制作者も視聴者もまじめだったもともと信用のない民放のバラエティじゃ
まじめに抗議する人もいねーだろ
制作者が視聴者は3日もたてば忘れるバカばっかりだと思ってるから
こんな詐欺師の母親をまことしやかに放送できる次の放送があればもうその前の放送内容は話題にならない
1週間逃げ切ったら勝ち
茂木健一郎という男が、学問的、哲学的、美学的にクズなだけでなく、倫理的にもクズだということがハッキリしたんだから、こんなヤツを持ち上げるのはもう止めようよ。
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と言うわけで。
期日になりましたので、「Wikipediaの編集をしたのは茂木先生本人」は確定、と宣言させていただきます。
ま、単に匿名ブログだから無視されただけってことかもしれませんが。
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あ、いや、Wikipediaの件じゃなくて。
往復書簡の件で菊地成孔が、って話です。
で、Wikipediaの件は今日までなので、茂木先生、よろしくお願いしまーす。
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茂木健一郎のモーツァルト・モード
モーツァルトの音楽は脳の活性化をもたらすそうです。
現代人の脳の活性化をもたらすモーツァルトの楽曲をセレクションしたアルバム。モーツァルトの音楽の脳への効果、そのメカニズムの解説付き。それを脳の最先端の研究者として話題の茂木健一郎が監修。
「別冊ぶらあぼ 熱狂の日音楽祭2006公式アフターガイドブック」から。
モーツァルト、サイコーってことみたいです。
やっぱりモーツアルトの音楽による気分の高揚って、他の音楽の場合と違うんですよね。単に自分が好きな音楽を聴いて気分が高揚しているというわけじゃなくて、たとえばロックを聴いてる感じは、友達と楽しくしゃべってる時に似ている。それに対して、モーツアルトの音楽を聴いている時は、創造的に脳を働かせてる時の感じに似ている。イギリスの科学雑誌「ネーチャー」でも、「モーツアルト効果」ということが話題になったことがありますけど、僕自身が実体験的に思っていることです。
MySony Mail Magazine
別にモーツァルトじゃなくてもいいそうです。
すごく簡単なことで、脳によい音楽は、その人が好きな音楽なんですよ。昔、「モーツァルト効果」という研究があって、モーツァルトの曲を聴きながら勉強するとIQが10上がるって言われていたのですが、よく調べたら、モーツァルトの曲が好きな人にしか効果がないとわかりました。モーツァルトの曲が嫌いで聴きたくない人には、効果がなかったのです。好きな音楽ならば、ロックでもIQが上がることもわかった。好きな曲を聴いていると、脳の中の報酬系という回路が活性化されてIQが上がるんです。ビデオでも同じ。韓流でも、コメディでも、好きなものを見ると脳が活性化するのです。
脳科学者・茂木健一郎さんが語る熱狂の日
音楽サイコーってことみたいです。
どれほどの文字や数字を尽くしても、音楽体験のすべてを説明できません。それが音楽の魅力であり、すごさでもあると思います。「音楽にはかなわない。すべての表現ジャンルは音楽に嫉妬すべきだ」というのが、物理学、法学、生物学、脳科学を研究してきた私の素直な気持ちです。
「すべては音楽から生まれる」より。
クラシック音楽サイコーってことみたいです。
もう一つ特筆したいのは、ジャンルとしてのクラシックである。
私は、ポピュラーミュージックもボサノヴァも聴くし、好きである。また、一般的にも、クラシック以外の音楽の方が好まれ、その場にふさわしいということは多い。
しかしながら、クラシック音楽の、ある種の作曲家が作った曲のすばらしさは、絶対に揺るがない価値として私の中にある。単なる好みということ以上に、音の密度や様式の美といったクラシック音楽の構造が、自分の思考運動と相性がよく、脳内をエネルギッシュに働かせてくれるのである。これほどの快感は他にない。
「涙の理由」(重松清, 茂木健一郎)より。
揺らがない価値が揺らいじゃったようです。
茂木:島田雅彦が――あいつは時々面白いことを言うのですが――「文学と接点を持てないと偉くなれない」と。要するに、生きること、人生のブックキーピング(帳簿付け)を考えたとき、音楽や美術・アートは、パーツになる。たとえばアート界の偉い人の「偉さ」は、小説家、文学の世界の偉さ――というのも変だけれど――、ある種の重みと比べると一段落ちる。島田はそう言いきる。リアルなことだと思った。重松さんが言われたことと関係するんだよね。小説を通して得られる感動・涙は、特別なものなんだよ。モーツァルトやバッハでさえ文学の領域まで行っていないのかもしれない。
重松:僕は逆に、「個人の人生の体験や、社会・歴史の文脈があって成立するのが小説の感動」で、音楽はそれが抜き。僕はそっちのほうが、社会化できない分、プリミティブで深い気がするんだけど。
茂木:なぜ、文学や小説が我々の実存においてセントラルな位置を占めているのか。バベルの塔以降、世界は六千の言語に分裂して「お互いに不可視の領域」を築いてしまっている。「だからこそだ」という気がするのです。音楽は普遍的だから、かえって我々の自我に深く入ってこないんじゃないか。「外から見えない・不可視であること」と「人格に入り込んできている」ことは、「同じことではないのか」と。「万人にとっての共通のもの」は、逆説的だけれども、自我の深いところまでは行けないのだと思います。
茂木健一郎にとって、音楽って何?
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今度は「女脳」だそうです。
女脳 ひらめきと勝負強さの秘密 (単行本)
茂木 健一郎 (著), 矢内 理絵子 (著)内容紹介
女流棋士矢内理絵子、将棋ひとすじ20年。
ひらめきと勝負強さの秘密をめぐって、
脳科学者茂木健一郎が、「女脳」の可能性を徹底解明!「先を読む力」や「沈思黙考」の重要性、男女の脳差、
構想力と直感力を育む方法、
感想戦の重要な意味などを明らかにする、
棋士と学者の珠玉のダイアローグ。
思いっきり、「neuromyths(神経神話)」ですな。
neuromythsに関しては、以下を参照のこと。
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「茂木健一郎」の項、編集合戦お疲れ様です。
本人の以下のような発言を見つけました。
参考までに。
僕は本業という言い方は好きではないですね。便利なので脳科学者と名乗っていますが、脳科学のために生きているわけじゃない。
ということなので、「脳科学者」が「自称」かどうかなんて、あまり気にしないと思います。
「クオリア」はライフワークであり、一番大事な僕のテーマではある。でも、それはもしかして哲学と言ってもいいことかもしれない。カテゴリーや肩書にとらわれず、今の僕が世の中に差し出せる贈り物を、一番良い形で出していけたら。そういう気持ちですべてのことに誠心誠意取り組んでいるだけです。
カテゴリーや肩書にはとらわれないそうなので、「タレント」と書いておいても問題ないと思います。
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「クオリア日記」に書き込んだ以下のコメントが公開されました。
(同じコメントを二度送信してしまったのはマヌケでしたが)
はじめまして。
Wikipediaの茂木先生の項目について記事を書きました。
内容に誤りがないかご確認願います。http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/421-2112.html
「クオリア日記」の管理者の方が、不都合なコメントは非公開にするようなアンフェアな人間ではない、ということが分かってうれしいです。
トラックバック送ったのが通ってないようですが、ココログのシステム側の問題と受け止めておきます。
実際、自分のブログへのトラックバックも通らないことがあるので。
さて、これで私の記事が本人あるいは本人の近くにいる人の目に触れたことは確実だと思います。
再度のお願いとなりますが、万が一、事実の誤認等がありましたら、「茂木先生専用ページ」のコメント欄か、「クオリア日記」の方でご指摘願います。
もし、期限までに何も応答いただけなかった場合は、まことに勝手ながら「Wikipediaの編集を行ったのは茂木先生本人であることが確実となった」と宣言させていただきます。
期限は5月6日(水)までといたします。
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ズバズバ脳
(ナレーション)
大阪人は、思ったことを遠慮なくズバズバ言う。
これは脳科学的に言うと、「脱抑制」状態
例えば、関西以外の人は
「ねえねえ、これどう思う?」
「ええんちゃう?」
こんなことを言っては失礼と思い、無意識のうちにブレーキをかけていることがある。しかし、大阪人は
「あんた、それ似合ってると思うてんの?
それどこで買うてきたん?」
脱抑制とは、心の制限装置を外した状態のこと。
このとき脳はフル回転し、創造性は飛躍的に高まると言われている。
自分の中のリミッターを外して生きること、それがひらめきを生む秘訣なのだ。
ええんちゃう?脳
(ナレーション)
(大阪人は)とっても楽天的。
根拠もないのになぜか自信を持ち、「ええんちゃう?」とものごとを前向きにとらえる。
ポジティブにものを考えると感情をつかさどる扁桃体が脳内で快感を生み出す物質ドーパミンがドンドン放出される。
このドーパミンの量が多ければ多いほど、人間は大きな喜びを感じることができる。
脳にとって、根拠なき自信は非常に大切なのだ。
新しもん好き脳
(ナレーション)
そもそも人間の脳は、新しいものに出会うたびに進化した。
新しい刺激を受けると、脳の中の創造性をつかさどる部分が活性化する。
すると、本来は考えていなかった偶然のひらめきが生まれやすくなる。
その結果、思わぬ大発明や大発見につながるラッキー、セレンディピティに出会う力も強まるのだ。
浪花節脳
(ナレーション)
他人の不幸話を聞くといつの間にか自分のことのように感じてしまい、一緒に悲しくなる。
これは脳科学的に言うと、ミラーニューロンの働きによるもの。
脳には他人の経験したことを、あたかも自分が経験したかのように受け取る神経細胞がある。
これがミラーニューロンだ。
例えば、誰かが痛い思いをしたとき、近くにいる人の脳の中でも、まるで鏡に映るように痛い思いをした人のニューロンと同じ動きが起こる。
つまり人間の心は脳によって他人と連動するようにできているのだ。
これは人間関係をうまく築く上でとても大切なもの。
このミラーニューロンの働きを大阪人は自然に活発にしているのだ。
ミラーニューロン
比較的まともなミラーニューロンの説明をした後で。
「例えば、そうだな、ラーメン屋の前に行列していると自分も食べたくなっちゃうとか。
それもミラーニューロン。」「ミラーニューロンっていうのは元々何のために生まれてきたかと言うと、他人の心を理解するため。
他人がこういう行動をとってるってことは、こういう気持ちなんだろうなって言う、整理するわけですよ。」「ほんとに自分が尊敬できる人の動きとかはまじめに見たほうがいい。
見れば見るほど自分のミラーニューロンが活性化して、コピーできるから、ちゃんと、自分が誰を見るかっていうのは、よーく考えて選んだほうがいいよ。」
お笑い脳
(ナレーション)
(人間の笑いの「偽の警告仮説」の説明の後)
つまり人間の笑いとは、元々恐怖や不安と言ったマイナスの感情を取り除き、プラスへと転換するシグナルとして生まれたものだ。
そして、大阪人・関西人は本来マイナスのものを笑いと言うプラスのシグナルに変換するのがとてもうまい。
例えば
(ブラックマヨネーズとたむらけんじの映像挿入)
「ハゲ」や「ぶつぶつ」など、自らのマイナスをプラスの笑いに変えることができる。それに必要なのは
メタ認知力。
![]()
メタ認知力とは、一言で言うと、一歩引いて自分を客観的に見る力。
この力を発揮しているとき、脳の前頭葉もっともは活発に活動する。
つまり、メタ認知能力を使って人を笑わせるのは、脳を活性化させるためにも非常にいいことなのだ。
これこそが、大阪お笑い脳の力!
お笑い脳を日々鍛えることで、日常生活におけるさまざまな逆境を笑いにして周囲をなごませる。
さらに自分の人生をも大きく変換することができる。
これこそが、茂木先生が推奨する、人生大逆転、大阪お笑い脳活用術の極意。「メタ認知力がすごいのは、元々が悪ければ悪いほどお笑いにしたときはよくなるわけですよ。
「ブサイク」だとか、「頭悪い」とか、「性格悪い」とか、「金ない」とか。」
ひらめき力UP! モギテスト
「実はひらめきっていうのは、何かを思い出すってことに近いってことが脳科学で分かってるんですよ。
つまり、ひらめきっていうのは、今までに記憶していることをうまく組み合わせ変えて引き出してくることなんですよ。
だから、素材は全部脳の中にあるの。
ゼロから何かを作るってことはないんです。
だから、ちょっと、忘れてしまっていることを思い出していただこうかなあ、と。」
ということで、「初めてキスした日のことを思い出そう!」というコーナーになるのだが、バカバカしいので省略。
番組の公式ページの説明は以下。
「大阪の人たちは、無意識のうちに脳を鍛えている」というのは、あらゆる分野でマルチな才能を発揮する脳科学者の茂木健一郎先生。そこで今回は、茂木先生をカシコブレーンに迎えて「大阪脳の秘密」に迫ってみる。
「大阪は日本のNY。新大阪へ降りた瞬間、『何やってもいいんだ』って思うよね」という先生は、大阪人のアドリブの力に感心するという。「アドリブでやってるってことは、ドーパミンを出しっぱなしにしてるってこと」だとか。先生はやしきたかじんの番組に出演した際、アドリブの連発にビックリしたことを話す。
そんな先生が大阪脳を分析すると4つに分かれるという。「ズバズバ脳」、「ええんちゃう?脳」など、大阪人なら誰もが持っている4つの特徴に、「うわ~、わかります!!」と福田をはじめ、凡人みんなが多いに納得。そのなかに、“ミラーニューロン”という聞きなれない言葉が。「他人の経験を自分のことのように受け取る神経細胞のこと」なのだが、凡人たちはピンとこない。「近年の脳科学界で“ミラーニューロン”の発見は、スゴイことなんだよ!」と力説する茂木先生。そして、なんとか理解しようとする凡人たちは質問攻め。その様子に先生は「スゴイね、この番組!!東京の番組では、ここまで突っ込んで聞いてこないよ」とタジタジになる。そこで、江川が助け舟を出し“ミラーニューロン“発見のスゴさをもう1度、解いてみる。凡人たちに、理解できたのか?
また「大阪の人たちのスゴイところは、自分でボケて自分で突っ込むことができること」と“ノリツッコミ”を絶賛する茂木先生。そこで、モモコとたむけんは“ノリツッコミ”のお手本をみせて、先生を喜ばせる。
後半は、脳を鍛えるための「ひらめき力UP!モギテスト」を実施。「ひらめきは、今までに持っているものから出てくる」ということで、初キスの光景を思い出すことを提案する。「いったん忘れたことを思い出そうとすると脳の前頭葉が活性化するんです。細かいことまで、思い出してみてください」と言われて、一番意気込んだのは筒井。「初めてのキスのことは、絶対忘れへんよ」と絵に描いて当時を振り返る。他のメンバーもそれぞれのドキドキ体験を事細かに描いて、順に語っていく。
最後に、おまけ。
「大阪脳」に感激するたむけん。
「めっちゃいいもの持ってんですね、ぼくら」
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朝日放送「ビーバップ!ハイヒール」2009年04月16日放送「大阪脳の秘密/心眼の世界3」分より。
脳に関する茂木健一郎の発言とナレーションを適宜抜粋。
冒頭
「人間は、誰もが「脳」という素晴らしい宝物を持っています。
ただ、私たちの脳は毎日の生活習慣や考え方で有効に働いたり働かなかったりするんですね。
つまり、日頃からの使い方が大事なんです。
そんな脳の力を無意識にうまく利用している人たちがいます。
実はそれが大阪の人たちなんです。」(ナレーション)
大阪
大阪人が無意識に脳を鍛えている!?
センセ、ホンマですかあ?「大阪人の脳の使い方にこそ、私たちの未来の可能性を広げる大きなヒントがあるんですね。」
(ナレーション)
例えば……
大阪人はいらち。
大阪人は時間を無駄にするのが大嫌い。
なんでも短時間で手早く片付けようとする。
前に一分でできたことは今度は45秒に。
そして、次は30秒に。
このように、制限時間を自分で決めると集中力が生まれ、脳の情報処理能力が飛躍的に高まるのだ!大阪人の興味の対象はとても広い。
これは好奇心が旺盛で、情報の受信範囲が広いと言うこと。
この情報の受信範囲、すなわち、ダイナミックレンジを広げれば広げるほど、脳はさらに活性化する。
自分の好きなことだけではなく、幅広く興味を持つことが大事なのだ。
これぞ、大阪脳。
大阪人が知らずにやっている、素晴らしい脳の活性術。「皆さんの持っている素晴らしい特性を、はっきりと自覚することによって、脳はさらに活性化します。
皆さんの『大阪脳』をフルに活用して人生に役立ててください。」
スタジオにて
大阪人の会話の「アドリブ」について。
「ま、でも、アドリブってことは、サプライズもあるってことでね。
サプライズがあるってことは、脳の中でドーパミンっていう物質が出るんですよ。」
「ドーパミンっていうのは、うれしいときに出る物質で、そのとき脳が色々学習するんですけど、ドーパミンはサプライズが好きなんです、サプライズが。 」
「だから、ずーっとアドリブでやってるってことは、ドーパミン出しまくってるってことなんですね。」
アハ・ピクチャー
「分かった瞬間にですね、0.1秒間、神経細胞がいっせいに活動します。
ま、それを「アハ体験」って言ってるんですけどね。
だから、0.1秒の間に世界が変わってるんですよ。
こうやって瞬きする間に、全然違って見えてくる、っていうね。
これが、ほら、例えば、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したとか、ああいうひらめきと全く同じことが脳で起こってる。」(ナレーション)
茂木先生いわく、こんな問題がスラスラ解ける人は、ひらめき力のある人。
大阪人はひらめき力を持つ人が多いそう。「実は、大阪人の脳の使い方って、ひらめき力を育むって意味ですごくいいんですよ。知ってました?
わかんないでしょ。
だから、普段気づいてないと思うんですけど、自分たちがいかに脳をうまく使ってひらめき力を鍛えているかということがもっと分かると、さらに脳の使い方がヴァージョンアップ。」「脳は何歳になっても育ちますから。
もう何歳になっても、オープンエンドって言って、完成形はないんです。」
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文学研究科講義室で新しい学会が開かれた。僕が聴講したのは公開シンポジウムのみ。間近に見た茂木健一郎氏が芸能人ぽくなくて安心した。プレゼンの内容を聞くと、興味のベクトルがかなり哲学がらみであることも分かって驚いた。
先日、京都大学の応用哲学会のシンポジウムでウチの息子がパネラーの茂木さんとお話しする機会を得たようです。「テレビの倍くらい熱い人だった」そうで、大変感激しておりました。
Daily Life (伊勢田哲治)
ところでテレビの茂木さんのイメージで茂木さんを見にこられた方はだいぶ意外な印象をうけて帰って行ったのではないだろうか?
絶望した!
「応用哲学」に絶望した!
世間の人間のだまされやすさに絶望した!
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<4日、5日の18:30~19:10はスペシャル対談ステージ!>
5月4日 茂木健一郎(脳科学者)×鈴木雅明(指揮者)
5月5日 ルネ・マルタン(LFJアーティスティック・ディレクター)×福岡伸一(分子生物学者)バッハの音楽をこよなく愛する2人の気鋭の科学者が、バッハ演奏の第1人者、そしてラ・フォル・ジュルネのアーティスティック・ディレクターとバッハを巡って語り合うビッグ対談。お聴き逃しなく。
日は別だけどね。
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茂木健一郎 クオリア日記 過去ログより、2001.10.12の記述。
さて仕事をと思ったが、疲れているらしく、テレビの前に横たわって
めずらしくゴールデンアワーの民放をぼっと見る。
マジシャンが出て、演技した後種明かしをしている。
タレントたちが、ああでもない、こうでもないと言い合う。タレントたちが出てちゃらちゃらと喋るバラエティ番組は、
私が一番感性的に耐えられない類だけど、
今回、ベッドの上に横たわってしばらく見てみて、気が付いた
ことがある。
それはとりも直さず「偶像崇拝」の問題であって、
ああいう映像はそのタレントに好感を持っている人が見ると、
何を喋っているかにかかわらず心地よいものなのだろう、
ラジオとテレビのメディアとしての違いは
あんがいそんなところにある。
クロースアップマジシャン 前田知洋
だまされたい脳 マジックの快楽
2007年8月にNHK総合テレビで放送された番組をDVD化。
奇跡の指先を持つクロースアップマジシャン「前田知洋」が、世界的なマジックソサエティ「ロンドン・マジックサークル」を案内しながら数々の妙技を披露します。
また、脳科学者・茂木健一郎との激突を通して、人々を歓喜させる前田マジックの魅力を、脳科学など科学的視点から多角的に描き出します。
家族で楽しめるマジック科学のエンターテインメントです。【出演】
・前田知洋
・ナビゲーター:ナポレオンズ
・ゲスト:茂木健一郎、江川達也、山瀬まみ、堀越のり
・語り:土田大
2008年10月20日放送の『あいのり』での茂木健一郎さんの発言
茂木
(心療内科医・医学博士の姫野友美さんが、理想を語る男性への対処法として「彼が語った理想を尊重しながらも具体的な話にもっていく」ということを挙げたあとで)
「遠い夢を語る男性に対しては、なるべく、近くを見させる。」
「それから空を飛ぼうとする男性に対しては、なるべく、地面の上のことを話すと。」
「これがやっぱり、そういう、男性の暴走脳に対して、女性が、えー対処する方法ではないかと思います。」
茂木
(姫野さんが、現実を考える女性への対処法として「女性に対して利益を目の前に置くこと」が重要であると説いたあとで)
「男のひと。特に、若いとき。」
「女性は、100の夢よりも1つの現実のほうが大事なんだということをよーく理解してください。」
「別に、女性が夢を見ないってわけじゃないんですよ。」
「夢を見ないってわけじゃないんだけど、つねに女性が見る夢っていうのは、自分の、現実というもの、自分のからだというものに、つながってるんだよ。」
「そこが、ある意味では女性のいちばん素晴らしいとこなんだよね。」
「やっぱり、男と女の恋愛ってのは、はたらきが違う相手の脳の仕組みを理解するってことでもあるんですよ。」
「だからね、男は女の脳のはたらきを理解して、女は男の脳のはたらきを理解するっていう、これがやっぱり、恋愛がね、うまくいくための、すごく大事な条件なんですね。」
「ある意味ではもう、男にとって、女は、あるいは女にとって男はエイリアンみたいなもんですよ。」
「もう全然じぶんと見方が違うわけですから。」
「それがわかると、えー、きっと、すばらしい恋が待ってんじゃないかと思います。」
日経サイエンス2009年2月号、伊勢田哲治との対談より。
伊勢田 茂木さんが出演されていたバラエティー番組で,男女の脳の解剖学所見や機能の差の話から,それによる恋愛戦略の違いを考えるというものがありました。解割学データはきちんとした科学的な取付けがあると思いますが,それが男女の恋愛戦略の差に本当に関係しているかどうかはあくまでも推測です。特に茂木さんの問題というわけではなく,テレビ番組やポピュラーサイエンス本などではよくある例ですが。
茂木 そうですね。それについては,最近,自分の中で整理がつきました。この例でいうと,男女の脳に解剖学的な差があること,特定の刺激に対する脳の活動に差があることについては科学的な研究があります。例えば,熱烈な恋愛状態にある被験者に恋人の写真を見せたときの脳活動を調べると,女性では前頭葉で客観的・批判的判断をつかさどっている領域の活動が落ちているんです。「愛は盲目」という現象を,脳の活動で表したことになります。もちろん,解剖学の差も機能の差も統計学的な処理によるもので,すべての人に当てはまるわけではありません。
伊勢田 すべての人に当てはまらないというだけでなく,実際的なアドバイスに使おうと思うなら,その結果が何を意味するかの解釈にももっと慎重になる必要があります。番組では一気にハウツーにもっていってしまったわけですが。
茂木 確かに科学的とかいえない。ただ,科学論文は一般の人にとっては無味乾燥なものです。しかも,人間はすべて科学的根拠で生きているわけではない。どう生きようかと考えているときに、ヒントとなるアイデアを提供できたらいい。いわば,ここから先は生命哲学の問題だと考えています。
伊勢田 だとしたら、メディアで発言するときは,ここまでが科学で,ここからが生命哲学だと区別する必要があるのではないですか(笑)。
茂木 その点,かなり慎重に話しているつもりですが,テレビ番組の場合,収録した内容全部が放送されるわけではありません。自分で,全体の論旨をコントロールできないという問題がありますね。
伊勢田 それは理解できますが,そのような場合は出演しないという選択肢もあるのではないですか。
茂木 それもひとつの選択肢だと思います。メディアに登場する科学者の見識に任されている面もあるので,私も注意しているつもりです。ただ,科学的なエビデンスとしていえることはきわめて限られていて,しかも科学的であると判断するための境界線にもグレーゾーンがある。その違いは相対的なものです。
伊勢田 グレーゾーンがあるというのはたしかにそうです。いずれにせよ,マスメディアの側にも科学情報の伝え方のルールが必要です。例えば健康食品を紹介する際には,基礎科学データと実際の商品の効能を安易に結びつけないなどです。そうしないと明らかな疑似科学を広めることにつながります。
茂木 日本のメディアってまだ「やさしくしよう」という目線でやってるんですよ。でもたとえばNHK の語学番組なんかでたまに高飛車なのがあるんです。深夜とか朝とか、中国語やドイツ語やフランス語で勝手にしゃべってるような番組。あれを科学でつくりたい。科学者が勝手に議論してるのを延々と流してるの。「朝までナマ科学」みたいな(笑)。
佐倉 茂木さんがでてるテレビでも科学的な話題を扱ったりしてるけど、ちょっと単純化のしすぎじゃないかな、視聴者に科学の一面しか伝わらないんじゃないかなと、見ていて思うこともあるんですが……。
「ビーバップ!ハイヒール 大阪脳の秘密/心眼の世界3」2009年04月16日放送分より。
茂木「人間は、誰もが「脳」という素晴らしい宝物を持っています。
ただ、私たちの脳は毎日の生活習慣や考え方で有効に働いたり働かなかったりするんですね。つまり、日頃からの使い方が大事なんです。
そんな脳の力を無意識にうまく利用している人たちがいます。
実はそれが大阪の人たちなんです。」(ナレーション)
大阪
大阪人が無意識に脳を鍛えている!?
