カテゴリー「本(SF)」の記事

2008年7月19日 (土)

祝「マイナス・ゼロ」復刊

タイムマシンを駆って、少年時代の自分の住んでいた懐しい古き良き時代にやってきたひとりの男・・・・・・。非凡な空想力と奇想天外なアイディア、ユーモア精神と奇抜などんでん返しで、タイムトラベル小説の最高峰と謳われ、今や日本SF史の記念碑的存在となった著者の第一長篇小説。

時間SFの傑作。
日本SFの金字塔。

長らく入手困難になっていて、ネット上ではベラボウな値段がついていたようだが、復刊して良かった。
まだ読んでない人は、また入手困難になって、地団駄を踏まないようにサッサと買っておきましょう。

「ツィス」も買おう!
「エロス」も買おう!
(念のため言っておくけど、「エロス」は別にエロくないよ)
短編集「タイムマシンの作り方」も買おう!

「鏡の国のアリス」と「T型フォード殺人事件」は・・・エーと、興味があったら買いましょう。

ところで、この小説の中の「現代」って、昭和37年なんですね。
こちらの方も、今ではノスタルジーの対象になってしまったのだなあ。

Book マイナス・ゼロ 改訂新版 (集英社文庫 ひ 2-1 広瀬正・小説全集 1)

著者:広瀬 正
販売元:集英社
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2008年4月18日 (金)

偶有性について5

 ちょっとふざけすぎた。今度はもう少しまじめに。

 茂木は「偶有性」という言葉を使って、脳は、確実さに不確実さが混じった状態を喜ぶのだ、不確実性が人生を豊かにするのだ、というようなことを言っているわけだが、こういう発想は目新しいものではない。むしろ今ではありきたりで凡庸なものだとすら言える。
 山田正紀の『襲撃のメロディ』から。ちょっとネタバレ気味だが、クライマックスの場面を。

『無秩序がなければならなかった』巨大電子頭脳が言った。
『--無秩序は生物にも無生物にも内在している。無秩序こそ生命や文化を生みだした母胎といっても過言ではない。無秩序がなければ、--ただそこには虚無が残るだけなのだ。
 人間が単に<環境に制御されるオートマトン>であるなら、私はこの社会を完璧に管理、制御するのを躊躇わなかっただろう。だが、考えてみるがいい。生物に<複写エラー>のメカニズムが組みこまれているからこそ、変異という形でDNA分子のなかに新しさが入ってくるのだ。……生物界全体に無秩序が組みこまれている以上、完璧な管理社会は生物としての人類の滅亡を意味している。
  私は社会を管理すると同時に、無秩序を絶やさぬ責任をも負わされたのだ。』

  この作品が発表されたのは、1975年頃だったはず。もう30年以上前ですね。
  山田は、このあたりの発想--社会に人為的に無秩序を導入して活性化させる、ということ--を、文化人類学や情報科学から得たのではないかだろうか。当時、文化人類学ではトリックスターということがよく言われていたのではないかと思う。トリックスターというのは、社会の秩序をかき乱すいたずら者だが、文化を活性化する役目も果たすのである。
  茂木がやったことっていうのは、この種の発想を、社会のレベルから個人のレベルに落として、脳科学に結びつけただけのことでしょう。

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2008年3月22日 (土)

くたばれ評論家の巻 の件(これでオシマイ)

 この件に関しては、もう書くつもりがなかったのだが、まだくすぶっているみたいなので、もう一度だけ書いておしまいにしたい。
 
『パラサイト・イヴ』に対する当時の批判の例として、以下のものを参考情報として書いておく。 『村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ』より、村上龍と浅田彰の対談である。