センセ、ホンマですかあ?茂木「大阪人の脳の使い方にこそ、私たちの未来の可能性を広げる大きなヒントがあるんですね。」
(ナレーション)
例えば……
大阪人はいらち。
大阪人は時間を無駄にするのが大嫌い
なんでも短時間で手早く片付けようとする
前に一分でできたことは今度は45秒に。
そして、次は30秒に。
このように、制限時間を自分で決めると集中力が生まれ、脳の情報処理能力が飛躍的に高まるのだ!
そして2009年9月、全国高等学校クイズ選手権メーンパーソナリティーに。
女優の菊川怜(31)が日テレ系「第29回全国高等学校クイズ選手権」(9月4日・後7時58分)で脳科学者・茂木健一郎氏(46)とメーンパーソナリティーを務めることが決まった。お互い東大卒の頭脳派。クイズ番組の解答者には常連の菊川だが、進行役は初めて。前回まで3年連続担当した高学歴お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」からバトンタッチし「完全燃焼で、一緒に熱い夏にしましょう」と全国の高校生にエールを送った。
スポーツ報知
この男は、一体どこに向かっているのか……。
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このタイミングで、また茂木健一郎ネタっていうのも気が引けるんですが……。
「キリンが逆立ちしたピアス」より、応用哲学会シンポジウム「これが応用哲学だ!」での茂木健一郎の発言について。
シンポジウムで、茂木さんは、カネボウと協力して、化粧をする女性の脳を調べたという。その結果を「オンナは化粧をしているとき、自分の顔を他人の顔として見ているってことですよ」という風に冗談めかして言い、会場はドッとウケた。そして、そのあとの討議の中で、自分のクオリアの研究は本質的な問題を追及しているが本が売れない、しかし化粧の研究のように非本質的な問題を扱えば本が売れると述べた。
「化粧の研究のように非本質的な問題を扱えば本が売れる」と。
ひどい言いぐさですわな。
他のところでは、こんな風に言ってるのに。
茂木 (略)
脳の研究者としての私のライフワークは、人間の心の中で感じられる質感のメカニズムを解き明かすことです。このメカニズムを私は「クオリア」と呼んでいます。このクオリアを研究する中で、欲求や価値観の問題や不確実性の問題は避けて通れません。ですから、自分の研究の流れの中で、ニューロマーケティングと呼ばれる分野への関心も自然と育まれてきたのです。
── 電通やカネボウ化粧品といった企業から共同研究の話が来て、戸惑うことはなかったのですか。
茂木 それはありません。「ぜひやりましょう」と最初から積極的でしたね。
特に化粧品は、自分のイメージがどのように社会的な関係の中でできるのか。難しい言葉を使えば、「自我の社会的構築」という問題と深く関わっています。これは脳科学者が非常に興味を抱いている問題です。さらに女性の欲求の問題とも関係がある。ですから、テーマとしても面白いと思いました。
後日、youtubeにアップロードされるらしいので、正確な発言はそのときに確認しましょうか。
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茂木健一郎様
Wikipediaの編集の件に関しては以上で終了です。
削除を行ったのはご本人によるものであると判断いたしましたが、間違っているかもしれません。
旅行に同行した方が勝手に行ったことかもしれません。
また、もしかしたら、驚くべき偶然ですが、たまたま同じ時期に旅行をしていたファンの方、あるいは「追っかけ」の人が編集を行ったのかもしれません。
万が一、事実の誤認等がありましたら、当記事のコメント欄でご指摘願います。
「クオリア日記」にはトラックバックを送っておきます。
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以下、Wikipediaの編集を行ったのは本人だったという前提で書きます。
まず、Wikipediaのガイドラインで、自分自身の記事を編集することについて、どのように記述されているか確認してみます。
Wikipedia:自分自身の記事をつくらない
2.ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるとき
自分のことについて、中立的な立場から書くことはとても難しいものです。そのため、ウィキペディアでは自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいでしょう。自分自身で編集するのではなく、記事のノートページで出典となりうる情報や、編集の提案をし、あなたとは利害関係にない人物が記事を編集するのを待ちましょう。
また、自分の関係していることの記事についてどうしても編集したい場合は、一度ノートページでご自身が記事の主題となっている本人であることを表明した上で提案を行って、合意を得てから編集することが推奨されます。ここで第三者の目が入ることによって、上に挙げたような問題点が解決されることがあるからです。ただし、誰の目にも明らかな問題点があるときには、自分が関係していることについての記事を直接に編集することも許されます。たとえば、荒らしを差し戻すような場合です。でも、もちろんこの場合、荒らしは、単純で誰にでも荒らしとわかるような行為でなければなりません。内容へ異論があって行われた編集の場合はあてはまりません。同様に、自分自身についての誤った、あるいは古い基礎情報(例えば、結婚の有無、現在の勤め先、出生地など)を修正することは自由です。ただし、事実に異なる解釈が可能な場合、他の人も編集するであろうことを理解してください。
上記の通り、「ノートページでご自身が記事の主題となっている本人であることを表明した上で提案を行って、合意を得てから編集すること」が推奨されています。
実は、茂木健一郎は過去に上記のようにWikipediaの自分の記事のノートページに書き込みを行ったことがあります。
アカウント名は「Kenmogi1962」。
投稿の内容は以下。
2007年1月12日時点での記述は、的確な部分もあるが、かなりの記述に主観と偏見に満ちており、修正及び削除が必要である。 >近年は研究よりも脳科学の啓蒙活動、タレント活動に精を出している。ー>事実ではない。「精を出している」という記述自体が主観的である。英語版wikipediaにこのような記述があるだろうか? >脳科学者、タレント。 ー>「タレント」を職業とすると宣言したことはない。そもそも、「タレント」の定義は何か? 茂木は「タレント事務所」に所属しているわけではない。 >「アハ体験」だけではなく「クオリア」という脳で感じる「質感」を研究し、 ー>順番が逆である。 >肩書き 主観と誤解に満ちた「評論」であり、全体的に削除ないしは修正が必要。 >研究の進まない苛立ちと無力感からか、時に自身のことを、化学反応だけから黄金を生み出そうとしていた中世の錬金術師になぞらえて「錬心術師のようなものかもしれない」とつぶやく場面も見られる。 -> 「錬心術」という表現は、心の本性を解明できない現在の脳科学全体の現状を指す言葉として使っているのであって、特に自分のことを指しているのではない。 >メーリングリスト クオリア・ミステリー -> メーリングリストは「qualia」で、そのURLはhttp://www.qualia-manifesto.com/mail.htmlである。
この投稿は、2007/01/12の「クオリア日記」の以下の書き込みから、本人のものであることが確実であると判断できます。
その瞬間、こんな素朴な高校生まで感化する
wikipediaに偏見に満ちた記述があるという
状態は、放置していてはいけないのだと思って、
即刻行動に移すことにした。wikipediaの指針には、本人に関する記述は
それ自体に直接手を入れず、ノートに記せ
とあるので、
ノートを書いた。本人が直接記事に手を入れるのは
どうかと思うので、
誰か、修正してくれないか。
このときは、Wikipediaのガイドラインに沿った対応をとったわけです。
しかし、今回は、2009年4月11日 (土) 19:52から4月21日 (火) 22:25に実名でノートに投稿を行うまでの間、前回のアカウントは使わずに匿名で編集を行ったわけです。
もし、4月21日 までの間に「編集合戦」が終わっていたら、削除を繰り返していたのが本人であったことは知られないままになっていたはずです。
Wikipediaのガイドラインは、「アカウントを取得し、ログインして説明責任が果たせる立場になった上で編集すること」を推奨しています。
Wikipedia:説明責任
ログインの勧め多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。
比較・対照としてWikipedia:ページの編集は大胆にを参照
ログインが望まれる理由は、自身の編集に対する説明責任を果たしてほしいからです。もし、あなたが利用者名を登録していなければ、利用者ページを持てません。投稿の際は利用者名の代わりにIPアドレスが記録されますが、それは一定のものではないので、他の人達にとってあなたの編集について、あなたと対話するのが難しくなり、それをもどかしく思う利用者がいることは事実です。もちろんログインしないでの編集は現在は認められていますし、そのこと自体に対して他の利用者が異議を唱えることはできません。
しかし、ログインしていないのは、自身の投稿に自信がなかったり、責任を持ちたくないためであるとか、ウィキペディアの方針に沿っていないことを自覚しているため、と見られることも多々あります。
特に、ログインしていない利用者(即ち説明責任に欠ける利用者)が、他の利用者らが多くの議論の積み重ねにより書き上げた記事に対し、それらを考慮しない大幅な変更を行った場合、問題になりがちです。ウィキペディアの記事は、民主主義的な議論を経て作り上げられるものであり、あなた(とあなたの質の高い編集歴)に他のウィキペディアンがよせる信頼によって、編集のプロセスは筆自慢による編集作業からチームワークによる編集作業になるのです。ですから、あなたが「雑草とり」と呼ばれるメンテナンス的な編集のみで参加しようと思っているなら別ですが、ある程度、記事の内容に関わる編集をしようと思うなら是非、アカウントを取得し、ログインして説明責任が果たせる立場になった上で編集することを推奨します。
茂木健一郎は、かつてこんなことを書いています。
クオリア日記 情報倫理
インターネットというメディアは、
日本人にとって、自らの姿を
映す鏡になっている。「匿名で書かれた意見は、無視して
かまわない」極言すれば、そんな情報倫理を日本人も
少し持ったらどうかと思う。
他人に「情報倫理」を説いた人間としては、今回の振る舞いはあまりにも姑息で情けないものではなかったでしょうか。
こんなことも書いています。
クオリア日記 火山爆発
アマゾンの書評やブログなどで
悪意に満ちた記述をたまたま見た時など、
腹を立てると同時に、
「ああ、かわいそうになあ。この人が
もしボクとリアルに会ってしまったら、
徹底的にやりこめられるだろうなあ」
と想像して、にやにや、しんみり
してしまう。
斎藤環との往復書簡は放り出したままままですね。
自分自身への批判に対しては、「リアル」でなくても構わないので、正面から「徹底的にやりこめ」ていただきたいと思います。
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他にWikipediaの編集を行った人間の情報は、IPアドレスくらいしかありません。
IPアドレスだけでは、大雑把な住所くらいしか分からないから、決め手にはならないな、と思ったのですが、とりあえず調べてみようと思いました。
茂木健一郎に批判的な記述を削除した人間のIPアドレス、「210.250.17.35」「115.177.56.51」「115.177.56.51」「81.223.222.10」「88.128.93.185」「213.20.156.34」「84.189.89.33」「213.33.74.102」を順々に調べていきました。
2009年4月13日 (月) 05:08の編集を行った「81.223.222.10」まで来たところで妙なことに気がつきました。
変換されたホスト名は「 81-223-222-10.paris-lodron.xdsl-line.inode.at 」。
これは海外からの接続じゃないか?
詳細を見てみると
inetnum: 81.223.222.8 - 81.223.222.11
netname: Imlauer-Hotels-und-Restaurants
descr:
descr: Imlauer Hotels und Restaurants
descr: Georg Imlauer
descr: Salzburg
country: AT → (オーストリア)
admin-c: AH10082-RIPE
tech-c: AH10082-RIPE
status: ASSIGNED PA
mnt-by: AT-INODE-DOM
source: RIPE # Filtered
オーストリアからの接続です。
ハッとして4月13日の「クオリア日記」を見てみると
成田からミュンヘンへ。
眠っている間に、iPod Shuffleが
どこかにいってしまった。ふしぎ。
神隠し。
シートの下に落ちたのかしら。
眠る以外はずっと仕事をしていた。
我は真面目なり。ミュンヘンからザルツブルクへバスで移動。
オーストリアだ!
4月14日からはドイツからになります。
2009年4月14日 (火) 15:59 「88.128.93.185」
netnum: 88.128.80.0 - 88.128.95.255
netname: ca-de
descr: T-Mobile Deutschland, access and content provider for GPRS and UMTS
country: DE → (ドイツ)
admin-c: TH12429-RIPE
tech-c: AS8728-RIPE
status: ASSIGNED PA
mnt-by: MNT-TMD
source: RIPE # Filtered
2009年4月14日 (火) 22:53 「213.20.156.34」
inetnum: 213.20.0.0 - 213.20.255.255
org: ORG-TDG4-RIPE
netname: DE-MEDIAWAYS-990820
descr: PROVIDER Local Registry
descr: Telefonica Deutschland GmbH
country: DE → (ドイツ)
admin-c: MWH6-RIPE
tech-c: MWH6-RIPE
status: ALLOCATED PA
mnt-by: RIPE-NCC-HM-MNT
mnt-lower: MDA-Z
mnt-routes: MDA-Z
source: RIPE # Filtered
2009年4月15日 (水) 17:43 「84.189.89.33」
ietnum: 84.136.0.0 - 84.191.255.255
netname: DTAG-DIAL20
descr: Deutsche Telekom AG
country: DE → (ドイツ)
admin-c: DTIP
tech-c: DTST
status: ASSIGNED PA
remarks: ******************************************************************
remarks: * Abuse Contact: http://www.t-com.de/ip-abuse in case of Spam, *
remarks: * Hack Attacks, Illegal Activity, Violation, Scans, Probes, etc. *
remarks: ******************************************************************
mnt-by: DTAG-NIC
source: RIPE # Filtered
4月15日のクオリア日記を見てみると
バスでミュンヘンへ。
空路、ベルリンに入る。
ドイツの首都を訪れるのは初めての
ことなり。
ずっと、「ウンター・デン・リンデン」
という言葉が響く。
2009年4月19日 (日) 23:44のIPアドレスは210.250.17.35、ドメイン名は「 d2fa1123.custom.pwd.ne.jp 」。
jpドメインです。
日本に帰ってきたのです。
4月19日のクオリア日記は
着きました。
これから仕事に直行です。
全てピッタリと一致します。
ヨーロッパに同行した人間が編集を行った、という可能性もありますが、Wikipediaの編集を行ったのは本人だとほぼ断定できるのではないでしょうか。
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さて、それでは「茂木健一郎」と名乗った人間は、茂木健一郎本人なのでしょうか。
Wikipediaに書き込まれた文章(*1)は、いかにも茂木健一郎が書きそうなもののように見えます。
wikipediiaにおける記述は、その個人をさまざまな立場を離れて「遠く」から眺めた時に立ち上がってくる基礎的な情報を書くことにとどめるべきでは ないでしょうか。私についてのwikipediaの記述が、中立性という視点からきわめて異常なものであることを感じぜずにはいられません。私の友人たちが、 現時点でのwikipediaの記述を見る時、そのトーンのあまりにも卑劣なことに、大いに驚き、傷つき、そして失望することと思います。
とくに「その個人をさまざまな立場を離れて「遠く」から眺めた時に立ち上がってくる基礎的な情報」の中の「立ち上がる」という言葉は、茂木健一郎が頻繁に使う言葉です。(*2)
「クオリア日記」の中を検索しただけでも、以下のような文章がヒットします。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/03/post-12ad.html
すばらしいものに
ついて考えているだけで、そこで良質の
精神運動が立ち上がる。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/12/post-e331.html
私たちが、近似的に「同じ」、「違う」を判断する認知プロセスは、意識の中に立ち上がっているクオリアのユニークさを……
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/08/post_af57.html
消費者行動を理解する
上での鍵となる概念とされる
「インサイト」にしても、
そのような暗黙知の
伝達を考えて初めて意味のあるものとして
立ち上がるのではないか。すなわち、なぜ、自筆原稿を読むよりも、活字となったものを読む方が、文学的体験として純粋なものが立ち上がるように思われるのかという問題である。
リンゴは落ちる、月は落ちない。この、
一見当たり前に見える事態の背後に暗黙のうちに
前提にされていることを問うたとき、はじめて
力学が立ち上がった。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/12/post-fa5b.html
聴覚や、錯覚、味覚などの感覚のモダリティにおいても、そこにそのような感覚があるという「アウェアネス」は立ち上がっている。しばしば、注意を向けたものだけが、意識として立ち上がる、と誤解されるが、そうではない。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/07/post_9ffe.html
そのとき立ち上がるみずみずしい
感覚は、それ以外の生活時間とは
明らかに異質だ。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/03/post-fd19.html
春の空気に触れて心の中に立ち上がるそこはかとない憧れもクオリアである。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/02/post_08e4.html
身体の芯からプリミティヴな情動が
立ち上がってくるのだった。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/10/post-b56b.html
「あのさ、自分と同じシャツを着ている
人が前にいる時にだけ立ち上がる固有な
認知プロセスって何だと思う?」http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/03/post_f0c3.html
汽水域でいきいきとした精神運動が
立ち上がる。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/11/post_14.html
よっこらしょと物語を立ち上げ、
一人でああでもない、こうでもないと
紆余曲折し、ああ、疲れた、と終わる。単なる経験科学や形式主義数学を超えて、
精神運動をとりわけその主体性においてとらえた
時に立ち上がる一種の論理と倫理。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/10/post_df84.html
日本語圏の中でしか成立しない意味の
数々があふれて流れ消え、そのかわりに、
全く別のなにかが立ち上がる。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/12/post_31.html
わかっていないなあ、とみんな笑うが、
その瞬間にふっと立ち上がる不思議なめまいの
感覚がある。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/11/post_7.html
世界について立ち上がる良質のメタ
認知が全てそうであるように、……http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/02/gewalt_in_virtu.html
このような研究会の良いところは、
情報を得ることはもちろんだけれども、
自分の中にある種の「探究」へ
むけての「衝動」が立ち上がることである。
「精神運動」やら「クオリア」やら「力学」やら「アウェアネス」やら「プリミティヴな情動」やら「認知プロセス」やら「物語」やら「論理と倫理」やら「メタ認知」やら、何だか色んなものが立ち上がってますね。
とは言え、似ているからと言って本人が書いたと断定するわけにはいきません。
もしかしたら、熱烈な茂木ファンによる「なりすまし」かもしれないからです。
(*1)
「wikipediiaにおける記述は、その個人をさまざまな立場を離れて「遠く」から眺めた時に立ち上がってくる基礎的な情報を書くことにとどめるべきではないでしょうか」と書いたすぐ後で、「私の友人たちが、 現時点でのwikipediaの記述を見る時」云々と書いてしまうのは、いかがなものでしょうか。
(*2)
「立ち上がる」以外で頻出する言葉は、「向き合う」「引き受ける」です。
茂木先生は身体的なメタファーがお好きなのです。
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4月21日、Wikipediaの「茂木健一郎」の項に、本人の名前を名乗る人物の書き込みがありました。
4月11日から4月21日までの修正履歴を細かく見て行った結果、興味深い事実が判明しましたので報告したいと思います。
4月11日から4月21日までの「茂木健一郎」の項の修正履歴は以下の通りです。
2009年4月21日 (火) 22:26 210.250.17.35
2009年4月21日 (火) 14:28 Spreadfunction
2009年4月21日 (火) 11:39 59.156.197.242
2009年4月20日 (月) 22:16 210.250.17.35
2009年4月20日 (月) 22:14 210.250.17.35
2009年4月20日 (月) 21:54 Spreadfunction
2009年4月20日 (月) 21:54 Spreadfunction
2009年4月20日 (月) 15:43 210.250.17.35
2009年4月20日 (月) 13:00 Spreadfunction
2009年4月20日 (月) 12:51 59.156.123.66
2009年4月19日 (日) 23:51 210.250.17.35
2009年4月19日 (日) 23:44 210.250.17.35
2009年4月19日 (日) 04:44 Spreadfunction
2009年4月19日 (日) 04:43 Spreadfunction
2009年4月18日 (土) 12:47 59.156.197.222
2009年4月18日 (土) 05:25 213.33.74.102
2009年4月16日 (木) 14:58 210.170.200.20
2009年4月16日 (木) 05:32 84.189.94.130
2009年4月16日 (木) 03:26 58.188.218.199
2009年4月15日 (水) 17:43 84.189.89.33
2009年4月15日 (水) 11:57 210.170.200.20
2009年4月14日 (火) 22:53 213.20.156.34
2009年4月14日 (火) 22:07 Spreadfunction
2009年4月14日 (火) 15:59 88.128.93.185
2009年4月14日 (火) 14:52 Spreadfunction
2009年4月14日 (火) 14:51 Spreadfunction
2009年4月14日 (火) 13:12 59.156.197.74
2009年4月13日 (月) 14:22 Beatclick
2009年4月13日 (月) 14:19 122.2.33.11
2009年4月13日 (月) 13:02 81.223.222.10
2009年4月13日 (月) 10:37 Spreadfunction
2009年4月13日 (月) 05:08 81.223.222.10
2009年4月12日 (日) 02:33 Beatclick
2009年4月12日 (日) 02:28 Spreadfunction
2009年4月12日 (日) 02:18 Spreadfunction
2009年4月12日 (日) 02:18 Beatclick
2009年4月12日 (日) 01:57 115.177.56.51
2009年4月12日 (日) 00:59 Beatclick
2009年4月11日 (土) 19:52 210.250.17.35
2009年4月11日 (土) 01:09 Beatclick
それでは、修正の内容をひとつずつ見ていきましょう。
まず2009年4月11日 (土) 01:09
Beatclickさんが以下の記述を追加します。
学者として一般にも高い人気がある一方、後述するように、彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には批判意見も多い。
2009年4月11日 (土) 19:52
「210.250.17.35」が、これを削除。
2009年4月12日 (日) 00:59
再度Beatclickさんが上記の記述を追加。
2009年4月12日 (日) 01:57
今度は「115.177.56.51」がこれを削除。
2009年4月12日 (日) 02:18
Spreadfunctionさんが新たに以下の記述を追加。
タレントとしては成功しているものの、学者としては2003年以降ファーストオーサーとしての論文を一本も書いておらず、過去の論文の被引用数も少ないなど成果に乏しく[http://scholar.google.co.jp/scholar?num=50&hl=ja&lr=&client=firefox-a&q=author%3Akenichiro-mogi&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=]、後述するように彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には批判意見も多い。
その後、細部の修正が入りますが
2009年4月13日 (月) 05:08
今度は「81.223.222.10」がこれを削除。
2009年4月13日 (月) 10:37
Beatclickさんが上記の記述を追加。
2009年4月13日 (月) 13:02
「81.223.222.10」がこれを削除。
2009年4月14日 (火) 13:12
「59.156.197.74」が以下の記述を追加。
学者として一般にも高い人気がある一方、後述するように、彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には批判意見も多い。
2009年4月14日 (火) 14:51
Spreadfunctionさんが以下のように記述を修正。
一般への知名度も高く、タレントとしては成功しているものの、学者としては2003年以降ファーストオーサーとしての論文を一本も書いておらず、過去の論文の被引用数も少ない[http://scholar.google.co.jp/scholar?num=50&hl=ja& amp;lr=&client=firefox-a&q=author%3Aken-mogi&btnG=%E6%A4%9C %E7%B4%A2&lr=]。また、後述するように彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容への批判意見も多い。
2009年4月14日 (火) 15:59
今度は「88.128.93.185」が、これを削除。
2009年4月14日 (火) 22:07
Spreadfunctionさんが追加
一般への知名度も高く、タレントとしては成功しているものの、学者としては2003年以降ファーストオーサーとしての論文を一本も書いておらず、過去の論文の被引用数も少ない[http://scholar.google.co.jp/scholar?num=50&hl=ja&lr=&client=firefox-a&q=author%3Aken-mogi&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=]。また、後述するように彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容への批判意見も多い。
2009年4月14日 (火) 22:53
今度は「213.20.156.34」がこれを削除。
2009年4月15日 (水) 11:57
「210.170.200.20」が以下の記述を追加。
学者として一般にも高い人気がある一方、後述するように、彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には批判意見も多い。
2009年4月15日 (水) 17:43
「84.189.89.33」がこれを削除。
2009年4月16日 (木) 14:58
「210.170.200.20」が上記の記述を追加。
2009年4月18日 (土) 05:25
今度は「213.33.74.102」がこれを削除。
2009年4月18日 (土) 12:47
「59.156.197.222」が以下の記述を追加。
学者として一般にも高い人気がある一方、後述するように、彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には著名人からの批判意見もある。
2009年4月19日 (日) 04:43
Spreadfunctionさんが、以下のように記述を修正。
一般への知名度も高くタレントとしては成功しているものの、学者としては2003年以降ファーストオーサーとしての論文を一本も書いておらず、過去の論文の被引用数も少ない[http://scholar.google.co.jp/scholar?num=50&hl=ja& amp;lr=&client=firefox-a&q=author%3Aken-mogi&btnG=%E6%A4%9C %E7%B4%A2&lr=]。また、後述するように彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容への批判意見も多い。
その後、細部の修正が入りますが
2009年4月19日 (日) 23:44
「210.250.17.35」がこれを削除。
2009年4月20日 (月) 12:51
「59.156.123.66」が以下の記述を追加。
学者として一般にも高い人気がある一方、後述するように、彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には著名人からの批判意見もある。
2009年4月20日 (月) 13:00
Spreadfunctionさんが、以下のように記述を修正。
一般への知名度も高くタレントとしては成功しているものの、学者としては2003年以降ファーストオーサーとしての論文を一本も書いておらず、過去の論文の被引用数も少ない[http://scholar.google.co.jp/scholar?num=50&hl=ja&lr=&client=firefox-a&q=author%3Aken-mogi&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=]。また、後述するように彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容への批判意見も多い。
同時に、Spreadfunctionさんは、「210.250.17.35」に「荒らし行為はやめてください。」と警告。
しかし、2009年4月20日 (月) 15:43
「210.250.17.35」がまた削除。
2009年4月20日 (月) 21:54
Spreadfunctionさんが上記の記述を追加。
再度、「210.250.17.35」に警告。
2009年4月20日 (月) 22:14
「210.250.17.35」がまたしても上記の記述を削除。
2009年4月21日 (火) 11:39
「59.156.197.242」が以下の記述を追加。
学者として一般にも高い人気がある一方、後述するように、彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には著名人からの批判意見もある。
2009年4月21日 (火) 14:28
Spreadfunctionさん以下の記述を追加。
一般への知名度も高くタレントとしては成功しているものの、学者としては2003年以降ファーストオーサーとしての論文を一本も書いておらず、過去の論文の被引用数も少ない[http://scholar.google.co.jp/scholar?num=50&hl=ja&lr=&client=firefox-a&q=author%3Aken-mogi&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=]。また、後述するように彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容への批判意見も多い。
そして、2009年4月21日 (火) 22:25
ノート に「210.250.17.35」による、以下の文で始まる書き込みがなされます。
茂木健一郎です。2009年4月22日時点の記述は、情報の恣意的な選択に基づいてなされており、特定の立場からの「キャンペーン」でしかないと感じます。
その直後の2009年4月21日 (火) 22:26
「210.250.17.35」すなわち「茂木健一郎」と名乗った人間が以下の記述を削除します。
学者として一般にも高い人気がある一方、後述するように、彼の「脳科学者」としてのマスメディアでの活動内容には著名人からの批判意見もある。
なお、同じ期間中には、茂木健一郎の肩書きを「タレント」とする記述に関して、同じような書き込みと削除のくり返しが行われていますが、煩雑になるので割愛します。
長々と書いてきましたが、ここまでの経過をまとめると、
茂木健一郎に批判的な記述が書き込まれるたびに、これを削除する人間が現れた。
その後、「茂木健一郎」と名乗る人間が、「本人」に関する批判的な記述を繰り返すものへの「強い違和感と失望」を表明する書き込みを行った。
ということになります。
茂木健一郎に批判的な記述を削除したのは、「210.250.17.35」「115.177.56.51」「115.177.56.51」「81.223.222.10」「88.128.93.185」「213.20.156.34」「84.189.89.33」「213.33.74.102」。
Wikipediaでは、ログオンせずに投稿すると、利用者名の代わりにIPアドレスが記録されます。
「茂木健一郎」と名乗る人間の書き込みのIPアドレスは「210.250.17.35」ですが、書き込みのタイミングから考えて、他のIPアドレスによる書き込みもおそらく同一人物のものでしょう。
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Wikipediaに本人降臨?
茂木健一郎です。2009年4月22日時点の記述は、情報の恣意的な選択に基づいてなされており、特定の立場からの「キャンペーン」でしかないと感じます。 私個人に対して特定の意見を持ったり、批判をしたりするのは自由ですが、公共的であるwikipediaという現場で、 一部の「活動家」のような人が恣意的な情報を流すことに、強い違和感と失望を覚えずにはいられません。
wikipediiaにおける記述は、その個人をさまざまな立場を離れて「遠く」から眺めた時に立ち上がってくる基礎的な情報を書くことにとどめるべきでは ないでしょうか。私についてのwikipediaの記述が、中立性という視点からきわめて異常なものであることを感じぜずにはいられません。私の友人たちが、 現時点でのwikipediaの記述を見る時、そのトーンのあまりにも卑劣なことに、大いに驚き、傷つき、そして失望することと思います。
たとえば、「批判」という項目。ある特定の個人が、別の個人について何らかの発言をすることはよくあることですが、それをwikipediaというメディアに わざわざ引用して列挙する意味はどこにあるのでしょうか? 私については、他の人もさまざまな発言をしています。特定の発言だけを恣意的に選択する 意味がどこにあるのか。記入者の意図の理解に苦しみます。
そもそも、このようにwikipediaに特定の記述を繰り返す人たちとは、どのような人たちなのでしょう。インターネットという公共の知を蓄積すべきメディアの中で、 一体何がしたいのでしょうか?
以前にも書きましたが、英語圏における公共性の理解、水準と、日本語のインターネットにおける公共性の水準はあまりにも乖離しています。wikipediaは、匿名掲示板ではないはずです。
日本語のwikipediaのコミュニティが、より強い自浄作用を持つことを強く希望します。私についてのwikipediaの記述が、公正で中立的なものになることを個人的には最も強く願っています。210.250.17.35 2009年4月21日 (火) 22:25 (UTC)
どこかの誰かさんが、以前こんなことを書いていたような。
インターネットの第一原理。
「ネットに匿名で書かれた意見は、存在
しないのと同じである」もちろん、匿名で意見を書いたり、それを
読んだりする人がいても、全く
かまわない。オレは読まない、というだけのこと。
(追記)
487 :没個性化されたレス↓:2009/04/23(木) 12:30:59
>>483
この速さで返信してやればよかったのに。
ナイスつっこみ。
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と言うわけで、件の文春の記事「茂木健一郎さんの頭の中が心配です」を読んだのですが……。
ウーン、つまらん。
「返信を待ち続けている間に、2度ほど対談の申し入れがあった」という件を詳しく書いてくれると思っていたのでけど、そっちの方は全然触れず、茂木批判としては往復(しなかった)書簡と同じようなことを書いてるだけ。
おまけに、批判の筋が悪い。
私は、本質的な議論がしたかった。「テレビに出ずっぱりで脳科学の研究をするヒマがるのか」「江原啓之と対談するのは科学者としていかがなものか」なんて、どうでもいい。
この時点で全く共感できなくなるな。
どうでもよくないですよ。
社会的な影響という観点では、それが一番の問題でしょ。
そりゃ、ラカン派精神科医にとってはどうでもいいだろうけどさ。
そもそも、脳の機能によって人間の社会行動を説明できるというのは、現時点では「トンデモ脳科学」だ私は考える。
雑な言い方だなあ。
現時点で「人間の社会行動」を「脳の機能」で全て説明できるなんて主張している人間なんて、まともな科学者なら言うわけないし、モギケンだってそんなことは言ってないんじゃないの?
「将来的には全て脳の機能で説明できるようになる」と言う主張だとしても、大胆なものとして受け止められると思う。
要するに藁人形たたき。
「脳の機能のみによっては人間の社会行動を全て説明することはできない」という主張なら、私も同意しますけど、「脳の機能によっては人間の社会行動を説明することはできない」なら同意しません。
今の時点でも説明できる部分はあるんじゃないの?
それを否定しようとするのは馬鹿げてる。
脳は未だに巨大なブラックボックスである。たとえばミラーニューロン説、まだエビデンスによって実証されたとはいえない段階だ。
このあたりは、まあいいとしても
それに、脳はパソコンでいえばハードウェアであり、どう作動するかはアプリケーションソフトしだいで異なる。それを無視して、「脳」というハードだけで語るのは素朴すぎる。
これは雑。
脳の機能はハードとソフトという風にはスパッと切れないんじゃないかと思うけどね。ハードとソフトという比喩にあえて乗っかると、どういうソフトが動かせるかがハードによって強く制約されているっていう面があるんじゃないかと思う。
もちろん「精神分析」だって十分怪しげなのだが、自分たちが「自然科学」であるとは主張しない。
自然科学じゃないからって、いい加減なことを言ってもいいということにはならないし、怪しげだという自覚があるからと言って無害になるわけじゃない。
日々の診療の中で脳波を読み、CTやMRIで脳の画像も見るが、仮説の集積によって治療にあたっているという程度の自覚はある。
「仮説の集積」であること自体が問題なんじゃなくて、精神分析が前提としている仮説のタチの悪さが問題なんじゃない?
もうひとつ。茂木氏は、「クオリア」とは視覚、聴覚、嗅覚などの、「感じの質感」だというが、この「クオリア」を過度に賛美すると、神秘体験を重んじるカルト宗教につながりかねない。
そりゃあ、さすがに言い過ぎなんじゃないかと。
確かに茂木には「理性」より「情感」のようなものを優先するところがあって気持ちが悪いんだけどさ。
そもそも、「江原啓之と対談するのは科学者としていかがなものか」なんて、どうでもいい、っていたくせに「カルト宗教」と非難するのは、なんだか筋が通ってないような。
ポジティブ・シンキングの権化として人々を力づけるベストセラー、『脳を活かす勉強法』などを読むと、脳内のドーパミン(快感物質)を出すことを奨励しているが、ドーパミン過剰は統合失調症と関連が深いのはご存知だろうか。
これはひどい。
「ドーパミン過剰は統合失調症と関連が深い」からと言って、ドーパミンを出すようなことをし続けたら統合失調症になるってわけじゃない。
これじゃあ「ゲーム脳」レベルだよ。
「ゲーム脳」を批判していた人間がこれじゃあねえ……。
全体的に見ると、脳科学一般と通俗脳科学と茂木固有の主張をゴッチャにしたままで批判しているのが気になる。
脳科学者は茂木一人じゃないし、茂木が脳科学者の代表と言うわけでもない(むしろ傍流でしょ)。
これじゃあ、まともな脳科学者(神経科学者?)が迷惑だよ。
「斎藤環はポストモダンかぶれの使えない精神科医」という前からの私の評価を強化するだけでしたね。
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タグは「これはひどい」(*1)「トンデモ」「NO科学」(*2)でお願いします。(*3)
(*1)モギケンじゃんなくて、このブログがひどいのだと思われそうですが。
(*2)音楽好きの方なら「脳ミュージック、脳ライフ」でも可。
(*3)「他人の真似は止めろ」とゴーストがささやいているので、これで止めにします。
(*4)本文より注の方の分量があるのは我ながらちょっとどうかと思います。
(追記 2009.4.29)
動画は投稿者によって削除されました。
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先週、スピルバーグの「宇宙戦争」を音を消したテレビで数分間眺めての感想。
「スピルバーグって、カメラの動き方を見せたいだけなんじゃね?」
「CGって、やっぱり映画をダメにしてるよな」
* * *
大人に見えた?京都の10歳児、顔認証自販機でたばこ購入
府警がこの自販機で実験した際には3回中1回、男児を成人と認証。府警や自販機の製造会社は「10歳児が認証された例は聞いたことがない」として原因を調べている。(略)
府警は製造会社と財務省に必要な措置を取るよう要望。財務省も「100%の判別が出来るよう改善を求めた」としている。
なんでこんなことがニュースになるのか分からない。
こんなの「偽陽性」や「偽陰性」があるのは当たり前で、100%の判別なんてできるわけがないじゃん。
バッカじゃないの。
* * *
「福岡伸一コーナー」です。
福岡ハカセが「大学ランキング〈2008年版〉」 (週刊朝日進学MOOK)に寄稿しています。
何かエラソーなことを言ってるので、興味のある方は本屋さんで立ち読みなど、どーぞ。
* * *
「佐藤優コーナー」です。
金光翔の公開質問状に対して、佐藤優が予想外の対応を。
どうせ黙殺するだろうと思ってたけど、受け取りを拒絶するとはねえ。
「読者との双方向性の担保」はどこに行っちゃったのかしら。
(関係ないけど、「担保」という言葉をこういう風に使うのは嫌いだな。)
*
「東洋経済」の連載で、前号で延々と山川出版社の高校教科書を引用したことを編集部から怒られたそうで、その言い訳をしていて笑った。
* * *
「茂木健一郎コーナー」です。
斎藤環のブログで衝撃の事実が発覚。
pentaxx備忘録
だいぶ前になりますが、茂木健一郎氏との往復書簡については、双風舎から終結宣言が出されました。返信を待ち続けている間に、2度ほど対談の申し入れがあったことをここに暴露いたします。そういった所作もふくめて、まあ茂木さんは「そういう人」なんだなあということが良くわかりましたので、個人的には思い残すことはありません。以後私が積極的に茂木批判を展開することはありませんが、コメントを求められればつい往復書簡をネタにしてしまう可能性はあります。ぜひ生暖かい目で見守っていてください。
なんと、往復書簡の返信はせずに、対談の申し入れをしていた、と。
大方、面と向かってだと批判もしにくいだろうっていうんで、最初に斎藤のことを大げさに持ち上げておいて、「いやー、ボクも斎藤さんも、真理を探究に対するパッションに違いはないと思うんですよね、アハハハ」とか何とか言ってワキアイアイの対談という風に仕立て上げて、往復書簡の方はウヤムヤにしようとしたんでしょ。
そういう人です。
*
この次の日曜日、応用哲学学会の公開シンポジウムがありますね。
第1回年次研究大会シンポジウム日時: 2009年4月26日(日曜日)
場所: 京都大学文学部新館第三講義室公開シンポジウム 「これが応用哲学だ!」
パネリスト
伊勢田哲治 (京都大学)
茂木健一郎 (ソニーコンピュータサイエンス研究所)
森岡正博 (大阪府立大学)
司会 戸田山和久 (名古屋大学)
関東方面の皆様、レポートお待ちしてまーす。
* * *
告!
以下のようなコメントはご遠慮ください。
「重箱の隅をつつくようなことをするのはネガティブだと思います。 もっとポジティブに見てあげたらどうですか?」
「こんなに色々調べるなんて、ホントは茂木(or福岡or佐藤)が好きなんじゃないの?」
「あなたは無知の知を知るべきだ」
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まるで、脳科学者に「アンチ茂木派」と「茂木擁護派」が存在するかのような書き方だねえ。
「茂木擁護派」の脳科学者って誰なんだろう?
ご存知の方は教えてください。
ところで
おまけ「創造的な先延ばし」
で
勉強を始めようとする時に、「時計の長い針が12のところに来たら」と先延ばしにしたり、「机を片づけてから」とか、「この漫画を読み終わってから」と条件を付けたりしていると、実際に勉強を開始する時間がどんどん遅れてしまう。そのようにしてさぼっていると、「やっぱり私はダメなんだ」と自己嫌悪の気持ちがわき起こってきて、ますます勉強に集中するのが遅れてしまう。
思い立ったら、瞬時に始める。「時計の長い針が12のところに来たら」などと悠長なことを言っているのではなく、とにかく「一秒後」にはもう勉強を開始して、一心に集中する。どんな状況でも、すぐに「鶴の恩返し」の「つう」のような一心不乱な気持ちになることができるようになれば、もうその人は勉強の達人である。
前にも書いたけど、どうして茂木ファンって混乱しないでいられるんですかね。
こんなので「らいふ」を「はっく」したりできるのかしら。
不思議ね。
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大きなお世話だとお思いでしょうが
今、ビジネスの世界で求められている手法はこれなんです。天気の話など、仕事とは関係ない話をダラダラしてから本題に入るのは、もう古い。いきなり核心をついていかないと、これだけのスピード社会、流動化の時代に、チャンスをつかむことはできないんです。自分の中に起きたバブルを一瞬のうちにすばやく察知し、行動に移していかないとダメだということですね。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/proron/0848/proron_0848.html
仕事上、無駄を省くのはいいけど、どんなに忙しくても、人間関係だけは効率を追ってはいけないんです。家族、恋人、友達はもちろんだけど、たとえば、出張先でクライアントとの打ち合わせが終わって、ご飯を食べているときに新しい企画が生まれたりしますよね。だからこそ、人に対しては、思いっきり無駄に向き合ったほうがいい。僕にとっては人と会うことは、唯一の息抜きであり、次の仕事への活力なんです。
「DUAL」5月号
茂木健一郎ファンもいい加減目を覚ました方がいいんでないかい?
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しばらく前まで、アメリカ型経営手法がよしとされていた風潮においては、「個性」「個人」という文字ばかりが踊るようになり、日本人が古来より大切にしてきた「和」の精神は、「没個性」などと言われて大事にされませんでした。
ところがインターネット時代に入り、その様相が少し変わってきたのです。一人の強烈なリーダーが何かを創造するのではなく、多くの人間の知恵を集める。そういう日本的な方法論が、むしろ輝く時代になってきました。日本的な「和」の精神や、「協調」を重要視した人間関係。そういう価値観が一回りして、今では時代の最先端になってきている。まずはそのことに気づくことです。「和」の精神など古い。そう言っている人ほど古い考え方であるということでしょう。
クオリア日記組織の和を強調したり、
個が立たないようにすることは、
確かに、ある意味では日本の強み
でもあったと思う。アメリカ式の競争社会には、影の部分もある。
これまでは日本のやり方でも、
それなりによかった。しかし、もはや
このままでは日本全体が沈む。中村修二さんの言われるところの
「五教科のウルトラクイズ」という
人工的な競争をして、「有名大学」
という定員の限られたクラブの
メンバーになり、あとは真の向学心も
自己表現力も構想力も欠いたまま、
無批判に組織に奉公していく。それはそれで国としての個性であり、
一つの強みだったかも
しれないが、もはやダメだ。諸外国のコモンセンスに照らせば、
日本は、「集団発狂」としか
言いようのない惨状を呈している。
前から不思議に思ってるんだけど、モギケン・ファンって、こういうの読んで頭の中が混乱しないの?
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以下の発言は全て同一人物のものである。
インターネットというものが、「学ぶ」という最も根源的な、オープンエンドな(終わりのない)喜びを大爆発させる機会を与えている。まさに、「知のカンブリア爆発」です。(*1)
* * *
偶有性の喜び、自分の人格をより高度なものにしていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでもっとも強く、深い喜びではないでしょうか。食べる喜びなんて、おなかがいっぱいになっちゃえば終わりだし、性的な喜びだって限界がある。学ぶ喜びって、限界がないんですよ。(*2)
* * *
「食のクオリア」について考えることは、人生を考えることでもあるのです。(*3)
* * *クオリアは、私たちの生命活動の
有機的組成と関連して立ち上がってくるもの
であり、だからこそインターネット上にも
ないし、断片的な知識の積み重ねの中にも
ない。インターネットは、無知の知の欠如を
露呈しているような文章のオンパレードで
ある。
今の自分が全く知らない、巨大にして
深遠なる世界の予感を、いかに抱けるか。一個人がアクセスできる情報が飛躍的に
増大した現代において、「無知の知」
は自分の可能性を活かすことができるための
必要不可欠な魂の態度であるような
気がしてならない。(*4)* * *
これはある意味、『知のビッグバン』だと言えると思うんです。つまり、インターネットの進化によって、自分の学びたいことだけを好きなときに好きなだけ学べるようになり、私たちは大きな喜びを得たというわけ。たとえば、食べ物なんかはたくさん食べるとすぐにお腹がいっぱいになってしまいますが、学ぶという行為には上限がありませんからね。いくら勉強しても、し過ぎるということにはならない。もう学歴で人と自分を比較することはナンセンスになってくると思うんです。ただ、インターネットでの専門的な情報の公開については、既得権益を守ろうとする人がいるとは思います。でも、それはそれほど重要なことではありません。なぜなら、『知』は万人に知られることを望まれるものですからね (*5)
* * *
ぼくは、現在のインターネット社会と文化に対しては、むしろ強烈なアンチテーゼが必要でないかと思っています。利便性という点から見れば、インターネットは重要なツールになりつつありますが、それに対する強烈なオルタナティヴ-懐かしい言葉ですね-を出すくらいの「思想の勇気」がなければ、現状は打開できないと思います。(*6)
こういうのを日本語では「マッチ・ポンプ」と言う。
(*1)『フューチャリスト宣言』
(*2)『フューチャリスト宣言』
(*3)http://www.amazon.co.jp/%E9%A3%9F%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2-%E8%8C%82%E6%9C%A8-%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4791762762
(*4)http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/02/post-2276.html
(*5)http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/03/post_c73c.html
(*6)「図書」2008年5月号 「《座談会》哲学はいま」
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斎藤環-茂木健一郎往復書簡の仕掛け人(?)の方も、とうとう匙を投げたようです。
つづいて連載「斎藤環さんと茂木健一郎さんの往復書簡 脳は心を記述できるか」については、すでにお知らせしておりますが、斎藤さんの往信を掲載したあと、茂木さんからの復信が届きません。したがって、いつか復信が来ることを信じつつ、連載は中断いたします。
「いつか復信が来ることを信じつつ」とは書いていますが、まあ、本気では信じてないでしょうなあ。
しかし、斎藤さんがしっかりとした往信を書いたのに、「長考中」という茂木さんは、わけのわからぬバラエティーに出演したり、オペラか何かのCMで脳がどうのとおっしゃっていたり……。茂木さんにかぎらず、なんだか「脳」という記号が日本のマスコミでは、儲けのマジックワードみたいになっているような気がしています。
おっしゃる通りで。
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先月、日本経済新聞を広げたら、見開き2面の広告記事でdankogaiのデカイ写真が目に入ってギョッとしたという経験をした人は多いと思いますが、その下の『日本語が亡びるとき』の広告にこんなことが書いてあるのには気がつきましたかね。
茂木健一郎さんも推薦!
自身を知ることから再生は始まる。
日本語という運命を引き受けて生きるために。
私たちの未来を取り戻すための、魂の必読書。
で、その茂木健一郎先生が水村早苗先生と『日経サイエンス』で対談するんですってさ。
dankogai -> 日経広告 -> クオリア日記 -> 日経サイエンスで対談
と言う、dankogaiと茂木健一郎を介しての筑摩書房と日経の連携プレイ。
お見事!
ところで、今は「脳」「英語」「ネット」の三要素が入った本を書けば売れるんですね。
モギケンの本は三つとも入っているから売れる。
『日本語が亡びるとき』は、「脳」はないけど、「英語」「ネット」が入ってるからモッチーやdankogaiが過剰反応して売れた、と。
メアリアン・ウルフの『プルーストとイカ』なんかも、私はつまんない本だと思いますけど、三要素が入っているから世間ではやけに高く評価される、と。
ベストセラーを狙っている人は、「脳」「英語」「ネット」の三つを入れた本を書いてみたらいいんじゃないでしょうか。
そんな知識は持ってないって?
ナニ、いい加減なこと書いても、結構大丈夫みたいですよ。
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竹内薫がまたこんな本を翻訳したようで。
奇跡の脳 ジル・ボルト・テイラー
薫日記より。
著者が語る「脳卒中で発見した<右脳>の世界」はきわめて神秘的だ。宇宙と一体化する感覚とはいったい何なのか・・・。
原書はこちら。
My Stroke of Insight: A Brain Scientist's Personal Journey (Hardcover)
by Jill Bolte Taylor (Author)
脳卒中から回復した脳科学者が、「右脳マインド」だの「宇宙との一体感」だの言い出すようになっちゃったというコマッタ本みたいなんですけど。
『大きく考えるための小さな本』もそうですけど、ちゃんとした科学者のはずの人間がコマッタ本を出したら、翻訳は竹内薫が担当するってことになってるんですかね。
もう一つ。
竹内薫のトンデモ仲間であらせられる茂木健一郎先生が『ザ・シークレット』の帯に推薦文を書いてるのを発見。
今まで気がつかなかったけど、新しい帯なのかな?
江原啓之との対談本を出したり、自己啓発の本を脳科学の本であるかのようなタイトルで翻訳して出しちゃうような人ですから、今更驚きはしませんけどね。
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「ザ・ベストハウス123 天才脳シリ-ズ 」のブログでの反応を「茂木健一郎 セレンディピティ」で検索で確認。
いくつかをピックアップ。
オーラソーマは、その神秘や不思議さからスピリチュアルと表現されがち。
ですが、色彩学や量子物理学、宗教学などの学問にも通じています。
さらに思ったのが…。もしや、脳科学とも繋がってるかも?
脳科学者の茂木健一郎さんが、人間の脳が起こす奇跡のような出来事、
「セレンディピティ」=偶然の幸運、について語っていた番組を見て。オーラソーマのボトルを使って訪れるシンクロニシティを思い出しました。
なんとなく「シンクロニシティ」=偶然のような必然、とも言葉が似てる。セレンディピティは、ひとつの物事を目指して進みながら、
全く違う別のことに出会い、思ってもみなかった幸運の出来事が起こる。* * *
脳科学者・茂木健一郎さんが、偶然をチャンスに変える能力“セレンディピティ”(偶然の幸運)という
成功の方程式を紹介しておられました。(ザ・ベストハウス123)
ポストイット、カッターナイフ、電子レンジ、マジックテープ…
これらの大発明は、失敗が元になって、
全然関係ないことと結びついて、
ひらめいたものだそうです。
まさに人生に無駄事はなく、
努力なしには報われないものですね。
脳の訓練と共に、神様のあと押しを頂けば
最強最速の「気付き」が訪れることでしょう。
* * *
それで、食事をしながら、昨日録画しておいたTV「ザ・ベストハウス123」を観ました。テーマは「セレンディピティ」
聞き慣れない言葉。
事例をVTRで紹介してくれました。さらに興味を持ち、番組での紹介者でもあった、茂木健一郎氏のクオリア日記を訪ねてみると
偶然の出会いは誰にでもあるけれども、その時にその出会いに「気づいて」、
いろいろ考え、吸収して自分のものにすることができるか、つまりは
「偶然」を「必然」にすることができるかという意味が紹介されていました。
そう、日々、出会いや発見やチャンスが巡ってくるのでしょうが、それをそのまま感じることの
できる人がどれほどいるでしょうか。
多くの場合、それと気付かぬまま過ぎていくのかもしれません。
本当はそれは神様が垂らしてくれた蜘蛛の糸、そっと差し伸べた手なのかもしれません。
* * *
昨日、ベストハウス123というフジテレビの番組を見ました。
脳科学者の茂木健一郎さんの「セレンディピティ」というめずらしい言葉に圧巻!久しぶりに、ぼくの脳裏に焼きついた番組でした。
人生の幸運を掴む為には、準備が必要!幸運が振ってきたときに、それをつかめるかつかめないかがその人の人生を大きく変化させていくというお話でした。もっと言い換えると、幸運をつかむためには、ある法則があり、そのためにさまざまな準備をすることができる。つまり幸運をつかむ自分になることが可能であるということなのです。
このすごいところは、幸運をつかむのは特別な存在の人ではないということ。それは誰しも成りえることであって、大切なことは、その人が、いかにその幸運を掴む為に、柔軟で、ゆとりのある情緒を保っているか。そして、そのいつかくるであろう幸運をつかむための準備をしているかということです。
誰にだって幸せの天使は舞い降りてくる。その天使に出会えるか出会えないかはあなた次第なのです。
私が何を言いたいかは既にお分かりだと思う。
モギケンの言うことは「スピリチュアル系」の方を引き付ける様なのである。
253 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:10:22.78 ID:mht3jJcF
『水にいい言葉を言えば美味しくなる』っていうのも、こいつが言えばみんな納得しそうな
雰囲気だな…。うーん、マジで危険。
もう既にそういう状況になっちゃってるのですよ。
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2ちゃん実況板より。
64 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:03:32.36 ID:++A18TOy
セレンディピティを意図的に起こしたらセレンディピティじゃないじゃん。
馬鹿なの?