村上 (略)
   一つ、僕が具体的に嫌だったのが、パラサイト・イヴという小説があって......。
浅田 あれは最低だね。
村上 アニミズムだからね。
浅田 何でミトコンドリアごときに人格があるの。あれは人格がないからすごいんだよ。
村上 全くそうなんですよ。そういう学問の場所にいながら、アニミズムになっちゃう。要するに人間には約60兆の細胞があって、赤血球とか特別なものを除けばその細胞の中にはすべて核酸とミトコンドリアがあるわけです。どのミトコンドリアが反乱するのか。そういうことを彼は全く無視して書くわけじゃないですか。DNAを臓器的に捉えるというレヴェルは単に無知ということで済むかも知れない。だが、細胞器官や遺伝子に意志や言葉を与えることは、危険で許せない退行です。それを、けっこう名のある選考委員がバンザイで迎える。お前らはバカだで済まされるもんじゃない。無邪気なバカでなく、危険なバカが増えつつあるんです。その精神の退化がオウムの起こった年とパラレルになっていると思うんです。決して無縁じゃないと思う。

「ミトコンドリアはかぶり物でやるのか」よりも、よっぽどひどいことを言ってると思うのだが。村上も浅田も「SF業界」の人間とは言えないわけで、どうして「相手を見くだすことで、自分を安全な高みに置き、自分を優位に立たせる、そのために嘲笑う」「この習慣がSF業界に驚くほど浸透している」ということになってしまうのか、やっぱり良く分からない。
 結局、今回の件は、何らかの感情的な行き違いからおかしなことになってしまったと思われるので、当事者間で話をつけるしかないのではなかろうか。私は、「SFファン」ではあっても「SF業界」の人間ではないので、これでオシマイとする。
 
(おまけ)
 村上龍も偉そうなことを言っているが、他人のことを言えた義理じゃないと思う。村上のダーウィニズムの理解(というか無理解)なんてヒドイものだ。それについては、またいつか書こうと思う。
  『パラサイト・イヴ』をオウムと結びつけるのも、大分無理があると思う。オウムがどうのこうのと言うなら、むしろ、オウムを持ち上げた中沢新一や、その中沢と付き合って面白がっていた浅田彰の方に(間接的な)責任があるが関係が深いわけで、瀬名よりも村上の方が関係が深いんじゃないかと思う。

(追記 2008.3.23)
「(間接的な)責任がある」はちょっと言いすぎだという気がしてきたので「関係が深い」に修正した。

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2008年3月19日 (水)

アーサー・C・クラーク死去

SF作家のアーサー・C・クラーク氏が死去 (asahi.com)

 死ぬのを忘れちゃってるんじゃないか、と思っていたのだが。
  この人の場合、「ご冥福を」という言葉は似合わないような気がするので言わないでおく。
  個人的にベストだと思うのは、『宇宙のランデヴー』『楽園の泉』『都市と星』。とくに『宇宙のランデヴー』は三、四回読んでる。あの強烈なオチも良いのだが、前半の軸から”下”に降りていく場面の描写が好きだった。
  ノン・フィクションでは『楽園の日々』が好きだったな。

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2008年3月16日 (日)

くたばれ評論家の巻 の続き

kikulogの方で新しくエントリーが作られていたので、あらためて。

 瀬名が「擬人化しないように注意を払って書いた」ということになると、ちょっと事情が変わってくる。(*1)こうなると、『パラサイト・イヴ』(*2)読まないといけないなあ。今は江原批判の方に専念したいので、当面は無理です。と言うわけで、『パラサイト・イヴ』に関する現時点での私の評価は、『保留』ということにしておきます。
 ただ、今回の瀬名の態度に関しては、やはり納得できない。今回の瀬名のブログの書き方だと、嘲笑された、ということ憤っているようにしか見えない。「擬人化している」という批判が誤りだ、と考えているなら、そうハッキリ書くべきだったと思う(過去に瀬名が菊池に私信あるいは掲示板で反論したということは、ここでは関係ないことだ)。
 