82 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:04:22.85 ID:ACPchHDS
こんなに天才を研究してるのに茂木さんは
何時になったら天才になるんだろう
225 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:09:37.85 ID:+Noqicex
ポストイットの話、テレビでみるの何回目だろう・・・
253 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:10:22.78 ID:mht3jJcF
『水にいい言葉を言えば美味しくなる』っていうのも、こいつが言えばみんな納得しそうな
雰囲気だな…。うーん、マジで危険。
281 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:11:41.28 ID:t22FgSql
そりゃ成功以外は全部失敗だわな
失敗の積み重ねで成功がある
301 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:12:19.88 ID:ExDzducq
このおっさん言う事が全部結果論wwwww
389 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:14:39.32 ID:LIut5OSI
カッターは何の失敗でも無いただの発明じゃん・・・
404 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:15:07.93 ID:1NF/yrqS
セレンディピティが舞い込むかどうかも結局運じゃねぇかよ…。
425 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:15:36.83 ID:L9QJm7px
セレンディピティじゃなくて、偶然でいいじゃん。
511 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:17:55.29 ID:YJ4MtNrE
これ
苦情モノだろ
なんてふざけたこじつけ番組だよ
どんな閃きにも過程や境遇ってもんがあるだろ。
それを強引に関連させて後付けしただけじゃねえかよ
536 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:18:13.10 ID:mht3jJcF
成功には他にもいろんなファクターがあるのに、セレンディピティという耳障りのいい
(誤用だが)言葉で一括りにすることによって全てのことを説明しようとしている所が
新興宗教臭いんだよな。
653 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:20:35.45 ID:yOrMnJIl
さっきからちょっとセレン何たらとずれてないか?
ノーベルぐらいから
690 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:21:40.51 ID:RszDuMrb
安全基地は全然最新じゃなくて、心理学では愛着の理論で昔から使われている概念
728 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:22:41.69 ID:TyxuB9vz
偶然発見した人 → セレンディピティが有る
偶然発見しない人 → セレンディピティが無い
という結果論で有る無し言ってる事自体が実にクダラナイw
64 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:33:30.71 ID:uzq0NgSv
セレンディピティを起こす、セレンディピティを掴む、って言葉の使い方間違ってるだろ・・
85 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:34:01.20 ID:9r7/qR/2
格言を言い合う番組かよ
145 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:35:44.64 ID:4RgpDSOm
結局みんな元々頭いい人ばっかりじゃないか
337 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:41:17.05 ID:Bx9e1nAx
既に偶然じゃない件
388 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:42:43.62 ID:fmwODSvN
学者褒めてるだけですやん
402 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:43:01.46 ID:y3/dPfJ0
結果論をかっこよく言うの止めにしないか
585 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:47:11.59 ID:yUXWUXYX
全部こじつけじゃないかwww
586 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:47:12.31 ID:AQhP4lX9
んで茂木はなんでこんな誇らしげなんだ?
700 :名無しでいいとも!:2009/02/25(水) 21:50:15.47 ID:IcuREafw
ノーベル賞とか巨万の富とかに、乗っからないでさ、
そんなの幾らでも、やっているだろう。脳科学者のヒラメキとし、手抜きするなよ。
地道に努力してスゴイ功績を残しているけど、表に出ない人とかを丹念に探して取上げろよ。
出会いの現場なんて言うなら、出会いを表現しろよ。
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2年も前の記事で申し訳ないんですが、今更見つけてしまったので早速活用してみました。
前に、自前で作ったことはあるんですけどね。
モデルは、もちろん、あの方とあの方です!
ソフトで作成した後、多少加工しています。
まあ、悪くないデキじゃないでしょうか。
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ぼくは、この本は「リトマス試験紙」だと
思う。
その通り。
『日本語が亡びるとき』ってホントに「何とかホイホイ」だよなあ。
モッチーとかダンコーガイとかモギケンとか、XXXXな人(表現自粛)が引き寄せられる。
「何とかホイホイ」をもう一つ。
ワトソンの考えたことが、科学的仮説として正しいかどうかということが問題なのではない。ただ一つ確かなのは、夜の海の体験のリアリティ。ワトソンは、それを信じた。未知の何ものかを自らの世界観の中に取り込もうという開かれた感性。全く同じ風景を見て、「ああ、イカが光っているのか」と片付けてしまう人もいるだろう。それでは、出会いの本質は失われてしまう。
「科学的仮説として正しいかどうかということが問題なのではない」って。
ポエムが書きたいなら、さっさと科学者の看板降ろしな。
このセリフを見ると、「百匹目の猿」騒動のときのライアル・ワトソンの言い訳を思い出すねえ。
忘却からの帰還 「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson
Watsonは続いて「百匹の猿の起源と進化についてのAmundsonの分析を何らの留保なく受け入れます。Amundsonが正しく示したように、あれはほんのわずかの証拠と多くの伝聞を基に私が創ったメタファー(比喩)です。私は偽りを述べてはいません。私の結論は、Amundsonが私を論破するために用いた5つのソースに基づいていません。厳密に逸話としてあの現象についての証拠を慎重に記述しています。「生命潮流」の引用文献は、何かの論拠とするためではなく、私がいつもやるように道具、および有用な背景情報へのアクセスのためとして提示したものです。」
科学じゃなくてメタファーである、と。
そう言えば、日本にも似たようなことを言った人がいましたっけ。
水からの伝言はポエムだと思う。科学だとは思っていない。僕は科学者ではない。単なるロマン的なこと、ファンタジー。
科学じゃなくてファンタジーだ、と。
茂木健一郎も、そのうち「クオリアの解明に科学的な意味はない。ファンタジーなんだ」とか言い出したりして。
で、ライアル・ワトソンなんですが、福岡ハカセも新著『動的平衡』で性懲りもなく持ち上げてました。
ライアル・ワトソンも「何とかホイホイ」ですな。
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茂木健一郎が「世界で一番受けたい授業」で「アハ・ピクチャー」とかやってたみたいなんですが。
「現在、世界的に脚光を浴びている脳科学者、茂木健一郎先生が登場!」(笑)って、ちょっとどうなのよ、という話はさておき。
下條信輔の『サブリミナル・インパクト』を読んでいて気がついたんだけど、アハ・ピクチャーの元ネタってコレかな?
そのうち、茂木健一郎の元ネタのまとめ記事でも書いてみましょうかね。
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「賛否両論」って割には、「賛」の方が全くないのには笑ってしまうが。
媒体が「日刊ゲンダイ」で、引かれているのが大槻教授と斎藤環の発言っていうのもビミョーな感じだが、批判がマスメディアに現れるようになったこと自体は歓迎しますよ。
とは言え、大槻教授や斎藤環といった専門が違う人間の発言よりも、「同業者」がどう見ているか、ということの方が気になりますね。
ということで、以下を参照。
Procrastinator's column とうとうマスコミでも批判が
SfN(北米神経科学会)の学会会場でも見かけたけど、いつも床に座ってマックで何か書いているか読んでいるかだった。内外に認められている存在であれば、もっとも規模の大きい世界中から研究者が集まる学会なのだから、ポスター発表者やその他の研究者と熱心に議論していたりする姿が見られてもおかしくないはずなのだが・・・。
また、彼の語る「脳科学的には-」の知見のうち、彼が実験したもの研究したものはほとんどないというのも問題があるように思う。論文自体、彼がfirst author(論文で表記される著者名で、もっとも最初に書かれている人のこと。その論文の実質的な代表者・責任者であるとみなされる)であるものがないし、彼がどういう実験をして、どういうことを明らかにしたのか、見たことも読んだこともない。
茂木健一郎という「タレント」の実態がよく現れていますな。
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実家に置いてあった昔読んだ本から、学研ユア コース シリーズ『スイスイ頭のよくなる本』を持って帰ったんですけど。
なぜこの一冊だけを持って帰ったかと言うと…。
基本的にはパズルの本なのだけど、コラムのようなものが何箇所かあって、その中にこんなことが書いてあるのです。
(クリックで拡大)
目、口、手のフル活用--目で追うだけでなく、覚えることを話しながら、メモしながら記憶したほうが、ずっと効果がある。
「鶴の恩返し学習法」だ!
一つのことにいきづまったら、ほかの問題を考えてみたり軽い運動をしてみてりと、適度に頭の切りかえをする
「プロフェッショナル 脳活用法SP」で、そんなこと言ってたなあ。
それから
(クリックで拡大)
自信を持つことの大切さ
「根拠のある自信を持て」ってことですね。
いきなり高い目標を与えられた集団より、ちょっと努力をすれば届きそうな目標を与えられた集団の方が”やる気”をどんどんおこし能率をあげたのだ。
何か、同じようなことが、茂木健一郎先生の本に書いてあったような。
この本の初版は昭和51年、つまり1978年に出ています。
要するに何が言いたいかと言うと、茂木先生が薦める勉強法は、私が小学生のときに読んだ本に書いてあるようなことばかりだってことです。
おまけで、もう一つ面白いものを。
マーティン・ガードナーの『aha! Insight ひらめき思考』。
これもパズルの本ですね。
初版は1983年に出ています。
「アハ体験」って言葉自体は、別の元ネタがあるみたいですが、パズル的なものに結びつけたのは、これが元になってるのかも。
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青空文庫で末弘厳太郎の「嘘の効用」を読んでいたら、こんな文章が。
私は法律家です。ですから、専門たる「法律」以外の事柄については――座談でならばとにかく――公けに、さも先覚者ないし専門家らしい顔をして、意見を述べる気にはなれません。法律家は「法律」の範囲内にとどまるかぎりにおいてのみ「専門家」です。ひとたびその範囲を越えるとただちに「素人」になるのです。むろん「専門家」だからといって絶対に「素人考え」を述べてはならぬという法はないでしょう。けれども、その際述べられた「素人考え」は特に「専門」のない普通の「素人」の意見となんら択ぶところはない。否「専門」という色眼鏡を通して、物事を見がちであるだけ、その意見はとかく一方に偏しやすい。したがって普通の「素人」の意見よりかえって実質は悪いかもしれないくらいのものです。しかも世の中の人々は、ふしぎにも「専門家」の「素人考え」に向かって不当な敬意を表します。普通の「素人」の「素人考え」よりは大いにプレスティージュをもつわけです。例えば、世の中には無名の八公、熊公にして、演劇に関する立派な批評眼を具えているものがいくらもいます。ところが、何々侯爵とか、何々博士とかが少し演劇に関して「素人考え」を述べると、世の中はただちにやれ劇通だとか芝居通だとかいって変に敬意を表し、本人もいい気になって堂々と意見を公表などします。侯爵や博士のくせに芝居のことも人並みにわかる珍しい男だというくらいならばともかく、その男がさも「専門家」らしい顔をして「素人考え」を憶面もなく述べるのをきくとき、また、世の中の人々がこれに特別の敬意を表するのをみるとき、私は全く不愉快になります。かくのごときは実に一種の「不当利得」にほかならないと私は考えています。しかし世の中の「専門家」はとかくこの点を間違えやすい。世の中の人々も、普通にその同じ間違いを繰り返して「専門家」の「素人考え」を不当に尊敬します。私は全く変だと思います。
私の頭にどういう人達の名前が浮かんだか、分かりますよね?
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新年早々、茂木健一郎先生が私たちのような凡人の脳ミソをぶっ飛ばすような刺激的な発言をしていらっしゃいます。
2009年混沌の先
バブルはひらめき、脳科学で読み解く経済危機茂木 健一郎氏 脳科学をやっている立場からすると、ネットワーク構造で結びつけられた社会において、バブルの発生と崩壊は避けられないのです。
脳の中にもバブルがあって、一番時間的に短いバブルは0.1秒のひらめきです。これはバブルと非常に似たようなグラフが描き出されるのです。神経細胞の活動が「ビュン」と上がって下がる。
バブルのあの価格変動と全く同じです。その0.1秒の間だけ、神経細胞の活動が急激に高まって低下するのですね。そのことによってひらめきが起こり、新しい学習が生じます。
さすが、茂木健一郎先生です。
バブルを脳科学の言葉で説明すると言う独創性。
経済学や脳科学というジャンルの壁をものともしないスケールの大きさ。
まさにノーベル賞クラスの理論です。
我々は旧態依然とした経済学にしがみついたままではいけないのです。
パラダイムの転換です。
エピステーメーの拡大です。
経済学者は、旧来の枠組みに囚われず、経済学と脳科学の融合に真剣に取り組むべきです。
―― 経済的なバブルも発生するメカニズムは後講釈ではいろいろと言えますが、結局の所なぜ発生したのか、分かったようで分からない面があります。
茂木 脳のバブル発生のメカニズムを解明しようと努力している立場から言うと、経済的なバブルに至るメカニズムをコントロールすることは不可能だと思います。
ではどうすればいいか。それは、ただバブルに慣れればいいと思うんですよね。
茂木健一郎先生から、バブル崩壊の処方箋をいただきました。
実に貴重でありがたいことです。
日本の、いや、アメリカやアメリカ経済の影響下にある国の経済政策に携わる人間は、茂木健一郎先生のところに飛んでいって教えを請うべきです。
それが、この混沌とした21世紀の世界を救うための唯一の道です。
―― スケール・フリー・ネットワークだと所得の格差が生じやすいのですか。
茂木 直感的に言うと、例えばみんなが同じ組織に属していて、その組織の中で決まっている給与をもらっているなら、そんなに差は生じないですよね。でも、これが例えばみんながフリーランスになって、いろいろなところから自由に仕事をもらって仕事をするようになると、腕のいい人と、悪い人でものすごい差ができてしまいますよね。
ちょっとそれに似たようなメカニズムでグラフ構造というものがあります。点と点が線で結ばれてつながっていくようなものをグラフ構造と言いますが、グーグルの創業者のサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、インターネットを史上最大のグラフ構造だと思って解析して、グーグルをつくったわけです。そのグラフの結びつき方が人によって変わってくるので、それで副産物として所得格差が生じてしまうのです。
さすが、茂木先生。
やっぱり、「スケール・フリー・ネットワーク」は現代社会を読み解くためのキーワードですよね。
なんだか、世の中の大概のことは脳科学とネットワーク理論と複雑系で説明できるような気すらしてきました。
それにしても、日経ビジネスはGJ。
脳科学者に経済について語らせるとは。
他社とは一味も二味も違います。
これからも、レベルの高い記事の提供をお願いいたします。
(追記)
愚堂さん、もしこれをお読みでしたら、是非忌憚のないご意見をいただきたいと思います。
私、何かおかしなこと言ってますでしょうか?
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あちこちにコメントをいただいてますが、まとめでこちらで。
本来ならば、一つ一つのコメントに対してお答えすべきなんでしょうが、正直に言って、私には、愚堂さんと議論することに意味があると思えないのです。
コメントの内容から、愚堂さんは茂木氏のファンであると見受けられます。
私がこのブログで、茂木健一郎の批判をしているのは、「茂木健一郎って、何かうさんくさいんだよな」とか、「茂木健一郎って、色んなところで目にするけど、一体どういうことを言ってる人なんだろう」と考えている人に向けてのことです。
茂木ファンの方をを折伏しようとか、議論で勝とうとかいう風には考えていませんし、それが可能であるとも考えていません。
そんなことをしようとするのは時間の無駄であると考えています。
愚堂さんにとっても、このような無名の人間のブログなどのために時間を費やすのは、無駄なことではないでしょうか。
お互い、無駄なことに時間を費やすのは止めにした方がよいのではないでしょうか。
そのような訳ですので、愚堂さんとの議論は遠慮させていただきます。
無責任な愚論を撒き散らす、言いっ放しのブログだと思っていただいて構いません。
不誠実な態度だとご不快になられたなら、申し訳ありません。
謝ります。
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茂木健一郎が吠えたそうです。
傷つかない場所に自分を置いて
正論を吐くなと。
ゴメンナサイ、ゴメンナサ~イ。
茂木、ひとり 対 観衆300?
誰ひとり、茂木に対論する者はいなかった。
それは「傷つかない場所に自分を置いて正論を吐」いたからじゃないかと…。
他人からの借り物の言葉ではなく、
自分自身の言葉で話せよと。
……。
茂木の怒りは、つまりは、大きな人類愛だ。
アハハハ(虚ろな笑い)。
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ビートたけしが新解釈!ニッポン人の現代史『2008を総決算!大混迷の原点は…1980』
混迷の2008年を知る為に現代史を振り返る▽百恵引退の年…道に落ちてた1億円がリーマン不況の原因?▽時代で変わる“脳”…茂木が無差別殺人分析▽激論…鳥越VS阿川
混迷の2008年を知るため1980年~2008年を振り返る▽百恵&王引退の年…道に落ちてた1億円がリーマン不況の原因?▽時代で変わる“脳”…脳科学者・茂木が無差別殺人分析▽激論…鳥越VS阿川VS茂木VS森永
出演
ビートたけし、鳥越俊太郎、茂木健一郎、阿川佐和子、森永卓郎
モギケン・ウォッチャーは要チェック。
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「正論」1月号から。
茂木健一郎の発表。
茂木 私は脳科学をやっており、どうしてもグローバリズムと闘わざるを得ない定めにあります。クローバリズムと闘うことは自分の出自、アイデンティティを忘れることではないと考えています。では、私から見て日本的可能性の中心はどこにあるか。それは生命哲学です。私は今後も、自ら発見した視点を発表していきたいと思っています。日本語はもちろん、英語でも発信したいと考えています。
出た! 「生命哲学」。
例えば本日の会場である明治神宮ですが、ここは明治大帝が亡くなられたあとに三百六十五種の木を植林して出来、今日では原生林のような風情を見せている。私は代々木から原宿に向かってよく明治神宮の森を歩くのですが、北参道に夏になると「光の川」が出来るのをご存じでしょうか。参道の両側に梢がせり出して、真ん中からちょうど太陽が直接差し込むのです。木漏れ日はありますが、暗いなかを光の川がすっと延びている。とても美しい光景です。これを美しいと感じる感性が日本人の自然観を象徴するものでしょう。私たちは自然を放ったらかしにはせず、丹念に整えるのですが、ベルサイユ宮殿の庭園のような幾何学的なものは好まない。自然の成り立ちに寄り添って計算しない美を考える。まったく彼我の間で美に対する感覚が違うのです。
本居宣長が「もののあはれ」ということを言いました。私も宣長は大変好きです。文化勲章でいうと、百個分くらいの仕事をした人だと思う。というのは彼の仕事は、科学的な立場から見ても大変なものです。日本人はシステムをオープンな形で捉えて、そのなかで規則的なものと偶然のものとを巧みに織り交ぜる。いわば「偶有性」を培い、発揮していくと言っていい。宣長の仕事である「もののあはれ」は、科学的に言えばそういう「偶有性」に通じるものがあり、これは日本固有の感性であり、思想と言えます。
「文化勲章でいうと、百個分」とか「ノーベル賞、百個分」とか、この人、表現が貧困だね。
問題は、そのことが世界的によく知られていないことで、大変な損失だと思います。特に今日のように地球環境問題がクローズアップされているなか、ヨーロッパ流の考え方では全てを人為的にコントロールしようとする。そのような文明が行き詰まりを見せる状況下、日本人の生命の根幹に対する洞察は、私たちが自覚している以上に普遍的価値を持っていると思っています。
もうひとつ。日本古来の発想様式に「何かを秘する」ということがあります。これもとても面白いものです。例えば伊勢神宮の御霊代は八咫鏡です。ところが、それがあるのか、ないのか。模造の神鏡は宮中の賢所に奉安されていますが、あるならどこにあるのか。これは語らない。これは″秘仏″という考え方が関連しており、日本でだけ発達したものです。秘仏は六十年に一回ご開帳して、そのときだけ拝顔可能なものもありますが、絶対秘仏もある。例えば長野の善光寺の秘仏は絶対秘仏です。誰も見たことがない。どうもぐるぐる巻きになってそのなかにおられるようですが、誰も見たことがない。
秘仏という思想がなぜ日本で発達したのか。これはとても凄いことなのです。例えばハリウッド流のCGでサンタクロースを描く。赤い服を着て温和に微笑む少し太めの男を描いて「これがサンタクロースです」と見せられて、皆さん信じますか。納得しますか。実はサンタクロースというのはどこにも存在しないからこそ、リアリティがあるのではないでしょうか。
つまりご本尊である仏様の姿を秘仏という形で敢えて見せないことで無限の可能性を拓く。これは私たちにとってあまりにも当たり前の発想なのですが、この知恵は途轍もないものなのです。
サンタクロースにリアリティを求められても…。
大体、なんでサンタクロースと秘仏を比較するかね。
比較の対象がおかしいだろ。
私は日本語が大好きだし、素晴らしい言語だと思っています。しかし、一方で私は日本語に対してアンビバレントな感情を抱かざるを得ない。日本語で表現すること自体がモラルハザードを内在してしまうのです。つまり日本語で書いた瞬間に読み手は日本人になってしまう、内なる言語になってしまうのです。ハッキリ言って悔しい。これだけの宝物があるのに、と思うのです。
私は英語万能主義ではありません。英語で書くことはありますが、そのときいつも日本語で込められる機微やニュアンスを英語にする作業にいつも苦しみます。これは我々が背負った十字架です。
「日本語で表現すること自体がモラルハザードを内在してしまう」って。
「モラルハザード」の意味、分かってる?
漫画とかアニメーションといったサブカルチャーは世界を席巻していますが、ではハイカルチャーはどうか。我々の周りには素晴らしい思想家はいるのに、英語をベースに活動している人たちほどには読まれない。日本語という壁があるためです。
グローバリズムの荒波のなかで私たちは右往左往する必要はない。幕末当時、加賀百万石に住む人たちは「私たちにとっては江戸に徳川某がいようが関係ない。前田の殿様が一番だ」と考えていた。この気概ですね。今は何でも東京に傲う風潮が多い。
いたずらにスケールの大きさを求めるのではなく、自分の内なる基準や倫理観を日本人はしっかり持たなければならない。これは英語で私たちの価値観を広く発信していくことと決して矛盾しない。出来損ないの日本像をつくるのではなく、我々自身の本当の姿を伝えるべきです。そのためには右往左往せずに、私たちの内なる基準を本気でつくりあげる。
「右往左往する必要はない」って言ってる割には、思いっきり右往左往しているように見えるのだが。
私が産経の連載で取り上げた夏目漱石は、英国の栄華を見て本気で小説に取り組んだのです。だから欧米にひけを取らぬあれだけの作品を残せたのだろうと思う。本気でやるということがポイントなのです。
「本気でやるということがポイント」って、つまんない結論だな。
以下、討論に。
日下公人の
京都大学の山中伸弥教授が万能細胞を開発しました。受精卵というのは成長とともに分化して、骨や臓器など異なる組織が次々出来て人間になっていく。それは受精卵の細胞には全能性があると言います。ならば分化を重ねて内臓や骨、大脳をつくれるのではないか。しかし、ヒトの受精卵を直接使うと倫理上の問題が発生する。そこで山中さんは既に分化した皮膚の細胞を初期化(バック)させて全能ではなく万能の細胞を開発するという画期的な仕事をやってのけたわけでらす。この初期化という考えは、日本人に極めて近い発想に基づいている。つまり、欧米などのキリスト教圈では人間とは神がつくったものである、神の御手の秩序は進歩のみを生み出すという思いこみがまずある。初期化という発想自体が神の生み出す秩序とは対極にあると言ってもいい。
しかし、それはとんでもない思いこみに立っていると思う。日本人はそうした思いこみから解放されていますから、既にできあがった組織を退化させれば万能細胞が生まれるという根本的な発想の転換が柔軟に生まれるわけです。
という発言を受けて
茂木 ユーモアを交えた日下さんのお話には感服致しました。たしかに生命科学の分野で日本人の感性を発揮する場面はこれから沢山あると思います。というのはキリスト教の世界観というのはそこからニュートンの機械論的宇宙論などを生み出したわけですが、それではどうしても生命という分野を扱えない。そういうジレンマを抱えているのは事実で、その意味で日本人が生命科学の分野で活躍する可能性は大いにあると考えています。
西洋の人間には「生命という分野を扱えない」そうです。
日本人、スゲー。
渡辺京二氏という文化人類学者が『逝きし世の面影』という幕末の頃の日本に関する本を書いていますが、ある事柄の本質は外から見ないとわからないことがあるのです。決して日本の本質とは、私たち日本人だけがわかっていると思いこむ必要はない。外からの眼を当てにして右往左往するのは愚かしいけれど、あくまでも我々が、「私たちの内なる基準」を追求した結果、ミシュランのようなフランスのガイドが認めてくれたというのが一番美しいのかなあと思います(拍手)
発信したいのか、発信する気がないのか、どっちなんだろう。
茂木 本当にそうですね。今、櫻井さんがおっしやったことは実に大変な問題だと考えています。華道や茶道もそうです。私は武者小路千家の官体庵に行き千宗匠さんのお茶席に招かれるまで、千利体がやろうとしたことがわかりませんでした。それがそのとき、初めてわかった。本当に驚愕する思いでした。要するに広がっているものをいくら見たところで本質的なものは-私の言葉では、それをクオリアというのですが-わからない。柔道もそうでしょう。いくら国際試合を見ても、柔道の原点にあった美意識はわからない。同じようなことは沢山ある。
伊勢神宮もそうで、いろいろな人がいろいろなことを語っていますけれど、やっぱり実際にお参りをしてみないと絶対にわからない。仮にお参りをしても、妙な思い込みが少しでもあれば、全くわからない。私は本当に凄いと思った。伊勢神宮に参拝したとき、全ての現代美術は敗れたと本気で思いました。それくらいの衝撃を味わいました。でもそれは私がいくら語っても、流通している数多くの本を読んでもわからないのです。
現代美術、敗れたり!
結局、伊勢神宮がどう凄いのか、さっぱり分からないんだが。
今日のシンポジウムですが、一貫して問題になっているのは、日本人自身が日本人の価値を知らないことです。実は我々自身が本物を知らない。それが「君に伝えたい日本」ということだと思うし、メディアの責任も重い。櫻井さんもテレビのお仕事を長年なさってきましたが、本物を伝えるという意味で、テレビには限界がありますね。
また、他人事のようにテレビ批判ですか。
茂木 今日は脳科学者としての発言がありませんでした(笑い)。脳は楽観的でなければちやんと働きません。みなさん誰しも平均余命より長く生きると思っていますが、統計上はおかしな話なのです。つまり人間はそのくらい図々しくなければ脳がちゃんと働かない。私が最も心配しているのは、日本人は将来に対して悲観的過ぎるのではないかということです。極端にいえば前頭葉楽観回路がちゃんと働かなければ僻になりますから、あえて「根拠のない自信を持て!」と(笑い)。これがあれば明るいと思います。
日本はこれだけ凄い!と並べ立てておいて、結論は「根拠のない自信を持て!」ですか。
何か全然筋が通ってないような。
(追記)
参考までに。
風景の原型は、人類全体に共通の元風景を出発点として、地球上の至るところでしばしば類似点を見せる動機づけの影響を受けてはいるものの、相異なるさまざまな風景に分化してきた。これらの風景は相互に共通するものをあまりもたないように感じられる。こうした差異が存在するために、われわれは諸文化問のコントラストを過大評価しがちであり、時としてそれらの間に単純きわまる二項対立をもち込み、絶対的な対立物を明確なものにしようとして現実を戯画化してしまうほどである。この種の悪癖は「日本人論」に頻繁に見られ、そこでは日本人のアイデンティティが西欧文化との二元的な対立として定義されることが多い。特にしばしば、それも絶対的なものとして対立させられるのは、日水庭園とフランス式庭園である。
図式的に見ると、このふたつのタイプの庭園がほぼ正反対の空間性を表現していることは事実である。全体的なパースペクティヴと部分的視界(展望)、対称と非対称、直線と不規則な曲線、幾何学的秩序と場所への適合、支配的眺望(ヴェルサイユ宮殿のテラスのようにトから下へと見下ろす眺望)と被支配的眺望(心砿獄の縁側から東山の彫果に向かうような、下から上へと見Lげる眺望)等々を指摘できる。
したがって図式的にはこれらふたつの空間の捉え方には、共通点は存在しない。ヴェルサイユ宮殿やヴォーの庭園と無鄰菴や桂離宮は、環境に対する人間の趣味を表わすものとしては、その考えられる表現の幅の両極端に位置するものといえよう。前者の場合は自然を征服すること、後者の場合は自然を尊重することが問題となるのである。
しかし現実には事情ははるかに複雑である。どちらのタイプの庭園も「自然」といえるような客観的実体との関連で規定されてはいない。どちらも人間の考えだした自然というものを、それなりのやり方で表現しているにすぎない。そしてどちらも人間の営為、すなわち自然環境の人為的変形によるものである。これは桂離宮にとってもヴェルサイユ宮殿にとっても同様であり、あるいはソウルの秘苑についてもあてはまることだが、しかし韓国人は秘苑を例にとって、自分たちの美意識はもっとも自然を尊重するものであると言う。周知のように日本人も自身の美意識について同じことを言っている。スウェーデン人、中国人もまた然り。そして彼らの庭園が、彼らの文化に固有の自然についての概念を表現している以上、誰もが正しいのである。その点にこそまさに普遍的な規則があって、その規則のなかに原型的な動機を突きとめることができる。しかしながらこの動機の表現はそうとうに異なった形をとることがある。
別の文化から見ると、これらの異なる表現は人為的で、したがって自然に反するように見える。そのため他の文化は自分の属する文化ほど自然を尊重してはいないと、簡単に結論を下してしまう。同様にひとつの文化の枠内でも、こうした表現は変化して行き、同じ原型的な動機から出発した先行表現を人為的と感じさせてしまうことがある。フランス式の庭園が日本人には人為的と見え、日本庭園が韓国人にはやはり人為的と感じられるのとまったく同じである。
一八世紀の英国・中国式庭園(かの「シャラワジ」趣味)の愛好家にとっては、ル・ノートル (1613~1700)の庭園の秩序だった構成は、反自然的に見えるだろう。けれどもル・ノートルにとっては、逆にこの規則性が宇宙の深遠な掟、すなわち自然の本質自体を意味し「神に授けられた権利」によって宇宙論的な秩序のなかで確立するとされ、自然に関する科学が近代的な発展を開始した時代であれば当然の発想といえよう。ガリレオは一六二三年に、自然は数学の言葉で記述されていると断言してはいなかっただろうか。
(略)
時代が下ると今度は英国・中国式庭園が装飾過剰、つまり「建物」過剰のものとして人為的に感じられるようになった。たとえばレ〔Retz パリ郊外、サン=ジェルマン=アン=レ近くにあった一八世紀の英国・中図式庭園〕においては、廃墟を模したゴチック教会、ピラミッド(氷室に用いたもの)、「中国風の民家」、オベリスク、円柱形の家などがあった。
こうして文化の違いと歴史上の変化により、庭園と風景に関する趣味はたえず変わってきたが、一方風景を眺め、庭園を整備する人間はしばしば同じ理想を掲げてきた。すなわち自然の本質を尊重し表現するということである。(略)
『日本の風景・西欧の景観』オギュスタン・ベルグ
(さらに追記)
もう一つおまけに。
空間と眺望を水平的に拡大しようとする衝動が、もっともぜいたくなかたちで表現されたのは、さらにあとであり、それは北西ヨーロッパの平坦な景観の中においてであった。アンドレ・ル・ノートルの芸術は、人間が自然に対して審美的な嗜好を押しつけることができるという信念の風刺画を作り出した。庭園は見せるためのものとなった。それは人間を称賛した。ヴェルサイユ宮殿の王の寝室から、フランスの太陽王は長くのびた中央の眺望をすっかり見渡すことができた。その眺望は、平坦な一面の水と歩哨のような樹木によって、さらに長く見えるように作られていた。左右対称的なデザインにおける、このような人間の意志の表示には、自然と神性に関する感覚はもはや残っていなかった。ヴェルサイユに神や女神の彫像が欠けていたのではない。それらはただ、人間の観念への無情な隷属状態の中で、従僕のようにおとなしく傍観していたにすぎなかったのである。大臣たちがルイー四世に、国庫の金を減らしかねず、さらに地形の障害をも克服しなければならない計画には乗り出さないよう進言した時も、王は思いとどまることがなかった。「困難の克服においてこそ」と、彼は悦に入って述べた、「われわれの力が明らかとなる」。イングランドもまた、ヴェルサイユ型の雄大な景観を自慢することができた。もっとも野心的な計画をもったものの一つは、二〇本の放射状の通りが田園のなかにずっと延びている、バドミントンのビューフォート公爵の地所であった。公爵に目をかけてもらおうと願ったあるジェントルマンたちは、公爵の眺望を広げるために自分かちの地所に本を植えたと言われている。
一八世紀には、イングランドでいわゆる自然造景が普及した。自然景観は、普通の景観と同様、芸術作品であり、かつ技術者の功績でもあった。それは、直線や大きな通りや線状の池を避けたが、しかし人目を引く好ましい眺望への意図は変わっていなかった。ただそれを達成する手段だけが、より巧みになったのである。例えば、ランスロット・ブラウンは、後退する遠景(パースペクティヴ)を強調するために、両翼の遮蔽に木立を利用して、家からの眺望も考慮したので、その自然庭園には、左右対称な庭園よりももっと特権的な眺望点がたくさんあった。
『トポフィリア』イーフー・トゥアン
モギケンってケンブリッジに留学してたのにねえ。
なんていうか、モギケンってあまり教養ないよね。
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さて、「日本人の脳を活性化するっていうことについての文化は大嫌い」「答えの決まっているドリルをやればすむっていうのは、おかしいでしょ」と宣った茂木先生なんですが、これが川島隆太に向けられた批判であることは容易に推測できますね。
そんな茂木先生も、「文藝春秋」5月号では、こんな発言をしておられます。
――茂木さんの近著「脳を活かす勉強法」と、川島隆太・東北大教授が提唱している「脳を鍛える勉強法」とは、同じ脳をキーワードにしていても内容はかなり違うように思います。『脳を活かす勉強法』で最も強調したかった点は何ですか。
茂木 「脳を活かす勉強法」と「脳を鍛える勉強法」は互いを否定しあうものではなくて、それぞれ脳科学の別の側面に注目しています。つまり、脳の学習には大きく分けて「教師ありの学習」と「教師なしの学習」の二つがあるわけです。「教師ありの学習」は、ドリル系の「脳を鍛える勉強法」のようにあらかじめ正解が決まっていて、間違った出力(解答>をすると、教師が誤差を教えてくれるものです。学び手はその誤差を減らすように学習していきます。一方、「教師なしの学習」は、何が正解か決まっていないことがらについて学んでいくものです。脳には報酬系という価値観をつかさどる部分がありますが、価値にはそもそも正解がありません。その正解がない分野をどのように学習していくかというのが、強化学習をはじめとする「脳を活かす勉強を」なのです。昨今、一般の方向けにつくられたポピュラー・サイエンスの本やテレビ番組では、「教師ありの学習」ばかりが脳科学として認知されていますが、脳の学習には「教師あり」も「教師なし」もあることを知っておかないと、偏った理解になってしまいます。もちろん、川島先生は、このようなことはご存じです。脳科学の常識が、一般にどう伝わるかということが問題なのです。
(略)
――脳を「鍛える」こと以上に、「育む」ことが重要だということですね。
茂木 脳をどう「育んでいくか」ということが、現代の世界においては最も重要なテーマだと思っています。ただし、どちらもバランスよくこなすことが大切です。こうすれば脳が鍛えられる、とか日本人はすぐにたった一つの解を求めたがるのですが、脳にかぎらす何でもバランスとコモンセンスが一番大事ではないですか。子供の教育を例にとれば、〈読み書きそろばん的な教育〉と〈総合学習的な教育〉のどちらが重要かという論争が長年行われていますが、脳のしくみから考えると、どちらもやらなければいけない。脳というのはバランスの芸術ですから、どちらかを百バーセントにしてはいけないんです。
何か、言ってることがずいぶん違うんですが。
「脳科学の常識が、一般にどう伝わるかということが問題」。
ナルホド、おっしゃるとおりですね。
それじゃあ、日経サイエンスの対談で伊勢田さんの問いから逃げちゃったのは何なんでしょうか。
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「週刊アスキー」新年特大号より。
神足裕司(こいつも大嫌いなヤツだ)との対談。
神足 たぶん、それは強迫されているのかもしれないですね。アルツハイマーみたいになると、物忘れの数が増えるって、いつもテレビで教えられてるから。物忘れが激しくなると病気なんじゃないかと思ってしまう。
茂木 テレビってメディアは、ひどいですねぇ。
神足 ええ、そうですね。
茂木 って、言いながら神足さんだってテレビに関わってるじゃないですか。
神足 ハッハッハ。
どの口でそういうことを言うのかと。
「日経サイエンス」での対談から。
茂木 その点, かなり慎重に話しているつもりですが, テレビ番組の場合, 収録した内容全部が放送されるわけではありません。自分で, 全体の論旨をコントロールできないという問題がありますね。
伊勢田 それは理解できますが, そのような場合は出演しないという選択肢もあるのではないですか。
茂木 それもひとつの選択肢だと思います。メディアに登場する科学者の見識に任されている面もあるので, 私も注意しているつもりです。ただ, 科学的なエビデンスとしていえることはきわめて限られていて, しかも科学的であると判断するための境界線にもグレーゾーンがある。その違いは相対的なものです。
おまけに
茂木 神足さんだって、中産階級じゃないでしょ(笑)。でも、脳の働きから言うと、フリーランスのほうが全能的な活性化が進むというか、総力戦になるから人間的にも成長する可能性が高いんですよ。(略)
と言ったそばから、
茂木 実は、日本人の脳を活性化するっていうことについての文化は大嫌いなんですよ!
神足 ハハハ! いま、よくやってるやつ?
茂木 大嫌い。僕のPHP研究所から出している本は、それに対するアンチテーゼなんです。つまりね、答えの決まっているドリルをやればすむっていうのは、おかしいでしょ。中学生にだってわかるよ、そんなんじゃ世の中わたれないっていうのは。
って、どの口で(ry
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もう一つおまけに。
a day in the life of mercy snow経由で。
イーガンの新刊から。
そのとおり。あんたたちが望み(あんたたちはまだそのことを知らないんだが)、その結果、容赦なく(あんたたちはたぶん抵抗するだろうが)あんたちちにあたえられるべきもの、それはもっと大きな脳だ。
付加メモリ! 付加処理能力! いますぐアップグレードを!
昔とは逆にコンピュータのメタファーで脳を売りこむわけ。
『TAP』は帰省中に読む予定。
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この際なので、取り上げようと思っていて忘れていた記事を。
「中央公論」12月号の、岡崎武志による『脳を活かす仕事術』レビュー。
(略)
あるいは仕事を始める時はいきなり「本題に入り、アクセルを思い切り踏み込む」ことを勧め、これをかつての悪役プロレスラーになぞらえ「タイガー・ジェット・シン仕事術」と命名。脳科学、なんて言われると眼をつぷりたくなるが、茂木の本を読むと、頭蓋が透明なプラスティックと化し、脳の運動が目に見えるようだ。
じつは、脳を筋肉みたいに鍛える方法を説いた本は過去にもあった。品川嘉也『頭が突然鋭くなる右脳刺激法』(青春出版社)がそれで、一九八八年度のベストセラー。脳を左右で分け、その働きの違いを次のように説明したのがこの本の大きな特徴。
「右脳はイメージ、絵画、音楽、ひらめき、さらには総合的判断といった領域の能力をつかさどり、左脳は、言語、論理、代数的機能、そして分析的記号的判断といった、ビジネスにおいては、ある程度機械に代行させられるような能力を分担している」
とたんに、「右脳人間」「左脳人間」とみんながうるさいぐらいに言い出した。「脳」についての本がベストセラーになったのは、私の知るかぎりこれが初めて。
なにしろ、「脳」という、目に見えず、触れもしない不可触領域に鍬を入れたのだから、衝撃も大きかった。この本が出た年の前年、八七年に「リゾート法」が制定される。バブルによる内需拡大のかけ声のもと、国家を挙げてリゾート開発に狂奔する。山が削られ、荒れ地は整地され、海は埋め立てられ、スキー場、リゾート地、ホテル、遊園地などが作られた。
見えなかった「脳」の力が発見され、次々とその活用法が叫ばれ始めた時期と一致している。赤潮川原平は、それまで気づかなかった脳の不思議な働きを発見することを「脳内リゾート開発」と呼んだが、まさに「脳」はバブル期に開発が始まったリゾートだった。
しかし、ご承知の通り、大型リゾートはその後破綻し、負債を抱えて次々とつぷれていく。私は、一連の「脳」ブームをうさんくさいものとして遠ざけている。「脳」が、廃墟となったリゾートと同じような目に遭わなければよいが……。
割と抑えた書き方になってますが、当初は違っていた様子。
自身のブログで、そのあたりのいきさつを書いてます。
昨日は最後の「中央公論」の原稿を書き上げる。茂木健一郎『脳を活かす仕事術』と過去の「脳」ものを組み合わせて。最初、こないだ見た「プロフェッショナル」の話から書き始めたが、あとでカット。私憤が混じると文章が濁ってしまう。
「私憤」と言っているのは、以下のことのよう。
「いろはの日々」さんが書いているのを読んで思い出したが、「プロフェッショナル」に小三治が登場。それをぼくは放送を忘れていて、後半しか見られなかった。再放送をチェックするつもり。「なぜ笑いは必要なんですか」と茂木健一郎が聞いたねえ。このタコすけ。小三治さん、困っちゃった。しばらく黙って、「ただ、笑っちゃうんじゃないですか」とぽつり。そのあと、正確ではないが、笑っているあいだは幸せで、笑っている自分が、人は好きなんじゃないか、という意味のことを言った。これにはしびれた。いい顔してたなあ、小三治。
モギケン、「タコすけ」呼ばわりされちゃってます。
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こちらは「SFマガジン」での伊藤計劃のインタビューから。
インタビュアーは佐々木敦。
-脳ブームとか起きてるけど、入り口はあくまでも科学の問題であったはずが、いつのまにか通俗的な人生論にすりかわっていたり(笑)。
伊藤 クオリアって結局人間の神秘化に貢献しているだけですからね。その先に突き抜けるのが科学のおもしろさだと思うんですけど。
-だからクオリアをなくしてしまえるんであればなくしてしまえばいいと思うんですよ。それでどうなるのかを考えるべき。最後にクオリアが立ちはだかって人間ってすごいっていう話になるのだったら、何のためにそこまで突き詰めてきたのかわからない。
伊藤 それはみんな言ってますね、クオリアについては(笑)。人間ってすばらしいねっていう結論に落ち着けば安心するわけで、科学ってそういうものじゃないと思うんですけどね。(略)
直接名前は出してないけど、モギケンのことですわなあ。
ここで言われてることには全面的に同意します。
結局、モギケンが言ってることって「通俗的な人生論」ですからね。
これを「哲学的な議論」だと思っちゃう人間が多いから困ってしまうんですが。
「科学ってそういうものじゃない」って言うのも。激しく同意。
私にとって、科学やSFの面白さっていうのは、従来の人間観を解体して、ある意味では非人間的と言えるようなところにまで行ってしまうスリルにあるわけでして。
イーガンだって、ウィリアム・ギブスンだって、バラードだって、面白いSFはみんなそうでしょ。
クオリアってものがあるから人間って素晴らしいですね、い~い~ない~い~な~、に~んげ~んってい~い~な~、みたいな話は退屈でしかたがないです。
やっぱりSFの人たちはマトモですな。
私の頭の中のヒエラルキーではSFの方が純文学より上になってるんで、まあ、不思議ではないんですけど。
純文学の連中は茂木健一郎とか福岡伸一とかを持ち上げてしまうから救いようがないです。
っそれにしても、やっとまともにモギケンを批判する人間が出て来始めた感じで、私はうれしい。
斎藤環のは、ピント外れだったからなあ。
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「日経サイエンス」2月号、さっそく読みましたよ。
いや、伊勢田さん、素晴らしいです。
モギケンに正面から切り込んでます。
これは近来稀にみる痛快事ですね。
伊勢田氏にテレビでの発言について問い詰められて、生命哲学がどうのとか、dankogai並みに斜め上のことを言い出して逃げるモギケン。
モギケンの打たれ弱さがモロに露呈していて、かなり笑えます。
本人を前にしての批判は高橋悠治以来じゃないですかね。
このときも打たれ弱さが出ちゃってて爆笑モノです。
菊地成孔との対談ってのもありましたな。
要するに、この人は、調子よく相手を持ち上げてワキアイアイと対談、という手が通じないと全然ダメなんですね。
と言うわけなんで、茂木健一郎に対して含むところをお持ちの有名人の方は、直接会って批判すれば楽勝だと思いますんで、どんどんやってください(笑)。
「茂木健一郎 VS. 伊勢田哲治」と言えば、こんなのもあるそうで。
2009年4月26日(日)
京都大学文学部新館第三講義室公開シンポジウム 「これが応用哲学だ!」
パネリスト 伊勢田哲治(京都大学)
茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所)
森岡正博(大阪府立大学)
司会 戸田山和久(名古屋大学)
なんでまた、応用哲学のシンポジウムでモギケンなんか呼ぶですかね。
哲学者でよってたかってフルボッコにして吊るし上げようっていうんですかね。
「物理出身の”自称脳科学者”のくせに、クオリアとかい言ってんじゃねーよ、哲学をナメんな!」とか。
それはないか。
私としては、そういうのを期待してしまうんですが。
パネリストに森岡正博がいるのがビミョーな感じがしますけど。
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ブログ「今日読んだ本」より、「偶有性幸福論。」からの抜粋。
茂木 心霊現象とかは、正直言って分からない。あるかもしれないけど分からないという立場なんです
江原 言葉を替えれば私が重んずる心霊現象は霊が出たうんぬんよりも、偶有性における心霊現象なんですよ
茂木 おお、そうなんですか
江原 うん。要するに偶有性の中に神秘を感じるかどうかなんですよ
茂木 それは僕は感じますよ
江原 そこでまた別の意図、意思を感じるかどうかなんです
茂木 ああ、それは大事だ、なるほど
江原 分かりますでしょう
茂木 分かった。今何か通じちゃったんですよ(笑)
江原 通じた瞬間です
茂木 意思を感じるんですか
江原 意思を感じるわけです
茂木 それは面白い。ちょっと今、個人的に今の発言は来ました。なるほど
江原 同じくこの会場の中でも、例えば偶有性の中で何が起きるか分からない、その中で「いや、これは何かの意思が働いている」と思ったこととか感じたことのある人っていますか、人生の中で
茂木 それはすごく面白いです。つまり科学的世界観っていうのは、意思とかそういうものっていうのは人間、生物にしかないっていう前提でやっているんですよ。だから、偶有性の中にほかの意思が介在するっていうことは全く想定してない、宇宙の在り方としては
江原 なるほど
茂木 それは面白いですね。それは学問的に大いにありですね
(中略)
江原 私はよく言うんですけどつまづくことの大切さ。楽しいときにみんな「どうして今日こんなに楽しいんだろうか」って悩む人はあまりいないですよね。それでつまずいたときだけ「どうして私はつまずくんだろうか」って悩むんですよ
茂木 なるほど、まあそうでしょうね
江原 そうでしょう。だからその波の中でもそのつまずいたときこそ、どうして自分はそうなんだろうかと初めて自分をみつめようとしだすんですよ。でもそれを何度か繰り返していくと、その乗り越える中でその意思を感じるときがあるわけですよ
茂木 なるほど
江原 前回とまた違う形、けれどもまたなぜ同じようなこういうことになったのか
茂木 面白いですね
江原 また再びなぜあの人に出会ったのか
茂木 うん、それはちょっと宿題として考えさせてください。かなり面白いとおもいます
さて、ここでの茂木健一郎の発言は「科学者」としてのものなのだろうか、「エッセイスト」としてのものなのだろうか。
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ベルクソンが小林秀雄があるいは三島由紀夫がそして付け加えるなら茂木健一郎が偽科学でないのは、ゆえにその点において批判されうるものでないのは、彼らが個人の内的真実に即した世界記述において人間の内的世界の価値を大戦の世紀ひいてはテクノロジーの世紀に改めて提示したからで、私は必ずしもよい読者ではないけれど、著述家茂木健一郎は科学者でなくエッセイストと思っているし、本人もそう名乗っているだろう。科学的認識に対して科学者茂木健一郎でなく「私」としての茂木健一郎が感じた違和感について再三述べていることは知っています。
ヘエー、茂木健一郎ってエッセイストだったんですか。
初めて知りましたよ。
クオリア日記のプロフィールには脳科学者って書いてあるんですけど。
茂木健一郎(もぎけんいちろう)脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授(脳科学、認知科学)、東京芸術大学非常勤講師(美術解剖学)。その他、東京大学、大阪大学、早稲田大学、聖心女子大学などの非常勤講師もつとめる。1962年10月20日東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。主な著書に『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『生きて死ぬ私』(徳間書店)『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)、『意識とはなにか--<私>を生成する脳』(ちくま新書)、『脳内現象』(NHK出版)、『脳と仮想』(新潮社)、『脳と創造性』(PHP研究所)、『スルメを見てイカがわかるか!』(角川書店、養老孟司氏との共著)、『脳の中の小さな神々』(柏書房、歌田明宏氏との共著)、『「脳」整理法』(ちくま新書)、『クオリア降臨』(文藝春秋)、『脳の中の人生』(中央公論新社)、『プロセス・アイ』(徳間書店)、『ひらめき脳』(新潮社)、The Future of Learning(共著)、Understanding Representation(共著)がある。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。『脳と仮想』で、第四回小林秀雄賞を受賞。2006年1月より、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスター。
「エッセイスト」なんて、どこにも書いてませんが。
つまらないヘリクツはおよしになったほうが良いのでは?
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茂木健一郎先生の「スピリチュアル系ポジティブ教」関連営業は江原対談本だけでは終わりません。
こんな本も翻訳しちゃってます。
「脳にいいこと」だけをやりなさい!
マーシー・シャイモフ (著), 茂木健一郎 (翻訳)内容紹介
「驚きました! この本はコペルニクス的転回になるかもしれません!」
――茂木健一郎「仕事も人間関係も日常生活すべてが好転した!」「こんなに役に立つ本は今までなかった!」という読者の声が続々――全米大ベストセラーの日本版が脳科学者・茂木健一郎訳でついに完成。「日常生活、仕事、勉強――どんなときも脳のすごい力を引き出す方法」、「脳の『毒』になること、脳の『良薬』になること」、「3日続ければタフな脳ができ上がるルール」……この本を読めば、脳の回路がうまく回りだし、人生すべてにポジティブな結果を残すことができます!