 
注)このブログは基本的に敬称略の方針です。念のため書いておく。

(追記 2008.3.17)
(*1)当時の書評から、意図的にミトコンドリアを擬人化してSFホラーにしたてあげた作品、という印象を持っていたのである。

(*2)『パラサイト・イブ』じゃなくて『パラサイト・イヴ』でしたね。訂正しておきました。

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くたばれ評論家の巻

 江原啓之批判の途中なのだが、「江原啓之」でblog検索をしていたら、ものすごく不快な文章にぶつかってしまったので、一旦中断して、これを書かなけらばならない。

瀬名秀明の時空の旅

菊池さんに対しては、複雑な気持ちがありますね。私が『パラサイト・イヴ』でデビューしたころ、菊池さんは仲間たちとウェブ掲示板の書き込みをしていて、そこで私を嘲笑していました。あの掲示板はミトコンドリアを擬人化している、という批判の代表格だったのではないかな。『パラサイト・イヴ』が映画化されることが決まったときは、「ミトコンドリアはかぶり物でやるのか」と嘲笑し合っていましたね(この発言自体は菊池さんのものではありません)。
だから私は、菊池さんがニセ科学批判における笑いの効用を説いても、容易に信用することはできません。ニセ批判には笑いを浴びせよう、それが最大の批判効果をもたらす、という主張は、ときに怖ろしい凶器となることを知っているからです。相手を見くだすことで、自分を安全な高みに置き、自分を優位に立たせる、そのために嘲笑う。私はデビューして13年の間で、この習慣がSF業界に驚くほど浸透していることを知りました。菊池さんの中にもそういう感覚がいくらか残っていると私は感じます。(略)だからニセ科学批判の手段として、相手を笑うということには、私は真っ向から異を唱えたいと思います。あなたがもし、あるとき突然、人から誤解のもとに嘲笑されたらどうしますか? その心の痛手は、本当に大きいものです。だからどんなときでも人を嘲笑してはいけない。笑う人は他人から笑われるということを肝に銘じておいた方がいい。笑いたいなら権力そのものを笑えばいい。

 大の大人が何甘ったれたこと言ってるんだ、というのが率直な感想である。瀬名は自分の作品が嘲笑されたことを根にもっているようだが、嘲笑だって批評のうちである。レベルが低い作品に対しては、嘲笑をもって批評するのも正しい態度の一つである。自分の作品はそんなレベルの低いものではない、誤解されている、というならそう反論すればいいだけであって、嘲笑したこと自体を非難するのは筋違いだ。「笑いたいなら権力そのものを笑えばいい」などと大層なことを言っているが、要は自分は笑われたくないというだけのことだろう。 
 瀬名は「ミトコンドリアはかぶり物でやるのか」という言葉にこだわっているようだ。私は『パラサイト・イヴ』は読んでいないが、おおよその内容は知っているつもりである。「ミトコンドリアを擬人化している」という批判は、おそらく正当なものだろうと思うし(村上龍と浅田彰も同じような批判をしていたはずである。別に村上と浅田が読み手として信頼できるというつもりはないが)、その表現として「ミトコンドリアはかぶり物でやるのか」という言い方をするのは、多少口汚くはあるが、批評の範囲内のものとして許されると思う。そもそも、雑誌や本の上での批評ならともかく、掲示板での書き込みなら、この程度の口汚さは普通のもので、この程度の言葉で大騒ぎする感覚は私には理解できない。 (もちろん人情としては理解できるが、そんな感情を表に出すな、ということである)

もうひとつ、SF業界に根強く残っている悪癖は「謝罪しない」ということです。私はこれでもデビューしていくらか人生経験を積み、自分が悪かったと思うことには謝罪できる心を持てるようになってきました。私は菊池さんに対して、自分が行き過ぎた言葉を過去に述べたことについては頭を下げて謝っています。しかし菊池さんはどうでしょう。他人が謝ることでまだ勝ち負けを決めているのでは。汚い言葉を自分で使っていたと感じたときは、お互いにこれからは謝ることにしませんか。

 バカバカしい。謝罪などしなくて当たり前だ。こんなことでイチイチ謝罪が必要だなんてことになったら、批評など成り立たない。
 瀬名に対しては、以下のマンガを捧げよう(buyobuyoさんのマネです)。