著者について
マーシー・シャイモフ(Marci Shimoff)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で経営学修士号(MBA)を取得。自己啓発セミナーを数々主催するカリスマ・コーチ。一流企業や大学機関で講演を行ない、何百万という人々の人間的成長を実現させてきた。『こころのチキンスープ』(ダイヤモンド社)シリーズを共著で出版し、一躍全米ベストセラー作家に。彼女のかかわったシリーズは累計1300万部を売り上げる。世界的な大ベストセラー『ザ・シークレット』(角川書店)に登場する賢者の一人としても注目を集めている。
原書は以下。
Happy for No Reason: 7 Steps to Being Happy from the Inside Out
by Marci Shimoff (Author), Carol Kline (Contributor)
上の紹介分だけだと、茂木先生自身がお書きになってるような、単なる「脳科学を絡めた自己啓発本」のように見えなくもありません(それにしたって、わざわざ脳科学者が翻訳するような本か?と思いますが)。
実際、本屋でパラパラ立ち読みしてみると、毒にも薬にもならないくだらない自己啓発本という感じだったのですが、ここで注目してほしいのは、著者のマーシー・シャイモフに関する説明。
「『ザ・シークレット』(角川書店)に登場する賢者の一人」と書いてありますね。
では、『ザ・シークレット』とは、どういう本か。
ザ・シークレット
ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳), 佐野 美代子 (翻訳)
出版社 / 著者からの内容紹介
あなたは「偉大な秘密」を手にしています。この「秘密」は、代々伝えられる中、人々に熱望され、隠され、失われ、盗まれ、莫大なお金で買われたこともありました。歴史上最も著名な人々は、何世紀も前に存在していたこの「秘密」を理解していたのです。プラトン、ガリレオ、ベートーベン、エディソン、カーネギー、アインシュタイン等の発明家、理論家、科学者、偉大な思想家達です。そして、ついに今日、この「秘密」が世界の人々の前に開示されたのです。
「この『秘密』を理解した暁には、あなたは欲しいものを手に入れ、なりたい人物になれ、やりたいことが何でもできるようになるでしょう。また、あなたは、真実の自分を知る事ができます。そして、あなたにはすばらしい人生が待ち受けていることがわかるでしょう」――「はじめに」より
だんだんアヤシゲな感じがしてきましたね。
山川夫妻の名前でピンと来る方もいらっしゃるかと思います。
+これは「引き寄せの法則」関連書なのです。
「引き寄せ」って、遠くの地方から特産品なんかを送ってもらうヤツですよね、ってソレは「取り寄せ」です。
「引き寄せの法則」と言っても、健全な生活をおくっておられる皆様はよくご存知でないかもしれないので、ちょっと以下のページも見ていただきましょうか。
アヤシサ全開ですね。
マーシー・シモフの説明もあります。
「引き寄せ」について簡潔に説明しているページがあったので引用してみます。
社長TVブログ: ぼくの本棚190:ザ・シークレット by ロンダ・バーン
ぼくの本棚190:ザ・シークレット by ロンダ・バーン
何年かの周期で「引き寄せの法則」の類似本が多く出まわるが、本書は最近のはしりである。
「引き寄せ」とは何か。人生で起きていることは、思考によって磁石のように自分が引き寄せている。
「類は友を呼ぶ」というように、
人は自分の想いを波動のように放射し、自分と似た思考の人を引き寄せる。
「思考はいつか現実化する」ことは、古来から多くの哲学者が言っている。
最近では「オーラ」という言葉が、TVなどで大量に流通したお陰で、
目には見えないが人が発しているエネルギーのようなものがあるという概念が
(まだ科学で検証はされていないが)一般化してきた。
本書ではポジティブな創造的思考をすることで、
それが現実化することを「ザ・シークレット(偉大なる秘密)」と呼んでいる。
またマイナス思考はマイナス思考を引き寄せ、
恐れていることや、起こって欲しくないことも現実化する。
最近、連鎖的に多発する「食」の事故のように、世の中にとって悪いことはいつかはバレる。
人は当り前のことが、なかなかできないからこそ悩みは尽きない。
とはいえ、不平不満を止め、人に心から感謝し、自分がこの世に生かされていることに感謝し、
毎日幸せを感じながら生きることが人生を変えることだけは確かだ。編集長 尾中謙文
マーシー・シモフは、そっち方面での「賢者」だったのですね。
皆様には、テレビ出演に講演会にと忙しくご活躍しつつ(いつ研究してるのかしら?)、そういう「賢者」の著書の翻訳まで引き受けてしまう茂木健一郎先生に、心の底から呆れていただきたいと思います。
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今回は、意外な人が意外なところから意外な人につながる、というお話。
まず、以下の文章をどうぞ。
情報の基本は5W1H。けれども、ネイティブ・スピーカーから英語で急に質問を受けると、それが、WhatなのかWhoなのか、あるいはWhichなのかWhenなのか、はたまたWhyなのかHowなのか、とっさには聞き取れない。一体それはなぜだろう。
パスバンド理論、というものが次のような説明を与えてくれる。フランスの耳鼻咽喉科の医師、アルフレッド・トマティスは、言語として優先的に使われる音の幅が、民族によって著しく異なることに気づいた。音の幅は周波数(ヘルツ)で表される。短い子音を強く発音するイギリス英語の音の幅は2,000ヘルツから16,000ヘルツにひろがる。トマティスはこの音域をパスバンドと名付け、様々な言語のパスバンドを解析した。すると非常に興味深いことがわかった。言語ごとに固有のパスバンドがあると。
母音を強調する日本語は100ヘルツから1,500ヘルツがおもなパスバンドになっている。人間は言語として聞かされたパスバンドの音しか言語として聴けない。そして、言語として聴けたパスバンドの音しか言語として話せない。勿論人間の脳は可能性を持つから後の訓練によってパスバンドを広げることは出来るだろうが、基本的には幼児期の刷り込みによって決まる。そうトマティスは考えた。英語と日本語の間には文字通り見えない溝があるのだ。なるほど。ところでロシア語のパスバンドは低音から高音までとても広い。果たして、ロシア人は他言語習得に堪能だろうか。「なぜ英語はきけないか」福岡伸一 日本経済新聞夕刊 2008.11.6
これに対して、以下のブログで「子音は雑音であり、非周期的な音だから、周波数を比較しても意味がない」という趣旨の指摘がされています。
ttp://sakuraikeizo.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-4e25.html
こちらのブログの方は、2ちゃん方面で大分お暴れになっている方のようで、信頼度にはいささか疑問があるのですが、この批判自体はもっともなもので、バスバンド理論がトンデモであることは間違いないと思われます。
さて、これで話が終わりなら、「福岡ハカセ、またチョンボですね」というだけの話なのですが、まだ続きがあるのです。
「バスバンド理論」というは初耳だったので、「福岡ハカセ、一体どこからこんなネタを仕入れたのだろう」と思い、ネットでトマティス博士について調べてみたら・・・。
一方博士は、音が人間の精神に与える影響力の大きさに注目した。彼は臨床にもっともその効果の高い音楽を求めて、世界中の民族音楽を実験した。その結果人間の精神に一番いい音がモーツァルトの音楽だということを突き止めたのである。それ以来モーツァルトの研究に専念して、フランスでは「ドクターモーツァルト」の異名をとるほど有名になった。言わば音楽療法の元祖でもある。
モーツァルト?
トマティスって、「モーツァルト効果」という言葉の生みの親じゃないですか!
(「モーツァルト効果は存在するか?」も参照のこと)
「モーツァルト効果」と言えば茂木健一郎先生ですよね。
と言うわけで、福岡伸一と茂木健一郎という、このブログの二大スターが「モーツアルト効果」を介してつながってしまいました、というお話だったのですよ、これは。
ちなみに、このトマティス博士、「胎児の耳に戻す」とか「脳への感覚刺激の90%近くが、内耳にある蝸牛と三半規管からのものである」とか言っているようで、想像以上のトンデモみたいです。
福岡ハカセのお友達でもある宮崎哲弥が、このことについて、どう考えているかが知りたいところですね。
宮崎哲弥って、『懐疑論者の事典』に推薦文を書いてますけど、この本でも「モーツァルト効果」が取り上げられてるんですよねえ。
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で、その茂木先生なんですが、またしても江原啓之とからまれたそうで。
9日 クロージングPART2「ナゴヤかなナゴヤへ」
江原啓之、茂木健一郎、奥田瑛二、林真理子
スピリチュアルな能力と最先端の脳力の両スーパースターが存在感でスパークします。これに油と酸素を注ぐのは、奥田瑛二と林真理子ふたりのアーティスト。聴く者の胸中が、感動で燃えさかるクロージングです。この顔合わせは、エンジンでなければできない、ナマ江原、ナマ茂木、ナマ奥田、ナマ林。急がねば、チケット・ソールドアウト近し!
この人の辞書に、「反省」という言葉はないようですな。
ついでだから、ASIOSの公式ブログにリンクを張っとこう。
江原啓之や細木数子のアドバイスなんぞを聞いても、幸せにはなれませんぜ。
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茂木先生のインタビューがきっかけで、モーツァルト効果について調べてみました。
『現代のエスプリ』481の「モーツァルトは頭を良くするか」(宮崎謙一・仁平義明)という記事面白かったので紹介したいと思います。
細かな部分は飛ばして、これまでの経緯を記述したところを取り上げますので、研究の詳細を知りたい方は、実際の記事を当たってみてください。
発端は、「ネイチャー」(Nature)1993年10月14日号に掲載された、カリフォルニア大学アーヴァイン校のフランシス・ラウシャーとゴードン・ショーの研究グループによる「音楽と空間的課題の遂行成績」(Music and spatial task performance)だった。
この記事で報告されたのは、大学生たちに、モーツァルトの「二台のピアノのためのソナタ、二長調、K448」の第一楽章を十分間ほど間かせると、何も聞かせない場合やリラクセーション教示用のテープを聞かせる場合にくらべて、空間的思考能力を測る知能検査の成績が一時的に目立って良くなるという実験の結果だった。この報告に対してメディアがすぐ反応した。十五日の「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」詰は「モーツァルトの音は脳の栄養になる」という記事を掲げて、モーツァルトの曲を聞くと、知能指数(IQ)が平均して8~9ポイント高くなることが示されたと伝えた。これに続いて、多くのメディアがこの話題を取りあげ、「モーツァルトは頭を良くする(Mozart makes you smarter)」という話がたちまちのうちに広められて「モーツァルト効果」として一般に広く知られるようになった。
この研究は、乳幼児にモーツァルトの音楽を聞かせると知能の発達が促進される、と拡大解釈され、影響は政治家にまで及んだ。
1998年にはジョージア州のゼル・ミラー知事の発案で、州内で生まれた子どもすべてにモーツァルトなどのクラシック音楽が入ったCDやカセットテープを配布するために、一〇万ドルあまりの予算を支出する法案が議会を通った。他のいくつかの州でも同様のプログラムが実施された。またフロリダ州では、州の保育所で毎日三〇分間クラシック音楽を流すことが決められた。乳幼児にモーツァルトを聞かせると知的発達が促進されるという科学的な証拠はなかったにもかかわらずである。ラウシャー白身にも、多額の研究費が付与されるようになり、たとえば、「VH 1 Save the Music Foundation」という財団から30万ドル以上の研究費が支払われたという。
「モーツァルト効果」という言葉を作ったのは、アルフレッド・トマティスという耳鼻咽喉科医である。
ドン・キャンベルは、「モーツァルト効果」タイトルに冠した本を出版した上に、「モーツァルト効果」という名称を商標登録してCDを売り出した。
こうした勣きに合わせたかのように、1997年にドン・キャンベルが『モーツァルト効果:体を癒し、心を強くし、創造的な心を解き放つ音楽の力』と題した本を出版した。この本の中でキャンベルは、フランスの耳鼻咽喉科の医師、アルフレッド・トマティスが始めたトマティス・メソッドと呼ばれる方法を紹介して、モーツァルトの音楽には、知的能力を高めるだけでなく、ありとあらゆる心と体の問題を改善する力があるという誇大な主張を繰り広げた。この本で彼は、ラウシャーらのモーツァルト効果の報告を引用して、モーツァルトの音楽の魔法の力が科学的に確かめられたと主張した。披はさらに「モーツァルト効果」という名称を商標登録して、The Mozart Effectという商標が入ったたくさんの音楽CDを売り出した。しかしキャンベルの本では、モーツァルトの音楽には魔法のような雍しの力があると熱狂的に語られているが、それが科学的に確かめられたものだと言いながら、実際には説得力のある科学的証拠はほとんど提示されていない。自らを科学であるかのように装って、科学的に確かめられていない考えをあたかも確かめられたかのように主張するやり方を二セ科学と呼ぶならば、これらは典型的なニセ科学に属するものと言えるだろう。
ラウシャーの理論的背景とその後。
ラウシャーらのモーツァルト効果の実験は唐突に行われたわけではなかった。研究グループの中心人物であるゴードン・ショーは、最初は素粒子に関する理論物理学者として出発したが、1970年代半ば頃から高次脳機能の理論的研究に重占を移しヽやがてトリオン・モデルと呼ばれる理論を作り上げていた。このモデルによると、音楽訓練と空間的思考能力の間には囚果的なつながりがあり、音楽活動をすることによって、大脳皮質の全体にわたって空間i時問的符号に組織される神経発火パタフンが強まると仮定される。このような神経活動は空間的思考課題を解くときにも生じるものなので、音楽は脳の神経回路にプライミングを引き起こし(脳を活性化し)、空間的思考を強化することになると披は予測した。モーツァルト効果の実験はこのような背景の中で、この予測を行動レベルで示すために行われたのである。しかしこの実験のもとになっている脳モデルは非常に飛躍したアイディアに基づいたものであり、モーツァルト効果(たとえそれが本当にあるとして)に対して説得力ある説明を与えるものとは言いにくい。ショーはアーヴァイン校を1994年に退いた後も、「Music Intelligence Neural Development Institute(MIND)」というNPO組織を設立して、数学教育への応用を目的とする学習と記憶の理論的研究を続けたが、彼の独自の脳理論を支える十分な知見を得るに至らぬまま、2005年に亡くなった。
それでは、科学者たちは、ラウシャーとショーの研究をどのように捉えていたのか。
モーツァルト効果の最初の科学的報告に対して、心理学者の多くは最初から懐疑的だった。認知心理学や脳科学の知見から考えると、モーツァルト効果はあまりにも飛躍した現象に見えた。ラウシャーとショーは、空間的認知処理を行う脳部位が、モーツァルトの曲を間くことによって一時的に活性化するという神経プライミングによってモーツァルト効果を説明しようとした。しかしプライミング効果は、プライムする過程や表象とプライムされる過程や表象の間につながりがある場合に観察される現象である。視覚的イメージを頭の中で操作することのような空間的思考とモーツァルトの曲を間くことの問にどのようなつながりがあるかは不明である。空間的思考を強化するとラウシャーらが言うモーツァルトの曲の特徴は、ありていに言えば単なる思いつきの域を出ないものに思われる。まともな研究者ならば、モーツァルト効果にはまず疑いの目を向けることから始めるはずである。ところがモーツァルト効果の最初の報告を掲載したのが権威ある「ネイチャー」であったことと、メディアがこの効果をさかんに取り上げて、社会的な熱狂とさえ言えるものになったために、まだ十分な証拠が提出されたとは言えないモーツァルト効果を研究考たちも無視しておくわけにはいかなくなった。
最初の論文は学術的投書欄に掲載されたごく短い報告に過ぎなかった。
1995年に同じメンバーによる論文が出され、ここでもモーツァルト効果が観察されたが、他の研究者による追試は、結果に一致が見られず、再現されたとするものがある一方で、再現しないとするものも少なくなかった。
アパラチア州立大学ケネス・スティールは繰り返し実験を行っても効果が再現されないので、懐疑派の急先鋒となった。
ラウシャーらの反論とスティールらの再反論。
ラウシャーらは、モーツァルト効果が再現されないのは実験手続きの細部や用いる知能検査が最初の彼女らの実験とちがうからであると反論していた。そこでスティールは、ラウシャーらがモーツァルト効果が生じる条件として限定した条件を厳格に再現した実験を行い、モーツァルトの曲が空間-時間的知能を強めるという効果はまったく見られないことを示した。さらに彼は他の八人の研究者と共同して、アパラチア州立大学、モントリオール大学、ウェスタン・オンタリオ大学の三つの異なる研究室でモーツァルト効果の追試実験を行ったが、どの実験でも効果は確認されなかった。
モーツァルト効果に関して、メタ分析が二つ行われた。
一つはハーヴァード大学のクリストファーシャブリスによるもの。
16の公刊された研究を分析し、モーツァルトの曲による認知促進効果はほとんど無視できるくらいのもと結論した。
もう一つは、ハーヴァード大学教育大学院プロジェクト・ゼロのロイス・ヘットランドによるもの。
こちらでは、出版されなかったものを含めた36の研究のメタ分析を行い、中程度の効果があると結論した。
結局、モーツァルト効果は現れる場合もあれば現れない場合もある、ということになる。
では、なぜ効果が観察される場合があるのか。
これに対する、心理学の知見と整合する説明は、モーツァルト効果は、モーツァルトを聞くことによる直接的な効果ではなく、音楽によって気分や覚醒が最適な状態になり、その結果課題の遂行成績が向上するという間接的な効果である、ということである。
この覚醒・気分仮説は、すでにシャブリスやスティールなど、モーツァルト効果懐疑派の研究者たちによって指摘されていたが、トロント大学のシェレンバーグらはこの可能性を実験で確かめた。彼らの実験では、被験者が音楽(モーツァルトのK448またはシューベルトのファンタジー、D940)を聞く条件の方が、何も聞かないでいる条件よりも、紙祈り切り取り課題の成績がよいという効果が確認された。しかしスティーヴン・キングの短い物語を聞く条件と比較すると、モーツァルト条件が有意に成績が良いという効果は見られなくなった。さらにモーツァルトの曲が好きだと答えた被験者ではモーツァルト条件の方が、物語の方が好きだと答えた被験者では物語条件の方が、課題の成績が良かった。つまりモーツァルト効果と呼ばれていた効果は、モーツァルトの曲に限定されるものではなく、他の曲や音楽以外の刺激でも同じように見られるし、被験者の好みに左右されるという結果である。
この記事の結び。
冒頭で述べたように、モーツァルト効果がまちがった方向に拡張されて、ニセ科学の鎖誠に逸脱する経過をたどったのは不幸なことだった。しかし音楽がさまざまな心理的
あるいは身体的影響を及ぼすことがあるのは確かであり、科学的に研究を続けるべき価値のある問題は少なくない。モーツァルト効果が疑わしいものであるからといって、これらの研究すべき問題までもが捨て去られてしまうことがあってはならない。またニセ科学のごまかしをあばくことは、人々が不利益を被るのを防ぐために必要ではあるが、そのような仕事に研究者の貴重な時間と労力が奪われてしまうのは好ましいことではなく、科学にとっては非生産的である。メディアは、十分な証拠がない時に、現象や効果が科学的に確かめられたものであるかのように誇大に広めることは厳に慎むべきことであるし、人々も、それに便乗したコマーシャリズムに安易に乗せられないように気をつける必要がある。また科学者は、仮説に一致した結果が得られたときに、当初の説明とは別のやり方で説明することはできないかを考えて慎重に結論を出さなければならない。モーツァルト効果をめぐる一連の騒動は、一般の人々と研究者にとって教訓となるできごとだったと言えよう。
茂木先生も反省してね!
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「週刊プレイボーイ」の茂木健一郎インタビューから。
-●●を食べたら頭が良くなるなんて話も多いですが・・・。
「そんなわけねえだろって話ですよ(笑)。『何したら頭がよくなりますか?』とか、『何食べたら頭よくなりますか?』とか、『何食べたら頭よくなりますか?』とか、そういう質問事態が間違ってます。
(略)ひとつの道具でうまくいくほど人生って甘くないでしょ。トンカチだけで家が建ちます?」
……。
厚顔無恥もここまでいくと感心しますわ。
茂木さん、アンタすごいよ!
茂木さん、「茂木健一郎のモーツァルト・モード」なんていうCD出してましたよねえ?
茂木健一郎のモーツァルト・モード
現代人の脳の活性化をもたらすモーツァルトの楽曲をセレクションしたアルバム。モーツァルトの音楽の脳への効果、そのメカニズムの解説付き。それを脳の最先端の研究者として話題の茂木健一郎が監修。
ジャケットに「脳と創造力を鍛える音楽のクオリア」なんて書いてあるんですけど。
「モーツアルト効果」なんてこともいってましたよねえ。
「別冊ぶらあぼ 熱狂の日音楽祭2006公式アフターガイドブック」から。
ソースは「6ねん2くみのへや」。
やっぱりモーツアルトの音楽による気分の高揚って、他の音楽の場合と違うんですよね。単に自分が好きな音楽を聴いて気分が高揚しているというわけじゃなくて、たとえばロックを聴いてる感じは、友達と楽しくしゃべってる時に似ている。それに対して、モーツアルトの音楽を聴いている時は、創造的に脳を働かせてる時の感じに似ている。イギリスの科学雑誌「ネーチャー」でも、「モーツアルト効果」ということが話題になったことがありますけど、僕自身が実体験的に思っていることです。それから、音楽の即興性に最近すごく感心があって、やっぱり音楽の本質って即興なんじゃないかっていう気がするんですよ。そういう意味では、モーツアルトって、演奏もそうだけど、作曲でさえもほとんど即興なんじゃないかなあ。演奏で同じフレーズがリフレインされるときの2回目は、自由に弾いてよいという意味であるということとか、今の音楽の弾き方、聴かれ方と違うと思うし、モーツアルトの時代の作曲は、ジャズのジャム・セッションに近いものだった気がしますね。こういうことは、モーツアルトを受容する際に大事なことですよ。なんかもう大作曲家が昔書いた楽譜を、とにかく忠実に再現するというのがクラシックだと思われてるんだけど、実はそうではなくて、もっと即興性があったはずなんだよね。今までそこになかった音楽が、即興で、その場で、まさに生み出されつつある様子、そういう瞬間を想像できるということが、「モーツアルト・モード」だと思う。
ところが、2年後にはこんな風に言ってますね。
すごく簡単なことで、脳によい音楽は、その人が好きな音楽なんですよ。昔、「モーツァルト効果」という研究があって、モーツァルトの曲を聴きながら勉強するとIQが10上がるって言われていたのですが、よく調べたら、モーツァルトの曲が好きな人にしか効果がないとわかりました。モーツァルトの曲が嫌いで聴きたくない人には、効果がなかったのです。好きな音楽ならば、ロックでもIQが上がることもわかった。好きな曲を聴いていると、脳の中の報酬系という回路が活性化されてIQが上がるんです。ビデオでも同じ。韓流でも、コメディでも、好きなものを見ると脳が活性化するのです。
「すごく簡単なこと」って…。
「他の音楽の場合と違う」って言ってたじゃん!
「僕自身が実体験的に思っていること」って言ってたじゃん!
この面の皮の厚さはスゴイわ。
週プレの記事に戻って
「例えば、ブログを書いている人も書きっぱなしじゃなく、それがどのように読まれているかを意識しないとダメ。コメントやトラックバックも役に立つでしょう。自分のやっていること、表現していることはなにほどのことなのか?そういう“鏡”を持つ必要があると思いますね。」
以前、「クオリア日記」にトラックバック送ったのに拒否されたことあるんですけど…。
きっと、システムが不調だったんですよねっ!
「生命の本質は何が起こるかわからないところでどうするかってことですから。根拠のない自信を持つ、何でもやってみる、そして“鏡”を持つ。これさえあれば、人生は大丈夫ですよ。」
ひとつの道具では上手くいかないけど、三つあれば丈夫みたいです。
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いやー、くだらなかったねー。
例によって「最新の脳科学」って言葉を連発してたけど、目新しい話は全然なし。
前回の時は、気合を入れて5回シリーズで観賞記を書いたけど、
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(1)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(2)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(3)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(4)
「プロフェッショナル 仕事の流儀 脳活用法SP」観賞記(5)
今回はそんなことしないよ。
もう、めんどくさいもん。
あっさり、流します。
茂木健一郎先生が、過去に番組に出演した100人の「プロフェッショナル」の発言を分析して、どうやったらアイディアが生まれるか結論を出したんですってさ。
ナレーション
茂木が薦めるプロフェッショナルの発想法、それはっ!発想法②
“寝る”発想法茂木 「寝る」って言うと「エエッ!」と思う方もいらっしゃったかもしれませんが、これも脳科学的にもちゃんと理にかなった方法なんですね
いや、別に驚きませんけど。
そういうことはねえ、寺田寅彦がずっと昔に書いてるんですよ。
「三上(さんじょう)」という言葉がある。枕上(ちんじょう)鞍上(あんじょう)厠上(しじょう)合わせて三上の意だという。「いい考えを発酵させるに適した三つの環境」を対立させたものとも解釈される。なかなかうまい事を言ったものだと思う。しかしこれは昔のシナ人かよほど暇人でないと、現代では言葉どおりには適用し難い。(略)
現代の一般の人について考えてみるとこの三上には多少の変更を要する。まず「枕上(ちんじょう)」であるが、毎日の仕事に追われた上に、夜なべ仕事でくたびれて、やっと床につく多くの人には枕上は眠る事が第一義である。それで眠られないという場合は病気なのだからろくな考えは出ないのが普通である。
寺田寅彦って言うか、昔の中国だな。
それを今更、さも目新しいことのように言われてもねえ。
ナレーション
さらに、もう一つ。
茂木が注目すべきポイントを導き出した。発想法②
考え事は「場所」を選べ住吉 アイディアが出やすい場所を選ぶポイントっていうのは、何なんでしょう?
茂木 一言で言うと、脳が外からの情報に邪魔されない所なんですよ。
・・・。
それは、単に「静かなところは考え事に向いている」ってことじゃないんですか。
そんなの、100人の「プロフェッショナル」を分析しなくてもいえるだろって。
茂木 情報は入ってくるんだけど、それにあんまり注意を払わなくていいところ、そういうところっていうのがね、ひらめきを生むのに非常にいい環境なんですよ。
住吉 どうして、そういう状況だと発想につながるんですか?
茂木 外から色んな情報が入ってくると、その処理で脳がせいいっぱいになっちゃうんですね。
実はひらめきって言うのは、内側から何かが生まれてくるプロセスですから、ある意味では自分の内側、無意識に耳を傾けなくちゃいけない。
そういう余裕が生まれるのは、リラックスできるところ。
それも、寺田寅彦がずっと昔に書いてるんですよ。
「三上」の三上たるゆえんの要素には、肉体の拘束から来る精神の解放というもののほかにもう一つの要件があると思われる。それはある適当な感覚的の刺激である。
住吉 会議をしている途中に行き詰って、「お手洗いに行ってきます」って場を離れると、「ワッ!」って言って、「これは!」ってことがあるんです。
茂木 僕と全く同じ。
「ちょっとトイレ言ってきます」って言って、その間にひらめきます。
だから、昔の中国人が「厠上」って言ってるでしょうが。
そのほかにも、やる気を出すためには、「あこがれの人を持つ」とか「小さな成功を大切に」とか、そんなの脳科学を持ち出さなくてもいいだろって。
ホントにくだらなかったですわ。
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今や飛ぶ鳥を落とす勢いの福岡伸一ハカセは、遺伝学にもケンカを売っちゃいます。
ピアニストの小菅優との対談にて。
おっしゃるとおり、天才は「育ちによって生まれる」が正解です。私たち分子生物学者はDNAを調べますが、DNAの中に、ピアノや砲丸投げの才能を譲り渡す遺伝子が実在しているわけではないのです。遺伝子には、その人間が「どのように生きていくか」について何のプログラムも書かれていません。ですから、「氏か、育ちか」と聞かれたら、生物学的な答えも「育ち」となるのです。
「ソトコト」 11月号
そりゃまあ、「ピアノの天才の遺伝子」は存在しますか?と訊かれたら、生物学者は「そんなものはありません」と答えるでしょうね。
だからと言って、「ピアノの才能は遺伝とは全く無関係だ」と遺伝学者が考えているわけでもないでしょう。
行動遺伝学の安藤寿康は、遺伝をめぐるさなざまな誤解を列挙していますが、そのうちのいくつかを紹介しましょう。
⑥環境は遺伝ではない
「遺伝」と「環境」という概念を対立するものとして用いることからくる誤解である。第5章で紹介したように、一人一人が作る環境は、その人の遺伝子型のいわば「延長された表現型」であるといえる。自分からどんな環境を選択するか、あるいは人からどんな働きかけを受けやすいかによって遺伝的影響も変わる。その意味で、環境は遺伝の一部だといえる。ただし環境として個人の外部にあるものであるから、他者が意図的にそれを変えようと思えば変えられる可能性がある。遺伝と環境を互いに不可侵の独立した原因と考えてはならない。⑦遺伝は環境ではない
これは⑥の裏返しで、やはり人々がしばしば陥る遺伝と環境の二分法に基づいている。「遺伝的なものは自動的に発現する」という誤解にもあったように、行動や学習への遺伝的な影響はその行動や学習が成立する場としての文化的環境が与えられて初めて発現するという意味で、遺伝は環境に依存する。また遺伝と環境の交互作用効果があるときには、遺伝の発現の仕方が環境条件によって左右されるので、これも遺伝の影響が環境と密接にかかわってくる。そもそも遺伝情報とは、長い進化のプロセスを経て、地球上の何らかの環境に適応したものの遺産であるから、その意味でも遺伝には環境が反映されているのだ。
⑧遺伝だと原因遺伝子が存在する
心が遺伝的である以上、遺伝子がかかわっていることは確かであり、人と異なるタイプの遺伝子を持っていれば、異なった行動や物の考え方感じ方をするだろう。しかしここに単純な因果律を想定し、この遺伝子があった「から」こういう行動が発生したと考えることには十分慎重でなければならない。遺伝子がかかわるのはアミノ酸を特定する配列の仕方であり、心理現象そのものではない。ひとつの心理現象にかかわる遺伝子は非常にたくさん存在し、その組み合わせの全体の効果として遺伝的効果が現れる。このときどれか一つの遺伝子を、その形質の原因遺伝子と考え、「○○遺伝子」と呼ぶことは避けるべきである。行動的、心理的形質が示す一人一人の全体的特徴--それが遺伝的資質とか持って生まれた性格などということばで表現されるのである―-は、数多くの遺伝子の相加的、非相加的効果の総体から生まれるものであり、特定の1つまたは少数の遺伝子の影響として理解することが難しい場合が少なくないのである。⑩遺伝決定論者がいる
本書を読んで、「また遺伝決定論者がのさばりだした」と思う人が出てくるかもしれないが、これも議論を不毛に陥らせるつまらぬ誤解だ。これまで環境の影響を全く認めない純粋がちがちの「遺伝決定論者」などいたためしはなかった。遺伝決定論者をあたかも実在しているかのように扱うのは、それに対立する環境重視論者であることが多い。遺伝論者といわれる人は、遺伝と環境の両要因に目配りをしながら、その両方の効果を指摘しようとする人たちに対して、環境重視論者が、ちょっとでも遺伝的影響について積極的な発言をされるのを嫌悪して一方的に貼りつけたレッテルだといわざるを得ない。
『心はどのように遺伝するか』
心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観 (ブルーバックス) 著者:安藤 寿康
販売元:講談社
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遺伝学者からすれば、「氏か、育ちか」という二項対立は、問題の立て方自体が間違ってるんですよ。
要するに、ここで福岡ハカセがやっていることは、いもしない極端な「遺伝決定論者」の像を作り上げておいて、それを否定することによって別の極端な結論(この場合は「環境決定論」)を受け入れさせようとする、ということで、「藁人形論法」ってやつですね。
ついでに、福岡ハカセの文章をもう一つ。
前にも取り上げたやつですが。
こんな調査がある。スポーツ、芸術、技能、どのような分野でもよい。圧倒的な力量を誇示するプロフェショナルというものが存在する世界がある。そんじょそこらのアマチュアなど全く寄せ付けないプロフェショナルたち。そのような人たちがいかにして形成されたのか。それを調査したものである。
世界的コンクールで優勝するピアニスト、囲碁や将棋の名人たち、トップアスリート。彼ら彼女らについて、ふつう私たちは半ばため息をつきつつ、次のように感じている。あのような人たちは天賦の才能の持ち主なのだ。われわれ凡人とはそもそも出来が全く異なるのだと。
ところがプロフェッショナルたちの多くはみな、ある特殊な時間を共有しているのである。10000時間。いずれの世界でも彼ら彼女らは、幼少時を起点として少なくとも10000時間、例外なくそのことだけに集中し専心したゆまぬ努力をしているのだ。10000時間といえば、1日3時間練習をしたりレッスンを受けるとして、1年に1000時間、それを10年にわたってやすまず継続するということである。その上に初めてプロフェッショナルが成り立つ。
DNAの中には、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在してはいない。DNAには、人を生かすための仕組みが書かれてはいるが、いかに活かすかについては一切記載はない。プロの師弟はしばしば同じ道に進むことが多く、それは一見、遺伝子のように見える。けれどもおそらくそうではない。親はDNAではなく環境を与えているのだ。やはり氏より育ち。DNA研究者の偽らざる感慨である。日本経済新聞 夕刊『10000時間』2008.8.21
「才能のある人間でもプロフェッショナルになるには努力が必要だ」ということは「誰でも努力すればプロフェッショナルになれる」ということではないのですが、福岡ハカセはワザと読者がそのあたりを混同するような書き方をしているからタチが悪いですね。
これに対しても、安藤寿康の本からの引用で答えておきましょう。
人間の学習には、このような学習を成立させる「場が埋め込まれる場」としての環境の存在がきわめて重要である。言語にしても直立歩行にしても、いかに生物学的に組み込まれたかのように見える行動でも、このような社会的な場なしに、自動機械のように遺伝的プログラムによって発現し出すことはないことがわかってきた。狼に育てられたアマラたちが言語を使えるようにならなかったのは、単にヒトの言語を聞いたことがないというだけでなく、それを使用する状況に埋め込まれていなかったからと考えられる。この意味で、言語をはじめとして、人間の文化的、社会的行動が自然に引き起こされるための環境や状況の重要性はきわめて大きい。そして現在、心理学では、このような「状況主義」が大変流行している。
しかしながら、このように状況に埋め込まれているという意味で環境が重要であるとしても、だからといって環境がすべてというわけでもなければ、遺伝の意味がかき消されてしまうわけでもない。環境には、前述のように、誰にとっても当てはまる一般的な場や舞台を与えるものとは別に、一人一人にとって異なり、個人差を生み出す原因としての環境がある。
たとえばいつもがみがみと弟子の欠点を罵倒ばかりしている親方の仕事場では、いつも雰囲気が緊張し、弟子たちは失敗をおそれてびくびく仕事をしているのに対して、おおらかで少々の失敗は大目に見てくれる親方のもとでは、みんなのびのびと仕事ができるということがある。このような違いは、親方のかかわり方という環境の違いによって説明できそうである。
しかし同じ仕立屋のもとに弟子入りした見習いでも、仕立屋として一人前になる時間や仕立屋としての力量に個人差があるのはどうしてなのだろう。優秀な仕立屋の仕事場にも出来の悪い見習いはいるし、逆に大したことのない親方のところでいい職人が育っていることも少なくない。
優れた見習いは同じ状況下にあっても、より上手に周りの手がかりを利用するだろうし、そういう見習いにはどんどん新しい仕事、難しい仕事がまわってくるだろう。この個人差は、単純にもともと与えられていた状況や環境の差では説明できない、むしろ一人一人の行動の差によって作られてくるものである。
能力の個人差は決して状況だけでは説明されず、やはり本人に内在する何らかの特性を仮定しなければ説明かつかない。その意味で、現在心理学で流行している「状況主義」は偏った見方をしていると思われる。仕立屋になるには仕立屋としての環境が周りにあることが必要であるが、仕立屋としての能力の個人差は、その人を取り巻く直接の環境や状況の差だけでは説明できないのだ。『心はどのように遺伝するか』
ここから先は余談。
小菅優は、ラ・フォル・ジュルネで茂木健一郎とも対談していましたね。
「新進気鋭のアーティスト」と呼ばれるような人間には、他人の名前を利用しようとする「キタナイ大人たち」が群がってくるから、気をつけたほうがいいと思いますね。
この前、誰それと対談した、とか言って雑誌の連載とかブログのネタにするエセ科学者とか。
大した害はないかもしれませんが、そういう連中の相手をするのは時間の無駄ですし。
「日経ビジネス アソシエ」10・21号から、映画プロデューサー、マックス桐嶋の言葉。
腕まくり以外にもう一つ、中年を迎えた男女がしたがること。それが「知ってるアピール」です。
ロケ先で、中堅俳優が若手女優に「スピルバーグ監督と会った時は…」「ショーン・コネリーと共演した時は…」と、自分の過去の経歴をひけらかしていました。
ランチの際、隣り合わせた若手女優が僕にこう言いました。
「ネームドロッパー(他人の名前を引き合いに出して自分の格を上げようとする輩)は、『自分は人の名前や業績なしでは取るに足らない人間です』と拡声器で吹聴しているのと一緒だと気づいてないみたい…」
(略)
自分がネームドロッパーと化している瞬間は、自分では気づきにくいかもしれません。そういう時は、他人の名前や自分の過去の業績といった、自分の内面以外の要素をネタに話を進めている自分にハッとすることです。そして、他人の自慢話やネームドロッピングが、自分の耳にどう聞こえるかを思い起こすことです。
茂木健一郎には、「ナンバーワン・ネームドロッパー・イン・ジャパン」の称号を与えたいですね。
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「大してうれしくない」=時折笑みも-ノーベル賞受賞決定に益川さん・京都
10月8日0時35分配信 時事通信
「(受賞は)大してうれしくない。研究者仲間から『正解だったよ』と言ってもらうのがうれしい」-。京都産業大で記者会見に臨んだ益川敏英さん(68)は「理論屋」らしく、小難しい顔で受賞決定について分析した。
論文発表から実に35年後の吉報に「人ごと。(受賞の)可能性があるとしたら今年だと思っていた」と話し、「われわれが言ったことが正しいことが分かったのは、2002、03年の実験。あとは社会的お祭り騒ぎだけ」と冷静な口ぶり。
(略)
カッコイー。
世の中には、「ノーベル賞100個分」とか言って、「社会的お祭り騒ぎ」の方を先に起こそうとする「科学者」もいますけどね。
ま、これは余計なイヤミでした。
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驚異的な記憶力を持つサヴァン症候群の画家、スティーヴン・ウィルシャー。
日本でも画集が2冊出版されています。
| ドローイングス (スティーヴン・ウィルシャー画集) 著者:ヒュー カッソン,スティーヴン ウィルシャー |
| シティーズ (スティーヴン・ウィルシャー画集) 著者:オリバー サックス,スティーヴン ウィルシャー |
スティーヴン・ウィルシャーのホームページは以下。
The Stephen Wiltshire Gallery - Drawings, paintings and prints
オリヴァー・サックスの「火星の人類学者」には、スティーヴン・ウィルシャーと一緒に過ごした数日間を書いた文章が収められています。
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火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) 著者:オリヴァー サックス |
すべてが白黒に見える全色盲に陥った画家、激しいチックを起こすトゥレット症候群の外科医、「わたしは火星の人類学者のようだ」と漏らす自閉症の動物学者…脳神経科医サックスは、患者たちが抱える脳の病を単なる障害としては見ない。それらは揺るぎないアイデンティティと類まれな創造力の源なのだ。往診=交流を通じて、不可思議な人生を歩む彼らの姿を描か出し、人間存在の可能性を謳った驚きと感動の医学エッセイ。
スティーヴン・ウィルシャー以外の人たちについて書かれた部分も非常に面白いので、この本はお奨めです。
スティーヴン・ウィルシャーのことが取り上げられている本をもう一冊。
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喪失と獲得―進化心理学から見た心と体 著者:ニコラス ハンフリー |
7章と8章は、ある能力の喪失と引換えに別の能力が獲得されるということを考察した刺激的な論考。
茂木健一郎の「スゴイ脳スペシャル」での解説の元ネタはこの辺りじゃないかと。
帯の推薦文が養老孟司でムカつく、なんてことはポジティブになった私は言いません。この本では、クオリアについても論じられていて、茂木健一郎の本を読むよりこちらを読んだほうがずっと面白いですね。
前述の「ブレインマン」では、映画「レインマン」のモデル、キム・ピークも取り上げていました。
「ザ・ベストハウス123」は、わざわざ茂木健一郎をアメリカに送って本人に会わせていましたが、内容的には「ブレインマン」とは大して違いがなかったですね。
キム・ピークをメインに扱っているのが、以下のDVD。
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リアル・レインマン 『レインマン』のモデルになった僕 販売元:ジェネオン エンタテインメント |
これもNHKで放送されたようですが、私は未見です。
とりあえず、こんなところで。
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前にもちょっと書いた通り、「ザ・ベストハウス123」の「スゴイ脳スペシャル」にイチャモンをつけようと思っていたのだけれど、ポジティブ教に転向したので止めます。
そのかわり、番組を見てサヴァン症候群や共感覚興味を持った人が間違って茂木健一郎の本を買ったりして、お金と時間の無駄使いをしないよう、ブックガイドを書いて見たいと思います。
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ブレインマン ぼくには数字が風景に見える 販売元:ジェネオン エンタテインメント |
ブックガイドと言いながら、最初はDVDの紹介です。
数字が風景に見える共感覚の持ち主ダニエル・タメットを取り上げたイギリスのテレビ番組「ブレインマン」は、NHKでも放送されましたが、今回DVD化されました。
「ザ・ベストハウス123」でダニエル・タメットを紹介した部分の映像は、この番組が元ネタですね。
「ザ・ベストハウス123」では、子ども時代の再現ビデオみたいなものも追加されてましたが。
そのダニエル・タメット自らが書いたのが以下。
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ぼくには数字が風景に見える 著者:D. タメット |
共感覚に関する一般的な知識は、共感覚の研究者が書いた以下の本で。
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共感覚―もっとも奇妙な知覚世界 著者:ジョン ハリソン |
共感覚の研究者が書いた本をもう一冊。
![]() |
共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人 著者:リチャード・E. シトーウィック |
共感覚以外のことがらに対する著者の主張が強く出ている部分が多く、少々辟易させられる本です。
特に、第2部の「情動の重要性についてのエッセイ」は、私はあまり共感できませんでした。
ついでに。
ラマチャンドランも「脳のなかの幽霊、ふたたび」で共感覚を取り上げていますが、上記二人とは、だいぶスタンスが異なります。
上記二人は単なるメタファーは共感覚とは区別していますが、ラマチャンドランはメタファーも共感覚と関連付けて論じています。
また、「ブーバ/キキ効果」も共感覚として扱っているのは、ちょっと違うんじゃないかという気がします。
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a day in the life of mercy snow より。
「ザ・ベストハウス123」(9/10放送)は茂木健一郎プレゼンツ「スゴイ脳スペシャル」。好評につき未公開映像付きで再放送ということらしい。
スゴイ脳とはサヴァン症候群のことで、冒頭に「アインシュタインやモーツァルトもサヴァン症候群だったといわれている」とある。その論拠は(番組では紹介されていないが)奇矯な行動をとったからだって。天才や変人はいまや「脳がちがう」とみなされるんですなあ。
こういう話を見聞きするといつも思うのは、「サヴァンではない平凡な自閉症患者はどうすりゃいいんだ?」ってこと。
茂木健一郎は「脳の個性を認めてほしい。自分とは関係のない特別な人だって思わないこと」と語っていたが、それは平凡な自閉症患者に対して思うべきことだろう。
この番組に登場した人たちはみんな特別だよ。特別な才能を持っているから注目されるわけだ。これは「モーツァルトは天才だ」というのと同じで、なにひとつ差別的ではないよ。
激しく同意。
この番組を見て「茂木健一郎がいいことを言っていた」みたいなことを言う人間がたくさんいることに、どうしようもなく苛立ちを感じる。
それから、モギケンって前から天才崇拝ぶりがヒドイよなあ。
読んでるほうが恥ずかしく感じるくらい。
この回に関しては、他にもイチャモンをつけたいことがあるのだが、また後で書くことにする。
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しかし第1章は茂木健一郎氏の担当なのだけれど、読んでちょっと愕然としました。自社のシンポジウムで、しかも聴衆はプロの研究者たち、知能ロボット研究のエッジが集まるこのシンポジウムで、なぜこんな生ぬるい話をしますか。東工大の学生さんたちとやったらしき研究について言及しているものの、ちゃんとしたデータひとつ見せるわけでもなく、ざっとかいつまんで紹介するだけ。いい研究なのかどうかさえ読者には判断不能で、これじゃ実験やっている学生も浮かばれまい。原稿は講演をただテープ起こししただけで、しかも内容を補足するコラムは編著者の藤田さんが担当している。茂木さんはもう科学者であることをやめてしまったのだろうか??
野尻ボード 野尻抱介 2006年05月25日(木)14時26分27秒 の発言。
>ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス2006レポート
印象批判になっちゃいますが、私は茂木健一郎という人を信用してないです。反証不可能なことをべらべら語っては文系的混沌を生産するばかりの人に見えるので。シンポジウムで彼が出てくると全体の信頼性評価を下げてかかります。このレポートも「また茂木か」と思って読むのをやめかけました。
が、後のほうの記事は興味深い……かな。100万回繰り返さないと学習しないニューラルネットなんて、十年一日な感じもしましたけど、もっと評価したほうがいいんでしょうか。
ウム、日本の「理系SF」作家の判断は健全ですな(<-ビミョーに上から目線な言い方)。
山田正紀は「文系SF」の人だからなあ。
ところで、科学寄りの人は茂木健一郎のやってることを、「あれは科学じゃなくて哲学だから」みたいな言い方をすることがあるんですが、哲学側から見てもモギケンの言ってることは、ほとんど無意味なんで、そこのところ誤解しないようにしていただきたいですね。
確かに、哲学やってる人間の中には、科学に無知で無駄なヘリクツをひねくり回してだけの連中がたくさんいますけど、哲学全てが役に立たないナンセンスってわけじゃないですから。
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うわあ、中身の薄い対談だな。
ほとんど、世間話レベル。
わざわざ日本までやってきて、こんな対談しなくちゃならないなんて、お気の毒。
マイケル・ハートなんて興味ないから、どうでもいいけど。
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で、イームズのDVD BOXセットに入っていたチラシにこんなことが。
ブレインマン
リアル・レインマン
封入特典:脳科学者・茂木健一郎、精神科医・斎藤環書下ろしの解説ブックレット
もう誰も話題にすることもなくなってしまった「往復書簡」の二人の夢のコラボです。
それにしても、一応「脳科学者」のモギケンはともかく、ラカン派精神科医の斎藤がサヴァン症候群と何の関係があるのかサッパリ分かりません。
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「神保町へ」のコメント欄でのhirさんとのやりとりの続きなんですけど。
瀬名氏、茂木健一郎のことは本当は評価していないみたいですね。
瀬名NEWS 研究者の作法
まず読者の多くは、作者のアイデアの独創性など重視しない。多くの人は、面白ければいい、という人間らしい気持ちに忠実である。いや、アイデアの独創性を重視する読者もいるはずだが、重視しない読者の声に掻き消されて、出版社には無視されてしまう。
自分をうまく欺ける人の方が成功する。茂木健一郎さんをここで引き合いに出すのはいいかどうかわからないが、「クオリア」「アハ体験」「1回性の人生」などは、別に茂木さんがつくった言葉ではないし、茂木さんが初めて言い出したことでもない。でもあたかもそれらを自分で考えたかのように語ることで、茂木さんはポピュラリティを獲得した。読者は作家が自分の言葉で語っていると思い込みたいものなのだ。誰かの引用など読みたくないわけである。茂木さん自身はこのことについて何のコメントもしていない。だから少なくとも科学者としてウソはついていない。さて、茂木さんは自分を欺いているかどうか? それはわからないが、茂木さんはペルソナを使い分けていると思う。そして少なくとも一部の読者を誤解させているとは思う。
なかなか痛烈ですな。
そうなると、茂木健一郎を持ち上げてしまった山田正紀の情けなさが際立ってしまうよなあ…。
ハァ…。
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ちくま学芸文庫の一冊を買ったら、「5人が選んだ「私が薦める「ちくま学芸文庫 Math & Science」」というチラシが挟んであった。
推薦者の一人が茂木健一郎で、その文章が以下。(*1)
知のデフレ現象が行き着くところまで達した日本において、そろそろ潮流の逆転が起き始めている。グローバルな知の競争の中で、未だに文系、理系などと言っていること自体がナンセンス。知の総力戦を闘わなければ、地球温暖化からウェブ2.0まで、現代の諸問題に向き合うことなどできない。
本格派の知性を志向する人にとって、「ちくま学芸文庫 Math & Science」は何よりの手助け。歴史に残る名著がきら星のように並ぶ。その構想と刊行はまさに快挙であり、大いに応援したい。
このシリーズの数冊くらい目を通している人でないと、インテリなどとは呼べない。そして、本物の知性なしに、現代社会で輝くことができるはずもない。大切なのは、知への愛。少々古くさく聞こえるかもしれないが、明日を切り開くのは間違いなく強靭な知性だ。
勘のいい人はもう始めている。未来に先回りしたい人は「ちくま学芸文庫 Math & Science」を読むと良い。
ヒドい文章。
「グローバルな知の競争」だの「本格派の知性を志向する」だの「現代社会で輝く」だの「明日を切り開く」だの、新人ビジネスマン向けの雑誌の見出しに出てきそうな言葉が並んでいて、とても恥ずかしい。
気になるのは、それだけではない。
例えば、こんな風に色分けしてみたらどうなるか。
知のデフレ現象が行き着くところまで達した日本において、そろそろ潮流の逆転が起き始めている。グローバルな知の競争の中で、未だに文系、理系などと言っていること自体がナンセンス。知の総力戦を闘わなければ、地球温暖化からウェブ2.0まで、現代の諸問題に向き合うことなどできない。
本格派の知性を志向する人にとって、「ちくま学芸文庫 Math & Science」は何よりの手助け。歴史に残る名著がきら星のように並ぶ。その構想と刊行はまさに快挙であり、大いに応援したい。
このシリーズの数冊くらい目を通している人でないと、インテリなどとは呼べない。そして、本物の知性なしに、現代社会で輝くことができるはずもない。大切なのは、知への愛。少々古くさく聞こえるかもしれないが、明日を切り開くのは間違いなく強靭な知性だ。
勘のいい人はもう始めている。未来に先回りしたい人は「ちくま学芸文庫 Math & Science」を読むと良い。
この冗長度の高さはナニ?
これだけ短い文章の中で、同じような言葉を何度も使ってしまってる。
文章作法上、全然ダメじゃないかと思うんだけど。
茂木健一郎のことを「文学や芸術にも理解がある科学者」みたいに受け止めるのは、見当違いじゃないか。
この人、全然文学的センスないですよ。
「ちくま学芸文庫」も、せっかくいい本を出してるのだから、こんな人を宣伝に使ってはいけません。
見識が疑われてしまいます。
(*1)ついでに言うと、竹内薫も推薦者の一人。
実にビミョーな人選。
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ちょっと前にすでに出ているけど、改めて、雑誌『現代思想』8月号 ゲーム理論 - 青土社 を紹介しようと思う。
(略)
それはともかく、のけぞったのは、茂木健一郎さんが執筆陣にいたことだった。
いや、今、ゲーム理論では「神経経済学(ニューロエコノミクス)」が流行しているらしいので、(これについて、松島さんが、賛同と批判を合わせた詳しい記事を書いているので、それで読んでくださいな)、別に茂木さんがゲーム理論の論説を書くのはぜんぜん不思議ではない。
そ、そうなのかなあ・・・。
そうではなく、「茂木さんって、どうして、こんなにたくさん仕事ができるの?」というのがすごく疑問だったのだ。
ぼくは昔、Zardの故・坂井泉水がCGである、という仮説を長い間持っていた。ぜんぜん、ライブシーンが出ないし、プロモはいつも同じ角度のものだけで、しかも動きがスローでいかにも重いプログラムで動くCGみたいだったからだ。また、ロックボーカリストにしてはあの人間離れした美人ぶりもそう思ったのだった。それは否定的な解決を見たのだけど、今は、ぼくは新たに、茂木健一郎ロボット説、という仮説を密かに暖めている。たぶん、同じ茂木型ロボットが5体ぐらいあるんじゃないかな。そうじゃなきゃ、あんなにテレビに出たり、あんなに雑誌でインタビュー受けたり、あんなに頻繁に本を刊行したり、あんなにベストセラーにしたり(これはひがみ)、さらに論文書いたりできないっしょ。
ゴメンナサイ。
懺悔します。
私は2ちゃんの書き込みを鵜呑みにして、茂木健一郎氏は論文なんかまともに書いちゃいないと思っていました。
私が馬鹿でございました。
茂木先生は、テレビや雑誌に出るかたわら、地道に学問的業績を積み重ねていらっしゃったんですね。
論文の検索の仕方も知らない素人なのに、茂木先生の悪口を書き散らして申し訳ありませんでした。
茂木先生を福岡伸一ごときと一緒に論じてはいけなかったのですね。
これからは、茂木先生がテレビのバラエティ番組でつまらないことを言っていても、軽蔑したりはいたしません。
あれは茂木先生の世を忍ぶ仮の姿、「真理の探究者」という茂木先生の真の姿を心の中に思い描きながら、尊敬の眼差しを送ってみたいと思います。
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茂木健一郎がとうとう北野武にまで手を出した模様。
あー、ムカツク。
実は、私、元”キタニスト”なんですよ。
私は、映画はほとんど観なくて(大体、2時間も黙って座ってスクリーンを見ているなんてメンドクサイ)、映画館にはもう4年くらい行ってないくらいなのだけど(最後に映画館に行ったのは、押井守の「イノセンス」のとき)、北野武だけは特別で、ある時期までは熱心に観ていたのです。
最初に映画館で観たのは「あの夏、いちばんしずかな海。」で(その前に「その男、凶暴につき」はテレビで観ていた)、一週間で打ち切りになった「ソナチネ」も、封切初日だったか二日目だったかに観ている。
一番好きなのは、やっぱり「ソナチネ」と「あの夏、いちばんしずかな海。」かなあ。
「DOLLS」で、ダメダコリャと思い、「座頭市」はそれなりに面白く観たのだけど、それ以降は観ていない。
まあ、これまでの作品だけでも映画史に残る人だと思うので、これからいくら駄作を撮っても許しますけどね。
と言うわけで、私がかつて好きだったものに、またまた茂木健一郎がしゃしゃり出てきて手をつけたので、ムカついたというお話でした。
茂木クン、もういい加減引っ込んでくれないかな。
(追記)
久石譲の音楽は嫌い。
久石は宮崎駿のアニメだけやってればいいと思う。
宮崎駿アニメは「魔女の宅急便」までしか見てませんけど。
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茂木健一郎先生の特別授業が開催されました!