Mami

『エスパー魔美』「くたばれ評論家の巻」である。
 こうして見ると、藤子・F・不二雄はやっぱり偉大だな。おそらく藤子も評論家にけなされて腹が立ったことがあったのだろうが、それを昇華して、人を感動させる作品にしてしまったのだから。

 瀬名の文章の後半については、過去にkikulog等で議論されていることだから、ここでは議論しない。ただ、瀬名の「私たちが物事を信頼してゆくためには、実験しかない」という考えは、科学に対する考えとしてはあまりに素朴すぎるのではないか、とだけ言っておく。

エスパー魔美 (1) (小学館コロコロ文庫) Book エスパー魔美 (1) (小学館コロコロ文庫)

著者:藤子・F・不二雄
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2008年1月19日 (土)

SFJapan 2007冬季号

山田正紀の短編が目当てで読む。山田正紀のSF短編は久しぶりだし、最近の状況だと単行本にまとまるかどうかも怪しいので。
神林長平と山田正紀が、同じイラストを元に競作するという企画。なぜか、どちらも自我の崩壊がテーマになっている。
神林長平「自・我・像」。自我崩壊感覚の描写が面白い。オチも割ときれいにまとまっている。
山田正紀「コンセスター」。こちらは、残念ながらあまり出来がよくない。ドーキンスの「祖先の物語」から「コンセスター」の概念を引っ張ってきているのだが、ストーリー上の機能が全く分からない。登場人物の行動原理も理解不能。アイディアをよく練らないまま作品にしてしまった感じ。
それにしても、「神獣聖戦 Perfect EDITION」が出るのはいつになることやら。

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2008年1月 6日 (日)

「半身」サラ・ウォーターズ 他

帰省中に読んだ本。

・「半身」サラ・ウォーターズ
これは素晴らしかった。すっかり作者の術中にはまってしまった。「このミス」1位も納得。

・「ハイペリオン」ダン・シモンズ
スペオペっぽいのかなと思って読んだら、結構、時間テーマが入っていて、「時間ものSF」好きの私としてはうれしかった。解説では触れられてないけど、「学者の物語」(これがまた泣ける話なんだ)って、キルケゴールの「おそれとおのののき」の議論がベースになってますよね。作品としての評価は「ハイペリオンの没落」を読んでから。

・「殺す風」マーガレット・ミラー
作者の人物描写が見事。一応ミステリ的なオチはついているけど、とってつけたような感じで、むしろ普通小説として読んだほうが楽しめるのではないかと思う。

で、「半身」に話を戻すのだが。ネットで色々評判を見て回ったのだけど、この作品を「読みにくい」とか「難解だ」とか言ってる人達って、普段どういう小説を読んでいるんですかね。第一部のあたりは、話のペースがゆっくりしていて読むのに割と時間がかかるけど、情報を小出しにて読者の興味を引くから退屈はしないし、とくに読みにくいということはないと思う。ストーリー的にも明快だし、2つの手記が交互に語られると言っても、別に複雑な構造をしているわけでもない。

(以下ネタバレぎみなので、反転表示です)

内容に関して言えば、「物語半ばあたりでその後の展開が読める」「トリックが単純だ」だとかとか文句を言ってる人が多いけど、ちょっと筋違いだと思う。トリックの単純さに関して言えば、合理的に考えれば当たり前の結論を、雰囲気描写や主人公に感情移入させることで読者の眩惑する作者の筆力を賞賛するべきだと思うし、後の展開が読めるということについても、主人公が破滅に向かっているのが分かるからこそ、終盤の強烈なサスペンスがあるのだと私は感じた。
また、主人公が牢獄で霊媒師の女囚とはじめて会う場面で霊媒師に神秘的なイメージを与える役目をする菫が、真相が分かった後には逆にペテンのシンボルに逆転してしまう鮮やかさや、主人公が海外に逃走するに当たって書いた友人への手紙が、結末を読んでから読み返してみると、自殺前の遺書として読めるようになっているという巧みさなど、ミステリとしての読みどころが随所に仕掛けられている。この作品をけなしている人達は、そのあたり、ちゃんと読み取れてるのだろうか。

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