(略)
どちらの勉強法でも生徒の方には、脳のどの部分が活動しているかを近赤外線を使いリアルタイムに画面上に表示できる装置(島津製作所)を付けて頂いているので勉強法の違いによる脳の動きがすぐに画面で見ることができます。まずは、鶴の恩返し勉強法から。黙読しての暗記と、声を出し手を動かしながらの暗記での脳の動きの差を見ます。
(画像)
脳の色が赤みがかり、黙読時より活動していることが分かります。
茂木先生からのアドバイスは「リズムよく、とにかく体を動かそう!」次はタイムプレッシャー法。自分にプレッシャーをかけてみると、その差は歴然!
(画像)
この違いには本人もびっくり。
「プロフェッシナルSP」でも同じようなことをしてたけど、こういうのって子ども騙しじゃないかと思う。
そもそも、「脳の活性化」って無条件にいいことなのだろうか。
これも、D.C.ギアリーの「心の起源」から。
現時点では、IQと複雑な問題解決と学習の際のグルコース消費パターンとの関係についての研究は決定的なものとはいえない。(Deary,2000;P.A. Vernon et al.,2000)。とはいえ、ここまでの結果は、高い流動性知能はさまざまな認知的要求にうまく対処するための必要な脳システムをより効果的かつ集中的に利用することと結びついているという仮説と一致するものである。特に、この結果が示唆するのは、知能が高い人たちは注意の資源を集中させることにすぐれており、ゆえに目の前の課題に必要な脳と認知のシステムだけを働かせ、同時に課題にとって不必要な脳領域を抑制するということだ。これはEagleのいう注意のコントロールと抑制システム(Eagle,2002;Kane & Eagle,2002)と一致する。脳活性のレベルでは、それと結びついた神経の効率のよさによって、課題を遂行しているあいだに働くニューロンがより少なくなり、ゆえに全体的なグルコース代謝が低くなるという結果になる。
抑制が重要だという考え方もあるのである。
| 心の起源 脳・認知・一般知能の進化 販売元:セブンアンドワイ セブンアンドワイで詳細を確認する |
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370 :没個性化されたレス↓:2008/07/13(日) 18:19:27
~したまえ!
とか書いてる文章もキモイひたすらキモイよ茂木
371 :没個性化されたレス↓:2008/07/13(日) 18:22:00
>茂木健一郎 クオリア日記: ツァラトゥストラでも読みたまえ!
>その苦しさを恵みに
変える方法は、「自らの制約を
受け入れる」ということに
あるんだよ、諸君。> もっと詳しく知りたければ、
講演の音声ファイルを聴いてくれたまえ!>ぜひ駆けつけてくれたまえ、諸君!
372 :没個性化されたレス↓:2008/07/13(日) 18:32:05
なんのつもりなんだろう
それにしても、日本人(の一部)は、熱く語らい肩を組んで放吟、みたいなのが好きだよねえ。
私はそういうの大嫌いなんだけど。
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人が考えていることが変われば、彼の脳の活動も変化します。しかし「脳が考える」という言い方は、たとえそれが日常の表現であっても、哲学的には奇妙な語法違反です。考えるのは脳ではなくて人です。誰かが「私の脳は考える」といったら、それは間違いというよりもナンセンスです。(略)
このカテゴリーの違いはこれからもぜひとも注意しなくてはなりません。(略)
「ビハインド・アイ」D・M・マッケイ
ここに、思いっきりカテゴリー違反している男が約一名。
感動する脳 茂木 健一郎 (単行本 - 2007/3/17)
それでも脳はたくらむ (中公新書ラクレ 264) 茂木 健一郎 (単行本 - 2007/12)
欲望する脳 (集英社新書 418G) 茂木 健一郎 (新書 - 2007/11/16)
ビハインド・アイ―脳の情報処理から何を学ぶか 著者:D.M. マッケイ
販売元:新曜社
Amazon.co.jpで詳細を確認する
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文藝春秋 2008年8月号
批判の嵐にさらされる東宮一家。 孤立無援の両殿下は今、何をなすべきか――
皇太子、雅子妃 両殿下への手紙
保阪正康/友納尚子/斎藤 環/福田和也/猪瀬直樹/茂木健一郎
「皇室問題」も「得意ジャンル」なんですかね。
ところで、他の面子を眺めると…斎藤 環の名が。
夢の競演だ!
しかも、実際に誌面を見てみたら、斎藤のすぐ後にモギケンのコメントが。
ワザとですか、文藝春秋さん。
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茂木ズバッ !!
脳科学者ひらめき対談 (第1回)
茂木健一郎×劇団ひとり
激論!! 人はなぜスベるのか
「寅さんのように役名で呼ばれたい」「多芸でも核は必要」本誌連載「脳から始まる」でもおなじみ、脳科学者・茂木健一郎さんの対談企画が満を持してスタートする。初回ゲストは、劇団ひとりさん。
一人芝居に小説、テレビにと大活躍だが、基本は「笑い」。そして笑いといえば、実は茂木さんの得意ジャンルの一つだ。テレビ番組のタイトルではないけれど、ズバッ! ズバッ! と劇団ひとりさんに斬り込んだ。
ウケるポイント、笑いの底流にあるもの、どこまでが笑えて、どこから先が笑えなくなるか。三日坊主、寝起きから将来の夢まで縦横無尽に語り合った、読みどころ満載の対談記事。
「得意ジャンル」をたくさんお持ちのようで、けっこうですな。
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「ザ・ベストハウス123 脳科学者茂木健一郎プレゼンツ スゴい脳スペシャル」を録画したものを、テキトーに早送りしながら見る。
茂木がヒドイのは当然だが番組自体もヒドかった。
どうヒドかったかは後で書く。
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またしても、モギケン・ネタで申し訳ない。
今週は大したこと書けなかったなあ。
来週はもっと気合い入れて書きます。
「週刊ポスト」6.6号、「メディアウォッチング 日本のテレビを斬る<NHK総合・プロフェッショナル 仕事の流儀>」より、筆者はライターの福光恵。
(略)
ただし、唯一残念なのが、モギケンこと脳科学者の茂木健一郎の司会ぶり。たとえば映画監督の堤幸彦を取り上げた13日の回。AD時代の監督が失敗ばかりしていたエピソードをVTRでさんざん流した直後、スタジオでモギケンはこう聞くのだ。
「そんなに仕事ができなかったんですか?」
もしもし、それは今VTRで見たでしょう。他にも「その時どんな気持ちだったんですか?」など、人の話を聞いていないと受け止められても仕方がない質問が続く。以前、ゲストのイチローから番組中に「目が笑ってない」と指摘されたがその表情からして、そもそも人の人生にあまり興味がなさそうなのだ。ゲストに感情移入しようとしている視聴者とはどう考えても温度差がある。
だいたい旬の科学者を司会に引っ張って来て、お手軽に他番組との差別化を図ろうというのもどうかと思う。モギケンをどう生かすかが、NHKの腕の見せ所のはずなのに。
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土日の間、田舎に帰ってパソコンのない生活をしていたので、今週は長い文章が書けない。(いつもは、長めの文章は週末にまとめて書いているのだ)
こういうときは、気楽に書ける茂木健一郎ネタに走るのである。
何週か前の「SPA!」より、宮崎吐夢のコラム。
以前、『R30』という深夜番組でイベンターの康芳夫氏から「茂木さんの前でなんだけど、僕は脳科学者って基本的にインチキだと思う」と言われた茂木健一郎氏は「このドリルをやると脳が活性化しますとか、アレは確かに言いすぎ」と答えていた。
私はてっきり「脳トレブーム」の火付け役・川島隆太教授を暗に批判しているかと思ったら、先月号('08年5月号)の『文藝春秋』では、「川島氏と私の意見は必ずしも相反しない。別の角度から脳にアプローチしているだけ」とコメント。
しかし先日、渋谷のタワーレコードで行われた『脳とクラシック』発売記念のトーク&サイン会を見に行ったところ、やはり「今の脳ブームの7~8割は」インチキ」と発言していた。「脳ブーム」と言われて思い出す名前といえば茂木健一郎氏以外に、川島氏と養老武孟司氏くらいしか私には思いつかないのだが、一体誰のことを指しているのだろう?(略)
わざわざトーク&サイン会にまで行くとは。
ここにも「モギケン・ウォッチャー」が一人。
同士よ!
タワリシチ!
で、茂木健一郎に対しては
お前が言うな!
って言うか、自己否定だよな、コレ。
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気分転換にちょっと作ってみた。
茂木健一郎と言うより細野晴臣になってしまったのが残念である。
80年文化人(いい加減なくくりだが)で好きなのは、ナンシー関とみうらじゅんくらいだな。
他の連中は大がいキライだ。
ナンシー関の衣鉢を継ぐ人間が出てこなかったのは残念だ。
週刊文春でときどきテレビドラマ評なんかを書いている今井舞は、そのあたりを狙ってるんだろうけど、全然ダメ。
まったく面白くない。
単なる毒舌。
ナンシー関の文章を読んだときのハタと膝を打つようなカタルシスが全然ない。
ナンシー関が生きていたら、茂木健一郎にもちゃんとツッコミを入れてくれただろうな。
そうすれば、私もこうしてイチイチ茂木のことを書く必要もなかったのだが。
![]() |
ナンシー関全ハンコ5147 著者:ナンシー関 |
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NATROMの日記のコメント欄より。
杉山真大
脳科学と言えば、メディアで半ば売れっ子になっている茂木健一郎が「火の玉教授」に科学的態度が理解できていないと批判されているんですよね。
http://www.e-themis.net/feature/read.php脳の機能的分析なら兎も角、クオリアとか下手に認識論が絡んじゃったりすると形而上学的というか哲学的な方向に行っちゃって、得てして科学とかけ離れてしまう危うさがあるんじゃないかと個人的には思うのですが。宇宙論と同じ様に。
nuc
いや、宇宙論は物理のどまんなかで(も行われていま)すよ。
物理の総合格闘技の面があるので、教養書に落とし込むと理解力の問題から何いっているか分からなくなるだけで。物理をやっているものからすると、脳科学を始めると学者として末期、との印象が正直あります。誰もが興味を持つが、相当な複雑系で、まだ科学になっていない、という判断でしょう。
ただ、最近コロキウムにいらした川人光男先生は非常にまっとうな方のようでした。
講演中に「それだと某脳文化人のようになってしまうわけです」などと言ってみせるのは母校だったからもあるでしょうが、それに加えて、物理屋の脳科学への心象を共有はしていないが理解はしている証拠だと思いました。
2ちゃんニュース速報板より。
819 : 餃子(東北地方):2008/06/06(金) 13:40:50.11 ID:NBQZ1A8V0
確か同じ東大の酒井先生も茂木の脳科学は違うって言ってたって
聞いたな。
酒井先生の話を聞いたがあまりにもレベルが高すぎてわからんw
物理で言語を扱うとか普通の発想じゃねえww
「酒井先生」というのは酒井邦嘉かな。
2,3年目にNHKで、科学者が子供たちに自分の研究を紹介するという、4,5回くらいのシリ-ズの番組があって、奇しくも、そのうちの一回が茂木健一郎で、別の回が酒井邦嘉だった(NHKと茂木の癒着はこのころから始まっていたのだな)。 (*1)
茂木健一郎の説明が、まるで要領の得ない曖昧なものだったのに対して、酒井邦嘉の方は理路整然とした説明で好感をもった。
顔は小堺一機似だったけど。
とりあえず、脳科学社の中にも、ちゃんと批判的な発言をしている人がいることが分かって一安心。
まあ、そうじゃなきゃ、おかしいわな。
できれば、もっと前面に出てきて発言してほしいんですけどね。
(追記)
「物理をやっているものからすると、脳科学を始めると学者として末期、との印象が正直あります。」
ああ、ペンローズ。
(さらに追記)
(*1)ググってみたら、これですね。2004年放送。私は、このころ既に「モギケン・ウォッチャー」だったわけだ(笑)。
「小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学」
11月2日(火)24:00
「宇宙はこんな形だった」~宇宙論~
杉山 直(自然科学研究機構 国立天文台理論研究部 教授)11月3日(水)24:00
「脳科学~脳はどう意識を生むのか?」
茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、 東京工業大学複雑システム解析講座 客員助教授)11月4日(木)24:00
「目で見えた!量子の世界」~量子物理学~
上田正仁(東京工業大学大学院理工学研究科 教授)11月5日(金)23:30
「なぜ人は言葉を話すのか」~言語学~
酒井邦嘉(東京大学大学院総合文化研究科 助教授)
![]() |
言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか (中公新書) 著者:酒井 邦嘉 |
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SeaMountさんへの応答が終わってないのに、こういう記事で更新するのは心苦しいのですが。
少しずつ書き進んではいるので、気分転換だと思って大目に見てやってください。
大槻教授「彼は科学者ではない!」江原を持ち上げる「脳科学者」茂木健一郎へ噴出した「批判」
89 : オーレ・モレモ(東京都):2008/06/04(水) 12:32:54.75 ID:TMF5XttW0
中沢新一みたいになりそうだな96 : セル(滋賀県):2008/06/04(水) 12:34:32.44 ID:9yZaJl5w0
単なる物書きと思えば中沢新一の本は面白いだけマシだ。
私も、中沢新一と似てるところがあると思ってたんだよな。
中沢の方がペテン師としては洗練されているが。
これについては、そのうちに書きたい。
300 : フリーザ(東日本):2008/06/04(水) 14:10:58.96 ID:ktZUFNT00
プロフェショナルにしても
「これは脳科学の立場から言っても~」とか言いながら
特別の根拠も示されず出演者の主張のトートロジーみたいな事しか言ってないからな (*1)
喋りにセンスがないだけかもしれんが
あれは退屈でたまらん
養老先生の呟く愚痴でも聞いてた方が100倍マシ
鋭い。
私は養老先生の愚痴はカンベンだけど。
367 : ハンツキー・ロムッテロ(愛知県):2008/06/04(水) 14:55:00.70 ID:FXn2yVu50
>>363
「本当に霊能力というものがあるなら、きちんと検証しましょう」
こういい続けている阪大の菊地誠教授に対し、
なんだかんだと理由をつけて逃げ続ける江原。
菊地さん、そんなこと言ってたっけ?
それは大槻教授でしょ。
401 : こうふくろうず(横浜):2008/06/04(水) 15:28:36.29 ID:auQyQrPtO
茂木はたしかに江原と対談してたけど
その一件だけで江原を支持するオカルト野郎って
批判するのは間違いだろうよ茂木と江原の対談読んだけど茂木は江原を否定も肯定もしてなかったぜ
ただ企画で話をしただけって印象茂木が科学者研究者として実力や実績あるかないかは知らんが
江原支持だってのは言いがかり
対談を引き受けた時点でアウトなのだが。
428 : ベジット(巣鴨):2008/06/04(水) 15:52:20.40 ID:eo3mg3uN0
前に茂木がオカルト系番組のコメンテーターで出てたとき
「こういった話が真実か?ウソか?これを考えるだけでも脳に良い刺激になる」
って言ってたぞ、肯定とか否定とかじゃなくて空気読んでるだけだろな
茂木は、その場限りの発言ばかりだな。
これについても、後で書く。
458 : 士根嵐(福島県):2008/06/04(水) 16:29:51.23 ID:T2Oz1Ybk0
>>411
あのおっさんは数学の啓蒙でがんばってるからともかく、
藤原正彦とかの方が数学板見る限りじゃ叩かれてるな。
「数学者というよりエッセイスト」とか言われてる。
あと、森敦とか。(*2)
それは、森毅。
158 : 今北三仰 法師(讃岐):2008/06/04(水) 13:02:14.15 ID:4x9Q4EqW0
うちのおかんは、ヨンさま、細木、江原、茂木と胡散くさいの全部ファンになってる
・・・お気の毒としか言いようがない。
(追記 2008.6.6)
(*1)トートロジーという言葉の使い方が間違っているような気がするが、言いたいことは分かる。
(*2)森敦は小説家。
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「月刊テーミス」6月号に茂木健一郎批判の記事が。
web上でも読める。
バックナンバーも保存されているので、7月以降は以下のアドレスになるはず。
茂木批判の記事がこのところ立て続けに出ている。
先週の週刊ポストでは「プロフェッショナル」での司会ぶりが批判されていたし、今週の「SPA!」では宮崎吐夢が皮肉たっぷりの文章を書いている。
茂木批判は歓迎なのだが、この記事はちょっとレベルが低いな。
このくらいなら、素人でも書けるぞ。
斎藤環は往復書簡の件があるからいいとして、大槻教授のところに行くのはどうかね。大槻教授の言うことなんか誰も真に受けないと思うが。
斎藤環にしろ、大槻教授にしろ、脳科学の専門家ではないわけで、説得力がイマイチ。
どうせ行くなら、ちゃんとした実績のある脳科学者のところに行って、「茂木健一郎のことはどう思われますか?」と聞けばいいじゃないか。
唯一の収穫は、イタコに小林秀雄を口寄せしてもらった体験記を『文藝春秋』に載せているということを知ったこと。
これはチェックしていなかった。
後で、図書館に行って確認する。
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脳科学者が「根拠のない自信が大事だ!」と脳科学を根拠に言っているのを聞いて持つようになった自信は「根拠のない自信」なのだろうか、「根拠のある自信」なのだろうか。
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対談 脳を脱構築する。その先に脳科学の未来がある。 茂木健一郎 × 布施英利
布施 昨今の脳ブームの状況を見ていると、脳という言葉がある種、宗教用語になってしまっているような気がします。かつての宗教用語を使うとうさん臭いけれど、脳という言葉を使うと安心できるというような。茂木 科学のトレーニングを受けた人は、何か重要なことをステートメントする時に、必ず何らかの自己懐疑を含んだ形で言います。つまり、あることを言う時は仮説として言っているわけで、それが百パーセント正しいという押し付けはしないという態度を徹底的に叩き込まれます。でも昨今の脳ブームではそういう言い方はされていませんね。そのまま信じられて、まさに宗教的な機能を果たすようになってしまうんですね。
お前が言うな!
お前が言うな!
お前が言うな!
お前が言うな!
お前が言うな!
お前が言うな!
お前が言うな!
お前が言うな!
ハァハァ。
......申し訳ありません。取り乱してしまいました。
あまりにも厚顔無恥な発言を目にしてしまったので。
布施 僕が嘘っぽいと思うのは、答えがある人。たとえば、「プラス思考をすれば脳内ホルモンが出て幸せになれますよ」とか。人生には、答えなんてものはそもそもないはずです。とはいえ、脳には答えを求める性癖があるようにも思う。それは、一体何なんでしょうね。
それは、もちろん茂木に対する皮肉なんだよな?布施さんよ。
ところで、前から思っていたんだが、布施英利って「人気者になれなかった茂木健一郎」だよな。
茂木ほどずうずうしくなれなかったかったのだろう。
お気の毒様。
茂木 そうだと思いますよ。だから、最初に申しあげたように、脳というものを脱構築する必要がある。昨今の日本人論と同じで、日本人とはこうであると言った瞬間に“一丁上がり”になるわけで。「脳とは…」と言わず、別の主語を使えばいいんじゃないかな。
「脱構築」......。(ゲッソリ)
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例によって、茂木の発言をチェックしてみる。
番組開始。
そもそも、茂木健一郎が長谷川眞理子の隣に座っているっていうのが納得いかない。
茂木は山本梓の隣でいいだろ!
大してレベル違わないだろうが。
まずは、ダーウィンは子供のころ落ちこぼれだった、という話。
ダーウィンね、別になまけものだったんじゃないと思うんです。
自分の興味あること以外やらない。
当然学校の成績よくならないですよね。
でも、興味あることは徹底的にやるっていうところは、将来天才になる種なんじゃないですか。
ボクも子供のころ虫取りしてましたけど、すごく気持ち分かる
フーン。
遺産が約80億、その遺産で研究に没頭したという話。
すぐに役に立つようなことばかりやっていたら科学は進まないんですよ。
余裕が大事なんですよ、余裕が。
フーン。
結婚するメリット、結婚しないメリットをノートに書き出したというエピソード。
イギリス紳士独特のユーモアなんですよ。
愛情も情熱もあるけれど、あえてこういう風に言うっていうのがユーモアなんだよねえ。
フーン。
今までのところ、科学者らしいこと、一つも言ってないな。
「余裕が大事」とかいうのは、茂木が最近よく言ってる「セキュア・ベース」ってやつだな。
結局、茂木って全部自分の持ちネタに絡めようとするのな。
宮崎美子「パンダの模様はどうしてできたの?」
僕は、元々、昆虫や生物のパターンがどうやってできるかって色々研究をしてたんですけど
そうなんですか?初めて知りました。
やっぱり、できちゃうんですよ、形って
だからさぁ......(ため息)。
全然説明になってないって。
胚発生がどうとか、制御遺伝子がどうとかっていう説明はないのかよ。
一体生物のパターンの何を研究してたんだよ。
それを、どう使おうかって、生きものが工夫するんです
そういう擬人化した表現は誤解を招くよなあ。
人間が二本足で歩くようになったのも、歩くようになっちゃったんでしょ
そしたら手がフリーになったから、じゃあこれなんか使おうと
何か、今西理論が混ざっちゃってるような。
進化って本当に複雑なんですよ
最後まで不得要領な説明でした。
南原「20年間ひとつのことに没頭し続ける脳ってどういう脳をしているんですか」
逆に言うと、20年くらいやんないと、そういう大きなことをできない。
何でいきなり逆にしちゃうんだよ!
南原がせっかく脳の話に引きつけて質問してるのにさ。
思いっきりスルーかよ。
前頭葉がどうとか、ドーパミンがどうとか、いつもの調子で答えりゃいいじゃないか。
アンタは、いつも質問されたことに対して答えないよな。
習慣化しないといけない、筋トレだってそうでしょ、脳も同じなんです。
習慣化しないとダメなんだけど、それができるのはやっぱり、やってることを愛している人ですね。
脳を鍛えるのが好きだねえ。
で、最後は愛ですか。陳腐だねえ。
「どうしたらダーウィンみたいな天才になれるんですか?」
ダーウィンはハッキリ言ってホント天才です。
それは分かったから、さっさと天才になれる方法を教えろ。
なぜかって言うと、ダーウィンまでは何で地球にこんな色々な生物がいるのか分からなかったですよ、
ダーウィンは、色々な生きものがいるけれども、その背後にはちゃんと普遍的な性質があるんだよ、と。
天才だね。
何、一人で納得してるんだよ。
さて、ダーウィンがなぜ天才になったと思いますか?
これが大事。
日本の社会の中で、何がダーウィンから学ぶべき一番のレッスンかというと、ズバリ言いましょう、変人になる自由。
だからあ。
「天才になれる方法」を教えてくれって言ったんで、「天才を作る方法」を教えてくれって言ったんじゃないんだよ。
何で、質問とずれたこと答えるんだよ。
ボクねえ、ケンブリッジに行ったでしょ
学歴自慢ですか。
ケンブリッジ大学って、卒業生からからノーベル賞(学者)を71人。
どうしてケンブリッジ大学、みんなノーベル賞とれるようになるかっていうと、変人になる自由があるんですよ。
日本人だとちょっと違うと、みんなと同じになれよってプレッシャーかかるじゃないですか。
ケンブリッジの人はみんな変人。
そういう空気の中からダ-ウィンも生まれてきたわけですねえ。
これも、茂木が最近あっちこっちで言ってることだな。
変人が増えたからって天才も増えるとは限らんと思うが。
だから、ちょっと変わっていたら、どんどん煽り立てるような感じ。
それをやんないと日本は天才が生まれないんですよ。
南原「(茂木を指して)そういえば、ちょっと変わってますよね」
ナイスつっこみ。
さて、エンディング。
ダーウィンみたいな、こういう生き方魅力的じゃないですか。
とにかく家の近くの自然に行って小さな虫からでいいから観察しましょう。
「小さなことからコツコツと」って
西川きよしかっ!
相変わらずのモギケンでした。
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さっき、思いついたんだけど、茂木健一郎とライアル・ワトソンって似てるね。
科学に無知な文系の人間 (*)に受けがいいところとか、
自分時自身の業績はなくて、他人の研究を薄めて(ときには歪めて)紹介するのを商売にしているところとか。
*「科学に無知な文系の人間」というのは、「文系の人間は科学に無知」ということではなく、「文系のうち、科学に無知な人間」の意味なので、誤解のないようお願いします。
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